妖怪大魔王・コバ法王日記

オートバイを分解して磨き、正確に組み立て独自理論でラインを探り、ストップウォッチと頭脳で感性を磨き、日々の想い語ります

セミの脱皮、GRAの脱皮

2014-06-23 22:11:25 | “わがまま”で生きるべし
一般的に、セミは土の中で 7年ほど暮らすらしい。
土の中では数回の脱皮(アブラゼミで4回らしい)を繰り返して、その度に大きく成長していく。

そして、地上に出てきて最後の脱皮(羽化とも言うらしい)をして、あの鳴き飛びまわる蝉になるらしい。
土の中の暗い生活から明るい世界に出て、しかも空を飛ぶなんて、きっと本人は予想さえしなかった変化を体験しているに違いない。

GRAも、長い活動期間の中で、3回の脱皮をしてきた。
脱皮の度に、参加する顔ぶれが変わり、活動の内容も変わってきたが、最後の脱皮は“羽化”なのかも知れない。
目にする顔ぶれが変わるどころか、全く違う姿(活動)になっているような気がする。

でも、良い事ばかりではない。
土の中では脚を踏ん張っていられたが、飛んでしまったらそれどころではない。
自由度や空間が広がったが、危ないのである。
何処へ飛んで行って、何処かにぶつかってしまうのか不安でもある。

でも、羽化した蝉より長生きはしてやるぞ。






5月18日 “ わがまま ”イベント・開催リポート

2014-05-26 19:29:48 | “わがまま”で生きるべし
2014年 5月18日、ほぼ4年ぶりに開催したイベントの報告をします。


【 イベント名は“わがまま”イベント 】

イベント名は“わがまま”イベントで、参加した者が“やりたい事”を発表(主張?)して、それから全員で話合ってスケジュールやカリキュラムを決める方式でした。

ただし、参加者の数はといえば、今回は GRAのコミュニティに登録参加している者を主体にしたため、僅か 4名に留まった。
その上、大半の者はお互いの性格や力量などを知っているから、話合いもスケジュールの進行もスムーズに進む筈だった。

けれど、殆どの者は日頃はオートバイに乗る事が少なく、しかも人数が少ないから走行できる時間(機会)も多くなったから、以前(4年前)の様には走り続ける事が出来なかった。
当然と言えば当然だが、少し悲しい(?)想いもあった。

が、それで良かったのだと思う。
元々、久しぶりにイベント開催を検討して、開催する事を決めたにも理由があっての事だ。


【 自然とミーティング時間が多く 】

GRAは、1991年に発足して活動を開始してから、主にイベントを開催する活動が主で、最も多い時には 年間40イベントを超えるほどに活発な活動を行なってきた。
しかし、イベント開催活動だけでは実現できない大きな目標がある事に目覚め、その目標を実現させるために4年の間模索していたからだ。

当然、5月18日に参加した者もその事を理解していたので、最初から 走る事を主にする一日にする事は望んでいなかったし、ミーティングの時間の方が多くなる程に熱心に情報と意見を交換したのです。


【 セッティングの実技も効果的に 】

ミーティング以外にも、GRAがこれから広めていく方針のセッティングの実技の時間が偶然に生まれた。
そのセッティング項目は二つ、一つは “ リアの車高の適正調整 ”、二つ目は“ 前後の車高バランス取り ”だった。

参加者の一台が ZZ-R1400で、リアサスペンションユニットが社外製品に交換されていて、リアの車高調整機構が付いていた。
その人に「乗ってみて!」と言われて試乗してみれば、バンク中にアクセルを開けると前後方向の揺れ(ピッチング)が出ている。

これでは楽しめないと思い、直立状態で低速からアクセルを開けた時にリアの沈み込み(スクワット)が発生していた。
そこで! 他の人も集めて即席の講座開設。
時速 10㎞程度でゆっくりと走り、見ている人の前でアクセルを急に開け、その時にリアが沈み込んだかどうかを観察してもらった。

観察すればはっきりと、オーナーを含む全員が、明らかに一旦リアが沈み込んでから加速が始まる事を確認した。
次に、リアの車高調整機構を調整して、少しリアの車高(スィングアームの垂れ角)を高く(大きく)しては確認観察を繰り返した。

すると、ある調整位置から急にリアが沈み込まなくなるのが確認できる。
そこが、リアの車高(スィングアームの垂れ角)の基本位置で、後は走行状況やライダーの好みに合わせて、基本位置から微小な調整をすれば良い事を伝えた。


【 前後の車高バランスも明らかに 】

別な一台は、妖怪ガレージで何度か手間の掛かる整備を行なった、友人のVTR250だ。
整備の時以来、実際に走行している様子を確認したのはその日が初めてだったが、何か動きがおかしい。
本人(オーナー)は以前よりも良くなったと言ってくれたが、やはり変だ。

