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新・非公正ブログ



轢かれたのが41歳だろうと、運転していたのが28歳だろうと、そんなのどうでもいいじゃないか。なぜいちいち山田太郎さん(28)なのだろうか?

事故に限らず、たとえば市民主催のイベントの報道などでも、コメントを引用された主宰者の年齢などがいちいち表記される。主宰者が女性だったりした場合、あれで抗議がくることはないのだろうか?

たとえば交通事故の被害者が18歳だった場合と88歳だった場合とで事故の重大性に差が生じるものだろうか? 生じると考えているとすれば、それは好ましくない差別感情だと思うがどうだろうか?

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堀江前社長インタビュー打ち切り 山形のケーブルTV (朝日新聞) - goo ニュース


ライブドアの堀江貴文前社長のインタビューの放送を続けていたケーブルテレビ山形(山形市)が23日夜、打ち切った。東京地検特捜部が家宅捜索に入った16日以降も放送していたが、「逮捕された以上、放送にも社会的責任がある」と打ち切り理由を説明している。


なんなのだろうか、この社会的責任というのは? テレビ局の社会的責任というのは情報の提供に努力することじゃないの? しかもホリエモンの行動・思想には多くの人々が関心を持っているはずではないか。なぜその情報を隠匿するのだ。まったくアホな対応だ。

犯罪者の思想は害悪だから? ナンセンス。ヒトラーの思想だろうと麻原教祖の思想だろうとビンラディンの思想だろうと、それらを観察することはそれぞれ重要である。公平な視野をもつには邪悪なものの存在も知らなければならない。ましてや、堀江前社長はまだただの容疑者であり、義務教育で習ったはずなのにみんな忘れているようだが、容疑者とは無罪が推定されている人物なのである。


座右の銘を問われた堀江前社長が「諸行無常です」とこたえるシーンもある。


彼の表面的な受け答えだけでなく、表情、仕草、なにげない語彙の選び方、その他諸々の情報をインタビュー光景の放映は与えてくれたはずである。そこから視聴者はいろいろな方向に思索を広げていけたであろう。彼の言動を支持するか否定するか、それは視聴者がそれぞれ考えればいいのであってテレビ局が先回りする必要はない。

学校の先生や公務員が社会を知らないという批判の仕方をよくされる。でも、テレビ局の人々こそこのような批判を最も激しく受けるべきではないだろうか。あばかんでもいいプライバシーを暴き、落ち度のある人物や団体(たとえばJR西とか)は尻馬にのってバッシングする。一方では、昔の映画の台詞に不適切な言葉遣いがあるといって音声を虫食いに改変してめちゃくちゃにする。誰がそんなことやれといったのだ。

こんなアホなことをさも正義を具現化したかのように得意顔ですすめてしまうTV局の「わかってなさ」ぶりはただ事ではない。頼むからもっと社会勉強してくれ!

↑B
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写真のごとく、サンディエゴのバスは前面に折りたたみ式のフック(?)を装着していて、ここに自転車をくくりつけることができるようになっている。

これはなかなか面白い。若者がマウンテンバイクなどでバスセンターにシャシャシャーーッと走りこんできて、それを自分でバスに引っ掛けて乗車していくのである。なかなか合理的。日本でもまねてみたらどうだろう。

ただ、このフックには2台以上の自転車は引っ掛けられそうもない。その辺がちょっと疑問だ。バイクの若者が二人いた場合どうやって調整するのか謎である。どうせなら側面も全部自転車フックにしてしまえば面白いのに。


↑B
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伝統とは神棚の上に飾っておくべきものではない。発展の礎として足の下に敷いて使うものである。

例の女系天皇議論が気になっているわけだが、今日は弾さんのブログを見つけてスッキリした。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50202910.html

天皇制の是非を問うのによく使われている「万世一系」という言葉だが、これは理由になっているようでなっていない。

少し考えてみればわかるが、万人どころか生きとし生けるものは今のところ全て「万世一系」なのだから。
よく「何代続いた」という言葉を耳にするが、これはあくまで「何代先の親の名前を覚えているか」ということであって、覚えてなくてもそれ以前に親はいたのである。まだヒトが生まれる前から、ずっと。


http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50171713.html

そもそも女帝がOKかNGかを問う前に、「帝制」を続けるべきか否かをきちんと問うべきではないのか?
ここで勘違いして欲しくないのは、歴代天皇が無責任だったということではないということ。現在では天皇は責任を取る権利さえ剥奪されているのだ。これは立派な人権侵害で、そして私が天皇を国から切り離すべきだと考えるもう一つの理由だ。

