wikiで「特命全権大使」を検索すると、こんな文章に行きあたる。
『・・・日本国外務省では「駐箚」(ちゅうさつ)の語を今でも用いており、任命の辞令等には「○○駐箚特命全権大使」と記される駐箚とは、公務員が命により派遣されて駐在することの意であり、自ら名乗る場合「○○国駐箚××国特命全権大使(姓名)」と名のることがある。・・・ 』
ところで、衆議院のホームページに次の質問主意書が公開されている。
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平成十九年十月九日提出 質問第一〇三号
外務省における特命全権大使の役割に関する質問主意書 提出者 鈴木宗男
一 在外公館に勤務する特命全権大使とは別に、外務省内に特定の政策課題に対応するために設けられた特命全権大使の役職(以下、「特命全権大使」という。)があると承知するが、現時点での「特命全権大使」を全て挙げられたい。
二 「特命全権大使」が設置された目的及び経緯について説明されたい。
三 「特命全権大使」に対して、本俸とは別に大使手当が支給されるか。されるのならば、どのような手当が支給されるのか明らかにされたい。
四 「特命全権大使」に対して、公邸またはそれに準ずる官舎は用意されるか。
五 「特命全権大使」の中に、「沖縄大使」と「関西大使」という役職があると承知するが、現在「沖縄大使」と「関西大使」の任に就いている者の氏名をそれぞれ明らかにされたい。
六 「沖縄大使」と「関西大使」の二大使は、大使としてどのような職責を果たし、どのように我が国の外交及び我が国の国益に資することを求められるのか具体的に説明されたい。
七 「沖縄大使」並びに「関西大使」に対して、本俸とは別に大使手当が支給されるか。されるのならば、どのような手当が支給されるのか明らかにされたい。
八 「沖縄大使」並びに「関西大使」に対して、公邸またはそれに準ずる官舎は用意されるか。
九 一般に、特命全権大使とは、諸外国に対して我が国を代表する人物を指すものと思料するが、何故我が国の国内である沖縄や関西に対して大使が必要なのか説明されたい。
十 「沖縄大使」や「関西大使」の他に、以前「北海道大使」という役職が設けられていたと承知するが、「北海道大使」がなくなった理由について説明されたい。
十一 「北海道大使」がなくなった一方で、現在も「沖縄大使」及び「関西大使」という国内向けの大使職が残されている理由につき、明らかにされたい。
十二 行政改革、構造改革を行い、行政の無駄をなくすことは政府の方針であると承知する。政府方針からも、「沖縄大使」「関西大使」の役職は廃止するのが適当であると思料するが、政府の見解如何。
右質問する。
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言葉に拘泥するわけではないが、アジ歴グロッサリーの資料の中に次の文章が認められる。『1932年7月12日に日本による満洲国承認が決定されると、日本政府は関東長官・関東軍司令官・満洲国駐箚臨時特命全権大使を同一人物とする、いわゆる三位一体制を実施することとし、陸軍大将の武藤信義がこれに任命された。武藤の渡満に合わせて在満特派全権事務所が満洲国の首都・新京(現在の長春)に設置された。 』
ひょっとして、沖縄あるいは関西(大阪)に、つまり日本国の中に、日本の大使館が、設置されているとでもいうのだろうか。現代の怪談話!!ということにでもしようというのだろうか。どなたか教えてください。
ちなみに、129年前のことではあるが外務官僚(当時)であった三浦梧楼は『・・・明治28年(1895年)9月1日、在朝鮮国特命全権公使に就任し、公使館付武官で朝鮮政府軍部顧問の楠瀬幸彦中佐や、邦字新聞「漢城新報(英語版)」社長の安達謙蔵らの協力を得て、同年10月7日、安達謙蔵と国友重章に閔妃殺害を教唆し、安達・国友の両名は三浦の教唆に応じ殺害を決意して同志者を招集した。翌8日早朝、国友を含む同志者たちは凶器を携えて王城内に突入し、直ちに後宮へ至った。閔妃は後庭で殺害され、遺体はその場で焼却された
』(wikiから)
外務省という組織がこんなDNAを今でも引きずっているとなると大変怖い話でもある・・・やはり怪談話かな?!!
(文責:吉田)
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