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新・非公正ブログ



まだ混雑。

つくばエクスプレス(TX)始発駅である「つくば駅」切符売り場前の様子だ。日曜午後4時ごろ撮影。ケータイの写真では分かりにくいが、みなさん行列を作って切符を買っているのだ。ざっと100人近くいた。驚きである。反米嫌日戦線ブログに「もう破綻の危機」とか書かれているのだが、先日ド平日の真昼間に秋葉原の駅に行列が出来ていたことも考え合わせると、信じられん。

さて、こうなってくるとこの行列に参加している人が何故パスネットを使わないのかというのが疑問になってくる。この人たちは、今回たまたまTXを使ってはいるものの運賃数百円以内の距離しか使わず、しかも定常的に利用しようとまでは思っていない人々なのだろうか? そうだとすると高速バスにも勝機は充分残っていることになるのだが。

そこで、同じ時間帯に高速バスはどうだったかチェックしてみた。二本ばかり出て行ったのを見たが、大体10人から15人くらいの乗客を乗せていた。高速に乗るまでにまだ数ヶ所のバス停を通るのでおそらく30人程度の客を最終的には乗せたのではないかと想像する。それにしても電車とは雲泥の差。一ヶ月前まではバス乗り場前に長い行列が出来ていたのがウソのようだ。バスが電車に大きな影響をこうむっていることは疑いようもない。

だが、それでも10人乗っていれば大丈夫だ。採算は取れる。つくば駅に来にくい人々のためにも両交通機関が美味く住み分けてくれることを期待する。

↑B
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gooでは少数派のように見えるが、私は基本的にgooブログの全てのエントリーを「goo IDを持っているユーザーのみ許可」としている。


このようなスタイルに否定的な人も多くいることは良く知っている。でも私は熟慮の末このスタイルを選択した。せっかくだから、こういう考えたもアリなんじゃないかと、ブログの常識(?)に一石を投じてみることにする。

ブログでの「囲い込み」は本当にナンセンスか


世界に繋がり、さまざまな物理障壁を超えて「交流」が深まることこそがインターネットの(あるいはwebの、ブログの)醍醐味であり、それを遮断することはナンセンスだという主張がある。


この主張は妥当か? 私は敢えて答える。


否。


第一に、インターネットは「道具」である。ブログも「道具」である。道具の使い方というものはユーザーがユーザー自身のために規定するものであって、道具のほうからユーザーに指図してくるものではない。


私は以前にも書いたことがある。microsoft wordにHTMLファイル出力機能があるからといって、世の全ての人が自分の書いたものを世界に公開しなければならないのか? 道考えてもナンセンス。
ブログだって一緒。
「できる」と「やらねばならない」は違うのだ。せっかくのブログなんだからとかいうが、ある意味、道具に振り回されて主体性を失った状態とも言い得るのではないか?



「ふれあい」の光と影


このgooブログでも、アダルト系のコメントスパムをしつこく投稿されて辟易しているというエントリーを散見する。実は、わたしがgooブログに軸足を移してコメント投稿制限を掛け始めたのもそれが直接の原因の一つだったりする。


さらには2チャンネル的ノリでどこにでも好きなことを書きまくるアホどもの存在がある。
粘着された経験をもつ人なら深く納得してくれると思うが、あれは実に不愉快なものですぞ。中には深い博愛精神を発揮して、そういう連中とも誠意を持って対話をと心がけている人もいるようだが、止めとけと忠告したい。意気には敬意を表するが、誰にも何のメリットもないよ。
時間が無駄になるだけ、明らかな損失である。


人との交流というのは確かに栄養にも薬にもなるが、毒になる場合だってあるのだ。毒を見切るスキルと、毒を回避する技術は、ネット上で活動するなら必須である。そこを分かっていない善意の人も多いようだが残念なことである。




gooブログの世界は充分に「広い」


なんか30万人もユーザーがいるらしいじゃないか。


30万人だよ。


30万人!


