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新・非公正ブログ



「小学生は国語力を磨け」、石原都知事が文科省を批判 (朝日新聞) - goo ニュース

小学生は、まずは十分な国語力を身につけよ。東京都の石原慎太郎知事は7日の記者会見で、「自分の国の言葉を完全にマスターしない人間が、外国の知識の何を吸収できるのか」などと話し、小学校段階での英語必修化の動きを批判した。


正論である。どこにも反論の余地がない。石原慎太郎の発言にしては充分すぎるぐらいマトモである。やればできるじゃないか。

小学校英語必修 都知事「ナンセンス」発言に文科相反論 (朝日新聞) - goo ニュース

 小坂文科相は「すでに9割の小学校が英語活動に取り組んでおり、機会の均等を考えるとどの学校でも英語活動に親しめる環境作りは必要だ。インターネットのコンテンツは9割が英語だ」と述べた。


ここで機会均等を持ち出すのは筋が違うだろう。それを言うならジェンダーフリーとかも全国で必ず教えなければならない理屈になるぞ。議論すべきは小学生に英語教育が必要かどうかという論点のみのはずだ。

で、その論拠がインターネットですか。なんだかな。それは読解の話になるが、小学生にやらせたいのは会話とかヒアリングとかじゃないの? なんだかポリシーがあやふやな印象を受ける。思いつきや目先の表面的な効果ではなく、ちゃんと将来を見据えた戦略を練ってなるのかなあ。「ゆとり教育」の二の舞になるないか心配である。

読解や作文に関して言えば、今何かと批判されている現行の学校教育の場での英語教育は、実はかなり頑張っていると評価できるものだ。私なども仕事で毎日のように英語は使う。その実感から断言させてもらうと、最も役立っているのは高校生のときに受験英語として「詰め込んだ」知識である。逆に、大学に入って受けた教養課程の英語は(国際A級を標榜する大学で、英語教育環境の充実ぶりについてはオリエンテーションで担当教官に自信たっぷりに散々吹聴されたものだが)、全く何の役にも立っていない。

会話とて「受験英語」の応用で充分ことたりる。事足りないように思っている人がなぜそうなのかといえば、一つには度胸が足りないからであり、また、英語をなにか至高の言語のように難しく考えすぎているからでもある。だが、最も大きな原因は文法が頭に入っていないことである。SVOとかSVCとか、高校で習うはずの5文型を頭に入れておけば会話も作文もそんなに難しくない。型紙に名詞/動詞をあてがっていくだけ。

ここまでのことは中学生以降でのトレーニングで充分対応できる。急ぐ必要は全くない。

唯一子供のころからやっておいたほうが良いであろうトレーニングはヒアリングだと思う。日本語にない母音などを正しく聞き分けられることは非常に大切。これは成長して頭が固まってからでは難しい。どう頭をひねってみてもearlyのearとartのarが違うとは認識できない。どんな音を聞いても脳が勝手に日本語の50音に当てはめて認識してしまう。

そうならないうちに小学生相手にはヒアリングをひたすらやらせよう。ちなみに教材の入手は容易である。世界中でドラゴンボールやガンダムの英語版が放送されているのだから、これを購入して教室で見せてやればよいだろう。

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朝食抜き小学生 22年度ゼロ目標 食育基本計画決定 (産経新聞) - goo ニュース


十二年度の調査では、小学五年生の4%が「ほとんど朝食を食べない」と回答。十五年度は二十歳代男性の30%、三十歳代男性の23%が朝食をとっていない。


うむ、まあそんなものだろう。なぜ男性にだけ言及するのかがちょっと謎だが……。

かくいう私は大学4年生のころから殆ど朝食を取らなくなってしまった。朝食よりも5分でも睡眠時間を長く取りたい感じであった。

しかし、大学院に入ってしばらくしたころ、意識的に朝食をきちんと取るように努めてみたことが3ヶ月ほどある。朝食を取らないことが頭脳の不活性化につながるとかいう主張を目にして、ホントかどうか試してみようと思ったのだ。どうも仕事に集中できなくて悩んでいたものでね。だが、はかばかしい効果は一向に認められなかったので、やめてしまった。