そこで、試乗してみれば、前後の車高バランスが崩れているのが確認できた。
さあ、また全員を集めて、即席の車高バランスセッティング講座が始まった。

これも、チェック方法自体は簡単だ。
時速 10㎞程度で走行してきて、ある地点で180度ターンを行なうだけだ。
アクセル操作は戻すだけ、ブレーキは一切掛けず、ハンドル操作も行なわない。
観る者は、観察者は車両の前方方向から、ターンを開始した時に前後のタイヤが同時に反応してターンを始めるかどうかを観るだけだ。

前後の車高バランスが取れていると、前後のタイヤが同時にターンを始める。
(詳しくて分かりやすい解説は後日改めて ♪)
仮に、そのバランスが崩れていて前側の車高が高くなっていると、前のタイヤが後ろのタイヤより早く切れ込む動きを見せる。
逆に、フロントの車高が低くバランスが崩れていると、後ろのタイヤのバンク動作に遅れて前のタイヤの切れ込む動きになる。

幸いにも、このVTR250のリアサスペンションの調整(プリロード調整)はオーナーの体重に合わせて行なった後で、純正のリアサスペンションユニットには車高調整機構は無いから、リアの車高を基準にして前(フロント)の車高を調整するだけだ。

全員が観ている前でターンをして、前(フロント)の車高が高い事を確認してもらった後で、少しずつ前(フロント)の車高を下げる調整を行なった。(今回は、フロントフォークの突出し量調整)
すると、ある調整地点を過ぎると前(フロント)が低くバランスが崩れている症状に変わる。
調整幅を小さくしながら、丁度バランスが取れる所を探っていった。これが前後車高バランスの基準点で、後は走行状況やライダーの好みで微小範囲の調整を加えるだけで良いのだ。

言葉にすると難しく感じるが、これこそ一目瞭然で判断できるし、乗っているライダーにもバランスの良し悪しは感じられるものだ。
けれど、殆どの場合には、「前後の車高バランス調整」などは一切行われておらず、殆どのライダーはそれを“オートバイの癖”の様に捉えて乗り続けている。

では、「前後の車高バランス調整」は不要か?と言えば、そんな事は無い。
前後のタイヤが同時にターンを始めるのが基本だし、その気持ちの良さを一度味わってしまうと元には戻れないし、安全走行にも結び付く大切な要素だ。


【 GRAが活動で発信したい事 】

5月18日開催・“わがまま”イベントで行なった様に、リアの車高調整(スィングアームの垂れ角調整)や前後の車高バランス取りなど、オートバイを楽しく安全に乗るためには本来大切な調整(セッティング)要素を、Webサイトなどを通じて全国のライダーや意識の高いオートバイ販売店やインストラクターの方々へ届けたい。

もちろん、調整(セッティング)を行なう以前に、正しい整備(メンテナンス)の基礎を伝えたい。
そして、オートバイの事以前に、オートバイを安全に楽しく乗るために必要な“高い意識”や“体調作り”の必要性を強く伝えたいのです。

幸いにも、今回はそれらの必要性や伝え方を共有できる者達が参加したので、7月13日開催の“わがまま”イベントへの企画準備になったし、Webサイトを通じて全国の人達に伝えたい気持ちが更に高まった。

最後に、当日に「前後の車高バランス調整」を行なった VTR250のオーナーから感想文が届いているので、参考までに見て欲しい。
(久しぶりの走行練習の為、体力が乏しくなった状態で書いたためか、少し散文調になっています)


【 VTR250 オーナーの感想文 】

H260518 わがままイベントが神戸特設会場にて開催される!!

何年からイベントに参加しなくなったのか
わからなくなってからもう
わからない位時間がたちました。
わからなくなった頃がわかったら
何時から参加しなくなったのか
わかりそうなものですものね

そらわからないよねえ

いやあ、時が経つのって早いものです。

それはさておき

おーひがし的に
今日得たこと
1.GRA目標とイベントの接点の軽重
目標達成のためにイベントは必要か
→不要
実を言うとこれは第3期脱皮計画くらいに直感的に感じ取っていてその頃位から僕のイベント参加は途絶えていると思います。
これは、こばやしさんにも内緒のことでしたが今日を記念にさらっといいとこどりのように告白しておきます(はーと)
え?何年からかわからないってさっき書いてたよねって?第3期脱皮計画というのを今思い出したのですが何時ぐらいのことかは、やはり思い出せません。

2.イベントは楽しい!!!
  これは、参加しないとわからないので、以下省略。
  あ!あえて言うなら走るだけが楽しかったころより、整備やセッティングでおんぼろバイクが全く違ったモーターマシンに変わる!

3.わがままや思いつきをすぐ実行できるって楽しい!!

