スピリチュアル世界の誰も見たがらない所を書いています

スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

常に褒め称えられている神様って寂しい

2018-12-31 21:00:56 | ワタリのエッセイ
この記事を書いている時点はそうではありませんが、記事がアップされている頃には大晦日です。

大晦日だからってワタリは特別なことをしません。

そういうわけで、このブログもいつものように進んでいきます。

クリスマス近くになっているせいか、今のワタリの脳内にはクリスマスソングが流れています。

そして、先日仕事の都合である賛美歌を現代語訳したのですが、常日頃から褒め称えられている神様というのも、ちょっと虚しいように感じます。

これは多分、八百万の神々が当たり前で、神様の存在が本当に身近にある日本人だから思うことなんでしょうが、神様といっても常日頃から褒め称えるような存在ではないように感じます。

もちろん、礼は失わず、相手の品位もこちらの品位も失わず、本当に真っ当に権威を持って接し、自分の国のやり方で構わないから、謁見の際には最大限の権威を表す相手。ということはよくわかっています。

でも、賛美歌のあれは本当に無駄に褒め称えすぎだと思います。

なんていうか、もう人間でいうと自分の思っている通りであるということを再確認したくてどうしょもないやつとおんなじ状態。

こういう人間は、大体にして本当はない。とわかっていてもあるんだと自分で思い込んでいて、それを壊されるのが怖いから、常に周りを巻き込んで再確認に翻弄するんです。

再確認に翻弄するようになったら、もう神様だって人間だって、現実を見てない証拠として扱われても仕方ないと思います。

そして、そんな再確認をしなければならないような状況はとても寂しいと思います。

だって、本当に高次元存在が欲しい心の底からの信仰心っていうのがないんですから。

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今日はクリスマスイブ

2018-12-24 21:00:15 | ワタリのエッセイ
これを書いている時点ではまだまだクリスマスじゃありませんが、この記事が公開されている時点ではもうクリスマスイブになります。

ワタリはクリスチャンじゃないのでクリスマスだからと言って特別なことはしませんが、この日世界中の教会ではクリスマスミサが盛大に行われています。

クリスマスミサをやる意味というのは、やはり信仰している神に対して信仰心というエネルギーを送ることなんですよ。

最低限、敬虔なクリスチャンは毎週日曜日のミサもやりますから、キリストの神は大なれ小なれ常に信仰心というエネルギーが供給されているんです。

でもやっぱり、1番大きいのはこのクリスマスミサのやつなのね。

世界中からクリスマスミサのために敬虔なクリスチャンが集まり、一晩かけてミサが行われますが、その最中を見えない世界の目でみると、信者たちからキラキラした信仰心がフワーッと浮いているように見えます。

そして、そのまま空に吸い込まれ、多分信仰している神のところに集まって行くんだと思います。

その結果、キリスト教の神は大体1年分のエネルギーを供給され、また来年クリスマスミサの時にエネルギーを蓄えていく。

ちょうど、夏で1年分の生活費を稼ぐような、いわゆる「季節労働者」という状態。

まあ、季節労働者に近いからと言って馬鹿にするつもりはありませんが…。

そういえば、クリスマスとスピって何かしら関係があるのでしょうか?

個人的にちょっと疑問に感じるので、今度調べてみたいと思います。
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ワタリがニュースの社会面を見ない理由

2018-12-17 21:00:28 | ワタリのエッセイ
ワタリもとりあえず毎朝のネットニュースくらいは見ます。

でも、見る面は経済面、国際、政治だけで、以前読んでいた社会面は読まなくなりました。

理由は、よくある話ですけど「悪いニュースを読むとそれを引き寄せそうになるから」

今、かなりグロい妖怪みたいなのが目に浮かんでいるんですけど…。

そうね、具体的にいうと観覧注意になるんですけど、こんな感じなのね

こういう感じの得体の知れない妖気が悪いニュースのは含まれていて、読んだ人を同じ目に合わせようとしている。っていうイメージがすごくあるんですよ。

で、さらに観覧してくれ。って意思がすごく強いから、1度でも読むとどんどんドツボに連れて行かれるの。

昔はこれに気がつかなくて随分と嫌な目にあいましたけど、今は自覚できるようになってきたのでまだ幾分かマシになっています。

皆さんも、お気をつけあれ。
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認知症は霊媒になる?

2018-12-10 21:00:48 | 霊媒としての日々
先週の記事で、ワタリは母親に自分が霊媒であることをカミングアウトせざるを得なくなってしまいましたが、弟のチャネリングをしている最中、認知症になっている父親が来たのです。

傍目に見ると、弟の遺骨の前に母親が座って涙ながらに語り、ワタリがその間に座っている。というシーンだったのですが、父親の顔はその時最高に怒っていて、握りこぶしをワナワナ言わせていたので、もし実体があったら自殺という親不孝をした弟を気がすむまで殴っていたと思います。

まあ、ある意味では清く正しい親のリアクションですわね。

でも、この話よくよく見ると不思議じゃありませんか?

