goo blog サービス終了のお知らせ 

つれづれに

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

アントニオ猪木

2022-10-01 23:28:54 | 記事
生きている以上、いつかは・・・ということを昨晩書いたばかりなのですが、
2日連続でこんな訃報に触れることになろうとは。おそらく多くの日本人がそう思ったことと思う。

アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

アントニオ猪木さん 自宅で死去 79歳 燃える闘魂 プロレス黄金期けん引(スポニチアネックス) - Yahoo!ニュース

 元プロレスラーで、参議院議員を2期務めたアントニオ猪木(アントニオいのき、本名・猪木寛至=いのき・かんじ)さんが1日、自宅で死去した。79歳だった。横浜市出身。難...

Yahoo!ニュース

 


YouTubeの動画やWEBの記事を見ていて、率直に「その日が近い」ということは感じていた。
それでも訃報を目にした時は絶句したし、なんというか現実味がない。

昭和50年生まれなので、そのキャリアすべてをリアルタイムで見てきたわけではないが
子供の頃から金曜20時の「ワールドプロレスリング」を見て育った世代なので、
アントニオ猪木の存在はもう別格中の別格。
「炎のファイター(イノキボンバイエ)」と共に入場、場内は猪木コールの大合唱。古舘伊知郎さんの実況も実に映えていた。



地元・東金中にもプロレスの興行はよく来ていたが、小5になる直前の4月に見に行った時、
開演前(といえばいいのか)体育館の片隅でトレーニングしているレスラーがいたので見に行こうと走っていたら、突然目の前に大きな人壁が。
見上げたらそれが、アントニオ猪木。
僕が右に動いたら左に、左に動いたら右に。2度ほど「通せんぼ」された後、スッとすれ違っていった。
振り返ったら別の子が頭なでられていて「いいなあ〜」と思った。。。

ここまでをワンセットとして、今も強烈に記憶に残っている。

昭和のプロレスを牽引した、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の存在は僕の中では本当に圧倒的で、
子供の頃から今に至るまで、ゲームをプレーする時の名前はつねに「ばば」か「いのき」。
ダービースタリオンの牧場名ですらそうで、これはもう自分の中に当たり前のこととして刷り込まれてしまっている。
1999年に馬場さんが亡くなり、本日猪木さんが亡くなった。僕にとっては本当の意味で、一つの時代が終わった。

プロレスでのカリスマ的人気を政治にも持ち込んでみせて、それこそ色んな事があったし、猪木だからこそなし得た功績もあった。
ポジティブな言葉に勇気をもらった人も多かったはずで、実際自分が英会話学校で働いていた時の学監は、
仕事で決断する時があって迷っていた時に「迷わず行けよ 行けばわかるさ」という言葉に突き動かされたと言っていた。
そして最晩年は、難病を患っても最後の最後まで自らを曝け出したその姿に、心打たれた人も多いと思う。
今はただ、お疲れさまでした、どうぞ安らかにとしか言えないです。



今朝母がポツリと
「アントニオ猪木死んじゃったね。みんな死んじゃうねえ・・・」
それこそが少子高齢社会だと頭で分かっているけれど、それでも今年は本当に、そう感じている人が多いのでは。。。

近況報告だけ、のつもりだったんですが・・

2022-09-30 23:52:03 | 記事
ブログを引越しても、月イチの更新は改善しないんですけれど(苦笑 今月は忙しかった・・・半期末ということもあるけれど、来月から始まる新たなプロジェクト(いやサービス連携)の準備で、 メインで従業員教育を施したり、資料をまとめたり目を通したり・・・なんだか久しぶりにサラリーマンの仕事をした気分(^^; そんな新サービスの初日が、心臓の定期診察に重なってしまって有休というのが実に申し訳ないんですが、 これは前々から分かっていたことなので、予定も敢えて変更せず。 初日に出勤できないことが分かっていたからこそ、自分以外のみんなの教育に粉骨砕身したという側面もあるので、 現場の皆様にはぜひとも頑張って欲しいものです。 なお自分の心臓自体は特に問題ないんですが、歳のせいか動機や息切れめいたものを感じないこともない。 仕事が忙しくなって自宅でのエクササイズも週末オンリーになって久しい。やっぱり定期運動は体の筋肉だけでなく心臓にとっても大事です。 それよりも両親、特に親父が血瘤治療のため脳外科で薬もらってたり、ハサミで指切って血が止まらないと顔面蒼白になったり・・・ (ホントに血が止まらなかったらそりゃ大騒ぎですが、患部を押さえて止血させた後は問題なし) やっぱりよる年波というものは確実にある。生きていれば誰もが平等に歳を取るし、自分が歳を取ると同じように親も歳を取る。 幸か不幸か独身でフットワークは未だ軽く(涙)、仕事も高給では無い代わりにストレスフルではなく、忙しいといっても帰宅が夜遅いということも今はないし、 前述のように運動はもうちょっとキチンとやらなくてはいかんけど、自身に突然ガタが来るような兆候は今のところない。 だとしたら育ててもらった「恩返し」は、両親にせねばいかんなと思いなおす今日この頃です。 落語家の三遊亭円楽さん 肺がんで死去、72歳 脳梗塞から8月高座復帰も…がん治療再開した矢先に 地上波テレビを見なくなって久しいので、笑点はもう今は見ていないけれど、 子供の頃から三遊亭楽太郎と桂歌丸の舌戦は面白く観ていたが、二人とも亡くなってしまった。 72歳というのは高齢に聞こえるが、今の高齢社会ではまだまだ若いし、実際ウチの両親よりも若いですから。。。 生きていればいつか死ぬ。それが故に後で悔いを残さないように、人生を生ききりたい。 こういう著名人の訃報に触れるたびにそう思います。ただホントはもっと若いうちに志を高く持ちたかったな(苦笑 それにしてもブログを始めた2005年の頃(当時29歳)からは想像できない内容のエントリー。 やっぱり歳を取ったんだわ(^^;