4.楽しいとモチベーションがあがる♪

5.そのあがったモチベーションを楽しい環境を保ち続けるためであるGRA目標と関連性は、気がつくといつの間にかバイクの話になっている。
そう、とにかくバイクが好きなのよ。

6.こばやしさんをフォローするヒトは、ドキュメンタリーが好きなヒトが多いのではないか。

7.ヒトとして真実と娯楽の比重を分けるのか。
おいら自身は動物として真実を知りながら
食う寝る遊ぶ動物であろうとしている。

8.目の前の信号が赤で、左の道に信号がない場所だと赤信号の先の道のほうが、早く家に帰れるとしてもとりあえず進める信号の無い道を進むのがおいら。
 だから、高速も使わず国道43号も使わず国道2号をメインルートとして帰ってきました。

9.窓の無い職場で何年も働いていると、外に1日いてると酷く日焼けをしてしまう。

10.そろそろ今日のイベントでしたバイクのことでも書かないと眠ってしまいそう。

今書いていたことは、イベントの最中ではなく書きながら今思いついたことがほとんどですが、今日イベントがあったから考えるきっかけに成ったのです。
いや、書くきっかけになったのです。

やっぱりイベントは楽しい。
と、言うか好きなものどうしがあつまって色々話したりするのが楽しいのです。
きっと。

逆に好きでもないことを集まってまで、話したくないのもヒトかもしれません。

おーひがし主観の話は、ここまでとして概ね客観的なイベントでのバイクの変化を書き連ねるのは3ページ目からと致しましょう。

1.急にふらつくおいらのバイクの症状の正体!!
 それは、「リヤ」と「フロント」の高さの違いだった!!

 何のフロントとリヤの高さだかって言われましても、私良く覚えておりませんことよ、フロント「フォーク」の突き出しとリヤ「クッション」で調整する高さだってことはVTR250では間違いございりません。
 そして、高価なフォークやリヤクッションについている色々だダイヤルを回すようなものをつけていない純正品ばかりのノーマルのVTR250

(社外品は、グリップに巻いているどこかのブランドのテニスラケットのグリップテープ位だなぁ)

閑話休題

あなたもコーナーを回るときフワッとバンクが増えるような感じで、「コケテシマイソウ」と、軽重問わず起こった事がないですか?

そんなこと無いよと言うあなたは、
1.とても良い整備とセッティングを自分や知識ある人がしてくれている。
2.バイクってそういうものだと信じていたりして自覚がない。
などの可能性があり、私は「2」でありました。

 こばやしさんに迷惑を掛けまいと高価な整備費用をとあるショップに払っていたこともありました。3次元計測に数万円。
 最近記事であったことと同じ内容のものを部品交換とアジャスティング代も含めて10万円ほど。
 アジャスティングするのに、私は体重を測られたりしたことがありません。今思えば不可思議このうえないです。
 それでも、帰って来たバイクはとっても乗りやすく感じたものです。
 それほど、ベアリング類にガタが来ていたのでしょう。
 
 あっそうだ!アジャスティングにもランクがあって一番高いのは20万とか30万とかしていたような気がします。そこまでのお金はありませんでした。
 (懐かしくって調べてみましたが当時のHPの形跡は跡形も無くなくなってました。この行間に10分ほどの時間が・・・)

 閑話休題

で、フラフラの原因は、
フロントタイヤとリヤタイヤが同時にバンクを開始しないためとのこと。

フラフラの原因のおーひがし的かいしゃくぅ(解釈)♪
真実1 
前後のタイヤが同時にバンクし始めないけど、結局両方のタイヤは結局バンクする。

真実2
前のタイヤがバンクしてからそのあと後ろのタイヤがバンクしている。

真実はひとーつ??
真実1と真実2を別の事象に置き換えると
レーサーレプリカでタンデム走行している運転手であるおいらがバンクし始める。
バンクし始めたころ、後ろのヒトは下半身だけバイクと一緒にバンクし始める。
ハッとして後ろのヒトも上半身をイン側に倒す。
運転しているオイラ「オオッ!!」となる。

これと一緒だ!!!(きっと)

前のタイヤがバンクしてま~す。
1.曲がる。
後ろのタイヤも続いてバンクしま~す。
2.もっと曲がろうとする。

ワン・ツーとこられるのでフラ~となる。

対処法 フロントの突き出しを変える。
    重要「リヤのセッティングが決まっている前提」


 セッティングの基本を出してもらった帰り道。
 これまでは、後輪が動いているなんて感じていないくらいのスラロームである気持ち的に5cmくらいのスラロームで前後輪が同時にバンクしていることが感じられた。
 今はまだ正直に言うと違和感がある。
 しかし、急に挙動を変えられるより絶対いいに違いない。
20140518 0:44
おーひがし


