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回心と合鍵

2010-03-07 | 信仰
東京は朝からずっと雨でした。



月曜には雪が降る…という情報もありました。さすがにそれは回避されそうですが、ここにきて、まためっきり寒くなってきました。

さて、今月は、4回の日曜が全て休みなんです。

これは、ここ四年間で初めてのことです。

半ば偶然とはいえ、こころよく休ませてくれた同僚に感謝!

今年のイースター(復活祭)は、4月第一日曜、つまり4月4日です。

イースター前の6週間は、「四旬節」と言って、イエスの死と復活までを辿る、クリスチャンには特別の期間です。

この四年間は日曜も平日も無関係な勤務となり、復活祭も降誕祭もせいぜい当日に意識するくらいでした。

でも、今年のイースターは、しっかり心の準備が出来そうです。

やはり、「規則正しい生活」って、色んな意味で大切なんですよねエ…。





今日のミサで、『出エジプト記』の第3章が読まれました。

モーゼが荒れ野の奥で、芝が燃えているのを見ていると、

「モーセよ、モーセよ」と、神から声を掛けられる…という場面。

また、モーセが神に向って、神の名を問うと、

「私はある。私はあるという者だ」…と応える場面。

これは『十戒』や『プリンス・オブ・エジプト』と言った映画でも、有名ですね。

…と、ヒトゴトのように言ってますが、私自身、聖書より映画のほうがふだんずっと親しんでいますので、「あの場面だ」と、思ったことでした。

「私はあるという者だ」なんて、禅問答みたいで、イミ判んないですよね。

今、俄かに調べてみましたが、やっぱり判らない。

ま、日本生まれの仏教だって、解説を読んでも判らないことばかりですからね。

「理解できないことも多い」のも、宗教の魅力かと思っています。





福音朗読では、「悔い改めよ」という、回心について読まれ、説教がありました。

「悔い改める」…。これも判りませんね。

この言葉は一般の日本人にとってはキリスト教を象徴するもののひとつでしょうが、同時に、遠ざけ、縁遠くしているようにも思えます。

神父さんも、「キリスト教の神髄は赦しにあるんですが、これはまあ、神様からの愛に溢れた小言みたいなものでしょうか…」と、マイルドな解釈をしていました。





ミサが終ってから、駅前の「靴修繕と合鍵屋さん」に寄りました。

職場のロッカーの合鍵を作るためです。

雨の降る中、職人さんが黙々と靴の修理をしていました。

私が鍵を差し出すと、職人さんはとても丁寧な言葉で対応してから、百科事典のように分厚い「鍵辞典」を取り出し、調べていました。

私は信じられないほど手先が不器用なのですが、職人さんの手仕事を見ているのがとても好きです。

料理を作るのを見るのも好き。

もっともらしい「理屈」よりも、ずっと誠実で信用できる気がするから…。

何でロッカーキーの合鍵を作るかと言うと、本社からのお達しのためです。

このところ鍵をしてないロッカーからの盗難が増えてるから、必ず施錠するように…って。

クダラナイなア。

盗られるようなもの入れてないし、そんなのそれこそ「自己責任」でいいじゃん。


まあ、でも、逆らえない。

ロッカーの鍵なんか携行してたら、私は必ず失くします。

それはそれで強いお咎めを受けるでしょうから、合鍵を作ったのでした。





職人さんは、ものの三分くらいで合鍵を作ったくれました。

雨の中待っているのはけっこうつらかったのですが、その手際のよさが、私を癒してくれました。


合鍵と代金を交換すると、私は昼食を食べに、すぐ近くの吉野家まで歩きました。








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