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新・非公正ブログ



100万円超の買い物をしたのは40年生きてきて初めての経験である。5年前まで免許も所持しておらず、どこに行くにも自転車で、変人扱いされていた人間が、まさか新車を買おうという気になるとはね。人間変われば変わるものだ。

午前中に納車。午後は牛久から土浦に掛けて50キロほどうろうろ走ってみる。ブレーキの利きぐあいとか前車と微妙に違うので戸惑う。コラムシフトなのだが、ギアチェンジの際にはどうしても左手が座席下の何もない空間をさまよう。もう少し走って慣れなければな。GWあけには成田まで走らなければならないし。

この車、後部座席を前にずらして簡単にフラットな荷室に変形できるのが良い。なんて事のない工夫なのだが実に便利。さらに助手席を後ろに倒せば事実上のフルフラットが完成する。これなら車中泊も充分実用的に可能である。夏休みにはちょっと遠出してみるかな。





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もう十年かそこら前になるが、家の親父が私に苗字を変えないかと持ちかけてきたことがある。母には兄弟がなく、母方の実家であるT家がこのままでは絶えてしまうから、お前がTを名乗らないかというのである。

あまりにも馬鹿馬鹿しい。

私は鼻で笑ってあしらった。そして、新民法が発布されて60年もたつ平成の現代にこんなアナクロ極まりないことを唐突に言い出すおかしな男を親に持つ自分の不幸を残念に思った。

だが、本日。こういう発想が父親の専売特許ではないことを目の当たりにし、驚くやら脱力するやら。

職場のパートのおばさんであるが、茶飲み話で本日彼女が語ったところによれば、同じようなシチュエーションで、自分の娘の一人を養子に出して苗字を変えさせようと計画したんだと。おばあちゃんのお家が絶えると困るからと思ったんだそうだ。でも親戚の別のおじさんに反対されて計画は頓挫したんだって。頭のいいおじさんが居たことは、娘さんにとっては幸運なことだったな。

しかし、私には理解できない。

そんなに古い家の「苗字」を名乗る「生きた人間」が重要なのか? その生きている人間自身の生活よりも?

私には理解できない。

家名が絶えて何か困るのか? 墓場? 土地の管理? 苗字が同じだろうが違おうが、それにふさわしい人間が受け持てばいいだけの話で、その者の苗字が当該家のものと同じであろうが違おうが、その義務や権利関係を変えはしない。

だいたい「家」なんて、天皇家じゃあるまいし、何を後生大事に守りたいのだ。そんなご大層な価値のある代物か?


私には理解できない。到底理解できない。

↑B
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さて今では「つくばエクスプレス」と「高速バスつくば号」と「JR常磐線」が競合する状況になったわけだが、ここへきて「つくばエクスプレス」とつくば号も「東京地区自由乗降」型往復割引キップを相次いで発売し始めるという。
http://www.mir.co.jp/topics/topics_detail.php?topics_id=263

首都圏新都市鉄道株式会社と東京都交通局は、乗換駅である新御徒町駅(又はTX浅草駅)を経由する新たな割引乗車券「TOKYO探索きっぷ」を発売しますので、お知らせいたします。
往復運賃が割引になった「つくばエクスプレス線往復乗車券」と都内の名所・旧跡・イベント会場等へ便利な「都電・都バス・都営地下鉄一日乗車券」がセットになった、たいへんお得な乗車券です。


http://mytown.asahi.com/ibaraki/news.php?k_id=08000000604140004

JRバス関東と関東鉄道が「つくば&都区内フリーきっぷ」の販売を4月下旬から始める。両社が共同運行しているつくば―東京駅間の高速バスの往復と、山手線など都区内JR線の乗り放題切符をセットにした。つくばエクスプレス(TX)の開業で利用者の減った高速バスに客足を戻すのが狙いだ。
 JRバス関東によると、同フリー切符は、つくばセンターバスターミナルの自動券売機でのみ発売。券売機の設置が終わる、4月下旬にも販売を開始する。
 利用期間は07年3月31日までで、切符の有効期間は1日。料金は大人2千円、子ども千円。つくばセンター発の高速バス往復切符と、山手線の各駅や西荻窪、蒲田、葛西臨海公園、赤羽などの各駅まで行けるJR線都区内フリー切符がセットになっている。


