スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

おまじないのやり方を変えるのも一考です。(ただし自己責任で)

2016-01-25 21:00:00 | 現代実践魔術と魔術師修行に関する話
いやー、先週の記事はどうもうっかりタイトルを書き忘れて投稿をしてしまったんだらしく、お見苦しい所をお見せする事となってしまいましたね(^^;)
ワタリも見てびっくりしたのですが、いやいや、本当にぐったりした状態のままでやるもんじゃありませんね(^^;

でも、夢占いによると、今日のワタリは細かい事を気にしないのが幸運の進歩方法なんだそうなので、あまり気にしない事にしますwwwwwwww

で、この話は、結構前々から感じていたのですが、今回はあくまで自己責任で行うと言う前提に立ち、おなじないのやり方を変える事で効果を発揮するようになったワタリの実際の経験を話してみたいと思います。

まず、ワタリがこの方法を実践したのは、ネット上で広まっているおまじないなので知っている人もいるとは思いますが、トイレットペーパー等の水に溶ける性質の紙と塩を使用したおまじないです。

確かにトイレに流すだけでマイナス要素を排除する事が可能です。

多分やり方から判断するに、メードインジャパンと推測されますが、浄化=祓いを得意とする日本系なだけ有って、生霊から発された思念も排除し、自身のマイナス思考も排除します。

なんて言うかな?日本人は家電にコンパクトで多機能である事を要求しますが、このおまじないも不可視領域におけるマイナス要素に対して非常にオールマイティーです。

でも、書くと言う事が最大の魔術方法で有るワタリにこのやり方は向かなかったんです。

あのね、非常にレアケースだとは思うのですが、ワタリはメッセンジャーだから筆記用具を握るとそれが魔法の杖、すなわちワンドになっちゃうんです。

ワンドは魔力倍増装置の一つなんですが、ワタリはどんな筆記用具握ってもそれが全て魔力倍増装置になっちゃうんですよね。

で、塩おまじないは自身にとってのマイナス要素を書き、それを浄化する事で願望成立に繋げるおまじないな訳なんですが、ワタリの場合だと正式なやり方をすると、どう言う訳だか書いた事が浄化されないでそっくりそのまま来ちゃうんです。

気が付くまで結構時間がかかったんですけどね、例えで具体的な話をすると、下記のようになるんですよ。

・筆記用具がワンドにならない人→「●●大学に合格しない」と書くと●●大学に合格できる。
・ワタリのように筆記用具がワンドになる人→「●●大学に合格しない」と書くと●●大学に合格できない。

ね、訳解らないでしょ?
知らない間にやっていた事では有ったんですが、こう言う「えええーーーー?!?!\(◎o◎)/!」な状況を自分自身で作りあげてしまっていた訳なんですよ。

だったら、じゃあ逆にすれば良いんじゃね?って思うでしょ?
これがそうも簡単に行かない訳で、魔術の方向性とか色々有って、マイナス要素を流すおまじないでプラス要素を実現させようとしても無駄なのです。

早い話がミスチョイス。

だからね、やり方をもっと短略化して、使う場面も変えたんです。

具体的な話をすると、魔力と言うのは自身の手から出ているんです。
ほら、水を受けた手を傾けると、指先の方から滴り落ちるでしょ?

ああ言うイメージで魔力と言うのも自身の手の平から発し、指先から滴り落ちるんです。

ワンドを握っていると、そこに一時的にたまり、増幅して発される。

だから、ワンドを使用すると願望成立が出来る魔術師は、ワンドを使用しないとワンド使用時よりも魔力が落ちるはずなんです。
そして、爪でひっかくだけでも字は書けるし、指先から流れ出る魔力はそこに宿る事が出来ます。

だから、最近のワタリ、このおまじないをする時は塩とペンは使用しません。

トイレットペーパー引っ張り出して、脳内で文章を描きながら爪で字を書き、トイレに流しています。

多分ねー、これ多少でもすっきりするかしないか?で効果の是非が解るおまじないなんですよ。

流した時、多少でもすっきりしていたら、書いた目的のケースでは効果有り。
逆に、流した時にすっきりしていなかったら書いた目的のケースでは効果なし。あるいは逆発動。

ここまで読んでいて、おなじない程度とは言えどもやり方を変えたワタリに驚いている人がいると思うんですよ。

ええ、たかがおまじないとは言えども魔術の一つ。
魔術のやり方、或いは手順と言うのは常に先人の実験結果の一つであり、最悪のケースを回避するためにも気安く変えてはならないものなんです。