一生かかったって全員とお話することは到底出来ないぐらいの沢山の人がいる。
それ以上何を望む必要があるのだ。




↑B
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gooID限定でのコメント許可設定が機能していないように見える。


現在の状況

  • 記事の新規投稿は問題なく出来ている。
  • その記事を「誰でもコメント書き込み可」にしている場合、コメント投稿も問題なく出来る。
  • ところがコメント投稿を「goo IDを持っているユーザーのみ許可」に設定すると、以下のような不可解な現象に遭遇する。
    • ログイン状態でのコメント書き込み時、一見正常に入力できる。
    • ところが投稿ボタンを押したとたん、不可解なことにサイドバーのEntry Archive、Recent Entry、Recent Comment、Recent Trackback、Category以下のリストが全て見えなくなる。
    • 肝心のコメントは何時までも反映されない。


この現象は12日(13日だったかも)にも確認している。そのときは単にサーバーが過負荷で不安定になっているだけかとも思ったが、今日も状況は同じであり、またgooID限定設定下でのコメント投稿以外は至ってスムーズなのは変だ。


てことで、この記事もgooID限定コメント許可にしてあるが、ユーザの皆さん、この記事にコメント残せますか?



17日12:40追記
不具合は相変わらずだ。MSIEのほかnetscape7.0からもアクセスしてみたが現象は再現した。テンプレートをカスタマイズバージョンからgoo純正のに変えてみたが同じこと。



もう一つ不具合を見つけた。記事のトラックバック一覧が表示されてないじゃん! ${trackback_module}は書き込んであるのでコメントの下にリストが出るはずなのに出てないぞ。どうなってんでしょうか????


↑B
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ちっとテストです。

↑B
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並んでキャスターをやってるのには驚いたなあ。

選挙の結果……やっぱり自民党圧勝? 面白くない結果だ。

「郵政を改革しなければ、他の改革もすすまない」って、支持者は皆信じているようだ。今のインタビューでも街のおばさんがそんなこと言って胸を張っていたが、
こんな条件式が成り立つ根拠など実際何にも無いということに、なぜみな気がつかないか。

↑B
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自分勝手な「論理」を振り回されるのは迷惑ですな。


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前書き


再三同じようなことを書いているが、理を解さない馬鹿が五月雨的に沸いて出るようなので、初心者の方が無用な混乱をきたすことを避けるためにも、時々こういうことを書いておいたほうがいいのだろう。

ブログは既存のシステム(特にいわゆる日記)とは違うという考え方について


ブログと日記という「システム」の間に本質的な違いなどない。もちろんそれぞれのユーザが何かその人なりの意味づけを見出し、ブログに特別な思い入れを持って運営することはそれはそれで大いに結構。しかし、それは各人が個別に判断するものであって人に押し付けるものではない。

じゃあなんでコメント欄が機能しているんだとか言い出す人がいる。馬鹿者である。 MSワードにHTML出力機能があるからといって誰もが文書をホームページ化しなければならんのか? 近所のユーザを捕まえて言ってみればいい、「HTMLを使わない人はワードを使うべきではない。メモ帳を使えばいいじゃないか」などと。 まあ、余計なお世話だ、邪魔だからあっちいけとか言われるのが当然であろう。

ブログ主におかしな責任を負わそうとする輩は、それぐらい的をはずしているのだ。相手にする必要はない。

ブログ主の義務と権利とは


法律やプロバイダの規約などは遵守し、違反行為に手を出さないこと。義務とはそれだけだろう。

あとは自分の好みに沿って全てのことを処置すればよろしい。1000人中999人が素晴らしいと認めるコメントであっても、ブログ主が気に入らないと思えば削除すればよい。

それはまったく間違った行為ではない。


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いろいろ迷える今回の選挙。まあ改革は結構なことだが、本当に小泉を改革の旗手とみなしてよいのか?

さて、尊敬する先輩ブロガーにして経済の専門家である余丁町散人さんは次のように述べている。


  1. 対立軸を把握し、自分がどっちのサイドにいるか把握しよう!
  2. 自分が既得権者かどうかは、相対的に且つ所得面と支出面の両方から、分析して判断しよう!
  3. 短期的損得よりは長期的損得を重視しよう!


