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新・非公正ブログ



おいおいおい。この「手口」はかつてより「原理」こと「統一教会」が採っていた手法と同じじゃないのか。すなわち、少なくとも25年前には登場していた手法だ。それが今になってもまだ「手探り」とは?

カルト「摂理」、全国50大学で信者獲得 (朝日新聞) - goo ニュース


一方、各大学では、カルト集団への対応が主に「信教の自由」を理由に後手に回ってきた。「摂理」について情報収集に乗り出す大学も出始めたが、学内のポスターで注意を呼びかける程度で「まだ手探り」(千葉大)なのが実情だ。

 明治学院大(東京)は30日、「摂理」などカルト集団への対策を考える勉強会を初めて開く。担当者は「危機感はあるが、有効な対策があるのかどうか……」と悩む。


オオムの大騒動では過剰反応で入学拒否問題などもできている。要するにヤバイものを初めから取り込まないでいることには熱心であるが、身内に取り込んだ後でヤバくなってしまったものをコントロールする能力は全くなく、磨こうともしなかったということなのか? なんとも中途半端な!

「学生をあくまでもオトナとみなし、大学は学問なり実務能力なりを磨くことにのみ責任を負い、それ以外のは全て学生の自己責任として大学は一切関知しない」という姿勢を貫けばいいのではないか。

もちろん大教祖の息子娘であろうが、所定の学力があれば入学を認める。能力を伸ばすチャンスを可能なかぎり多様に提供する。一方で学業をおろそかにしているようならさっさと放り出す。いわゆる生活指導的なことは一切行わない。学生が広島の千羽鶴をいくら燃やそうが大学とは関係ない。批判されるべきは学生個人のみ。それでいいではないか。

どうも大学の学生指導というのはどっちつかずでいけない。理念ではなく教職員の保身やブランド保持のようなものを第一に考えて場当たり的にしのごうという意識が見え隠れしている。

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自民総裁選、安倍氏優位固まる 福田氏、出馬せず (朝日新聞) - goo ニュース

だいたいなぜあんなのが絶大な人気を誇っていられるのか。安倍が株を上げたのは例の北朝鮮からの拉致被害者帰国にまつわるアクションによってだが、実際のところあれは寸前までのお膳立てが外務省官僚たちの長い努力によってできていたのであって、やつは最後の最後に景気のいいラッパを一くさり吹いただけではないか。大した貢献などしてはいない。嫌韓厨やネトウヨのように表面的なニュースだけみて評価してはいけない。あの男のトップとしての力量は未知数のままなのである。

小泉外交の腐り加減は見るも無残なものだった。中国との関係は最悪になっている。一部のアンチチャイナのバカが大喜びしているだけで、この状況は日本に何の利益ももたらしていない。それもあの小泉の幼稚園児のダダのような姿勢のお陰だ。話題の拉致疑惑だって近年とくに何の進展もない。その路線をずっと支持し続けているのが安倍だ。

こうなってはやはり民主党の代表である小沢に期待するしかないかな。とにかく小泉安倍ラインの一人がちというシナリオだけはいただけない。このままでは日本社会の足腰が弱りまくって終わることは間違いないのだ。

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芸能人と犯罪 「欽ちゃん球団」解散へ…メンバーの事件で泣く泣く - goo ニュース

こんなアホくさいのは高校野球だけかと思ったら、社会人もおんなじなんだな。メンバーが間違いをしでかしたら、その間違いとは無関係なチームメートもトバッチリを甘んじて受け入れなければならない。

それも活動自粛とかではなくいきなり「解散」なのだというから穏やかではないな。球団の中ではそれでけじめが付くのかもしれないが、周辺はどうなるのだ。聞くところによれば欽ちゃん球団はいつのまにか我がつくば市に本拠を移していたようで、近所にもさぞかし落胆している人々がいるのであろう。

野球なんか趣味にしなくてつくづく良かった。

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出勤時にカーラジオでNHKニュースを聞こうとしたら北朝鮮がテポドンかも知れないミサイルを発射したとか、そんなことを言っていた。通常だと聴取者からの季節のお便りなどを紹介した後に天気予報とか交通情報とかを流すはずだが、今日は時報も何もかも無視してミサイルニュースを延々やっている。

よくわからんのだが、たかだか7発(朝の時点では5発)のミサイルが打ち出されたことが、そんなに大変なことなの? これが新潟上空に到達したとかいうなら別だが、明らかに実験か示威行為に過ぎんでしょう。黙殺こそ最大の反撃だと思うがね。

