愛の書簡
2010-01-31 | 信仰
今日は、休みだったので、主日のミサに与ってきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en1.gif)
いつもながら、半ば寝ぼけマナコで信徒による朗読を聞いてましたら、こんな聖句が耳に入ってきました。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。…。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_pink.gif)
この後も、愛の本質についての言葉がずっと続きます。
これは使途パウロの『コリント教会への手紙・一』第十三章の一節です。
この「さわり」は、多くの日本人が知っているのではないでしょうか?
結婚式でも、クリスチャンでも何でもない新郎新婦が、けっこうこの部分を神父さんといっしょに唱えたりしているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyos.gif)
普通の日本人は、日常生活で「愛」という言葉はめったに使いませんよね。
今の総理大臣が「友愛」としばしば言ってますが、聞いてるほうが何か照れくさくなるので、盛んに冗談のタネにされてますね。
だいたい私たちは物事を断定的に言うことを避けます。だから、
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない」
なんて言われると、どうもお尻がムズムズして、
「オー、ヤッパリ、ガイジンノシュウキョーデスネ。ワタシ、チョット、ハズカシーデス」
という気になってしまいますね(私だけかな?)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/niwatori.gif)
ところが、この部分を英語で読むと、かなり印象が変ってくるのです。
ダイアナ妃の葬儀のとき、主教がこの節を読み上げたそうです。
Love is patient, Love is kind.
It does not envy, It does not boast, It is not proud. …![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heratss_blue.gif)
ね?なんか「自然な」感じがしませんか?エルトン・ジョンあたりが素敵なメロディーをつけて歌ってくれそうな…。
もっとも、聖書の「愛」を、全ての日本の聖書が「愛」と翻訳しているわけではありません。
ちなみに、ケセン語聖書では、「愛しなさい」を「大事(でえじ)にすろ」と訳しています。
ケセン語聖書とは、岩手県大船渡出身の山浦玄嗣(やまうらはるつぐ)というお医者さんが、四福音書を自分の生まれ育った地域の言葉に翻訳した労作です。
これは、面白いですよ(ちょっと別の意味で難しいけれど)。
ようするに、イエスの教えが自分の魂のフに落ちればよいと思うのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en3.gif)
大阪弁の「主の祈り」というのもあります。
てんにいてはる わてらのおとうはん。
たのんまっさかい、おなまえを あがめさしとくなはれ。
みくにを、きさしとくなはれ。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
と、続くのですが、これは「トラディショナル・バージョン」で、「コンテンポラリー・バージョン」となると、
てんのおとうちゃん!
なあなあ、たのむよって、おとうちゃんの名前あがめさしてえな!![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_maji.gif)
と、なるのです。これがさらに「河内のオッサンとオバハンバージョン」になると…。
あわわ、さすがにこれは恐くて書けません。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
でも、聖書の言葉をあまりお上品にカタく考える必要はないと、私は思ってます。
講釈は講釈好きの方にお任せして、とにかく、「今日を生きる糧」にすることが大切だと思うのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kirakira.gif)
…というところで、これから友達と温泉につかって、イッパイやりにいくのでありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kuma_fly.gif)
お粗末様でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_love.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_wel.gif)
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いつもながら、半ば寝ぼけマナコで信徒による朗読を聞いてましたら、こんな聖句が耳に入ってきました。
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず、高ぶらない。…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hearts_pink.gif)
この後も、愛の本質についての言葉がずっと続きます。
これは使途パウロの『コリント教会への手紙・一』第十三章の一節です。
この「さわり」は、多くの日本人が知っているのではないでしょうか?
結婚式でも、クリスチャンでも何でもない新郎新婦が、けっこうこの部分を神父さんといっしょに唱えたりしているようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyos.gif)
普通の日本人は、日常生活で「愛」という言葉はめったに使いませんよね。
今の総理大臣が「友愛」としばしば言ってますが、聞いてるほうが何か照れくさくなるので、盛んに冗談のタネにされてますね。
だいたい私たちは物事を断定的に言うことを避けます。だから、
「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない」
なんて言われると、どうもお尻がムズムズして、
「オー、ヤッパリ、ガイジンノシュウキョーデスネ。ワタシ、チョット、ハズカシーデス」
という気になってしまいますね(私だけかな?)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/niwatori.gif)
ところが、この部分を英語で読むと、かなり印象が変ってくるのです。
ダイアナ妃の葬儀のとき、主教がこの節を読み上げたそうです。
Love is patient, Love is kind.
It does not envy, It does not boast, It is not proud. …
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/heratss_blue.gif)
ね?なんか「自然な」感じがしませんか?エルトン・ジョンあたりが素敵なメロディーをつけて歌ってくれそうな…。
もっとも、聖書の「愛」を、全ての日本の聖書が「愛」と翻訳しているわけではありません。
ちなみに、ケセン語聖書では、「愛しなさい」を「大事(でえじ)にすろ」と訳しています。
ケセン語聖書とは、岩手県大船渡出身の山浦玄嗣(やまうらはるつぐ)というお医者さんが、四福音書を自分の生まれ育った地域の言葉に翻訳した労作です。
これは、面白いですよ(ちょっと別の意味で難しいけれど)。
ようするに、イエスの教えが自分の魂のフに落ちればよいと思うのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_en3.gif)
大阪弁の「主の祈り」というのもあります。
てんにいてはる わてらのおとうはん。
たのんまっさかい、おなまえを あがめさしとくなはれ。
みくにを、きさしとくなはれ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_hohoemi.gif)
と、続くのですが、これは「トラディショナル・バージョン」で、「コンテンポラリー・バージョン」となると、
てんのおとうちゃん!
なあなあ、たのむよって、おとうちゃんの名前あがめさしてえな!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_maji.gif)
と、なるのです。これがさらに「河内のオッサンとオバハンバージョン」になると…。
あわわ、さすがにこれは恐くて書けません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
でも、聖書の言葉をあまりお上品にカタく考える必要はないと、私は思ってます。
講釈は講釈好きの方にお任せして、とにかく、「今日を生きる糧」にすることが大切だと思うのですね。
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…というところで、これから友達と温泉につかって、イッパイやりにいくのでありました。
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聖堂は一人で祈ってもいいものですね。
でもやはり、おおぜいで歌を歌ったり聖体拝領をすることにはかえられないですが…。
東京で人情長屋を作り、ホピーさんのお帰りを待ちたいものだ…と思っています。