さて、かつて、つくばに「つくばエクスプレス」はもちろん高速バスも走っていなかったころ、つくば人が東京に遊びに行く際にはまず関東鉄道バスで土浦か荒川沖駅に行き、「東京自由乗車券」というものを買って国鉄の鈍行列車に乗り込んだものだ。

このきっぷは山手線を中心とした東京のいわゆる「国電」区間の列車に2日に渡り何度でも乗り降りすることができた。この自由乗降権に東京までの往復割引券がセットになったキップであり、単に東京駅まで往復する場合でも普通にキップを買うよりは安かったのである。

時が下り、高速バス全盛となっても、東京まで行ったり来たりするときにはこのキップの恩恵を期待してわざわざJRを使うことも頻繁であった。特に出張で日帰り往復というようなときはこの切符を利用しないことは考えられなかった。

これで3経路とも「東京周遊」型往復割引切符を揃えたわけだ……と思ったら何と、JRの東京自由乗車券は3月で廃止になっていた!

なぜ? どうして、この時期に?

JRはTX対抗策として特急を増やしたり新造車両を投入したり、ダイヤもいろいろ弄ったようであるが、肝心なところで客の心理が分かってないんじゃない? 

TXとつくば号は魅力的な切符を新設した。しかるにJRは、今まで使えたものを使えなくしたのである。常磐線の利用者としては喪失感を禁じえない。これは最初から存在しないよりも印象が悪く、JR常磐線への心証を悪化させるだろう。

牛久駅近くに在住のキンキン@ダイコク堂さんがJR東日本水戸支社に問い合わせた様子をブログに書いておられる。

http://daikokukinkin.blog59.fc2.com/blog-category-3.html

このやりとりを通して私がいちばん違和感を覚えたのは、他の地域には存在する都区内・りんかいフリーきっぷを導入しないことによって、実質的な値上げになっているにもかかわらず、特急の利用による快適性をサービスとして売りにしている点です。これに私は、「東京自由乗車券は廃止になります→これからはSUICAの時代です」というポスターのキャッチコピーと同じ詭弁を読んでしまいます。


JR東の「上の人」たちは、特急いっぱい走らせるからいいじゃん、と思っているのかもしれない。しかし、どこの世界の一般庶民が特急なんか日常の足として乗りたいと思うか。片道100キロ以下の区間を特急で移動しようなんてのは、かなりフトコロに余裕がある人か、土地鑑のない旅行者などに限られる。

上で述べられているポスターの話にはさらに白ける。「上の人」は東京自由乗車券を「切符を買う手間を省く」ために使っていると思っているのか? こんなキャッチコピーは一般乗客の神経を逆なでするだけであろう。ないほうが100倍マシというような文言である。

どちらにしても、「わかってない」。

まあとにかく、つくば市内在住の私としては、ひたちのうしく経由の東京往復の機会はほぼなくなったということだ。一番楽なのは車で万博記念公園駅(駐車場料金が比較的安い)までいってそこで「TOKYO探索きっぷ」を買うパターンかな。コストを最も下げるには自転車でつくばセンターまで行ってバスで往復である。JR常磐線の出番はもうないようだ。


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学園地区南部を縦断し、周囲の田んぼに水を配る用水である。ごみとか浮いてて結構汚い。だがそこは旨くトリミングしてやる。

