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ミサの光景

2010-05-16 | 教会
今日はお休みでしたので、歩いて教会に行き、ミサに与りました。






東京にあるカトリック教会ですから当然ですが、成城教会には、日本人以外の人もけっこう来ています。

しばしば見かける黒人の男性が、今日は私の隣に座りました。

そしてミサが始まる直前に、私のすぐ前に、黒人の女性が座りました。

二人とも青年と言って年頃で、知り合いのようでした。





女性の隣に座っていた初老の日本人男性がとても親切な人で、ミサの進行に応じて、今、どの歌集のどの部分を歌っているかを教えたりしています。

彼女は、若い女性らしい恥じらいを含んだ控えめな表現で、その好意に謝意を表していました。

でも私の隣の青年も彼女もかなり日本語は堪能らしく、祈りも聖歌も、小声だけれどずっと日本語で対応していました。





十字を切るにも跪くにも、白人や黒人の信徒の所作を見ると「サマになるなあ」と私はいつも感じてしまいます。

今日は隣とすぐ前でそれをしてもらえたので、私は少し胸がときめいたほどでした。

日本人として対抗できる所作は(別に対抗する必要はないけれど)、やはり、畳の上で正座する姿だな…なんて思っていました。





それと、私はミサ中、前に座る女性の髪型が気になって仕方がありませんでした。

彼女は細い三つ編みを無数に作って、それを複雑かつ優美に組み合わせていました。

この三つ編みをひとつづつ作っていたら、途方もなく手間がかかるだろうなア…。

ボンヤリとそう思っていたのです。

家に帰ってから少し調べると、あれはドレッド・ヘアと言って、やはり途方もない手間を掛けて作るもののようです。

あの髪型にも、色々な歴史や意味が込められていることも知りました。

ほとんど、祈りの境地ですね。





ミサが終って、私が隣の男性に軽く会釈すると、彼も丁寧に頭を下げてくれました。

信徒会館でいくつかの冊子を眺めてから、私は帰路につきました。

すると、ちょっと前を、くだんの二人が歩いていました。

かなり大きな声で(英語のようでした)、手振り混じりに笑いながら話す姿は、とても若々しい、自然な姿でした。

彼らにとって、日本の教会は「日常的な信仰の場」であると同時に、茶室にも似た、異文化を味わう場所なのかもしれません。

中年近くに洗礼を受けた私にとっても、未だに教会は「異文化を味わう場」でもあるのですが…。





そんなこんなのお休みでした。











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