もしかしたらワタリの父親はワタリが知らないだけで、本当は霊感持ちだったのかもしれませんが、今まで本当に父親が霊感持ちという話は聞いたことがないのです。

なのに、ここに来て霊感があるとしか言いようがないリアクションを垂れ流しにしているのです。

だって考えてもみてくださいよ。

視覚的には絶対何をやっているかわからない状態だったのに、父親は間違いなく見えているそぶりをしていたんですよ?

これをうちの親父が霊媒持ちだった証明。と見ないでなんと見ろ?と言う感じ。

元々ね、認知症の人は意味不明なことを言う時がある。と言う話を聞いてはいたんですよ。

でも、ワタリのような霊媒から見ると、その言葉は確実に人霊が見えている人が言う言葉なんですよ。

多分、親世代は小さい頃自分を抑えることを先に教わり、科学万能でスピが異質だった頃の人間だから、仮に霊感があっても理性で蓋をして事実上の封印をしてきたんだと思うんですよ。

それこそ、本当は人霊が見えていても見なかったことにして、本当は人霊の声が聞こえているのに聞かなかったことにして、ごく一部のPRを宿命にしてきた霊媒以外はみんな普通の人間として生きてきたんだと思います。

でも、認知症でその抑えが緩くなった結果、霊媒能力を通してみた自分の世界を心置きなく語るようになった。

でも、介護士は霊媒じゃないから、それが霊媒の証明だ。と言うことに気がつかず、意味不明な言葉の羅列。と捉えられてしまうんですよね。

やれやれ、と言う感じです。
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母親に霊媒だってカミングアウトする羽目になった。

2018-12-03 21:00:06 | ワタリのエッセイ
ワタリには弟がいるのですが、先日この弟が自殺をしました。

わざわざ山の中に行って首吊りをしたそうで、発見者が110番通報をした結果、ワタリたちは弟の死を警察官から教えてもらうことになりました。

自殺に見せかけた他殺の可能性が考えられるため弟の遺体は司法解剖を受けましたが、本当に自殺だと確認がされたらしく、翌日には遺体が戻され、この間葬儀を終わらせました。

霊媒が参列している葬式あるあるなんでしょうが、葬儀の最中弟はその辺をうろうろ歩いていました。

で、人霊の特徴である「見えるやつがいるとすぐ気がつく」の噂通り、弟もワタリが見える人間であると気がついたらしく、一瞬頼られそうになったのですが、ちょうど迎えに来た小学校の時に亡くなった祖父に押し付けることができたため、ワタリは徹底的に弟を突っぱねていました。

だってねえ、このブログを読んでいるあなたならご存知の通り、亡くなった人霊はさっさとあの世に行くのがセオリーですから。

それに、死にたてほやほやを歓迎すると絶対後始末悪くなるし!

最近まで読んでいたホラーサスペンス漫画に、「悪霊は体を欲しがっているくせして、いざ手に入るとすぐに壊す」というセリフがあるのですが、死にたてほやほやの人霊に情けをかけると、本当にこの通りなるので、本当関わらないのが一番なんです。

でも、どうしても関わらざるを得なくなりました。

葬儀の翌日、弟の死んだ場所に現場付近にあった当日弟が持っていたバックを取りにワタリは警察署に行きました。

案の定死の直前の持ち物だったせいか、軽い呪いグッツ程度ではあるものの、頭が痛くなるほどの強烈な邪気を含んでいたのです。

このまま車に積んだら事故りそう。と思ったので、ワタリは車に常備している塩をバックにかけたのですが、そのせいでバックの隙間に塩が入り込んだのです。

自宅に持ち帰った後、母親にこのことをちょっと説明したら「お前そういうのわかるのかい?」と聞かれ、なんとなーく霊媒であることをカミングアウトすることになってしまいました。

さらに後味の悪い別れ方をしたせいか、「あの時私があんなこと言ってなかったらー」と大後悔しまくっていたので、その気持ちをおさめるために弟にチャネリングをする羽目になってしまったのです。

まあ、弟も初チャネリングだったらしく、ざっくりとやり方を説明しないとチャネリングのやり方はわからなかったようですが、気になるあの人を探します!的な番組のメインシーンである、両方とも「ごめんなさいー」と謝りあいつつも再開に涙している。という事をやっていました。

なおかつ、母親のお迎えを弟がやる。という約束の提案まですることとなり、母親は後追い自殺をすることだけは無くなりました。

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