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看取りって何だろう

2009-07-30 | いのち
私たちのホームでは、入居されるとき、ご家族にしばしばこういう質問をします。
「ホームでの看取りを希望されますか?」
すると、半数以上の方は、さほど考えることもなく、
「出来ればここで静かに最期に迎えさせたい」
と、おっしゃいます。つまり、少なくない方が「看取りで最期を迎えさせたい」…という気持ちでいるのだと思います。


「看取り」という言葉には、多分にロマンチックな響きが込められています。
八十年九十年と良く生き切ったお年寄りが、少しずつ衰弱し、次第に水も食物も受け付けなくなり、献身的なスタッフと最愛の家族に見守られながら、眠るように息を引き取って行く…。
今の仕事に就く前の私も、漠然とそんなイメージを抱いていました。


しかし実際は、仮に九十を過ぎた方であっても、牧歌的に最期を迎えることはめったにありません。
長い人生で様々な疾病に罹って来られた高齢者は、最期のステージになっても、たいてい重い疾患と戦っていらっしゃるのです。心疾患、肺炎、ときには悪性腫瘍…。
体力や抵抗力が落ちていますから、とうぜんあられもない姿で痛みや苦しさを訴えつづけます。
いかに医療機関と密接な連携を図ろうと、老人ホームには疾病を治す能力はありません。だからそんな姿をスタッフは苦しい思いで見ながら、出来るのは簡単な「手当て」だけです。まずスタッフはそのギャップに苦しむことになります。
「これが、果たして、看取りなのか…」と。


たいていのホームには夜勤スタッフが必要最少数しかいない…というのも大きな問題です。
いつ亡くなってもおかしくない…という方がいれば当然ひんぱんに様子を確認に行かなければなりませんが、他のご入居者のケアもあるのですから、それが出来ない時間帯がどうしても出てきます。
介護のスタッフに聞くと、状態の良くないご入居者を夜間に時間を置いて訪室するときは、
「亡くなっているのでは…」
という大変な不安にかられるそうです。
それを彼らは「ロシアンルーレット」と表現していました。


そもそも、人の「信念」は状況によって変わるものです。
ずっと「延命治療は一切拒否します」とおっしゃっていたご家族がいます。いよいよ経口摂取ができなくなり、医師に説得されて胃ろう手術を受け入れたときも半信半疑でした。
でも、胃ろうのおかげで元気になった父親を見て、いまはとても感謝されているのです。

その「心変わり」が、イザというとき自分に向けられたら…。
ちょっとしたミスで訴訟を起こされ、マスメディアやネットによってそれが爆発的に伝染し、社会的に葬られる…という例を、ここのところ私たちはイヤというほど見せ付けられています。
ですから、どんなやる気のあるスタッフでも、直接「死」に関わることを恐れるのです。
そしてそれは、個人だけでなく、全ての企業の姿勢でもあると感じています。



まだ私は、「看取り」を充分語るほどの経験も知識も持ち合わせていません。

ただ、今実感しているのは、「人の死」を過剰に忌避している社会で「看取り」をおこなうのは、ひどく困難がともなう…ということです。




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