一億 100,000,000

7年ぶりに復活したので何書いてよいかややわからない。

僕にとってのヒロシマ

2018-06-10 17:02:00 | Weblog
46歳になりました。

甲子園で活躍している球児が気付いたら年下だったり、30歳を超えたあたりでこの歳になるとか思っていなかったよ~とか思ったり、40歳を超えて確実に人生折り返したことを意識したり。46歳になり酒を浴びるように飲み63歳で亡くなった父とどっこいな飲酒量で、いつ死んでもおかしくないとは思っています。

父に合掌(チ~ン)。

SNSなどで「おめでとう」という一言を入れ下さる方々がいらっしゃっいまして。私はそういった配慮というか何気ないさらっとしたことを行なわない人間なのですが、「おめでとう」と言われたら素直に嬉しいものですね。さらっと皆さんありがとうございます。来年も生きてたらこれまで通り接してください。


さてさて。


前回記したように先日、生まれ故郷である広島にて昨年より突如開催された「従兄弟/従兄妹の会」ってのに参加しました。とうかさんってお祭りの最中で街はごったがえしてました。私が生まれた46年前もこのお祭りの真っ最中で父は麻雀してて麻雀終わって病院に顔出したそうです。いとこの会の中身はただの飲み会でした。2歳弱で転勤族の親の都合で広島を離れているので正直、自分の生い立ちに関することや、広島にはこれまであんまり興味がなかった。けど、自分の血やルーツてのをこの歳になって多少なりとも感じるようになったのかしらとか思いながら、なんだかそこそこ居心地の良い会でした。次回は私が幹事ということになりまして願わくば「従兄妹でのマツダスタジアムでのカープ観戦です」。しかしチケット入手困難だそうです。

「従兄弟/従兄妹の会」って地球的にはどうでもしらんがなって会が立ち上がったお陰で、私にとってはついでに墓掃除は出来るし、仕事仲間とは(これまた)飲み会が出来るし、あんまり興味がなかった自分の生い立ちや「ヒロシマ」にダイブする時間もあったりで、まぁ良かったなとか思っています。私の父と祖母が戦前住んでた場所は、今の平和公園の中で現在改修中の原爆資料館から北東に2~300Mほどに所だったらしい。その住所が本籍なのです。

少々後悔している事がひとつあって、原爆や父方の家庭事情が込み入っていたようで自分のルーツやあの時のヒロシマを語ってくれる方が存在していないってこと。思春期~20代は目を瞑り、30代の頃は心の隅の澱として存在してて、今は引き出しから引っ張り出しました的な存在として。ま、後悔してもどうにもならんねと兄と話しました。


http://www.toukasan.jp/

広島に行ってきた

2018-06-05 14:14:52 | Weblog
行ってきたってか帰った、が正しいのかもしれない。

昨年、突如母方の「いとこの会」ってのが発足しまして、ふるさとである広島に集まりましょうてことになった。今回は上は61歳、下は32歳の母方従兄弟10名中半分が広島に集まりました。つってもワシと兄以外はみんな広島在住なんですけどね。

ワシにとっての「ヒロシマ」って正直あんまり思いいれがなく、ゆえに親戚スジへの思い入れもそんなにない。だって2歳弱で広島から滋賀へ、そこから1年足らずで佐賀に父が転勤したのでね。ゆえに「いとこの会」しますって言われても「はぁ、そうですか、うん、まぁ、断る理由もないので参加しますわ」くらいなノリ。しかしながら、小学校卒業位までは母方の祖父母の家に夏休みの半分弱を過ごしたりで、瀬戸内海の島で漁師なおじいちゃんと海に出たりすることがあの時のワシにとってスペシャルで、この会が立ち上がったきっかけてのが一番上の従兄弟が、「葬式くらいしか集まれんのも辛気臭いし、自分の葬式がそのうちの1回になるだけてのもあれじゃけ、従兄弟がただ楽しく集まるようなことができんかのぅ」って一言にも賛同したりで。深層心理での良い思い出+死期が一番近い重鎮の言葉の重みには抗えん。

父とばあちゃんの墓参りにはちょうど良いし。

まぁ集まって何がどうってことはまったくなく、集まった5人がひたすらガバガバ酒を飲むって遺伝の恐ろしさを再確認するような会でした。次回はワシが幹事となりました。好きなタイミングで好きな催しを考える。

前乗りして10年来の仕事仲間&友人と飲んだけど、これが激楽しかった。みんな潰れる寸前、いや、立ち飲み屋でしゃがみこむ方もいたから潰れた方もいたな。