とくにマスコミ。いつものことだが尻馬に乗って騒ぎまくるアホさ加減にはうんざりだ。いい加減卒業しろ。首都高の渋滞情報を粛々と流すほうがはるかに重要だ。




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わが子いかが 代理お見合い 九州でブーム 業者参入も相次ぐ (西日本新聞) - goo ニュース

  • 「子供」の主体性のなさを批判するブログがあるが、これらのブロガーは事の本質が全く分かっていない。
  • 親たちは輪をかけて何も分かっていない。


この人たちの過ちは、子供たちが本当は結婚したいのに力及ばずで不本意にも未婚状態にあると勘違いしている点にある。まあ中にはそんな人もいるだろうが、明らかに多数派ではない。

確かに「子供たち」は仕事に忙しくて出会いの場がなく……などと彼ら自身の立場を説明しているかもしれない。でも、それを額面どおりに受け取っているのは知恵が無さスギである。

これは説明を簡単に済ませるための方便に過ぎないのだ。本当のところを説明しようとしたって、親たちは(特にここに登場するような親たち)はどうせ理解しないし、理解しようとしない。だから「子供」たちは親の理解の及びそうな範囲のストーリーをとりあえず打ち立てているのである。

本当のところ、彼らが結婚しないのは、結婚する気が無いからに過ぎない。出会いの場など、探そうと思えば実はいくらでもある。だが「出会って」それでどうするのか。どうやら結婚は当事者たちだけの問題ではなく、墓の管理とかイエの継承とかを伴うらしい。

なにそれ? そんなのどうでもいいよ。やめやめ。気の会った人間同士友達同士でずっといればいいじゃない。

老後? たとえ結婚していたところで死ぬときは一人づつ死んでいくことに変わりは無い。わざわざ婚姻という過程に踏み出して訳の分からないタスクを背負い込むに見合うだけのメリットは無い。

「子供」たちがそういう観念を持つように仕向けたのは他ならぬ親世代の人々ではないのか? いまさら何を慌てているのだ。ほんとにバカみたいな人々だと思う。

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不起立に「煮えくり返る」 君が代斉唱で戸田市教育長 (共同通信) - goo ニュース

gooブログを「伊藤良一」で検索してみたら14件のエントリーがヒットし、そのうちこの大先生を支持していたのはただ一件のみであった。ブロガーのバランス感覚にちょっと安心。

それにしても度量の狭いボスだこと。下で働く教育委員会の人々、学校現場の人々に心からお見舞い申し上げます。


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少子化対策「お見合い国営で」 猪口担当相 (朝日新聞) - goo ニュース

はあやれやれ。

これが想像力の限界ね。

過ちその1: 人は誰でも適当な相手さえいればすぐにも結婚したいと願っていると妄想している。



もちろん中にはそういう人もいるだろうよ。でも大部分の非婚者は、近くに立派な異性が沢山いるにもかかわらず、ずっと非婚であり続けているのだよ。

お見合い? なんですかそれ? ……というのが彼らの感覚さ。結婚生活そのものに関心がないんだよ。結婚して家庭人を演じている自分が想像できない。昔はそんな発想は当たり前のように異端と切り捨てられていたのかも知れないが、あいにくと今は21世紀なんですよ猪口先生。

過ちその2: 人は結婚しさえすればすぐにも子供を授かるものだと思っている。



なんでも産婦人科医不足で全国の病院でどんどん産科が閉鎖されているそうじゃないか。都会では子供を託児所に預けるのも一苦労。共働きは厳しい。でも旦那一人に生計を託していてこの世知辛い世の中で本当に大丈夫なの??

本当に少子化が問題だというなら、もっと本質的な部分を対策するべきだろう。でもそもそも少子化に対策が必要なのかね。もっと人口密度が減って、皆がゆったり広い家で暮らせるようになれば大いに結構ではないか。年金が破綻するとか言うが、人は年金のために生まれてきて生きるのではない。本末転倒な主張でまったく馬鹿げている。


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ちょっと興味深いブログを発見。

http://asatteblog.exblog.jp/485488

<2、愛国心の内容>

これについては「人間の尊厳とは何か。」という点にまで
遡る必要があります。
二つの立場があります。 (社会学者の宮台真司先生の分類)

(1) 崇高なるものとの一体化で得られる自尊心こそが尊厳だとする尊厳観と、
(2) 尊厳とは社会関係の中での自由な試行錯誤の積み重ねで得られる自尊心だとする尊厳観
です。

この二つの尊厳観のどちらの立場にたつかによって愛国心の意味が変わってきます。

(1)の立場では、
崇高なる精神共同体との一体化を愛国心であると考えます。(保守派が考える愛国心)
(2)の立場では、
自由な試行錯誤を支える公共財は血によって購われてきたものだからタダ乗りは許されないということを愛国心だと考えます。(リベラル派が考える愛国心)