以来、自宅にいるときは朝食は取らない。問題は感じない。ただし何かの事情で6時起床とかになった場合は話は別である。単純に空腹が強まって体が食事を求める。

ちなみに、下に掲げるような主張もある。判断は保留としておくが。

長生きしたければ朝食は抜きなさい―体の不調を根本から改善する驚異の「甲田式健康法」とは
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さて、記事の続きは以下のようになっている。こっちのほうが突っ込みがいがあるかもしれない。


また、子供が農業への理解を深めるため、学校給食に地元の農産物を使用する割合を、十六年度の調査で21%だったのを30%以上にまで高めることも明記した。


地元の農産物を使用することがなぜ農業への理解に繋がるのやら。むしろ世界の農産物に触れさせることのほうがずっと「理解」に繋がるんじゃないのかね。まったくコジツケもいいところだ。

労せず濡れ手に泡で儲けようというような農協の思惑がプンプン匂うんだよ。食育を声高に喧伝する主張ってこういうところがうさんくさくて支持する気になれないのだ。いっそ「みんなで土地のコンニャクを食べて地元のお百姓さんを助けましょう」とか正直に言い切ればいいのに。

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日本「ばつの悪い優勝」…韓国は複雑 (読売新聞) - goo ニュース

22日付韓国紙・中央日報は「5勝3敗の日本、きまりの悪い優勝」との見出しで、韓国が日本に2勝したことを改めて強調。「奇妙な大会規定のため、決勝に進出した」と日本の優勝を幸運に過ぎないとした。


そうはいってもどちらのチームも「ルールを受け入れて」参戦したわけだし、予選はどうあれ決勝リーグでは日本が圧勝したわけだしねえ。ルールに文句をつけるなとはいわないけど、結果は結果だよな。

こういうのは嫌韓厨を勢いづかせるだけだ。もう少しオトナの対応をしないとなあ。


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ダムに沈む村、撮り続けた増山たづ子さん死去 (朝日新聞) - goo ニュース

いろいろな観点から考えさせられる。「好きこそ物の上手なれ」とか「弘法筆を選ばず」とか「継続は力なり」とかいろいろなフレーズを連想する。

http://www5a.biglobe.ne.jp/~outfocus/tyyle-camera/history(3)/konica.htm

岐阜県と福井県の県境、ダムで沈む自らのふるさと徳山村をピッカリコニカで撮り続けた増山たづ子さん。…「ここが無くなってしまうかと思うと、昭和16年に召集で南方に征き、20年5月29日にインパール作戦に参加して、一小隊の半分が英軍の戦車にふみにじられて行方不明になりました夫が、横井さんや小野田さんの事もありますので、夢に見たであろう故郷ん゛無くなってしまったら、どう説明していいか分かりませんし、写真で見て貰えば分かりますので、どこを見ても懐かしい所ばかりなので、数だけで三万枚写しました。これから写す写真は、つらい写真ばかりになり、家を壊したり、焼いたりするのを写さなければなりませんが、これも大事な故郷のお葬式ですので、最後まで写し続けたいと思います…」


バカチョンツールを使い、専門的な技術を追求するなどという方向には全く目を向けず、ただひたすら身辺の題材を使って作品を作りつづけた増山たづ子さん。身近の情報をひたすら「記録」したのだ。それが、確かに人々の感動を呼んだ。そのことをどう考えるか。

増山たづ子さんの成し遂げたことというのは、ブロガーのそれと重なる部分が大きい。ブログがひとつのバカチョンツールであることに異議を唱える人はいないだろう。

増山さんのスタンスこそ、ブログの王道である。身辺雑記・ご当地ブログは間違いなく「オンリーワン」だ。今は取るに足らない情報に見えても、やがて全てが貴重な「時代の生き証人」となる。

そこへいくと、小泉氏の外交政策とかを大上段に論じているのって、なんなんだろうな。だいたい議論の場所がどこに移っても内容が金太郎飴だ。みんながgoogleで検索をした結果を突きつけあっているだけだから、どこかでみたような論拠、どこかで聞いたような論理展開ばかりが繰りかえし出てくる。そんなものを交流することに何の意味があるか。もう、議論とか情報交換とか交流とか、姑息な下らんことに拘るのは止めようじゃないか。