天皇は、明らかに人間である。当然人権を持っているはずである。

しかし、職業選択の自由も事実上取り上げられているし、自らの意思を表明することすら掣肘がかかる。「国民政府」の決定に対してNoという機会もない。もし自分の意思で天皇が天皇であることをやめたいとしても、それはそもそも可能なのだろうか?少なくとも昭和天皇にはそれは許されなかった。


流石に弾さんほどの人物になると見解も論理的で説得力があるね(氏が開発に関わっているperl5.8には私も常日頃お世話になっております)。

私も、象徴天皇制はもう現代の感覚にあわないと思う。もう天皇家を日本の国体とかいうわけの分からんものの犠牲にするのはやめるべきだろう。

ところが伝統右翼どもときたら、まったくお話にならない。


http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=1699425

但し遺伝子の問題がありますから、周囲のご学友に旧皇族の然るべき男性を配し、出来れば自然の成り行きで愛子様が旧皇族男子を配偶者とされるような環境を作ればよいと提案します。


皇族・旧皇族の人々を競馬の種馬扱いではないか。何かおかしいとは思わないのだろうか。

われわれは平成の民主国家日本に住んでいるのである。今を生きる人々の生活と尊厳を守ることが至上である。その邪魔になる伝統は絶えてしかるべきなのである。

人類は有史以来たえまない革新を経て現在の繁栄を実現したのである。日本という国に限ってみてもそれは当然に真実である。何千年も前の伝統を守り続けてきたからではない。何度でもいうが、無意義なものを有意義なものに置換していく普段の営みが社会を維持してきたのだ。伝統とは踏み台である。進化の呼び水である。新しい「伝統」に置き換えていかれることにのみ存在意義があるのだ。


そもそも、そんなに日本の伝統を守ることが大切なら、最も尊重すべきは縄文文化であろう。今日から服装は貫頭衣に改め、米食も止めて土器で豆を煮て食うことにしたらどうか。そこまでやってなお万世一系とかいうなら、その覚悟は認めてよい。だが、そうでなく、21世紀の最新の文化に自分はどっぷりつかりつつ、天皇家の人々にのみわけの分からぬ義務を押し付けるのであれば、それは人として間違っている。
それが理解できていない伝統保守に現代日本で大きな顔をする資格はない。


↑B
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いろいろ理屈をこねても、結局彼らの本質は前例主義・原理主義ないしは懐古主義。新しい発想を全て「自分勝手」だとして排除する彼らは、たゆまぬ創意工夫で人類の生活を向上させ今日の繁栄に導いた「革新的な」先人たちの業績を理解できぬ馬鹿者だと思う。

こんなことをつい書きなぐってしまいたくなったのも、久々に凄いブログを見つけてしまったからだ。

何せこんな調子だからな。ちょっとすごいよ。

保守と革新の違いというのはここです。保守というのは、国家存続のために過去・現在および未来の全体像から、「何を守るべきか」を考えます。
 革新は、現在の不都合を解決するために何かを変えようとする。これが、意図的、あるいは結果的に国家存続の要件を改変することになるのです。


バカな決め付けも、ここまで大胆に演ずるともう芸術だ。私も芸風を真似てみたくなった。

未来の全体像とか言うともっともらしいが、彼らの言う「未来」というのは要するに、「今と同じ未来」だろう。

たとえば先日何度か私が言及した女系天皇議論なんかそうだが、小泉肝いりの有識者会議は、どう考えても現状維持が難しいから将来に向けた対案をと議論しているというのに、全く彼ら保守主義者は理解する気がない。彼らの口から出てくるのは旧宮家の復活とか側室の復活とか、およそ現代日本の常識からは受け入れられないだろうアイディアばかり。まったく片腹痛いわ。どこが過去/現在/未来の全体像を考えているのだ。彼らが興味を持っているのは過去/過去/過去の全体像だけだろ。

そもそも国家存続などという概念が既にマヌケなのだ。国家形態なんて移り変わって当たり前。アジアにしろヨーロッパにしろ国境線は毎世紀ごとに移り変わっているし、政治形態だって様々に変容している。たしかにその変化の過程においては悲惨な事件も起こっているが、その点に関しては天皇が2千年だか睨みを利かせていたはずの日本だって同様なのであり、万世一系とやらの状況が日本一国を繁栄に導いてきたかのような論調は明らかに現実を無視しているのである。

でも彼らにはそれは受け入れられないのだね。とにかく過去は全て美しくなくてはならない。そして社会は過去から現在まで「同じ」であったと無邪気に信じ込み、未来も「同じ」であるべきだと妄想する。こんな感じで。


