食いしん坊ケアマネ の おたすけ長屋!

困ったら、悲しかったら、ツラかったら、
「長屋付き合い」を始めようよ!
現代版人情長屋に寄っといで!

無名戦士の休息所

2010-02-01 | 友人・仲間
昨日会った友人は、相変わらず「佳く生きて」いた。

彼は、人並み以上の知力と体力と精神力のある男だ。

ただ、勤め人に要求される「組織で生き残るための演技」がどうにも苦手で、ずっとフリーの施術者として働いている。

彼と私にはいくつかの共通項があるが、そのひとつに「左目がほとんど見えない」というのがある。

私は生まれついての弱視なのだが、彼は、学生時代に友人の指が誤って目に入ったからだ…という。

「でもネ。それを言うと相手を責めるみたにになっちゃうからネ」

彼は、そう言って黙って被害を堪えている。

いや、「堪えている」のではなく、彼にとってはそれが自然な生き方なのだ。

他者を責めず、受け入れ、自分の力で乗り越えて生きてゆく。


私には、こういう友人が多い。

不器用で、富や社会的地位とは無縁だけれど、謙譲と自律心と教養はしっかり持っている。

決して他人を責めることはない。

そのぶん、人間の価値を知らない馬鹿な奴らは、ナメテかかろうとする。

そこで損な役回りを押し付けられやすいが、おうおうにしてそれを引き受けてしまう。

しかし、自分らしさに対する矜持は、しっかりと胸に収めている。

彼らこそ、もっとも良質な社会の構成要員であり、地の塩である。

こういう無名の戦士たちが、明治から昭和初期にかけての日本の近代化の礎となり、戦後の繁栄を築きあげてきたのだ。


ニューヨーク大学の構内の壁に、『ある無名戦士の詩』という碑が刻まれている。

これは南北戦争で戦死した、ある兵士が残した言葉だという。

私がこの詩を知ったのは二十年近く前のことだが、今改めて読むと、全く胸に迫るものがある。





大きなことを成し遂げるために 強さを与えて欲しいと神に求めたのに
謙虚さを学ぶように 弱さを授かった

偉大なことができるようにと 健康を求めたのに
より良きことをするようにと 病気を賜った

幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった

世の人々の賞賛を得ようとして 力と成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった

人生を楽しむために あらゆるものを求めたのに
あらゆるものをいつくしむために 人生を授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが 願いはすべて聞き届けられた
私はもっとも豊かに祝福されたのだ





しかし、我が無名戦士たちよ!

クダラヌ連中の意のままに使われ、淋しく死んでいってはいけない。

ぜひ、戦い続けてきた我々にふさわしい場所を設け、体と魂を休めようではないか!










にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村











コメントを投稿