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クリスマスというご縁

2009-12-24 | 教会
今日はクリスマス・イブです。



ちょっと前までは「恋人たちのデートの夜」として大掛かりに謡われていました。
最近は世間の不景気のせいもあって、ずっと控えめになり、プレゼントをしあったり、家族でちょっとした洋風のご馳走を食べる夜…というところが相場のようです。



私は今日も休みでしたが、行きつけの整骨院で肩と腰に電気を掛けていると、隣のベッドから奥さんと整骨院の助手の先生の会話が聞こえてきました。

「今夜は、何かするの?」
「ええ、毎年イブはヨメとプレゼント交換をするんです」

エッ、と思いました。まだ三十歳くらいの実直そうな助手先生には、ヨメがいたのか…。既婚者だったとは…。

小さなショックを受けましたが、続いて聞こえてくる話が、けっこう可愛い。

「お互い100円ショップで買ってくるのですが、なかなか難しくて…」

彼は出来るだけ「実用的」なものを贈りたい…という。でも、相手が喜び、かつ使い勝手があるものを選ぶのは、なかなか難しい。

「ふふふ。まだ新婚みたいなものだからね。頑張りなさいよ」

奥さんは励ましていました。

でも、お互いに相手が喜ぶよう頭を使うっていいナ…と、うらやましく思いました。

整骨院を出ると、食品スーパーの店頭では、売り子さんがケーキなどの「クリスマス商品」を、声を上げて売っていました。



私は「えん」という言葉が好きです。

老人ホームで働くようになってから、ことにそうなってきました。



80年、85年と生きてきた方が、数あるホームの中からなぜか私たちのホームを選び、住み、恐らく亡くなる…。

そう考えるとコワくなるときがあります。その方の最期に私が関わるなんて、本当に小さな小さな確率です。

でも、それはきっと、何かの「ご縁」なのです。キリスト教では「神の恵み、計らい」なんていったりするけど、正直、「ご縁」のほうが私にはピッタリくる。

そして、そういう「ご縁」があったのなら、出来るだけそれを大切にしよう…。

そう考えると、苦しいことも比較的前向きに感じて当たれるように思うのです。

それは、入居者や家族だけじゃない。いっしょに働くスタッフもそうです。

というより、今まで生きてきて、出会って、関係が途切れていない人全てに、「奇跡的なご縁」を感じるのです。

これは東京のような大都会に住んでいるからでしょうか?



今夜、私はミサに与ります。

毎年、イエスの生誕前夜のミサでは、ルカ福音書の一節が読まれます。

ルカは、私の洗礼名です。

私は自分の霊名をどうするかなかなか決らず、当時通っていた立川教会の主任神父さんに相談しました。

「ルカが良いんじゃないですか?元井さんは文章を書くのがお好きだし、ルカは名文家ですから…」

そうして、「ルカ・元井文七」が誕生したわけです。

それから、毎年イブの夜に全世界でルカが読まれていると思うと、私は誇りを抱くようになりました。

これなども、全くありがたい「えん」としか思えません。

もともと私が教会に通い、ついに洗礼を受けたのも、数々の不思議な「ご縁」が重なったからでした。

そして今夜私は、信徒としてキリストの生誕を祝うミサに与る「ご縁」に恵まれます。

こんないい加減な考えの信徒も、きっとイエスは赦して下さる…と信じて。



ミサの後で、スーパーで買ってきたシャンパンを開けようと思います。

来年のイブは一人じゃありませんように…と祈りながら。






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