☆ イベント 紹介 ☆

7月13日、『“わがまま”イベント 』を開催します。
イベントの内容は、参加者の“わがまま”(要望)に合わせて、イベントのカリキュラムやスケジュールを決める、参加者オーダーメイド方式です。

ですから、「 上手に走れるようになりたい! 」という人や 「 セッティングをして欲しい 」という人まで、オートバイに関係する事の“わがまま”であれば、誰でも参加を歓迎です。

詳しくは、以下の案内ページか、GRA公式Webサイトページで確認してください。

“ わがまま ”イベント・内容案内ページ

GRA公式Webサイト・イベント案内ページ




“わがまま” イベントを前に ( その2 )

2014-04-22 20:17:58 | “わがまま”で生きるべし
前回の予告では、「わがままの責任」を書く予定にしていたが、“わがまま”に関して別の角度から話題を書きます。
乞う御赦


【 目的の無い人生はつらい 】

目的や目標の無い行動ほど、人間の存在を無意味にしかねない程に、無駄なものはないでしょう。

ただ単位を取るためだけの学校生活や、給料を貰うためだけの勤務生活であるならば、自ら人生の意味を得られる何かを見つけなくては、きっと耐えられない毎日でしょう。

そんなストレス発散のためにオートバイがあっても良い!と、僕は考えている。
休みの日にオートバイに乗って、行きたい所へ行って、やりたい事をするのは人生の喜びだ。

そんな時、オートバイをもっと上手に乗りたいと思うようになるのは自然だし、上手になれば安全マージンも増える可能性が高い。

でも、「だから、オートバイの練習をしたい!」で、本当に満足か?
それで良いのか?

【 目的の無い練習は無意味に近い 】

全国各地で開催されている「オートバイ講習会・練習会」は、一般路上を走行する車両対象で行われているイベントであれば、その内容は基本的にほとんど同じと断言してよい。

柔軟体操に続いて簡単に乗車前点検から乗車姿勢などの注意があり、走行練習では ブレーキングの練習、パイロンスラローム、コーススラローム、 時には 一本橋の走行練習が入り、変わった所ではタイムトライアルがある程度だ。

もちろん、そのカリキュラム毎の多少はあるが、どこでも事前に決められたカリキュラムとスケジュール、そして走行コース通りに練習を行なう事が求められている。その方が運営する側は楽だからだ。

参加する者達も同じだ。
決められたカリキュラムとスケジュール通りに練習を重ね、インストラクターに指導されるのを待ち、周りの参加者を横目で眺めて時に悦に入ったりする程度だ。

つまり、大半の者達は、“講習会に参加する事”が目的であり、練習専用のコースで存分に走れれば良いのであって、具体的に上手になったかを判定するメソッドも無く、走った事で満足して「上手になった」と満足して帰るのだ。

日頃から、一般の路上で走行している際の体験から、特別に練習したい事や深く理解したい事がある筈だ。
それがあるならば、それを追及する目的意識を高く持つべきだし、講習を行なう側もその要求に対応すべきだろう。

そんな探究心や疑問に応えるために、“わがまま”イベントがあるのです。


次回予告・・・ 「 どう進める“わがまま”イベント 」の予定 ♪





“わがまま” イベントを前に ( その 1 )

2014-04-18 21:03:28 | “わがまま”で生きるべし
4年ぶりにイベントを開催する事を決める迄は時間が掛かったが、イベントの内容を決めるのは簡単だった。

「 “わがまま”イベント 」と言っても、殆どの人にとっては、誤解は出来ても理解は出来ないだろう。

・・と思い立ち、こうしてキーボードに向かっている。


【 “わがまま”は悪? 】

“わがまま”という言葉は、まるで悪い言葉の様に使われ、他者を責めたり自己批判の時にも表に出る言葉の一つだ。
だから、決して良い言葉としては認識されていないだろう。

けれども、僕は、その“わがまま”を出せる人を集めるイベントが開きたい。


【 人の中で人になった者の責任は 】

人は一人で生きている様に思える時もある。
しかし、例えば原野で生まれ落ちて一人で生き抜いたとしても、それは“人”ではなく動物だ。

言葉を覚え、モノの名前や先人の発明品や文化を受け継ぎつつ暮らし、社会の中で生きるからこそ“人”になる。

では、“人”の責任って何だろう。
他の人の生命や健康、自由を奪わないのが人のモラルであり責任だ。同じく、社会を壊さないのも責任だろう。
そして、それに続く責任は、人として生まれて育ち、自らの心の中で湧きだす欲望や夢を追い求める事だろう。

それが、時には絵画や作曲の様な芸術となり、時には文学として不変の価値を持ち、時には機械や医療などの科学技術の発展として残り、それらが後に続く人達に受け継がれていくのだから。

だから、欲望や夢、つまり“わがまま”を持つのは責任なのだ。


( 今回はここまで、次は“わがまま”の責任を書く予定です )