土浦用水at小野川
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宗教家とは対話できないのは分かっているが、まだ宗教に染まっていない人への判断材料提供ということで。

http://gsheep.exblog.jp/2011667/

「遺伝子組み換えが安全である」とか、「危険である」とか、それを証明する為の実験は、全く不要である。


まあ大体においてこんな感じなんですな、あっち系の人は。
もう、神の冒涜に繋がる考えは一切認めないというね。

是非を問うこと自体を拒否している。対話もクソもない。

私としてはただ事実のみを淡々と記すが、だいたい農作物というものは普通「組み換え」の結果生じているものであるということだけは、食の安全とかを「これから」勉強しようとしている人には理解して欲しいとおもうのである。(「これまで」勉強してきた人にも勿論理解して欲しいとは思うのだが、すでに天笠とか安田とかの騒ぎ屋に洗脳されてしまった人には残念ながら多くは期待できまい。だから、私はこういう問題に対して議論は致しません。散々試みて無駄だということが分かっているからね)。

アズキなんかどうだ。野生アズキの種と我々が普段口にしている栽培アズキの種との間には近縁種同士とはとても信じられないような形態の違いがある。だいたい植物の体性からして違う。一体いくつの遺伝子が組み変わっていることやら。

環境問題とかを「これから」勉強しようとしている人には理解して欲しい。自然破壊といえば、田畑というものはスベカラク自然を破壊しているのだということを。そこに植わっているものは長い年月を掛けて人間が改変してきたものである。そもそもその国には存在しなかった植物もたくさん栽培されている。日本にキーウイなんて生えてはいなかった。そんな植物はトウモロコシとかトマトとかいくらでも挙げられる。なぜかそれを環境破壊だと騒ぐ人はあまりいないようだ。そして、実際たいした問題は起こっていない。

GMO反対それ自体は結構。だが、高校生物・高校地理程度の知識でも看破できるような矛盾を平気で主張して騒ぐのは社会の迷惑だからやめて欲しいのである。ましてや結論先にありきの全面否定など、民主社会の進歩を拒否する姿勢であり、また、人類の福祉向上への営みに挑戦する恥ずべき姿勢といって過言ではない。

5月3日追記 本エントリーの表題について、過激だとお感じの人もいるかもしれないが、これは相応の根拠に基づくものである。過去エントリーを参照してほしい。


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必殺の夜桜撮影法。


  1. 街灯のすぐ脇の桜を選ぶ。
  2. 街灯とカメラの間に桜の幹が来るように位置を取り、街灯からの直射光が丁度幹によってブロックされるようにする。
  3. すこしシャッタースピード長めにして撮影。


すると桜の花が煌びやかに闇の中に映える写真が取れる。幹は真っ黒になるがそれが逆にアクセントとなっていい感じになっている、と私は思う。



しかしLUMIX LX1は賢すぎるのか、どうホワイトバランスを調整してもどこか妙に色合いが不自然に写ってしまう。この点に関しては5年前に買って最近まで使っていたリコーのデジカメのほうが上だった(ただしシャッタースピードが弄れなかったので暗い写真しか取れなかったが)。むしろハレーションを恐れず、街頭の光を直接入れて撮影してしまったほうがキレイに撮れたりするようである。



ライトアップされている二の宮公園のシンボルタワー。タワーの周辺はテニスコートやプールなどが展開している。桜をはじめとする樹木も沢山植わっていてジョギングや散歩にもいい場所だ。
公園脇を通る遊歩道。ここも桜並木となっている。もう散り始め。寒いこともあり人も殆どいない。この並木の静けさが好きで、毎年必ずここの夜桜を見に来ている。

この歩道は学園都市を南北に貫く歩行者・自転車の専用道で、途中に沢山の公園と隣接するので「つくば公園通り」と名づけられている。
途中3箇所の例外を除いて車道とは立体交差になっていて横断に気を遣う必要がない。二の宮公園から洞峰公園を経て赤塚公園に至るエリアは、学園都市建設以前からの林を残してある。緑に囲まれて別世界のような道となっている。仕事に行き詰った研究者が自らの進路について鬱々と思索を巡らせながら歩くのに適した構造といえる。



