唐木田健一BLog:絶対的な基準を排したとき,《真理》および《正義》はどんな姿を現すのか

「理論科学」と名づける学問分野を提案し,理論や思想の成立根拠およびそれらの変化のメカニズムを考察します.

この反倫理的社会においていま必要なこと(2):唐木田健一『科学・技術倫理とその方法』緑風出版(2021)の「おわりに」

2021-11-03 | 日記

 本書のいう「方法」(2章1)は,現在の日本の《中央》における人々の振舞いとは正反対です.すなわち,そこでは都合のよい事実のみが着目され,場合によってはねつ造され,不都合な事実は改竄・隠蔽・無視されています.また,首尾一貫した思考は軽視され,その場しのぎの説明,あるいはあからさまな説明拒否が,少なからぬ選挙民の支持もあって,まかり通っています. 

 本書のいう「方法」は自然法則ではありません.それをその都度無視することは可能です.しかし,事実にもとづかず首尾一貫した思考が欠落しては,事態は破局に向かうばかりです.破局とは,個別の事例ではたとえば原発事故であり,国家的な出来事としては敗戦です.すでに,破局を待つしかないという考えもあります.しかし,私としては,彼らの導く破局への巻き添えは御免こうむりたいところです. 

 このような社会の風潮に対抗する活動(たとえば「ファクトチェック」)はすでにはじまっています.しかし,アメリカの例をみてもわかるように,それだけでは十分ではありません.私たちとしては,もっと身近な場所―たとえば,各自の職場―において,このようなあからさまな反倫理的事態(2章6,ほか)を地道に正していくことが必要でしょう.私などのかつての見聞によれば,根拠の明確な事実にもとづいて首尾一貫した思考をしないと,まともな社会では相手にされないことを,社会人以前の若い人々に痛感させるよい機会のひとつに「卒論」があったと思うのですが,現在の学校ではちゃんとその機会の活用がなされているのでしょうか.

 本書における私の意図は,確かな諸事実にもとづき,首尾一貫した思考をしないと商売(仕事)にならない分野(すなわち,科学・技術分野,一般には専門職分野)にいる比較的に若い世代の人々に,より自覚的な思考を勧めることにあります.ここで重要なのは,そのような人々を指導・監督する立場にある人です.現在の社会の風潮に条件づけられた若者でも,職場の上司の理に適った助言や指示は無視できないでしょう.また逆に,職場を管理・運営する人が理に適った思考をしていないとすれば,その組織の破綻は比較的短期のうちに誰の目にも明らかになります.

  倫理的問題は一部の《エリート》科学者や技術者にのみ関わるものではありません.大小の企業の《不祥事》からも明らかなように,誰もが巻き込まれうるものです.著者としては,組織の中で専門職としての仕事をする人々に対し,本書が生き方の選択に意義ある寄与のできることを願っています.

2021年8月

唐木田 健一


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