去年2023年11月23日に「共存せよ、然らずんば破滅を」と題して筆者は旧約聖書創世記第21章を紹介し、次のように述べたことがある。
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そこでサラは身ごもり、アブラハムに、その老年におよんで一人の男子を生んだ。それは神が先に告知された頃におこったのである。アブラハムは自分に生まれた子、サラが彼に生んだその子の名をイサクと名づけた。アブラハムは神の命のように八日目にその子イサクに割礼を施した。アブラハムはその子イサクが生まれた時百歳であった。・・・・・・
サラはエジプト女のハガルがアブラハムに生んだ子が、自分の子イサクと遊んでいるのを見た。そこで彼女はアブラハムに言うには、「この婢とその子を一緒に追い出して下さい。この婢の子はわが子イサクと一緒に跡継ぎになるべき者ではないのですから。」この言葉でアブラハムはその子のために大いに悩んだ。しかし、神はアブラハムに言われた。「あの少年と君の婢のことで悩まなくてもよい。サラの君に言うことは何でも彼女の言う通りに聞いておやり。イサクから生まれる者が君の裔とよばれるべきだから。しかし、婢の子もまたわたしは大いなる民とする、彼もまた君の裔だから。」アブラハムは翌朝早く起きてパンと水の皮袋をとってハガルに与えた。
・・・・・・・・・・・ここでいうエジプト女ハガルの子とはイシマエルのことである。
ところで、アブラハム合意というイスラエルとアラブ首長国連邦の国交正常化協定というものがあることをご存知だろうか。または、アブラハム合意和平協定ともいうらしい。ウィキペディアによれば…『アブラハムの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の始祖でかつユダヤ民族(イサク)とアラブ民族(イシュマエル)の共通の父祖であるアブラハムの名に因んで「アブラハム合意」と名付けられた‥‥ということだ。つまり、ヤハウェの神は異母兄弟であるイサクの末裔もイシマエルの末裔も等しく「大いなる民」として栄えていくと言っているのである。さらに言えば、イスラエルの民もアラブの民もともに栄え、共存していくと言っているのである。(以上引用)
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ガザのハマス、レバノンのヒズボラ、イエメンのフーシ派、そしてその依って立つところのイラン、これら全部を相手にしてイスラエルのネタニアフ氏は何をしようというのだろうか。ユダヤ内部からも厳しい批判を受けているシオニストたちは思考停止に陥ってしまい、善の衣を着せたジェノサイドから手を引く契機を道徳心もろともに見失っているように見える。あの戦争屋バイデン氏さえ、全面的に支援すると云いながらその実イスラエルに手を引くように必死の様相を呈し始めている。ネタニアフ氏はほかのアラブ諸国がなぜ手を出してこないのかさえも全く理解していないらしい。仏教でいう無明の世界である。
江村洋氏はその著書「ハプスブルグ家」の前書きの中で次のように述べている。「ふつう国家が近隣国の領地をかすめ取るときには、武力が用いられる。相手が弱いとみれば、強引に侵略する。世界市場の戦争のほとんどが、この部類である。ところがハプスブルグ家はそのような野暮な、武骨者の用いる手段はとらない。もっと雅な方法で、もっと穏和に、もっと効果的に、他人が苦心惨憺して作り上げた国家を、まるでつまみ食いでもするように頂戴する。すなわち愛の力によって、結婚によって。」と書かれている。宿敵フランスに愛娘アントワネットを嫁がせたマリアテレジア、世界がサライェヴォの銃声をきっかけにして大戦争を展開しているときにさえもシェーンブルン宮殿から一歩も出ずに朝5時に起き夜11時に就寝しその間はせっせと書類に目を通して死の直前まで国家を思い政務に従事していたあの最後の皇帝フランツ・ヨーゼフ帝、などなど、ハプスブルグ家の愛すべき国家運営術、と私は感じている。ハプスブルグ家の爪の垢でも煎じて飲ませたいと思ってしまうのである。そう、あのネタニアフ氏に。ちなみに、ハプスブルグ家は敬虔なカトリックだが。(文責:吉田)