二の宮公園と公園通り


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LUMIX LX1を購入したのは昨秋だが、そのころから今日のこの日を楽しみにしていたのだ。すなわち、満開の桜をいかに美しく撮れるか、挑戦してみたいと半年近く待っていたわけ。

さて、つくばの桜は4月7日の時点で満開。

昼休みに近くの桜を撮った。これは座り込んだ状態から上を見上げるようにして撮ったものだ。太陽の光を花々が透過して美しい。しかし、こういう状況をオートフォーカスは苦手としているようだ。いつまでもふらふらとピントが合わない。しょうがないのでマニュアルフォーカスに切り替えて、どんぴしゃり。また、望遠側で撮影したので、周辺の花はいい感じにボケてくれ、中央の花が引き立つと同時に満開の雰囲気をも醸し出せた。構図としてはありきたりだが、初心者としては成功してうれしい。

それにしてもLX1は本当に遊び甲斐のあるカメラだよ。買って本当によかった。


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google mailはよく出来ている。goo blogに書くのもなんだが。
1ヶ月前に私はこう書いた。

http://blog.goo.ne.jp/koji_doi/e/a0744ec1b1da74614fa80c09aa79a624

  • 迷惑メール認識機能、もうちょっと性能を上げられないものか?
  • 検索機能弱すぎ。というかレスポンス時間が鬼のように長い上に、結局は失敗に終わることが殆ど。事実上使い物にならん! これだけは本当に期待はずれでガッカリした。


gmailのこの辺の性能は、期待以上であった。以下、注目の2項目について書く。

スパムよけ能力


gmailの迷惑メール認識機能は、極めて強力に日本語のspamメールを弾いてくれる。強力すぎて、当初は楽天やその他のショップから送られてくる案内メールを全部spam扱いしてくれた。だが2-3日の学習で誤認識率は目に見えて減少した。今は99%正しくspamを選り分けてくれている。残念ながら100%ではないので時々はゴミ箱を漁る手間が必要だ。しかし、その手間をかけるとしても、spamとそうでないのが渾然一体となっている受信箱からマトモなメールを選り分けるよりは遥かに遥かに遥かに楽である。

gooメールの認識率も悪くはないのだが、なかなか学習をしてくれないような印象がある。少なくともgoogleが見せてくれたような選別能力の向上をついぞgooメールからは感じない。

niftyの迷惑メールフィルタと比べても性能差は歴然としているように思える。なにしろgmailが拾っているspamは全部niftyのフィルタが取りこぼしたspamなのだ。ことにniftyは日本語のメールに弱い。サービス開始当初よりはマシになったが(最初は日本語のspamをまったく学習してくれなかったからね)、それでもgoogleとの差は歴然としている。ただ、googleは中国語などのspamメールの認識能力が少し弱めなように感じる。

メール分類/検索機能


gooメールとgmailの仕様上の大きな違いの一つは、後者にフォルダという概念がないこと。gmailは分類という概念をある意味放棄しているのだ。下手な分類なんかしないほうがマシという割りきりである。

これはこれで「正解」だろう。文献や作業記録の整理などで常日頃痛感していることだが、分類というのは本当に難しいのだ。分類体系というものが自分の中で常に変動してしまう。春に分類したときに使った分類基準を、夏になるともう忘れていたりする。そうなると目的のコンテンツにたどり着くためには結局全てのフォルダをチェックしないといけない。結局のところ、ブログがそうであるように時系列で整理するのが一番無駄がなく効率的ということになる。

googleは流石に検索機能によほどの自信があるのだろう。フォルダなんかに頼らず、その都度興味あるキーワードで検索して必要なコンテンツを拾い集めてください、というのが、彼らのやり方。

gmailを使い使い始めて1ヶ月の間に、我が受信簿には1800通のメールが貯まっている。gooメールで同じ規模のフォルダを対象にキーワードサーチを掛けると、良いときでも30秒は待たなければならない。しかしgmailの場合、キーワードを与えてヒットしたメール一覧を表示させるまでに、5秒とはかからない。ヒット数の多寡に関わらず素早いレスポンスである。ここでもgooに対するgmailの優位性は明らかである。