というわけで私も最近「つくば」ねたエントリーを作ることに拘り始めているのであった。今日もいっぱい写真をとってきたので、近々アップする予定だ。全国1000万のkojidoiファンは楽しみに待っていて欲しい。

増山たづ子 徳山村写真全記録
増山たづ子 徳山村写真全記録増山 たづ子

おすすめ平均
stars増山ばあちゃんの温かい目線に泣けてきます
stars感動的でした。
starsおばあちゃんのピッカリコニカ

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木村一八容疑者の主演映画を差し替え 毎日放送 (朝日新聞) - goo ニュース

あのさあ、作品と出演者とは別物でしょ。どうしてわからないかな。

人生ゲームや山形ケーブルテレビのインタビュー番組中止に関してのエントリーで書いたことをまた繰り返さなければならない。

人生ゲームのときはこう書いた。

こういう事件が報道されるたびに私はうんざりしている。いい加減に作品・製品などの評価を、その製作に関与した者の犯罪性(ホリエモンはまだ容疑者に過ぎないが)で左右する愚かしい考え方を卒業したらどうか。

作品は作品、人は人ではないのか。犯罪者の手による文学作品・絵画は世にたくさんある。認めないつもりだろうか。映画にも麻薬に手を出してつかまった俳優が沢山出演しているが、これらも認めないつもりか? 


今となって考えてみれば、後段は明らかに詰めが甘かった。「認めないつもり」なのだ。根は深い。過去の慣習への盲従と郷愁(?)が全てに優先して磐石の強さを誇る美しき日本。

合理性のあるなしは全く関係ないのだ。

自粛といえば北海道のとある学校が高校野球の出場辞退するというのが話題になっているな。これもまた日本の「悪しき美風」だ。過去と同じであることが全て。皆が同じモノを分かちあうことが至上。高校野球のキモチワルサについては、いずれ機会があればまた書こう。今は酒を飲んで酔っ払っているのですっ飛ばして結論にいくが、こういう「悪しき美風」にシンパシーを感じている人が絶滅しないうちは、少子化問題も年金問題も決して解決しないね。

自粛でググったところ先頭近くに出てきたのがこれ

クールなエントリーだ。拍手を送りたい。こういうことがいえる人が増えれば、少子化問題も年金問題もやがて解決するであろう。

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Dan Kogaiさんのブログ、カエルの子を変えるにはの主張には、初めから終わりまで全てについて同意である。


もし社会が彼の子女を第二第三の麻原にしたくなければ、社会は彼らを受け入れ、そして彼らに社会を理解させなければならないのではないか。


本当の意味でオウム的なものを「抹殺」したければ、コミュニケーションによって価値観の共有を図るしかあるまい。それこそが教育ではないか。それこそが学校の「社会的責任」ではないか。

正義というものを勘違いした役所や学校が住民票を発行拒否するだの入学を拒否するだの、声の大きい愚民どもに影響されてバカな対処を試みたのが全て司法に否定されているのは、法治国家であれば当然である。私は断固この司法判断を支持する。

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http://65114246.at.webry.info/200602/article_4.html

”オリンピックは、参加することに意義あり!”と云うこともあるけれど、とは云っても、だからと云って、出場枠フルに選手を派遣するのもどうかと思われる。 いくら枠があっても、メダルに手の届きそうな選手だけに搾り、メダルにほど遠い選手や最下位に近い選手まで送り込む必要も無いだろうし、それこそお金の無駄遣いも甚だしい!