(1)ゆるやかな革新とは、無知または愚かさ。
(2)積極的な革新とは、自己中心主義。
(3)過激な革新とは、国家への呪詛。


ああ、くらくらする。

彼らにとっては過去が全て。「過去と違う未来」イコール「世の中の終わり」なのだね。ああ、いつまで彼らの思考停止によって本来我慢しなくてもいいはずの不合理を我慢し続けなくてはならないのだろうか。

いや、弱音を吐かずできることから実践あるのみ。

かつてアメリカで黒人たちが人種差別に抗して立ち上がったのは、バスの座席における人種差別に対して乗車拒否運動を起こしたのが発端だった。ドキュメンタリーをみたが、当時の白人市民たちは今では信じられないような世迷言を恥ずかしげもなくテレビカメラの前で語っていた。そう、秩序の保たれた善きアメリカ社会を維持するためには黒人は白人に席を譲って立つのが当然だと。これを無くせばアメリカの治安は崩壊するのだと。この悪意はなかったのだろうが愚か極まりなかった白人市民こそが、女系天皇や戦後民主主義や(彼らの言う)自虐史観やジェンダーフリーや左利きの矯正や夫婦別姓に反対する現代日本の保守主義者の実像である。

さて、それでは、我々が拘るべき「バスの座席」とは何か? これを考えなければならないのだ。




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「反前原」なら社民へどうぞ 福島氏、離党の誘い (朝日新聞) - goo ニュース


福島氏は前原氏について「小泉外交と対峙(たいじ)するどころか右(の路線)を行っている」と批判したうえで、「民主党で社民党と似た(集団的自衛権の行使に反対する)考えの人たちに、これでいいのか、と訴えたい。大きく声をあげてほしい。国会内で連携を取りたい」と語った。「社民党に来ていただければ、大喜びで歓迎する」とも。


もともと呉越同舟な政党だったのが問題だったのだが、前原氏が代表になって、民主党は何を目指そうとしているのか一掃判りにくくなった。

反自民党は大いに結構。しかし、存在理由がそれだけっていうんじゃどうしようもない。この前の選挙はその点を有権者に問題視された部分がある(趨勢の大部分は民主党とは関係なく小泉催眠術によって決まったわけだが)。

やはり旧社会党系議員が前原とか西村(喜ばしくも国政の場からは退場を与儀無くされたようだな。もう二度と戻ってくるなよ)みたいな保守と同じ党にいることは無理があると思う。この際、元のさやに戻ったほうがいいのではないかな。ついでに自民党も小泉革新党と守旧党とに分かれた上で似たもの同士連立を組んでくれれば日本の政治も随分わかりやすくなるというものだが。

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レッドリボン2005

“レッドリボン(赤いリボン)”は、もともとヨーロッパに古くから伝承される風習のひとつで、病気や事故で人生を全うできなかった人々への追悼の気持ちを表すものでした。

 この“レッドリボン”がエイズのために使われ始めたのは、アメリカでエイズが社会的な問題となってきた1980年代の終わり頃でした。このころ、演劇や音楽などで活動するニューヨークのアーティスト達にもエイズが広がり、エイズに倒れて死んでいくアーティスト達が増えていきました。


つい先ごろまで、ピンクリボンがgooのトップページを飾っていたように記憶する。こっちは如何なるものかというと……。

ピンクリボンとは

ピンクリボンをご存じですか? 乳がんの早期発見の重要性を訴えるためのシンボルマークです。


ここでググってみたら次のようなページが見つかり、ナンタラリボンについてイチイチ調べる手間が省けた。

ネットで少しだけ世界のためにできること
には次のようなリボン活動がリストされている。

  • レッドリボン
  • ブルーリボン
  • グリーンリボン・グリーンバッチ
  • ピンクリボン
  • ホワイトリボン
  • オレンジリボン
  • バイオレットリボン
  • イエローリボン
  • シルバーリボン
  • ブラックリボン
  • パープルリボン
  • そら色リボン
  • 金のリボン


いちいち覚えきれませんよ。というか、現に笑えない混乱が生じている。

たとえばブルーリボンを使う運動には互いに異質な2種類が少なくとも存在するのだ。片や北朝鮮拉致被害者関連、もう一つはネット上での表現の自由をテーマにするもの。前者のリボンを自分のサイトに貼り付けているブロガーを探してみると良い。絵に描いたように反動保守・嫌韓・嫌中・自慰史観支持者ばかりだ。これはどうみても後者を志向する人とは異質と言わざるを得まい。

全く同じ図式がイエローリボンにも存在する。これを日本では自衛隊イラク派遣支持の立場から持ち上げる人々が現れた。これも世界標準(?)のイエローリボンとは明らかに異質だ。

当初はわかりやすい旗印をということでリボンを思いついたのだろう。そこまでは良かったが、こうも種類が増えてしまうと最早すっかりリボンは陳腐なものとなってしまいシンボルとしての機能を果たしえなくなっているのだ。少なくともこれから新しいPR活動を展開しようとする人々には、リボンに代わる別の媒体を見つける努力をしてほしい。第三者としては、混乱して不便でしかたがないから。リベラルな情報交換をと思ってブルーリボンでググった先がネットウヨでは、せっかくのインターネットの魅力が台無しでしょう!


