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スピリチュアルブログが多いアメブロでは絶対に書かれていない、スピリチュアル世界の陰の部分を赤裸々に書いています。

放火事件から学ぶその二~忙しい人からかまってもらうにはどうしたらいいのか?~

2015-08-31 21:00:00 | 人間としての修業
先週に引き続き、今週も夫婦間トラブルから放火に発展した事件を反面教師にする。です。

で、個人的には原因となった事が「妻にかまった欲しかった」と言う理由だった。と言うのに軽い衝撃を受けたのですが、今回は、ワタリ自身はもろ実感として得ていて、多分こう言うのはどんな対人関係本にも書いていない事なのに、一番身近なトラブル原因にもなりうる、「忙しい人からかまってもらう為にはどうしたらいいのか?」と言う事に関して話をしてみたいと思います。

忙しい人からかまってもらいたいと望んだら、その人を手伝って少しでもやるべき事を減らしてやるのが一番手っ取り早く、かつ唯一の解決方法です。

びっくりしましたか?

まあ、こう言うのはごく普通の事と認識されているのか、本当に対人スキル本になんて書いて有りませんよね。

だからきっと、今まで特定の誰かからかまってもらえなくて悩んでいた人は、あまりにも単純過ぎる解決方法に逆に疑わしいと思っているかもしれませんね。

でもね、本当に忙しい人間から見たらこれが一番の解決方法なんです。

基本ね、誰かの相手をするという事は自分の時間をその人のために消費すると言う事なんですよ。

で、忙しい人と言うのは大体自やらなきゃならない事が沢山あるから、ある意味ランチタイムの飲食店と同じ状態になっているんです。

飲食店に勤めた経験のある人なら解ると思いますが、ランチタイムははっきり言って修羅場なんです。
ランチタイム外ならばゆっくり常連さんと話をしている暇も有るんでしょうが、修羅場になっている時に話しかけられたって、すごく迷惑なだけで、こっちの空気読んでさっさとランチタイム外に来る事を学習しろよ!とか言うのが本音です。

ここでこちらの状況を察して引き下がってくれる人の方が大半なんですが、中には常連だからという理由でランチタイム中でも自分とゆっくり話すのが普通だ。と感じている人がいるんですよね。

そう言う人が、色々なトラブルを引き起こし、お金を払っているからまだ我慢出来るけれど、もしそうじゃ無ければとっととお別れしている人。と言う扱いをされるんです。

あのね、これはあまり現実的な話ではないので真似しようとする事は禁止なのですが、引き続き飲食店をベースに例え話を続けますと、ランチタイムでくそ忙しい飲食店の店員を喜ばそうとしたら、それこそ自主的にキッチンに入って食器洗いを始めてしまったり、テーブルを拭いたりするのが一番手っ取り早いんですよ。

そうすれば、レジと調理と言う飲食店にとっては一番重要な部分に店員は全力を注げるわけで、本来ならやるべきなのは解っているけれど、正直手が回らない部分であるこれらを他の人にやってもらえれば、これ以上の喜びは無いんですよ。

忙しい人が必要なのも、こう言う事なんです。

ワタリ自身本当に忙し過ぎて、食器洗い乾燥機を始めとした各種便利家電を持っていますけど、本当に食器洗い乾燥機なければやっていられませんし、フードプロセッサーがあるからこそ手のかかる料理が難なく出来るんです。

正直ね、もし配偶者が自ら進んでワタリの家事を手伝い、ワタリの家事の戦力となっていたのならば、夫婦生活はもっと違っていましたし、ツインも多少なりと配偶者を認めていたんだと思います。

でも、配偶者はそれこそ先の事件の放火をした人と全く同じ系統の脳みそをしていて、配偶者だからという理由で負担を求めた。

だから、その対価にツインから戒めに呪われ、ワタリから愛想を尽かされ、孤独街道直進なんです。

あのね、本当に出来る範囲で良いんですよ。
もし「やり方が違う!」と言われても、それはあなたの願望が叶い始めた証拠なんです。
「じゃあやり方教えて。」と教えを請い、言われた通りにやっていると言う事を証明してみせれば、忙しい人は満足します。