オリビアを聴きながら・・・

2022-08-09 22:42:53 | 記事
起床後、朝食をとりながら観ていたBBCニュースで知った。
その後ヤフートップにも。

オリビア・ニュートン・ジョンさん死去 73歳

彼女のキャリアの初期や全盛期は年齢的に知らないものの(1975年生まれ)、その名前は幼い頃から知っていた。
ビートルズを聴くようになったのが小5からで、当まずその名前が妙に印象に残った時はレコードやカセットテープを買ったりしたものだが、売り場には彼女のベストもあった。
まずその名前が妙に印象に残ったんですがカセットテープに顔写真は無く、男性歌手なのかと当時思った(苦笑)ただしテープは買わず。

その後ビルボードのヒットチャートに興味を持ち、当時における歴代の年間チャートが網羅された本を友人から借りたが、そこで彼女が10週連続1位のとんでもないヒット曲(もちろん「Physical」ね)を出していたことを知って、コレは聞かねばとベストCDを買った。
彼女のキャリアにおけるヒット曲が順に収められていて、「カントリー・ロード」を聴いたのも彼女のバージョンが初だった。
映画は当時TVで放送されていたのを、たまたま知らずに目にしたんですが声聞いて一発で「オリビアだ!」とわかった。なんとキュートな女性なんだと高校生ながらに思ったな(笑

今でもコンビニのBGMで「Xanadu」が流れてきたり(コレいい曲ですよねえ)、ラジオで耳にする度「おおっ」と思っていたが、今日は朝に「そよ風の誘惑」、昼には「オリビアを聴きながら(杏里)」が流れた。やはりbayfm的にもそういう日でした。
紛れもなく時代を作った歌手だったと思います。謹んでご冥福をお祈りします。


と、オリビアのベストを聴きながら夜を過ごしていたら、さらなる訃報が目に。

ニュージーランド競馬で落馬負傷し重篤状態に陥っていた日本人騎手が死去

普段の競馬中継で目にしたり耳にする機会はないが、ネット記事では海外で頑張っている日本人騎手の話題を目にすることはあるし、柳田騎手もニュージーランドで活躍して飛躍が期待されるジョッキーであることは知っていた。
それだけに落馬のニュースを知ってからは心配していたのですが・・・本当に残念だし、胸が痛いです。

遠い異国、志半ばで星になった柳田泰己という騎手がいた事を忘れないでいただきたい


フィリピンを憂える

2021-12-20 22:24:00 | 記事
日曜未明に神田沙也加さんの突然の訃報に触れて大きなショックを受けましたが、全く別で憂いている事があった。

Death toll from Super Typhoon Rai climbs to at least 208 in the Philippines

昨年の10月末から、オンラインの英会話に登録して日々レッスンを受けていまして、なんだかんだで1年以上コンスタントに続けられているのですが先週半ばころから、定期的に予約をしているレギュラー講師のキャンセルが頻発するようになった。普段はそんなことがないので「?」と思っていたんですが、金曜日(12/17)になってトップページにこんなお知らせが

『12月16日午後〜深夜にかけ台風22号がフィリピンに上陸し全土に甚大な被害が出ており、現在交通機関停止、インターネット回線も広い範囲で影響が出ています。そのため、フィリピンの多くの講師がレッスンを提供することが難しく、スタンバイ講師数が少ない状況となっております』

↑こちらは本日時点でのお知らせで、17日当時は文面が若干違っていたかも知れないが、いずれにせよ大変な状況であることをここでようやく認識。台風が発生したことはお天気アプリで知ってはいたが、その後西に向かう中でスーパー台風にまで発達していたとは。。。

予約のキャンセルが続いた中で、土曜の午後にレギュラー講師の一人のレッスンを受けることが出来た。セブ島のメインオフィスにはゼネレーター(発電機)があったため、復旧が早かったのだそうで、本人も元気な様子でひと安心。
ただ話を聞くと、自宅は屋根が吹き飛んで豪雨が屋内に入り込んで浸水状態。外は電柱や木が倒れ、水も電気も止まっていて、水を手に入れるために3時間並ぶのだそう。更には講師の知り合いの家に、強風で煽られたクレーン車が衝突。その知り合いの姪っ子(17歳の女の子)が亡くなってしまったのだと。。。

