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受難とカップやきそば

2010-04-02 | 信仰
今日は、カトリック教会で言うところの聖金曜日であった。

聖金曜日とは何か?

ごく簡単に書けば(簡単にしか書けないのだが)、イエス・キリストが亡くなった日である。

これを「受難日」とも言うが、聖金曜日にしても受難日にしても、決して「悲しい日」ではない。

なぜなら、イエスは死んで三日目に「復活」したからこそ、われわれのメシアとなられたからだ。

受難がなければ復活もなく、復活がなければ、イエスは「父なる神の御子」ではなく、単なる宗教的天才に終ってしまう。

イエスの肉体的復活をどう解釈するかは、カトリック、プロテスタント、正教会など各会派で分かれるところだ。

しかし、聖金曜日、受難の記念日を盛大に祝うことは共通していて、ヨーロッパはいうに及ばず、南北アメリカ、アジアやアフリカの多くの国々が、今日を祝日としている。

世界各地で受難劇が演じられ、バッハの受難曲が演奏される。

「西欧文化大スキ」の日本人は、ハロウィンなんてしょうもない、アングロサクソン土着の騒ぎさえマネをする。

しかし、最も重要で聖なる週間(イースター)は、なぜマネをしないのだろうか?

それは、復活祭は毎年日付が変るからでしょうネ。

特に日本の場合は、復活祭がある「三月の終わりから四月の初め」というのは年度替りでイロイロ忙しいので、毎年祝日が変っていたら、宣伝しずらいのでしょう。


イエス・キリストが亡くなった日であるから、そうはいっても馬鹿騒ぎはせず、むしろカトリックに於いては「断食」をする日とされる。

といって完全な断食ではない。

「三回の食事のうち一回は充分な量を摂るが、あとの二回は少なく抑える」

「動物の肉や卵、乳製品を控える」という程度である。

さて、私である。

朝は、バナナ一本だった。いつもは二本であるから、自分なりに「抑えた」つもりである。

昼は、給食を食べた。いつもテンコ盛りにもらうごはんを、今日は事情を話して茶碗に軽く一杯にしてもらった。

厨房のオジサンたちが「事情」を理解したとは思えなかったが…。

夜は、思い切って抜こうと思っていたのだ。

しかし今日の午後、長い時間外出し、帰ってきてから八時まで書類を作った。

仕事が終ると、かなり空腹感を覚えた。

このままでは、寝付けないかもしれない…。

そこで、スーパーでもっともシンプルな食事を…と模索し、『ペヤングソースやきそば』を、ほんとうに久しぶりに食べたのだった。

大判じゃないよ!あれは2食分だからね!

聖金曜の夜。

こんな下らないことを書いている者ですら、主は赦してくださると、私は信じている。





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