おもしろケアマネ全員集合! (監修:アヒルとガチョウの2人)

主任介護支援専門員・社会福祉士・精神保健福祉士・介護福祉士の男2人が『笑い』と『気づき』の情報を共同発信いたします。

正解のない作業                       アヒル

2009年02月17日 | 介護 ・ 福祉
父親を玄関から引きずり出すようにして車に向かう。手を引くが父親は思うように動けない。息子はそのたび拳を振るう。こづかれながら助手席に倒れ込むように座る。運転席に座ってからも父親を殴り続ける。その手は父親からサイドウィンドウに変わる。息子はハンドルに顔を埋め動かない。しばらく経ち顔を上げティシュボックスからティシュをとり鼻血がにじむ父親の顔をぬぐう。車は寒空のなかゆっくりと動き出す。

その一部始終をベランダから見ていた隣人から通報がある。

父親は息子と古いが大きな一軒家に二人で住んでいる。息子は高校を卒業後アルバイトはしたが長続きしない。定職に就いたこともなく父親の年金で生活を送っている。一回り離れた姉は15年前に家を出て遅くできた子供の育児に忙しい。

息子は小学から中学、高校と激しいいじめにあっていた。何度も不登校になったが当時同居していた叔母に支えられ高校を卒業した。頼りの叔母が7年前に逝去し支えを失う。

自分自身が病気ではないか?悩み続け自分で探した病院、紹介された病院へ通う。しかし、納得できる治療や診断がつかずモンモンとしていた。

認知症進行に伴い父親の介護は息子を圧迫していく。周りの助言に従い介護サービス利用を始めるが思うような改善がなく利用施設に怒鳴り込み関係が維持できない。

虐待事実を確認後は関係者が何度も集まり、話し合いを繰り返す。明らかな暴力があり健康状態も良くない。問題解決の有効な手だてはクライアントを保護し虐待者と切り離すことか?それよりも親子が引き続き生活できるようにすべきか?議論がまとまらない。

なぜ、息子は父親を虐待するのか?

その原因探求ができない限り、適切支援は不可能。経済的依存やキーパーソン不在など複雑に絡み合う情報の根源は何か?

隣人が目撃した光景の背景は何か?

様々な角度から情報収集を行う。情報を統合し分析し、理解する努力を重ねる。

息子は直後に精神科受診をし「境界性知的障害・解離性障害」と診断されていた。本人にとって初めての診断であり自分の感情をコントロールできない原因が分かったと喜びさえ感じていた。

今までの謎が解けた思いだったろう。

その喜びを父親に理解してもらいたいと診断名を伝える。父親は短期ではあるが判断力があるため記憶がおぼつかなくなったときから使い始めた手帳に「家の羞じ」と書き込んだ。

それを見た息子の悲しみや辛さは想像を超えるものだったに違いない。悲しさや虚しさが怒りに変わったとしても責めることができない。

これまでの親子の営みがどんなものなのか完全理解は不可能であろう。一つ一つの情報を丁寧に理解し、分析し、支援に応用していくことが我々の責務。

親子の思いをどう整理し、支援の手をどうさしのべるのか?

正解のない作業が続く。

*この書き込みはフィクションですが、虐待ケースを理解したいと言う思いでアップしました。



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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
支援の難しさ (介護道)
2009-02-17 11:56:21
文章を読んでいると、その中に吸い込まれていくリアルさがありました。
この事例がフィクションに思えず、この状況は全国的にあると思います。
関係者が集まった時、この状況を如何に展開させるかが専門家の英知でしょう。
模範解答がないけれど、様子見や何もしない支援なんて嫌です。
最後に書いてあるとおり、正解のない支援を展開し続けることが何人に出来ますでしょうか?
返信する
Unknown (ケアウェル)
2009-02-17 22:48:55
こんばんわ。
ケアウェルと申します。

4月から、ケアマネとして現場に立ちます。
この記事を読み進むにつれて、
自分だったら、どう行動するだろう?
何を、すべきなんだろう?
息子さんとどのように関係を作っていくだろう?
などなど「自問」は始まりましたが、「自答」は、出来ませんでした。

ケアマネジメントに正解はないですが、私も、何かしらの行動をし続けるような気がします。

ですが、難しいです。
返信する
正解のない作業 (アヒル)
2009-02-18 09:25:30
ご訪問ありがとう。これからもよろしくお願いします。

問題のない人生はありません。

仲の良い家族でも必ず問題を抱えています。自分自身が問題存在をどう捉えているかによって進む方向は違ってくるでしょう。

医学もそうであるように全ての病気やケガを完全に治療することはできません。限界があるのです。

それでも全力を尽くし治療を行うことが責務です。

我々も解決可能性だけを尺度とするのではなく、寄り添う気持ちが大切です。

苦しいとき、辛いとき、人生の曲がり角に経ち悩み続けているとき、側にいてくれる人が必要です。

ときに話を聞き、ときに語り、ときに手を握ってもらうことで解決意欲がわいたり、問題を受け入れることもできるのです。

そんな関係性がどんなに人生を豊かに、生きやすくするでしょうか?

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