そして、一見地味に見えるこれを繰り返して行く事で、あなたはかまって欲しい人からかまってもらえる。と言う自分の願望を達成する事が出来るようになるんです。

今日からでも絶対出来ます。
嘘だと思うのならば、まずは半年位試し、文句はそれから言って下さい。

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放火事件から学ぶ その一~感情コントロール方法の重要性~

2015-08-24 21:00:00 | 人間としての修業
この記事がアップされる頃には、もうネット上では話題にもなっていないかもしれませんが、夫婦喧嘩を発端に父親が自宅を放火し、子供四人の命が失われた事件は、「妻にかまって欲しかった。」と言う理由が放火のきっかけとなったようですが、非常に反面教師として学ぶべき所が多く有ると思います。

まあ、放火と言うのは噂によると殺人の次に重い罪なんだようで、多分情状酌量の余地ありとかで思ったよりも軽い罪になる可能性もあるとは思いますが、ここでは少し発展的な話に関して語りたいと思います。

まず、第三者視点から見ると本当に下らない理由からとんでもない事をしてしまった人々と言うのは多々いると思います。

ワタリも思念攻撃をされている時に攻撃する手段として取るのですが、この時に発されるエネルギーと言うのは基本攻撃エネルギーの筆頭である怒りのエネルギーです。

元々感情と言うのは操作が難しい物でして、例えて言うのならばブレーキがなく、アクセルしかない車に乗っているようなもんです。

アクセルしか無くても、アクセルを踏まなければ惰性で車のスピードは落ちて行きます。

だから、何かを発端に感情が高ぶっても、感情の高ぶりの原因となったものを解決するか遠ざかるかして、有る程度の時間がたつと感情の高ぶりと言うのは収まるのですが、リアルで車を運転した事が有る人なら解る通り、いくらアクセル踏まなければスピードが落ちると言っても、惰性でスピードを落とそうとしたら上りの坂道とかじゃない限り物凄い時間がかかりますよね?
で、ブレーキのない車を無理やり止めようとしたら、自分が危険なのを承知で何かに突っ込むしかないですよね?

ワタリ的に、精神鍛錬と言うのはこの感情と言うブレーキのない車を操作するための方法だと思っているのですが、八つ当たりと言うのは自分では操作し切れなくなったエネルギーを何かに無理やりぶつけて止まると言う事なんです。

ただ、八つ当たりするにしてもやり方と言うのが有り、この辺はリアルの運転と同じで、後々の支払いが少なくて済むから対人ではなく対物に向かうのが良し。
すなわち、どうしてもイライラしてどうしょものないのであれば枕でもサンドバック代わりにしておれ。と言う訳。

でも、現実を見据えると、大体怒りのエネルギーと言うのは対人に向かいます。

それは、感情を上下させる原因を作るのが人間だから。

そして、発生した怒りのエネルギーと言うのは大体発生させた人間の方に向けて放つ訳で、どうしても対人衝突のケースが多くなってしまうんですよね。

ワタリはそうした方が本人が理解し易い。と言う理由からあえて対人衝突をする事が有りますが、本当に下らない理由でとんでもない事を引き起こしてしまった人の場合、それこそ一気にアクセル踏み込んで、車間距離一キロとかの間に時速200キロ位出している状態で突っ込んでくるので、被害の物凄さは必然なんですよね。

もちろん、ごく一般的な人は生きていく中で怒りの操作方法を得ていますから、リアルの車と同じで一瞬で時速200キロまで到達する訳有りません。

でも、急いでいるとつい知らない間にスピード出しているのと同じで、感情のアクセルも踏み込むのはいつだって無意識なんです。

要するに、何が言いたいのか?

