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新・非公正ブログ



つくばエクスプレス終点一歩手前の「研究学園」駅周辺の情景。8月30日昼ごろ撮影。

終点のつくば駅はもちろん市街地の中心部にあるのだが、その一つ手前の
研究学園駅は、かつて自動車研究所のテストコースがあった地点に作られた。
その周辺は田んぼと集落あるのみ。直線距離にして「つくば」駅からは2.5キロ
ぐらいしか離れていないのだが別世界である。

今のところ駅と、駅につながる2本の大通りと、駐車場ぐらいしかできていない。
道路もとりあえず駅まで車でいけるように最小限のところだけ仕上げましたと
いう感じ。

研究学園駅に限らず、つくばエキスプレスの駅はほとんど同じような感じである。

それにしても訳のわからん駅名である。
「みどりの」とか「おおたかのもり」よりはまだ多少ましだが。

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これまで唯一の東京からの直通アクセス手段は高速バスであった。JR関東バスと関東鉄道バスの共同運行である。


写真は通常の2倍の乗車定員をもつ2階建ての大型バス「メガライナー」である。

つくばエキスプレスの開業でやはり影響は避けられない。この写真は土曜日午後9時ごろの撮影だが、たまたま発車しようとしていた東京行きのバスを見てみると、乗り込んだのは10人ほど。運転手はちょっと暇そうにしていた。

もっとも週末のこの時間帯に東京に出かけようとする人はもともと多くないだろう。つくばエキスプレスのほうは、東京の人々ではなく祭りを見に来た周辺市町村の住民でごった返していたのだと考えられるので、これをもってバスのほうを負け組とするのは早すぎる。

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つくばエクスプレス開業後発の土曜日。地上では大きな祭りが行われていたため人が多い。

撮影は午後9時ごろ。祭りがちょうど終了した時刻で、帰路につく人が増え始めた。写真中央は券売機のコーナー。写真の右側が改札口となる。

つくばエクスプレスの「キオスク」は全てAm/Pmとなるそうである。


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つくばエクスプレスの終始発駅であるつくば駅の改札口。
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毎年開催されるつくば市のお祭り。今年はつくばエキスプレスの開業も重なったためいつもより大幅に規模を拡大して開催されている。


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動画ファイルアップロードテスト

ケータイ(SH901ic)にて撮影したTX(つくばエクスプレス)つくば駅改札口付近の画像をgooブログにアップロードしてみた。こうすると元ファイルの形式に関わらずパソコン上で再生できるようになるのは面白い。

が、しかし、いざ再生してみると……うーん、厳しいクオリティである。ダウンロードに結構待たされる割にこれでは、正直いちいちファイルを開けて覗いてみようと思う人は少ないだろう。アナウンスの声なんて何しゃべってるのやら全く聞き取れないものな。QuickTimeってだめだなあ。
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やっと整備が終わった終着駅周辺。

公園通り陸橋から見た中央通り。5年ぶりぐらいに車線が6車線に戻った。この道の真下につくばエキスプレスの終始発駅があるのだ。

* 北国TV2005年8月のエントリーを転載

つくば市中央公園・センタービル間の陸橋
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ブログも例外ではありません。

大先輩の本日の御言葉。

本質を突いた質問には真剣に答える。これ当然。
礼節をわきまえた問には礼節をわきまえた答えを返す。これも当然。

しかし、愚問に正しい答えを返そうと努力するのは時間の無駄。
さらに、人の話を読みもせず(聞きもせず)ただオナニーをしたいだけ、嫌がらせをしたいだけの「質問もどき」に対する正しい対処は何か。言わずもがなだな。
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gooブログにはjavascriptのコードを貼り付けられない。ということはfeed meterとかtrack feedが使えないんだなあ。

特に後者はリンクの逆探知に極めて有効なので、使えないのは痛い。うーん。

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半年後にあなたは100%確実に死を迎える。そればかりか貴方の家族・友人なども全員同じ運命を共にすることになる。……そういう状況におかれたとしたら、貴方は最後の日まで日常生活を普通に送れるだろうか。

渚にて―人類最後の日を読了した。

1950年代SFの名作の一つに数えられる作品だが、この小説をSFとして読む必要はない。この小説には超能力を持つスーパーヒーローも超科学的な装置も出てこない。登場人物の誰もが至って普通の市民であり、時は静かに流れていく。話の発端こそ未来SFらしく第3次世界大戦という全面核戦争ではある。しかし、話の主題は「核兵器の非道さを訴える」なんてものではない。そんなものとは全然関係ないところにあるのだ。

コバルト爆弾の雨を降らせあった結果、北半球諸国は放射能を帯びた大気に覆われて全滅。オーストラリアは戦争に直接荷担しなかったため即時全滅は免れたが、大気の対流により、北から順に放射性元素を濃厚に含む空気に覆われ、生物が生育できない状態に陥ると予測された。おそかれ早かれ地球全土は汚染した大気に覆われて全ての人間は死ぬ。逃げ場はないのだ。

アメリカ合衆国の潜水艦スコーピオンは、たまたま南方で活動していたために生き残りオーストラリア海軍の指揮下に入ることになる。その艦長ドワイトと、彼に恋するオーストラリアの娘モイラ、この二人を取り巻く幾人かの人物たちの半年が淡々と描かれる。

艦長は事態を理解していながらも、とうに死んだはずの妻と娘と息子のことを現在形で語り、息子への土産として上等な釣りざおを買い、釣りのコツを教えてやることを夢想したりしている。彼の部下ピーターと妻は、それが完成したときには既に誰も見る者は居ないことを知っていながら、庭の模様替えと植物の植え替えに余念がない。一方、潜水艦で彼らと一緒に仕事をした科学者オズボーンは本来なら購入などありえなかったであろう高価なスポーツカーを手に入れ、死者続出の命がけのカーレースに出場して爆走する。若い娘であるモイラは、自分に将来というものがないという事実に押しつぶされ酒におぼれているが、どんなときにも規律とけじめを重んじる艦長に感化され、タイピストの訓練を始める。おそらくそのスキルを役立たせる機会は永遠にやってこないのだが。

そんな中、予測どおりに北から順に都市が放射性の空気に飲み込まれて沈黙していく。苦しまずにすぐ死ねる毒薬のパッケージが無料で配布され始める……。

そして、ついに彼らの住む町にも「そのとき」がやってくる。

死はいつか誰にもやってくる。しかし、その死が極めて近いうちにやってくると告げられたら? その上、何かを遺したとしてもそれを見る者が誰一人居ず、自分の子供たちも自分と同時に死んでしまうとしたら?

そんな中でも、人はこの小説の登場人物たちのように「日常生活」を続けられるものなのだろうか? また、本当に幸せで充実していたといえる人生とはいったいどのようなものなのだろうか?

初出:http://ch.kitaguni.tv/u/1181/%a4%b3%a4%f3%a4%ca%cb%dc%a4%f2%c6%c9%a4%f3%a4%c0/0000190108.html

渚にて―人類最後の日

東京創元社

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