でもね、逆に言えば本当に効果のある物を無効化するために手順を変えている場合だってあり得るんですよ。
そして、向き不向き、あるいは魔術師との相性と言うのは絶対に有る。

ワタリの場合はね、「もしかして?」と言う気付き、今考えると直感だったんですかね?それで試しに支障がない範囲でやり方を変えたら良かった。って言うタイプ。
だから、全ての人が使える訳では有りませんが、あくまで自己責任に基づき、おまじないのやり方を変えてみると言うのも一つの手段だと思っています。

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共有の時代に突入していると思います。

2016-01-18 21:00:00 | ワタリのエッセイ
ガイドさんなりハイヤーセルフなり、もう高次元系なら誰でも良いんですが、ワタリが思いつく高次元達の文化の一つに、色々な物の共有と言うのが有ります。

ワタリ同様、高次元と直接関わっている人なら結構誰でも知っている事なのかもしれませんが、本当に彼らは色々な物を親しい仲間と共有するんだそうです。
もちろん、一人占めと言う文化も有るには有り、魔界系高次元がヒトリ、弁士からツインがワタリを一人占めにしていると言う事を聞いた事が有ります。

でも、共有する方が当たり前で、一人占めと言うのはあまりよろしくない事のように解釈されるようです。

人間の世界も、この文化を理想とされていて、時代はそう言う風に向いて来ているような気がしています。

苦労も喜びも一人占めは駄目。
良くても悪くても何でも仲間と分かち合う。
苦労は頭数分だけ一人の苦労が減って、喜びは頭数分だけ多く感じれるようになるから。

人間が実行出来る範囲で言うと、仕事がいつまでも終わらなくて大変そうな人がいたら手伝う。
美味しいレストランが有ったら仲間に教える。

そう言う、可能な範囲での共有と言うのが、この現代社会ので最先端の流行のように感じます。

でも、こう言う風になったのは本当にごく最近なんですよね。
最低限、ワタリが小さかった頃、最低でも30年くらい前までは一人占めをするのが良い事のように扱われていたような気がします。

苦労も一人が被って、喜びも一人だけが味わう。

一つしかないおもちゃの取り合いで兄弟げんかをしているのを嫌がった親が、そう言うふうにしたのか?果てまた単純に周りの人間がそう言う排他的社会の魂を引きずっていた結果か?

とにかく、今の子供達は一つしかないおもちゃでも交代制で使用するように指導される。と言うのが非常にワタリにとっては驚きで、時代の変化と言うのを常々感じているんですよ。

でも、現実社会では果たしてどうなのかな?って。

多分、完全に共有と言うのが当たり前になるまで後100年はかかると思うんですよ。

そして、高次元の世界でも一人占めが有る位なんだから、良くも悪くも一人占めをする存在が消える事は無いんです。

それでも、今の人間の社会と言うのはまだ一人占めの方が強い。

犠牲の羊のごとく、たった一人に全ての負担を負わせるのはもう止めにしませんか?
身に余るほどの喜びを一人占めにするのも、もう止めませんか?

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妖怪ウォッチ経由で来た、閻魔大王様からのメッセージ

2016-01-11 21:00:00 | 高次元存在からのメッセージと彼らの事
先日、子供たちと以前から見に行くと約束していた、現在公開中の妖怪ウォッチ映画版の新作を見に行きました。

で、軽く検索かければわかりますが、今回は閻魔大王様と妖怪の大将役で有名なぬらりひょん殿が登場しております。

ワタリはメッセンジャーと言う役割があるため、当然の事ながら高次元専門のチャネラーとしての能力もあります。

特に、閻魔大王様とはたまたま呼び出してしまったとは言えども、多少でもお話ししたことがある上、御自身もメッセンジャー持ちであらせまして、そんな都合で小さかった頃のワタリに気が付き、30年たった今でも覚えていて下さった。と言う都合上、とても親近感が有るのです。

ちなみに、メッセンジャーさんを通して閻魔大王様がこの世に広めたかったのは、より多くの善行を積むように。悪事をすれば報いがある。と言うこと。

まあ、この件は長くなりますから追々。

で、話は戻りますが今回のこの映画、ワタリとしては見る前から絶対閻魔大王様が制作スタッフに関わっていると思っていたのですが、案の定だったらしく、いくつか高次元式のメッセージが入っているんです。

