爺さんが伝えたいこと

寡黙に生きて来た爺さんが、一つの言葉ででも若い人達の役に立つならば、幸いです。

神社がフランスに分祀

2021-08-22 13:37:37 | 日記
ワインの産地として世界的に有名なプルゴーニュ地方のラ・モンターニュ村の田園風景の中に、小さな鳥居に守られた神社がある。

三重県にある水屋神社の分祀社である和光神社が、ヨーロッパ初の神社としてフランスの地に建立されたのだ。

和光神社の本社である水屋神社は、その名の通り水と緑の深い神社だ。

神社の近くにある閼伽桶(あかおけ)の井の神水は「お水送り神事」によって859(貞観元)年から奈良の春日大社に奉納されてきた。

境内には君が代に詠われた「さざれ石」が置かれ、天照大神を伊勢に祀った倭姫(やまとひめ)が、みずからの姿を映したという姿見の池も残っている。

また、天照大神と春日の神が、伊勢と大和の国境と決めた礫石(つぶていし)という巨石も川の流れの中に鎮座しているなど、一帯に残る伝説は水と巨石にまつわる物が多い。

水屋神社の境内にそびえるのは水屋の大楠と呼ばれる巨木だ。

樹齢千年超のご神木は、県の天然記念物に指定されている。

他にも境内には何本もの巨木がそびえており、神話時代から続く神社の歴史を物語っている様である。

2006(平成18)年、日本に修行に来ていたフランス人僧侶の熱心な働きかけによって、この歴史ある神社が海を渡る事となった。

分祀された和光神社が建立された時は、パリの有名ホテルにて宵宮(よみや)祭を行い、翌日に200人以上が参列する中で分祀奉祝祭が執り行われたという。

プルゴーニュ地方は、地域に流れる川と水路として利用し、ワイン産業を発展させて来た土地である。

そこに「水」を守って来た水屋神社が分祀されたのも、因縁の様なものを感じさせる。









神様を背負って移動

2021-08-20 12:31:04 | 日記
栃木県の日光は今や観光地化されすぎていて、聖地というイメージは薄いかも知れない。

しかし、ここは1200年以上も前の奈良時代から山岳信仰の場だった。

その中心となっていたのが、標高2486mの男体山(なんたいざん)だ。

日光山内にある二荒山(ふたらさん)神社のご神体とされている山である。

ここを開山したのは、勝道上人という僧だと伝えられている。

山は非常に厳しく、三度目の挑戦でようやく頂上までたどり着けたという。

その時山頂に建てた祠が、二荒山神社の奥宮である。

頂上では古代の祭祀跡や遺物も発見されており、数多くの修行者が男体山を目指した事がわかる。

現在では片道三時間半の登山ルートが作られているものの、そこには決して破ってはいけない決まりが定められている。

男体山に登る事ができるのは、5月5日~10月25日までの半年足らず。

それ以外の時期は登拝門は閉められて、山への立ち入りが禁じられている。

真冬の山頂は激しい吹雪が吹き荒れるのだという。

ただし、登拝祭が行われる7月31日~8月7日の一週間だけは、夜の男体山に登るという珍しい経験ができる。

この祭りは、三人の神様を背負って奥宮へ帰すという意味があるそうだ。

本殿にお参りを済ませた人たちは、午前0時から一斉に山に登り始める。

そして、夜が明ける頃に山頂にたどり着き、ご来光を拝むわけだ。

この山道はかなりきついが、祭りの初日には千人を越す人が参加するらしい。

それだけ男体山が篤く信仰されているという事だろう。



聖地の見学にお金が

2021-08-19 11:21:33 | 日記
いわゆる観光名所でもない限り、普通は「聖地」と呼ばれる場所を見学するのにお金が掛かるイメージはないだろう。

ところが、まれに例外もある。

それが箱根町にある九頭龍神社だ。

箱根の九頭龍神社といえば、縁結びのパワースポットとして近年特に有名である。

神宮は箱根神社の境内に位置しており、誰でも気軽に参拝する事が出来るが、本宮はというと少々特殊な立地条件にある。

箱根神社から直線距離で3kmほどのところ、つまり芦ノ湖畔にあるのだ。

参拝手段は徒歩と船、あるいはバスやタクシーなどがあるが、多くの人は徒歩か船を選ぶ事になるだろう。