本格的にgmailに乗り換えても良さそうな気がしている。

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「小学生は国語力を磨け」、石原都知事が文科省を批判 (朝日新聞) - goo ニュース

小学生は、まずは十分な国語力を身につけよ。東京都の石原慎太郎知事は7日の記者会見で、「自分の国の言葉を完全にマスターしない人間が、外国の知識の何を吸収できるのか」などと話し、小学校段階での英語必修化の動きを批判した。


正論である。どこにも反論の余地がない。石原慎太郎の発言にしては充分すぎるぐらいマトモである。やればできるじゃないか。

小学校英語必修 都知事「ナンセンス」発言に文科相反論 (朝日新聞) - goo ニュース

 小坂文科相は「すでに9割の小学校が英語活動に取り組んでおり、機会の均等を考えるとどの学校でも英語活動に親しめる環境作りは必要だ。インターネットのコンテンツは9割が英語だ」と述べた。


ここで機会均等を持ち出すのは筋が違うだろう。それを言うならジェンダーフリーとかも全国で必ず教えなければならない理屈になるぞ。議論すべきは小学生に英語教育が必要かどうかという論点のみのはずだ。

で、その論拠がインターネットですか。なんだかな。それは読解の話になるが、小学生にやらせたいのは会話とかヒアリングとかじゃないの? なんだかポリシーがあやふやな印象を受ける。思いつきや目先の表面的な効果ではなく、ちゃんと将来を見据えた戦略を練ってなるのかなあ。「ゆとり教育」の二の舞になるないか心配である。

読解や作文に関して言えば、今何かと批判されている現行の学校教育の場での英語教育は、実はかなり頑張っていると評価できるものだ。私なども仕事で毎日のように英語は使う。その実感から断言させてもらうと、最も役立っているのは高校生のときに受験英語として「詰め込んだ」知識である。逆に、大学に入って受けた教養課程の英語は(国際A級を標榜する大学で、英語教育環境の充実ぶりについてはオリエンテーションで担当教官に自信たっぷりに散々吹聴されたものだが)、全く何の役にも立っていない。

会話とて「受験英語」の応用で充分ことたりる。事足りないように思っている人がなぜそうなのかといえば、一つには度胸が足りないからであり、また、英語をなにか至高の言語のように難しく考えすぎているからでもある。だが、最も大きな原因は文法が頭に入っていないことである。SVOとかSVCとか、高校で習うはずの5文型を頭に入れておけば会話も作文もそんなに難しくない。型紙に名詞/動詞をあてがっていくだけ。

ここまでのことは中学生以降でのトレーニングで充分対応できる。急ぐ必要は全くない。

唯一子供のころからやっておいたほうが良いであろうトレーニングはヒアリングだと思う。日本語にない母音などを正しく聞き分けられることは非常に大切。これは成長して頭が固まってからでは難しい。どう頭をひねってみてもearlyのearとartのarが違うとは認識できない。どんな音を聞いても脳が勝手に日本語の50音に当てはめて認識してしまう。

そうならないうちに小学生相手にはヒアリングをひたすらやらせよう。ちなみに教材の入手は容易である。世界中でドラゴンボールやガンダムの英語版が放送されているのだから、これを購入して教室で見せてやればよいだろう。

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愛宕塚古墳。筑波大学から車で5分少々の田園の中に鎮座する小さな円墳である。周囲は今は畑地であるが、付近からは今でも土器のかけらが見つかるという。

この他、半径5km以内に数十の古墳の存在が知られる。

愛宕塚古墳
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