私自身はそのメッセージが全部解ったので、そう言う自分に大爆笑をしていたのですがwこれは絶対ワタリに解説をしてくれと言う閻魔大王様からの依頼だと理解し、記憶頼りで書いているので、結構あいまいになりますが、解説をします。

多分、これ読んだ後ならスピラーさんは妖怪ウォッチの映画が違う角度で見れて楽しいと思います。

一番はっきりとメッセージが示されているのは、閻魔様ゴホンニンが登場してから出る、ぬらりひょん殿とのやり取りのシーンだったと思います。

このシーンでは、ぬらりひょん殿は自分自身が長い間妖怪の大将役で有り、ゲゲゲの鬼太郎を筆頭に悪役を演じてきたのは認めるが、そろそろ疲れて来た。と言う心情を吐露しています。

早い話が、悪役でバカ売れしてしまった為にそう言うイメージが付き、悪役しか来なくなった俳優さんみたいなもんです。

でも、ぬらりひょん殿は自身の務めと悪役で有る事を受け入れたんだと思います。
しかし、悪役専門で割り切っていたとしても、長い間やっていると悪役しか来ないと言う現状にうんざりしそうになって来る訳なんです。
でも、悪役しか仕事が来ないし・・・・、自分これしか出来ないし・・・。でももう悪役終りにしたい・・・。

と、言うぬらりひょん殿に『時代が変わったんだからもう悪役やらなくて大丈夫』と励ましているのが閻魔大王様です。

で、閻魔大王様の今回の言いたい事は、下記の通りです。

『人間と不可視領域住民はもっと関わり合うべき時代が来た。我々高次元と汝ら人間は同じ存在だ。我々不可視領域住民をむやみに恐れるな。アセッションにより時代は変わるのだ。』

ツインいわく、『閻魔大王様と言う大物高次元からのアセッション宣言』なんだそうです。

実際のアニメではぬらりひょん殿と閻魔大王様の対話と言う形で示されていて、解る人しか解らないようになっています。
だから、大人向けでも解説が必要であり、ワタリは今回通訳みたいなもんなんです。

でも、すごーーーくはっきりと示されているんで、ちょっとアセッションに関するスピ知識のある人ならえ?!と思う位はすると思います。

だって、この映画の存在そのものが、肉眼には見えないけれども閻魔大王様が実在すると言う事の証明でも有り、ワタリに言わせると、この映画の制作スタッフの責任者に閻魔大王様のメッセンジャーの転生体がいるんじゃないのか?って気がして来るほど、はっきりと閻魔大王様の存在を知らしめているんですから。

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皆様明けましておめでとうございます。

2016-01-04 21:00:00 | ワタリのエッセイ
2016年、サル年でございます。

この記事は2015年時点で書いている上に、カレンダーの都合で正月三が日明けにアップされておりますが、皆様新年いかがお過ごしでしょうか?

寝正月で過ごされる方もいらっしゃると思いますが、ワタリは日本在中日本人スピラーらしく、子供達を連れて初詣に勤しんでいると思います。

中国や台湾にもこう言う発想が有るので、多分これはそっちの方からの影響だと言うのが今頃になってやっと解ったのですが、
ご縁と五円をひっかけて縁起物とする風習に言わせますと、サルと言う音が去るに似ているからサル年の時は色々な面倒事を解決するのに良いと言う事です。

真偽のほどは定かじゃ有りませんが、本当にそうであるのならば色々と去って欲しい事が沢山有るなと、個人的にも思う日々だったりします。

しかし、このブログは去りません。
って言うか去る気なんて頭から有りませんし、幸か不幸かワタリはとても長命な方なんだらしく、それこそ死ぬ数日前まで書くつもり満々です!

って言うか、そもそもアセッドマスターになるまでメッセンジャーとしての務めに終わりなんて有りませんし、一回肉体終わらせたってメッセンジャーとしての仕事を300年ばっかりお休みしているだけなんです。

生まれたらまたメッセンジャーとしての仕事が開始されるんですから、手を変え品を変え、終わるなんて事は有りません。

よって、今年も皆様このブログをよろしくお願いたします。



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