北西の風 気ままな野鳥詩

行く先々で出会った野鳥を中心に自然の画像や映画鑑賞の感想などアップします

映画 「キネマの神様」 を観る

2021-08-16 16:34:07 | 映画

 山田洋次監督作品の「キネマの神様」を観ました。

映画好きな者にとってたまらない作品です。映画人生50年の私は

ウン・うんと頷く箇所が幾つもありました。

主人公の円山郷直(ゴウ)の現在と若い頃に映画の助監督であった

時代とを繰り返す。

助監督だった頃の「花筏」と云う作品を撮影するが、小津安二郎を

イメージしている。小津と云えば、ローアングルでパーンしない撮

り方で知られている。一部実際の「東京物語」が挿入している様だ。

 ゴウは脚本を考え初監督で作品を撮るが怪我をし中止となる。ゴ

ウはバスター・キートンの作品を観て、スクリーンから主人公が出

て観客席へ移るという場面を考えていた。作品名は忘れたがその作

品を観ています。ウッデイー・アレンの「カイロの紫のバラ」は、

観客がスクリーンヘ入るという場面があった事を思い出した。

ゴウの夢である、映画を観ながら死にたいは私の夢でもある。

 映画のパンフレットに原作者の原田マハさんのエッセイがありま

す、一部を紹介します。

=キネマの神様は、映画を愛する人の隣の席に座っている。私のあ

なたの手を取り、ともに笑い、涙している。映画を観る喜びを分か

ち合っている。人生において大切なこと、そのすべてが、この映画

「キネマの神様」の中にある。=

 

左がパンフレット。

右は日本最古の映画雑誌「キネマ旬報」。1919年7月東京高等

工業高校の学生、田中三郎ほかにより創刊。当初は同好誌だが、後

に有力な映画雑誌となる。

帰りに書店で今月の「バーダー」を購入するが眼に入り衝動買いをする。

野鳥誌のバーダーは毎年9月号にタカの渡りを特集する。タカの識別やタカ見のポイ

ント等の記事がある。近くにあった、野鳥撮影の本も購入する。10冊程撮影本はあ

るがつい衝動買いをしてしまう。病気は治るが、クセは治らないとの事だ。


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アラスカの旅を想いだす

2021-08-09 13:51:54 | 過去の画像

 現役の頃は長期休暇は取れず退職後にやっと憧れのアラスカの

地へ11年前に訪れました。

 アメリカ最大の州アラスカは果てしのない大荒野でスケールの

大きさ、自然の濃さに圧倒される。すべてが別世界であり心を奪

われその素晴らしさに魅了された。

 アンカレッジ~デナリ~フェァバンクスの一週間でしたが過去

に経験のない思い出深い旅となる。

ハクトウワシを見たいのだが数キロ先にいる点の大きさで3回の

み見る事が出来ました。

この世から消えるまでにもう一度は訪れたいものです。

 

アンカレッジ空港。

ツアーバス。

アラスカ鉄道。アンカレッジからデナリー向かう。

鉄道の途中での風景。

グレイシャーベイでの氷河。

こんな標識も。

マッキンリー山。現在はデナリ山と変更。

この日は雲があり全容は見えずでした。

ブラウンベアーの親子。

カリブー。

フェアバンクス空港。尾翼のマークが特徴のアラスカ航空。


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写真家 星野道夫

2021-08-08 13:26:19 | いろいろ

 星野道夫は私が唯一好きな写真家です。

星野はアラスカの自然やそこに住む人達に魅せられアラスカに渡り

生き物や自然の素晴らしい写真を撮りました。その作品を見て多く

の衝撃と感動を貰い影響も受けました。

彼は文才もあり多くのエッセイ本を書いています、その内容も素晴

らしく魅力的で深く感動した。

 1996年8月8日の未明にカムチャツカ半島クリル湖畔でテレ

ビ番組の収録中にヒグマに襲われ死亡する。

星野の死去は大きなショックと深い悲しみでした、没後25年が過

ぎましたが今も忘れることはありません。

アマチュアカメラマンの端くれとして少しでも学びたいと思います。

8月8日の今日、このブログで想いを新たにしたい。

 

星野道夫。43歳の若さでした。

写真集、エッセイ本、カレンダー、雑誌、星野に関する本等の作品があります。

星野の死については「星野道夫 永遠のまなざし」著 小坂洋右・大山卓悠。

夫人の直子さんの書いた「星野道夫と見た風景」も読んで下さい。

又、写真展も開催される事もありますので要注意です。右端は2012年に

Fujifilm Squareで開催の写真展のパンフレットです。


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広島原爆の日

2021-08-06 14:28:34 | いろいろ

 1945年8年6日の午前2時45分にテニアン・グアム基地よ

り原爆搭載機B29のエノラゲイが離陸した。

8時38分、高度3万2700フィート(約9,700メートル)

で水平飛行し9時15分17秒に原子爆弾のリトルボーイを投下。

12月末迄に約14万人が亡くなり、原爆投下後の黒い雨や原爆症

により今現在で32万8929人もの方が亡くなっている。

 被爆76年が過ぎました、時が過ぎると記憶が薄れてしまいます。

この悲惨で残酷な殺戮の事実を忘れてはなりません。

2014年5月に訪れた広島の画像とします。

 

原爆資料館の展示。原爆投下後の広島の模型。

原爆は地上600mで爆発、赤い球は1秒後の火球を示している。

原爆ドームと相生橋。

原爆投下はこの相生橋を目標とした。

原爆ドーム。

先日に観た映画「アウシュビッツ・レポート」のパンフレットにあった

スペイン出身のアメリカ人哲学者・詩人のジョージ・サンタヤナの言葉。


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