しるしのないカレンダー

定年退職した自由人のBLOGです。庶民の目線であんなこと、こんなこと、きままに思ったことを書いてみたい。

人物評価

2014年03月19日 | Weblog
人物評価は難しい。多くの異なる評価が出る。昨日も懇談の席で思った事だ。
地元の為に活躍している「市議会議員」
多くの会議で傍聴に来たり、話合に加わったり、行政との仲介役として活動が見えていた。

昨日は地元で20年来の地域活性を求める声が生かされた企画「早川堀通り」が整備・開通する祝いの会があった。
企画に構想の段階から加わった地元有志、行政、企業の戦士が集結した。
多くの熱意と努力、地元住民の連帯、300回に及ぶ会合を重ねた成果だ。という
話もあった。協力してくれた「市議会議員」「市長」という段になって「評価」が異なっていた。
「あの議員」「この市長」の評価が異なっていた。

立場の違う行政戦士、地元、歴代関係者、正反対の評価をする人がけっこう存在した。
「人物評価」とは難しいものだ。
それぞれ立派な肩書を持ち、斯界で活躍の面々だ。それなりの評価も得ている。
その人たちの評価が一様でないのだ。
スタンスの微妙に異なる立場で活躍している。その微妙な立場が評価を分けているようだ。

なかなか話の溝は埋まらなかった。それでもそうゆう評価をする人がいるということ。
そのことは参考になった。自身で判断する材料になった。
私自身の評価も問題とされた。

ブログに書きすぎる。
影響を受ける人がいる。書かない方が良い。削除すべきだ。

そう思う面もあるが、自身が思う日記に何をかいわんや!の気持ちもある。
公開日記というものは正体が解っている人にとっては批判の対象だ。
自身のつぶやきがつぶやきに聞こえない。批判に聞こえる。そうゆうことだ。
批判は立場の異なる人には重荷になるということ。立場が異なれば、励ましとなるが、
そのように取らない人もいるということ。

老害と評すれば自身が高齢な人はそうでないと言う。
やり手だと評すれば「でしゃばりだ」と評す人もいる。
「人物評価はむずかしい」鳩山、菅の低評価もかっては日本中の有権者が選んだ人物ではなかったのか。
今、活躍している人がいつ低評価の人物となるのか誰もわからない。
自身のみが信頼に値するとして最後まで守る伴侶としての立場を守りきれるかにかかっている。

人の評価は気にしない。自分の評価を信じて堅持する。自身のスタンスは守る。それしかないと思っている。

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