1と2は異存ないが、問題は3だ。

面白い記事があったので紹介する。これは週刊アスキーの「仮想報道」に掲載されたのを見つけたものだが、調べてみたらブログが存在した。

歌田明弘の『地球村の事件簿』

参議院は、郵政法案にかぎらず、反対派の自民党議員が賛成しないかぎり、法案はすべて通らない状態になっている。小泉首相が威勢がいいせいでそう感じられないが、亀裂が深まれば深まるほど小泉政権は行き詰まっていくことになる。

となれば、小泉首相にできることは何だろうか。

郵政法案も通らず、死に体になってまで1年延命し続けるよりも、政権の最大テーマに据えた郵政法案と引き替えに身を引くことで自民党内の折り合いをつける、というのがいかにも起こりそうなことではないだろうか。 大新聞はすべて民営化法案に賛成で、小泉自民党の圧勝はまちがいなし、という雰囲気だ。しかし、小泉改革をあてにして投票してみたら、当の小泉首相があっというまにいなくなっていた、という可能性は低くないと思う。


そうなのだ。いくら有権者として先を見通して投票態度を決定しようとしても、肝心の投票先が数年後に同じ形で存在しているかどうかなど判りはしないのだ。

で、歌田明弘氏は結局次のように総括する。

結局いちばんの問題は、自民党に投票しても、小泉首相がいなくなれば、もとの木阿弥になることが見え見え、ということだろう。


民主党も、旧社会党系の議員と西村慎吾みたいのが一緒になっているようではやはり無理があるのであって、自民党ともども主義主張に伴って分裂すべきだろう。「保守党」対「革新党」、あるいは「都会党」対「田舎党」、はたまた「日本ウヨ党」と「日本サヨ党」とかでもよい。とにかく選ばれるほうにこそ対立軸をはっきりしてもらななければ、われわれにも対立軸を決めようが無い。

私の理想とする選挙の結果は、自民・民主双方が票を食い合って共倒れ、上記のようにもう一度政権再編が行われることだ。今回、間違った小泉票がたくさん生まれそうだから、バランスを取るためにはやはり民主党への投票しかあるまい。



↑B
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このほど秋葉原とつくばを結んで開通した新鉄道の名前だ。申し訳ない。全部間違っとりました。



http://blogs.dion.ne.jp/hatomasa/archives/1796041.html


乗り入れています、T鉄道さん、お願いだから「エキスプレス」は止めて。「エキスプレス」は。
「エクスプレス」ですから。
一応、商品名だから正しく言って下さい。



正式名称は「つくばエクスプレス」らしい。でもこれまでのエントリー全部「エキスプレス」と入力してしまっていた。 すすすみません。今全部直しました。
悔しいので、巷での両単語の使われ方を見ようと、googleで検索してヒット数をチェックしてみた。すると不思議な結果が得られた。


  1. つくばエキスプレス の検索結果 約 1,020,000 件
  2. つくばエクスプレス の検索結果 約 1,090,000 件
  3. つくばエクスプレス つくばエキスプレス の検索結果 約 884,000 件
  4. つくばエキスプレス つくばエクスプレス  の検索結果 約 871,000 件
  5. つくばエキスプレス -つくばエクスプレス  の検索結果 約 42,000 件
  6. つくばエクスプレス -つくばエキスプレス の検索結果 約 1,370,000 件



3番目と4番目の結果に違いがある。キーワードを複数与える際は、先頭に書いたキーワードのほうがより重く評価されるのだ。



一番下の二つは除外検索をかけている(マイナス記号を先頭に付加したキーワードを与えると、そのキーワードを含まないページを探すことになる)はずだが、上の二つより多くのページがヒットしている。それも30万件以上も。単純に考えれば論理学上ありえない結果だ。これこそ検索効率を上げるために裏でいろいろ操作していることの表れだろう。
見方を変えると、上の一番単純そうなキーワードの与え方が、如何に多くのレコードを取りこぼしているかを示唆しているといえよう。検索道は奥が深い。




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私のブログを初めてご覧になる方へのメッセージを書きます。カツモクして読むべし。





当ブログの趣旨



このブログは管理人が管理人自身のために運営しています。議論の場所、交流の場所とは捉えていません。 ブログはあくまでもログです。基本的に個人日誌です。記している見解は全てkojidoiのものであり、当人はそれが一般ウケするか否か、常識的か否か、などを一切気にしません。当ブログを公的あるいは公正なものだと勘違いしないで下さい


http://blog.goo.ne.jp/koji_doi以下の全てのコンテンツの評価/編集権限は私kojidoiにあり、日本国の法令あるいはgooの利用規約に抵触しない限り、コンテンツの追加・削除・改変に関して他のどなたの異議をも認めません。

