キツネノマド

松岡永子
趣味の物書き
(趣味とはなんであるか語ると長くなるので、それはあらためて)

まるでぼくのためのように、水が

2009-08-22 07:51:29 | 掌編
 まるでぼくのためのように、水が目の前で割れた。はじめてぼくは招かれた。さっきまで池のあった場所に踏みだすと、足下に紙一枚分の金属プレートがあった。まだ少し濡れているそれの表面は、磨り減っていて指先にわずかに凹凸が感じられるだけだった。文字が刻まれていることは見当がついたが言葉につなぎあわせることはできなかった。それでも、他の部分よりいくらかはっきり彫り込まれている最後の句だけはよみとることができた
  ――どんなに罪を重ねても下の罪は消えない――
 きのうの罪を忘れるために今日の罪を犯す。今日の罪を忘れるために、明日。そんなふうに天に届くほどつみかさねた階段を昇ることのできる人間だけが楽園の扉をくぐるのだろう。
 駆け昇るかわりにぼくはひざまづき、プレートの縁を指でなぞった。それはわずかに浮きあがり、爪をいれると黒雲母のように薄く薄く剥がれた。かさぶたを剥がすような快感があった。これがぼくの最後の罪だということはすぐにわかった。たよりなげな不透明さで、まだらになっている。忘れて割ってしまわないようにそっと脇に置き、またプレートの縁をなぞった。同じように薄く薄く剥がれた。持ち上げて透かしてみた。これがぼくの最後から二番目の罪なのか。はじめのよりも少し灰味がかっているようだ。それも、また脇にそっと置いた。そしてまた、次を剥がした。今度のには不吉な赤が混じっていた。これには見覚えがある。さっき見上げた満月だ。
 それから。どれだけぼくは同じことをくりかえしているのだろう。ぼくの罪にはどれ一つとして同じものがない。また、なにも特別なものもない。それならどれだって同じことだ。もうおしまいにしよう、もうこれで、この一枚で。そう思いながら、なにも望むようなものは出てこないと知りながら、切片を剥がしていく。いつの間にかプレート部分は窪み、それはぼくの手首が隠れ、肘が隠れるほどになった。けれど、まだたどりつかない。ぼくの一番はじめの罪へ。ぼくの存在のはじまりへ。

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