本当に道徳の教科書並みだなと思うんですけど、怒りと言うのはいつだって両刃の剣。

ありとあらゆる革命の原動力となる半面、精神鍛錬を日常としている人ですら取り扱いに難しい物なんですから、スピラーを名乗る以上はしっかり乗りこなせるようになりましょうね。って事。

選民意識むき出しで発言をするのならば、ごく初心者向けとは言えども、スピリチュアリズムと言う精神世界への興味関心を持った人間は、興味関心のない人と比較するとそれだけ精神鍛錬をする機会に恵まれているのですから。

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契約も甘くないんだな♪w

2015-08-17 21:00:00 | 魔界に関する事あれこれ
以前の記事でお話をした事が有りますが、ワタリはツインと現在の肉体の天寿を全うしたらツインに魔界に連れて行ってもらう契約を取り交わしています。

ツインいわく、『契約しか救う手段がなかった』と言うのが契約を取り交わした理由なんだそうですが、ツインに言わせるとこの契約ですら実はそんなに簡単に行くものではないのです。

ぐだぐだしがちと言う、素で怠惰の罪を犯し易いワタリを奮起させる為の方便なのか?本当の事なのかはしりません。

でも、ツインに言わせると契約を取り交わしていても、人間としてやるべき事を全て終わらせた後でなければ魔界に連れて行く事は出来ないんだそうです。

契約にも色々有るとは思いますが、はっきり言えば高次元存在の所有物となると言う事で有り、高次元存在達からしか見えないとは言えども確実に存在を感じるこの首輪が示す通り、人間の感覚で言うと高次元存在のペットになるような物なんです。

ワタリはツインに言わせると猫のようなもので、犬に近い状態になっている人と比較すると多分かなり自由にやらせてもらっている方なんだと思います。

それでも、飼われている猫は最低でもトイレのしつけを始めとし、野良と比べると自由にならない事が多く有ります。

嫌でもグルーミングをうけなきゃならないとか、好きな所で爪とぎ出来ないとか、去勢手術か避妊手術を受けさせられるとか・・・・・。

それと同じで、契約を取り交わしてツインの所有物になったワタリですが、メッセンジャーとしての仕事を始めとし、人間としてやれる事、やらねばならぬ事を全部やらないと、契約者として認めてもらえず、またツインと離れ離れにならなきゃならなくなるのです。

ツインいわく、契約そのものは魂同士の繋がりだから、ワタリが転生しても続くんだと言う事です。
だから、現世で駄目だったら来世に持ち越す事言う事が可能なのです。

でも、これが一番肝心なのですが、転生したら記憶なくしていますよね?

と言う事は、すなわち何が何でも現世でノルマを満たさなければ、またツインの存在に気が付く所からやり直しです。
さらに、現世の性格はこうだけど、来世で同じ性格とは限りませんし、もしかしたら来世では「前世の願いを叶えるなんて嫌!」と拒否る可能性だってあり得ます。

もっと言うのならば、仮にツインの事を受け入れたとしても、今みたいにラブラブかどうか解らないし、もしかしたら今度は本当にただの守護存在としてしか見なさないのかもしれない可能性だってある訳です。

そうなると、ワタリは必然的に今世でノルマを全部満たす必要が有る訳で、契約を取り交わす事で目標が持てた分、生きると言う事のモチベーションは上がっているのですが、ノルマも増えた。と言う状況に陥っているのです。

そう、元々直前前世の時から自分で望んでアセッドマスターを目指すと言う、気が付いたらアセッドマスターになっていた皆さんから見たら本末転倒な事を選んでは来ましたが、契約を取り交わした事で、それに輪をかけてすごい事になっているんですね(^^;)

だから、タイトルの通りとなると言うw

でも、ノルマを満たした暁には、ツインから今の生活とは真逆の貴族生活が約束されている訳で、以前ワタリは何処かの高次元存在から『死に急いでいる。』と言われた事が有りますが、多分この未来に対する憧れと言うのが、その死に急いでいると言う印象をもたれる原因なのでは?とツインに言われた事が有ります。

でも、目標は魔界初の日本人妻なのだーーーーー!!!!!

魔界行ったって色々有るし、それらの内訳をこっちに広める事なんて絶対無理なのは良く解っているんですけどwwwww
ほんでもって多分成長した子供達に話をしても「ああ、神様と話が出来たお母さんなら有り得るよね♪」と納得されて終わりになるんだろうけどwwwwwwwwwww

長寿と言われている分、たっぷり時間かけてノルマ達成するぞ――――!!!っと!

