和解
2010-09-09 | 信仰
昨日の夜、京都から上京してきた友人たちとの宴は、大変深いものになった。
彼はいつになく酔い、笑い、本心を打ち明けてきた。
彼と出会ったのは14年前の9月である。
東京多摩地区にあるカトリック教会だった。
私も彼も全くキリスト教も他の宗教も知らずに訪れ、そこで知り合ったのである。
数年後、彼は京都に向かい、修道士としての修行を積み上げてきた。
そしてこれから、また新しい一歩を歩み出そうとしていることを、昨夜知った。
そのきっかけのひとつが、長い桎梏となっていた自分の家族との「和解」にあった。
あまりに絶妙な「天の配剤」に、私はほとんど昂奮した。そして、
「スゴく良いなア。それ、書いちゃって良い?」と、彼に尋ねた。彼は、
「ぜひ書いて下さい。小説にして下さい」
と、笑っている。本当に、そのまま小説になりそうな話である。
私には度胸も時間も技術もないから、その深い「物語」をすぐに書くことが出来ない。
でも、近いうちにはいつか…と、思っているところである。
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彼はいつになく酔い、笑い、本心を打ち明けてきた。
彼と出会ったのは14年前の9月である。
東京多摩地区にあるカトリック教会だった。
私も彼も全くキリスト教も他の宗教も知らずに訪れ、そこで知り合ったのである。
数年後、彼は京都に向かい、修道士としての修行を積み上げてきた。
そしてこれから、また新しい一歩を歩み出そうとしていることを、昨夜知った。
そのきっかけのひとつが、長い桎梏となっていた自分の家族との「和解」にあった。
あまりに絶妙な「天の配剤」に、私はほとんど昂奮した。そして、
「スゴく良いなア。それ、書いちゃって良い?」と、彼に尋ねた。彼は、
「ぜひ書いて下さい。小説にして下さい」
と、笑っている。本当に、そのまま小説になりそうな話である。
私には度胸も時間も技術もないから、その深い「物語」をすぐに書くことが出来ない。
でも、近いうちにはいつか…と、思っているところである。
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