嘆かわしいことに、いまや会社の経営から学術研究まで、こういう「目先の利益万能」論が幅を利かせすぎである。

だいたい、こういう人たちは人生つまらなくないのだろうか? 評価するのは目先の勝ち負けだけ。「勝組」でなければ「負組」。そこにいたる過程から汲むべきものを汲みもせず、すこし遠い将来に立ち向かう展望もない。

そもそもオリンピックはアマチュアの祭典である。プロの参加も許容されてはいるが、あくまでも主体はアマチュアだ。アマチュアが趣味でスポーツを楽しむというのが本筋だ。趣味とは何か。ある人がクールに定義していた。「手段が目的化した行為」だと。結果は最重要事項ではないのだ。だから楽しいのだ。

なんか日経新聞でも「勝利」以外のスポーツマンの楽しみはありえないなどとコラムで断言したおじさんがいたらしい。こういう考え方は広く日本に蔓延しているようだが、本当に貧乏くさくて情けないと思うね。

メダルなんかゼロだってよかったのだ。世界のスノーボーダーは俺たちよりぜんぜんすごかったことが判りました! で、いいじゃないか。それもまたひとつの「結果」なのだ。
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荒川思わぬ“金”効果…JOCスリム化へ本腰 (夕刊フジ) - goo ニュース

こういう記事を見ると、日本のエライ人って本当にバカだなという気になる。

選手枠を絞るというが、たとえば今回100人いた選手を次回5人とかに絞って結果が金メダル一個の獲得だったとして、これは成績が上がったことになるのか? ……と考えれば、ぜんぜんナンセンスだと思うのだが? 

だいたい、有力選手が予想外の成績に終わった場合に決まって持ちだされるのが「五輪は魔物」論だ。4年に一度の低頻度開催でしかも注目度が高いから選手に非常にプレッシャーがかかるというのだが、そのプレッシャーに耐性をつけるには実地訓練をおいて他にないのではないか? 選手枠を絞れば、今は入賞の実力もないが4年後にはメダルを取れるまでに成長するかもしれない選手の将来性を潰してしまうことになるのではないか?

記事が指摘する通り、選手枠の削減などと考えなしなことをいう前にJOCなり競技団体なりの無駄を省くべきだろう。金を節約するなら選手でない者の渡航費用のほうから削減を考えるのが当然だ。

自分たちは安定した地位にふんぞり返って、力のない選手にばかり責任を押し付けているようで、この団長さんの発言は非常に不愉快だ。

↑B
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http://news.goo.ne.jp/news/yomiuri/keizai/20060209/20060209i213-yol.html

タカラの佐藤慶太会長は「いいゲームだと自負しているが、企業イメージへの悪影響が避けられないと判断した」と話している。


まあ、山形のケーブルテレビがインタビュー番組を放送中止したときの言い分(社会的責任云々という意味不明なやつ)よりは正直だし理解できる説明だが、それにしてもそんなに悪影響があるかねえ。自粛により、さっそくネットオークションではこのゲームが高値で売買され始めているという。これは企業イメージにこだわる佐藤会長の望んだ結果だっただろうか。たぶん違うんじゃないかと思うのだが。

そういえば数年前、ウルトラマンの主役が恐喝だか傷害だかの容疑でしょっ引かれたことがあったが、そのときのテレビ局の対応の珍妙なことといったらなかった。容疑の人物が不起訴になって、番組を止めたり復活させたり……。

こういう事件が報道されるたびに私はうんざりしている。いい加減に作品・製品などの評価を、その製作に関与した者の犯罪性(ホリエモンはまだ容疑者に過ぎないが)で左右する愚かしい考え方を卒業したらどうか。

作品は作品、人は人ではないのか。犯罪者の手による文学作品・絵画は世にたくさんある。認めないつもりだろうか。映画にも麻薬に手を出してつかまった俳優が沢山出演しているが、これらも認めないつもりか? 

一連の狂騒を見ていると、まるでホリエモンがそこに存在したという証拠を全て消去して「はじめから何もなかった」ことにしたがっているみたいだ。変である。変に思わないのは頭を使って物を考えていないからであろう。

2月12日追記。ネットオークションの方はもう旬を過ぎ、落札価格は定価にも届いていないようだ。バブルを夢見た出品者さんたち、残念でした。

↑B
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さっきのエントリーの続きだが……。

運転していたのが無職だろうと、轢かれたのが会社員だろうと、これまたどうでもいい話ではないか。

ここで運転していたのが運悪く「公務員」だったりした日には、またぞろ愚民どもがわけの分からぬバッシングを始めるわけである。馬鹿に餌をやるだけのこういった情報はいちいち付加せんでよいのではないかな?

↑B
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