先日(6/4)、神戸市東灘区にある “御影公会堂” でセミナー・イベントを開催しました。
いつも横を通り過ぎていて、その存在は知っていたのですが、内部に入り、管理を担当されてきた地元の人達のお話を聞いて、改めてその良さを知りました。
そこで、観て、聴いて知った良さを、少しずつ報告して、多くの人と共有したいと考えています。では、概略の説明から始めます。
『 昭和初期の建築 』
建設されたのが 1933年とされていますので、第二次大戦前の 昭和 8年、大正ロマン時代から昭和へと、建築にも変革の流れが続いた時代です。
当時の最新工法であった鉄筋コンクリート造りで、外壁はタイル貼りの地下1階、地上3階建ての建物は正に昭和初期を感じさせます。そして、それを一番強く感じたのは 踊り場の広い階段とガラス天井です。
『 時代背景 』
ただし、1929年に米国を震源地とする世界恐慌の波が日本を襲っていた中、建築資金の調達など苦労も多かったと思われます。そんな中、地元・御影の名士、有名な酒造家であり高額納税者でもあった実業家・嘉納治兵衛氏や、同じく地元名士・嘉納講道館柔道の祖とされる 嘉納治五郎 氏などからの寄付を得て建設されたようです。
ただ、昭和という時代が始まり、日本の新しい時代を築いていくという、当時の人々の気概がこの時代の建物には残っている様に思えます。
『 大阪・中之島公会堂 と較べて 』
大阪市北区にある「中之島公会堂」は、以前から会議やセミナーでよく借りていた施設です。 1918年 竣工ですから、御影公会堂よりも 14年ほど古く、鉄骨レンガ造りの建物は国の重要文化財に指定されている程です。
< 大阪市 中之島公会堂 >
一方、登録有形文化財に指定されている「御影公会堂」は、大戦による戦禍や大地震による被災からの復元改修などを経ているなど、其々に由緒と趣のある建物ですが、較べると何かが違う事に気付きました。
それは、古い歴史ある建物を保管・管理して復元して、かつそれを現代の用途に合うように運営管理する方式の違いであり、それを担当している人々の息吹の違いの様に感じられています。例えて言えば、中之島公会堂と御影公会堂の違いは、僕にとって、大阪城と姫路城の違いの様に感じられるのです。
『 トイレの話 』
急に話題は変わりますが、設置されたトイレに感銘を受けた事を報告します。 それは、2F に設置されている 通称・多機能トイレ です。
その木製の扉を開けるまでは、そこがトイレである事は理解していたのですが、まさかこんなトイレが隠れていたなんて! という驚きがあり、しかも、中に入ってみれば “男児専用” 便器が設置されていたのです。 こんな便器、初めて見ました。
建物の外観や内部の部屋や通路の雰囲気とは異なり、扉ひとつでバリアフリーを主眼にしたトイレが出現するとは、こんな所にも 現代に合わせて改修された人々の心意気が感じられたのです。
そんな驚きと喜びを施設の管理責任者の方に伝えると、嬉しそうに、1Fの “多機能トイレ” を案内して下さり、そこは “オストメイト対応トイレ” になっていたのです。 勿論、公共施設への “多機能トイレ” 設置は国が進めている事業の一つですが、初めて身近に見た設備に更に感激したのです。
この “オストメイト対応トイレ” や、建物内部の大切に引き継がれ続けている意匠など、改めて報告したいと考えていますので、是非、ご期待ください。
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