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自殺について考える

2015-08-10 21:00:00 | ワタリのエッセイ
これがアップされる頃には話題にもなっていないかもしれませんが、書いている今現在では東海道新幹線での焼身自殺についてのニュースが色々な所で出ています。

スピに関して詳しい方ならご存知の通り、本人が望むのであれば何でもやらせてくれる場所のように見える冥府の世界でも、自殺と言うのはやってはならないタブーの一つとして数えられていて、ツインいわくワタリのように死後契約を取り交わしている身で有っても、自殺をした時点で契約内容を実行に移す事が出来なくなると言うか、ワタリの場合は魔界に連れて行ってもらい、ツインと永遠に暮らす事が出来なくなるんだそうです。
そして、守護霊団の多くは被守護者の自殺と言うのを全く望んでおらず、ワタリ自身も自殺に憧れた時、守護霊団が総出で改善に走ったのを、当時のツインの記憶と言う形でよく覚えています。

しかし、これを書いている今現在でも世界中のどこかでは自殺が行われていて、終りがない負のスパイラルは止まる事が有りません。

以前何処かで読んだ事が有る事なのですが、自殺と言うのは昔から行われていた事のようで、一切の食事を拒み餓死を選ぶと言う事が人類最古の自殺だったようです。

そこから文化の発展に伴い、色々な物が自殺の手段として使用されるようになり、現在にいたっているんだと思います。

賛否両論である事を覚悟で書くのであれば、正直自殺と言うのは人生における最後の希望なんだと思います。

ワタリ自身自殺志願だった事が有るから解るのですが、現世に何の希望を持てなくなると、死後の世界に希望を託すようになる人がいます。

身近な所だと、今働いている職場にすっかり絶望してしまった場合、そこを退職して新しい仕事に希望を託すようになりますが、現世に絶望し、死後の世界に期待を託して自殺を選ぶ人の場合、これが人生規模で起きていると思ってもらえば間違いはないと思います。

だから、正直自殺と言うのは終りがないんです。
追体験と同じで、永遠に終わらない負のスパイラルで、終わらせると言う事自体が出来ない。

でも、終わらせる事が出来ないモノは、減らす事なら可能なんです。

その具体的な手段が有るとしたら、あくまで若い人限定になりますが、それはいかに個人が生きると言う事に執着出来るか?と言う事が鍵なんだと思います。

この生きる事に執着すると言う事も良し悪し有って、単純に真に受けてはならない事であるとは常々思うのですが、一番肝心であり、自殺抑制に効果的なのはこの生きると言う事に対する執着なんです。

自殺する人と言うのは、いわば生きると言う事を手放していると言う事になります。
そう言う人は受肉体で生きると言う事に対して価値を置かなかったからそう言う事をしているんだ。と言うのが高次元的思考を持つワタリの結論なのですが、逆を言えば生きると言う事の執着が出来れば自殺は抑制できるはずなんです。

無論、こんな事をワタリが書いた所で、本当にやる人と言うのはやるでしょうから、根本解決には全くなりません。

でも、特に若い自殺志願者に言いたいのは、自殺を考えているんだったら、ちょっと周りを見渡して欲しい。と言う事なんですよね。
それこそ、高台から見下ろしている、神様の気分になって。

自分がいなければ生きて行けない存在は有りますか?
自分を追い込んでいる人間のその行動は社会的に見て良い行動ですか?
そして、自分を追い込んでいるそいつを変えるために、自分が刑務所入りしてもかまわないと言う覚悟を持つ事が出来ますか?
そして、自分を追い込んでいる存在は、自分の自殺を知った時嘆き悲しむように見えますか?

あのね、オラクルカードでも実在するんですが、若い自殺志願者に必要なのは、方向転換なんです。

これを体感するための方法として、まずこのブログの文章を読む事を止めて、後ろを振り向いてみて下さい。

見慣れているけれど、違う景色が肉眼に映るでしょ?