私の立場は(2)の立場です。
(1)の立場は次で説明する「国粋」につながります。


うーん。

asatte_no_houkou氏がそういう捉え方をするのは自由なのであるが、(2)が「リベラル派が考える愛国心」と広く認知されているとは到底思えない。氏は、それは正しい理解が広がっていないだけであって是正すればよいと考えているようだが、私には現実的とは思えない。

専門家が専門家同士の議論をする場合なら、強いて「正しい」定義を共有する方向に持っていくことになるのだろうが、「愛国心」が主に議論の対象とされている場は「専門家の議論の場」ではない。そこにおいては「多数派の考える愛国心」こそが「正しい」愛国心だとするしかないのではないか。

どう転んでも、氏の考えるような「所属する社会を適切にドライブしようとする意欲」を愛国心と捕らえている人が「右」の人であれ「左」の人であれ多数派とは言えまい。どちら側の人も、暗黙のうちに(1)に近い定義を使って議論していると思う。

どちらにせよ、こんなあいまいな概念を前文であれ条文であれ法律の中に持ち込むことには反対せざるを得ない。あまりにも危なっかしすぎるだろう。氏の言う国粋と愛国がきちんと区別される保障は全くないどころか、混同される危険性のほうがはるかに大きいということは、最近の東京都教委の暴走ぶりを見れば明らかである。君が代は強制されないという当時の文部大臣の答弁にも関わらず、「国旗・国歌法」を根拠に国粋的な君が代賛美が事実上強要されており、それを支持する一定の保守派が厳然として存在する。この上で憲法などに愛国心という文言がもりこまれたらどうなるか。東京都教育委員会のように国粋に向かって暴走する腐った勢力が続出するであろうことは想像に難くない。
私は、
http://www.asahi-net.or.jp/~yg5t-ssgc/page004.html
の危惧に強く共感するものである。


asatte_no_houkou氏の言うような要求を満たしたければ、素直に「自分の住む社会を維持しようとする努力」といった表現を使えばいいのだ。手垢の付きまくった愛国心などという概念を持ち出す必要は全くない。要するに「愛」というのが外に出てくることが不適切。

その意味で民主党にはまたしても失望させられた。あの党は一刻も早く右派と左派に分裂すべきである。


↑B
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日本ハム新庄「襟付き」出場で波紋 (日刊スポーツ) - goo ニュース

高校野球などに端的に見られる野球の保守性はみていて見苦しい。くだらん慣習などぶっ飛ばせ。

先日のワールドカップでたまたま優勝した程度で浮かれていてはいけない。野球中継の視聴率は低下の一途を辿っているらしい。まあ当然だろう。ヘンな慣例や封建制度に縛られた窮屈な営みなど見ていても退屈なだけ。新城さんがどこまで考えてるのか知らないが、とにかく彼の言動はそういう賞味期限の切れた腐った社会へのアンチテーゼとして機能していると思う。
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もう十年かそこら前になるが、家の親父が私に苗字を変えないかと持ちかけてきたことがある。母には兄弟がなく、母方の実家であるT家がこのままでは絶えてしまうから、お前がTを名乗らないかというのである。

あまりにも馬鹿馬鹿しい。

私は鼻で笑ってあしらった。そして、新民法が発布されて60年もたつ平成の現代にこんなアナクロ極まりないことを唐突に言い出すおかしな男を親に持つ自分の不幸を残念に思った。

だが、本日。こういう発想が父親の専売特許ではないことを目の当たりにし、驚くやら脱力するやら。

職場のパートのおばさんであるが、茶飲み話で本日彼女が語ったところによれば、同じようなシチュエーションで、自分の娘の一人を養子に出して苗字を変えさせようと計画したんだと。おばあちゃんのお家が絶えると困るからと思ったんだそうだ。でも親戚の別のおじさんに反対されて計画は頓挫したんだって。頭のいいおじさんが居たことは、娘さんにとっては幸運なことだったな。

しかし、私には理解できない。

そんなに古い家の「苗字」を名乗る「生きた人間」が重要なのか? その生きている人間自身の生活よりも?

私には理解できない。

家名が絶えて何か困るのか? 墓場? 土地の管理? 苗字が同じだろうが違おうが、それにふさわしい人間が受け持てばいいだけの話で、その者の苗字が当該家のものと同じであろうが違おうが、その義務や権利関係を変えはしない。

だいたい「家」なんて、天皇家じゃあるまいし、何を後生大事に守りたいのだ。そんなご大層な価値のある代物か?


私には理解できない。到底理解できない。

↑B
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