↑B
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新しい仕事を始めることになってね。前から挑戦してみたいと思っていた仕事だったので自分への就職祝いということで思い切って買ったのが販売価格1万円強のGショックだ。

これはいいよ。もちろんソーラーバッテリ、標準時電波受信機能つきだ。よって半永久的に時を刻み続け、その正確性はほぼ保障されるというわけ。これこそ時計に求められる究極の要件だろうが、技術の進歩がやっとそれを可能にしたわけだ。こうでなくてはならないし、買い物というのはこういうところにこそ拘り、金を出すべきなんだよ。

さて、同志たちはどんな時計を買っているのか、Gショックも最近のモデルはさらに魅力を増しているが……。

ロレックス、カルティエ、ブランパン… 高級時計商戦熱く (産経新聞) - goo ニュース

なんですかこれは。


今夏のフェアでの一人あたりの平均購入額は約六十万円。以前に比べて「百万円、二百万円以上の“超”高額品を購入していく人が増えた」という。ここ数年は二けたの伸びが続いており、今年の売り上げは前年比で15%増を記録した。



高級腕時計市場の牽引(けんいん)役となっているのは、ファッション意識が高くこだわり志向の三十-四十代男性だ。「入社後に十万-二十万円程度の腕時計を購入した世代が、次のステップとして『ワンランク上』を求める傾向にある」(関係者)という。


世の中そんなに金持ちが多かったとは知らなかったよ。

まあ趣味とはそういうものといえばそうなんだが……平均60万円だって? この人たちの時計以外のものを対象とした消費行動がどういうものなのか、後学のために知りたい気がする。

「私は467万円のパテックフィリップを先ごろ購入しましたが、いちどこの魅力を知ればもう120万円のブレゲの安物なんか馬鹿馬鹿しくてつけていられませんなわっはっは。」
というブロガーがいらしたら、ぜひ当エントリーにトラックバックをつけていただきたい。

↑B
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どうして愛子が女性なのに男系なのか? いろいろ見たがやっぱりわけが分からない。

どこかにすっぱり論理的に説明したブログとか無いんですかね?
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とにかく「古いもの」フェチなんだな。要するに。

なにしろ、不思議な人々だと思う。万世一系とかいって、神話時代から天皇の代替わりが続けられてきたことに至上の価値を見出しているのだ。

彼らによれば天皇が外国の元首や外交官に敬意を表されるのは万世一系だからなんだそうだ。んなわけあるかい。神武天皇なんて、実在したかどうかも分からない人物を誰が本気で敬うか。外交官が天皇を敬うのは、外交儀礼の型を遵守しているからに過ぎない。

彼らは、なんだか知らんが「女系天皇」と「女性天皇」の違いにも五月蝿い。一体いかなる違いが両者にあるのかと調べてみたのだが、これがまた調べれば調べるほどわけが分からない。

たとえばY染色体の継承という説明をしているwebページなどがいくつかある。そこだけ見ると(Y染色体が何ぼのもんじゃいという突っ込みは大いにありえるが)まあ納得してやってもいいかなという気にもなる。ところが、同時に彼らは「男系女子」だのという概念をも弄んでいて、愛子さんが天皇になるのはOKなんだそうだ。愛子さんはY染色体持ってないはずだぞ。どうなってんだよ。

万世一系が崩れると皇室が崩壊し、ひいては日本も崩壊するのだと彼らは言う。まさに「杞憂」だね。空が落ちてきて困るのは彼らの脳内空間だけである。

もうそろそろ天皇家の人たちにも真の自由を与えてあげていいのではないだろうかね。天皇の男系とやらに生まれたばかりに職業選択の自由も思想の自由も与えられない皇太子以下の人々は可愛そうだ。どのみち実際のところ日本という国を維持しているのは政治家であり役人であり実業家であり、天皇が一手にその重責を引き受けているわけでもなんでもないのだ。彼らが人柱になる必要はもう無いだろう。


↑B
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