gooでは少数派のように見えるが、私は基本的にgooブログの全てのエントリーを「goo IDを持っているユーザーのみ許可」としている。
このようなスタイルに否定的な人も多くいることは良く知っている。でも私は熟慮の末このスタイルを選択した。せっかくだから、こういう考えたもアリなんじゃないかと、ブログの常識(?)に一石を投じてみることにする。
ブログでの「囲い込み」は本当にナンセンスか
世界に繋がり、さまざまな物理障壁を超えて「交流」が深まることこそがインターネットの(あるいはwebの、ブログの)醍醐味であり、それを遮断することはナンセンスだという主張がある。
この主張は妥当か? 私は敢えて答える。
否。
第一に、インターネットは「道具」である。ブログも「道具」である。道具の使い方というものはユーザーがユーザー自身のために規定するものであって、道具のほうからユーザーに指図してくるものではない。
私は以前にも書いたことがある。microsoft wordにHTMLファイル出力機能があるからといって、世の全ての人が自分の書いたものを世界に公開しなければならないのか? 道考えてもナンセンス。
ブログだって一緒。
「できる」と「やらねばならない」は違うのだ。せっかくのブログなんだからとかいうが、ある意味、道具に振り回されて主体性を失った状態とも言い得るのではないか?
「ふれあい」の光と影
このgooブログでも、アダルト系のコメントスパムをしつこく投稿されて辟易しているというエントリーを散見する。実は、わたしがgooブログに軸足を移してコメント投稿制限を掛け始めたのもそれが直接の原因の一つだったりする。
さらには2チャンネル的ノリでどこにでも好きなことを書きまくるアホどもの存在がある。
粘着された経験をもつ人なら深く納得してくれると思うが、あれは実に不愉快なものですぞ。中には深い博愛精神を発揮して、そういう連中とも誠意を持って対話をと心がけている人もいるようだが、止めとけと忠告したい。意気には敬意を表するが、誰にも何のメリットもないよ。
時間が無駄になるだけ、明らかな損失である。
人との交流というのは確かに栄養にも薬にもなるが、毒になる場合だってあるのだ。毒を見切るスキルと、毒を回避する技術は、ネット上で活動するなら必須である。そこを分かっていない善意の人も多いようだが残念なことである。
gooブログの世界は充分に「広い」
なんか30万人もユーザーがいるらしいじゃないか。
30万人だよ。
30万人!
一生かかったって全員とお話することは到底出来ないぐらいの沢山の人がいる。
それ以上何を望む必要があるのだ。