まず船は、月に一度月次祭(つきなみさい)の時にしか運航しない。

もちろん乗船は有料である。

一方、徒歩であればいつでも行けるが、本宮が置かれている場所は箱根プリンスホテルの敷地の奥で、参拝するには「九頭龍の森」という有料施設への入園が不可欠だ。

つまりどちらもでも、お金を払わずして参拝するのは不可能という事なのである。

聖地であるはずの神社に、なぜこの様な商業主義的な仕組みがつきまとうのか。

じつは、箱根では20世紀半ば、プリンスホテルを擁す西武グループと、小田急グループによる企業紛争があった。

おおまかに言えば、バス、鉄道、観光船といった、箱根に於ける輸送分野のシェア争いである。

一説には、九頭龍神社はこの交通開発戦争に巻き込まれたまま、現在に至ったと言われている。

やはり聖地と言えど、娑婆(しゃば)の世情と無縁ではいられないという事なのかも知れない。



三越のライオン像が神社に

2021-08-18 07:47:38 | 日記
東京の隅田川沿いの土手の近くにある三囲(みめぐり)神社は、宇迦之御魂命(うがのみたまのみこと)を祀った小さな稲荷神社だ。

じつは、その境内にはあの有名な三越デパート前のライオン像が置かれている。

その理由は、三囲神社と旧財閥三井家の深い縁にある。

三囲の名は、その建立の伝説に由来している。

源慶という僧が、弘法大師が建立した荒れ果てた小堂を発見し、その社殿を再興しようとした際、地中から白狐にまたがる翁の像を掘り起こした。

するとどこからともなく白狐が現れ、翁の像の周りを三回巡って消えたのだという。

江戸時代の三井家は三囲神社を守護社と定めた。

囲という字の中に「井」の文字が入っている事から「三囲は三井に通じ、三井を守る」と考えられたのだ。

さらに、三井家の本拠があった江戸本町から見ると、三囲神社のある場所は鬼門の方角に位置している。

不思議な因縁から、三囲神社は三井家に篤く信仰されて来たのである。

敷地内には、三井十一家代々の当主夫妻の120名余りの霊が神として祀られている。

ちなみに、三井家の経営する三越デパートの各店には、三囲神社の主神である宇迦之御魂命が分詞されている。

そして近年、三井家と三囲神社の関係の深さを象徴する様な出来事があった。

2009(平成21)年に東京池袋の三越が閉店した際、その入り口に置かれたライオン像が、神社からの申し出によって奉納されたのだ。

三越のシンボルとも言えるライオン像が、静かな神社の境内で狛犬の隣にひっそりと鎮座しているのは、何とも不思議な光景である。





聖なる巨石にヒキガエル

2021-08-17 10:40:35 | 日記
和歌山県の新宮市には、神倉山(かんのくらやま)という標高120mほどの山がある。

この山のちょうど中腹あたりに建っているのが神倉神社だ。

源頼朝が1193(建久4)年に石段を寄進したと伝えられるが、創建ははるか古代にさかのぼる様だ。

この様に古い歴史を持つ伝統ある神社なのだが、初めてここを目にする人は、その異様な光景に圧倒されるに違いない。

というのも、小さな社殿の上にある絶壁から、驚くほど大きな岩が突き出しているからである。

高さが約12m、幅は約10mという巨大な岩はゴトビキ岩と呼ばれている。

ゴトビキとは、この地方の方言でヒキガエルに似ている事から名付けられたのだというが、しかし、神倉神社を聖地としているのは、このゴトビキ岩に他ならないのだ。

社殿が造られるよりもずっと以前から、人々はゴトビキ岩を神が宿る御神体として崇拝していた。

それを証明するかの様に、岩の根元から銅鐸(どうたく・弥生時代の青銅器で祭器の一種とみられる)の破片や、経典を埋めた痕跡などが発見されているのである。

古代人は自然の力を恐れ敬い、木や岩などを信仰の対象にしてきた。

ゴトビキ岩もそうしたものの一つだったのだろう。

またここは『古事記』や『日本書紀』にも神武天皇が登った場所として記されており、古くから聖地と見られていた事がわかる。

どっしりとそそり立つコドビキ岩は、今も神が降りて来そうな雰囲気を漂わせている。