交通博物館がもう少しで閉館するという噂はそれなりに広く認知されていたらしい。
とくに鉄道模型やシミュレーターのあたりのすさまじいこと。前方は黒山の人だかりである。しかもその黒山を構成する男性陣の全員が子供を肩車しているので、割ってはいることも、その黒山越しに向こうを覗き込むこともできやしない。
交通博物館は旧万世橋駅の施設を再利用する形で開館したもの。その名残は半世紀以上の時を経てまだ少し残っている。写真は、今は一部が休憩コーナーに回想されているホームへの階段である。壁で仕切られていて立ち入れないが、ガラス越しに昭和初期のままのたたずまいを見ることができる。博物館は廃止しても何とかこれらの施設だけは見学できるようにしていただけないものかと思う。受けると思うんだけどなあ。
万世橋駅はかつてまだかんだ駅や秋葉原駅が存在しなかったころ中央線(昔は甲武鉄道という私鉄だった)の終着駅であったそうだ。その上、万世橋の前が市電の大ターミナルだったそうで、東京駅にも匹敵する交通の要所として大賑わいだったという。万世橋駅の駅舎は東京駅を設計した人物でもある辰野金吾が設計し、それは繰り返し土産用絵葉書の題材として使われるほどの立派な建物だったが、関東大震災で焼け落ちてしまった。その後は中央線の東京駅延伸、神田・秋葉原駅の開業などを経てすっかり利用客が減り駅は昭和初期に閉鎖されてしまった。
万世橋界隈は往時には居酒屋・ミルクホール・食堂などが立ち並び大変にぎやかだったそうだ。また明治以前は将軍が神田明神に拝観する際の通り道としてそれなりに栄えた土地だったという。江戸時代から昭和にかけてこのあたりの町並みはめまぐるしく変化したようだ。
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