その後もレギュラー講師や代替講師から状況を聞くが、被害の規模が本当に甚大。その割に日本国内のみならず海外の報道も多くなく、記事を見つけるのに苦労した。ようやく昨日からYahooでも記事を目にする機会が増えたが、犠牲者の数が増え続け、200人を超えてしまった。


12月という時期ににフィリピンを襲った「スーパー台風」の強さについては、こちらに記載が。

死亡者100人超える…フィリピンを襲った「時速259キロ」のスーパー台風

台風22号は今月16日フィリピン南部ミンダナオに最大風速時速195キロで上陸した。米軍合同台風警報センター(JTWC)によると、台風22号の最大瞬間風速は時速259キロ(秒速72メートル)に達するものとして記録され、スーパー台風に分類された。

最大風速が時速195キロ(秒速54.2M)。最大瞬間風速が時速259キロ(秒速71.9M)。
「最大風速」と「最大瞬間風速」の違いについては、気象庁のサイトから用語を引っ張り出してみますと

風速・・・10分間平均風速を指し、毎秒×.×m、または×.× m/sと表す。
最大風速・・・10分間平均風速の最大値。
瞬間風速・・・風速計の測定値(0.25秒間隔)を3秒間平均した値(測定値12個の平均値)。
最大瞬間風速・・・瞬間風速の最大値。


つまり

最大風速 = 10分平均の風速の最大値
最大瞬間風速 = 3秒平均の瞬間風速の最大値


気象庁のサイトには、歴代の風速観測値のランキング表があるので、それと今回の台風22号を比較してみますと



最大風速で8位、最大瞬間風速も8位に相当。
ランキングを見渡すとその多くが沖縄での観測で、あの室戸台風も含んで九州四国がちらほら見えるくらい。1位の富士山はまた別格としても、少なくとも本州では殆ど経験の無いレベルの強風を伴った台風だったことがわかります。
もしもこれが巷で言われる気候変動によるものだとしたら、日本にとっても対岸の火事では決して無いのだと思えてきます。

ただ今は、フィリピンの人々が心配。特にお世話になっている講師の方々の安否が本当に気になります。
講師のプロフ画面には最終ログイン時間が残されており、レギュラー講師の多くは週末〜今日にかけてログインの履歴がある一方、16日を最後に全く音沙汰がない講師も数名居る。無事であって欲しい・・・

神田沙也加さん

2021-12-19 17:18:00 | 記事
ここ最近の睡眠障害(それでもマシになりましたが)で就寝時間が不安定になっていて、
昨晩は睡眠負債を取り戻そうと早めに就寝したところ、午前4時にトイレが近くなって一旦目が覚めて、うつろな感じでiPhoneを覗き、
目に入った記事に絶句。

神田沙也加さん急死 札幌のホテル高層階から転落

見出しだけ追っても意識が追いつかないと言うか、理解するのに時間がかかった。
重体という記事が23時台に出ていたようですが、就寝が早く気づいていなかったので、尚の事。

2000年代半ばからTVを観ることがなくなって、いわゆる世間一般の芸能界について全く疎くなっている身で、
神田沙也加さんについても特別ファンということではない。それでもこの方は自分にとって特別な存在だった。
それはひとえに「生まれた時から知っていた」から。

子供の頃、
今とは真逆で完全なるテレビっ子だった当時。毎週歌謡番組を見ていた中で、トップアイドルとしての松田聖子の活躍も見ていた。
その松田聖子が、人気絶頂の1985年に結婚、翌86年出産。当時は大ニュースだったし、生まれた子供のことも大きく報道されて、名前が沙也加ちゃんであることは当たり前のように知っていた。「生まれた時からその存在を知っていた」芸能人としては、神田沙也加さんと杉本いまる(IMALU)さんが自分の中では双璧的存在なのです。
SAYAKAとして『HEY! HEY! HEY!』に初出演した時は、まあ立派に成長したんだなあと、親目線で見てしまった(苦笑)。その後の活躍をつぶさに見ていたわけではないが『アナと雪の女王』でのブレークは勿論知っているし、ネットを見ても「松田聖子と神田正輝の娘」としてではなく、いち芸能人、ミュージカル女優としての神田沙也加という認知を完全に得ていたと思う。

そんな人が突然、突然いなくなってしまった。
自分ですらこれほどショックで、書いてて苦しいくらいなのだから、ずっと活躍を見てきたファンの方、そして関係者やご家族のお気持ちはいかばかりだろう。

今はただ、ご冥福をお祈りすることしか出来ません。
そして恐らく明日以降(いやもう既に)様々な媒体で取り上げて語られる事と思うし、YouTubeでも動画が流れることと思いますが、
行き過ぎた報道、動画配信とならぬよう切に願います。