なおコメント・トラックバックを残した時点で、このメッセージを全て理解しかつ受け入れたものとみなしますのでよろしく。

コメント欄


コメント欄はgooIDをお持ちの方のみ書き込みが出来ます。これは外野から覆面をしたままでの無責任なゴミ投げが旧ブログで後を絶たなかったからです。氏素性をハッキリさせ取るべき責任を取れる人以外とのコミュニケーションなど管理人は取りたくありません。

gooIDをお持ちでない善意の方々には心苦しいのですが、当ブログの目的に則して運用方針を考えたとき、現状ではこの制限をやむを得ないものと考えます。

また、コメントの編集権(つまり削除権)も管理人たるkojidoiに預けていただきます。管理人はいつでも望んだときにこの編集権を行使します。その際の判断基準があなたにとって「公正」であろうとなかろうと、とにかく編集権は粛々と行使されます。


トラックバック


これは純然たる「関連付け」を意図しています。賛意の表明でも反対の表明でもありません。それらはトラックバック元のエントリーによって表現されるものであり、そちらを見てください。繰り返しますがトラックバックそれ自体は「リンク」以外の何者でもありません。


http://blog.goo.ne.jp/tbinterface.php/0/16


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郵政のみが国政か? 理想が正しければ方法論も自動的に正しくなるのか?
小泉支持者にはいろいろ危なっかしさを感じる。まずはとにかく勉強して欲しい。

ということで、以前に書いたエントリーを引っ張り出してくる。


  • 「年収300万円時代を生き抜く経済学」森永卓郎著・光文社


以下は以前にチャンネル北国TVに掲載したエントリーの転載である。



小泉改革を一刀両断! 痛みに耐えても国民は幸せになれないそうである。

なかなか刺激的な問題提起である。

第1章は経済学的な議論。小泉戦略の誤謬を かつての世界恐慌時の事例なども引用しつつ 解説している。

経済学は素人である私だが、自分なりに要約すると 以下のような筋立てだ。


  1. 財政を改善するにはデフレを止めなくてはならない。
  2. デフレを止めるには需要を増やすか供給を減らす必要がある。
  3. 小渕内閣は前者、森や小泉内閣は後者の戦略をとった。
  4. 供給を減らすには、総労働時間の短縮が有効だが、小泉はその方法として労働者一人あたりの労働時間を減らすのではなく、「企業をつぶす」ことで実現しようとしている。
    当然余剰人員が出る。それは新規の生産力の高い職場に再吸収されるはずだったが、まったくそうはならなかった。
  5. その結果、国民の財布の紐は固くなった。たしかに供給は減ったが、需要も減ったため、事態はまったく好転していない。


小泉は、構造改革を高らかに唱え、古いものを壊せば自動的に新しい良いものが出てきて後を埋めると考えている。多くの国民がその可能性に期待し、彼に拍手している。

ところが、既に70年代の不況下のアメリカの事例で、 こうした「創造的破壊」は必ずしも起こらないことが確かめられている。実現したのは「非創造的破壊」でしか なかったのである。

また、しばらく前に深刻な経済危機に見舞われた韓国が 「V時回復」を成し遂げたことは良く知られているが、 これも「需要拡大策」によるものだという。

そうだったのか!

私は財政支出の拡大など「絶対悪」という漠然とした 思い込みを持っていたが、それは例の高速道路問題 などに引きづられた偏った考えであったのだ。高速道路の作りすぎは馬鹿馬鹿しいが、それは「頭の悪い財政の支出」の例であるというだけで、財政支出自体が根本的に悪いと考えるのは誤り。需要と供給は密接に絡まっており、経済を考えるときは両方を同時に考えなければならない。 ものごとは輪廻するということを忘れてはいけないのだ。

それにしても著者の論旨は明快だ。国民に労働の機会を与えるという憲法の理念を忘れ、毎年1万人以上の国民の命を奪っているに等しいと、小泉に対する批判は手厳しい。

反対意見もぜひききたいところではあるが、私としては 近く実施の総選挙で自民党にだけは投票すまいという決意を新たにした次第である(一度もかの党に投票したことないけどね)。




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