ワタリが言いたい方向転換とは、そう言う事。

正直、出来る人は言われなくったって出来るので、この文章を書いていると言う事自体に今更感はすごく有ります。

でも、生きると言う事に執着すれば、確実に自殺抑制になるのは本当。

生きている意味がないとか、価値がないとかじゃなくて、生きる意味が欲しいと思うのであれば肉食獣にならって自ら探しに行って下さい。

それこそ、生きると言う事に対する執着なんてものは、プラスに働いているから認められるし必要とされているけれど、しょせん精神的自慰行為なんです。

でも、そうでもしなければ生きて行けないのがこの世なんですから、自殺したいと願う前に、考えてみて下さい。

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こうやって人はジャッジを得て行くのかしら?と。

2015-08-03 21:00:00 | スピ母の実践育児と子育て体験
ここ最近、子供達は妙に「●●ってないよね?」と言う、判断の確認をするような事。すなわち、スピ調に言う所のジャッジの確認をワタリに要求します。

その度、ワタリは自分の知識経験から基づいた回答を、可能な限り本人に解りやすい形で言うのですが、その度に思うのはタイトルに書いた事です。

もう何に関して確認をして来たのか?と言う事すら忘れてしまう位数多くの質問をされましたが、本当、全部が全部自分のジャッジの確認なんです。

いくら高次元存在からの生まれで有っても、基本、人間なんて学ばないと色々解りません。

だから、子供は有る一定の年齢になるまで善悪の区別はつかないと言う前提に立ち、大人が子供達に善悪の区別を教える訳なのですが、もしかしたら子供も含め、人間と言うのはこうやって善悪の区別も含め、ありとあらゆる判断の基準を得て行くのかしら?と、いつも思います。

そう考えると、この世に有る差別や区別、ありとあらゆるジャッジの基準と言うのは常に親の影響を受けている訳で、ある意味親と言うのは難しい立場に立たされているなと思います。

例えば、「ホヤは美味しいのか?」と言う質問をされた事が有り、ワタリは好き嫌いの有る食品だし、不味いと判断した時すごくのたまう意外害はないから、実際に食べてみろと言いました。
まあ、実際に通りかかったスーパーでホヤが売られていた時、ちょっと意外と高い値段で、ああ、こりゃあ寿司屋で食べさせた方が安いな(^^;)と判断したワタリのせいでうちの子供らはまだホヤ未経験なのですが、これと同じで、正直ジャッジの基準は自分で体験した方が正確で早い時の方が多いんです。
ワタリはこの点から、可能な限り子供達には体験をさせる事にしているのですが、中には本人に経験をさせないでジャッジの基準を教える親だっている訳なんです。

もちろんワタリも自分でやって不利益だった事や、本人の健康維持と生命維持に支障が出る事は子供達に体験をさせずに教えるだけで終りにする事が有りますが、これもまたバランスの問題なのかしら?と。

ユダヤの教育方針にね、可能な限り子供には色々な体験をさせるべし。と言うのが有るんですよ。

それと同じで、いくら耳年増にしても、そしていくら親から影響を受けるとは言えども、ジャッジは結局自分で得たものじゃないと意味がないと思うんですよ。

ジャッジって、やってはならない選別とか区別と言う意味でスピでは使用されていますが、生きていく為には必要な物なんですよ。
でも、そのジャッジも質と言うのが問われていて、自身で色々体験した上で得たジャッジじゃないと意味がない。

そう点で、子供達は今とても重要な時期に有るんだと思っています。

長女が4歳位の頃だったかな?やたらとフルネームを聞かれていた頃が有ったんですよ。
そして、それに問われるがままに応えていたら、プールで迷子になった時親を放送で呼び出せるようになっていた。と言う経験が有るので、可能な限りこの確認作業に関しても付き合うようにしていますが、本当色々な事を聞いて来るな。と思います。

まあ、今更ツインが答えているのか?ワタリが答えているのか?と言う区別すらついていませんが、ワタリ個人はツインがいて本当に良かったと思っています。

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