キツネノマド

松岡永子
趣味の物書き
(趣味とはなんであるか語ると長くなるので、それはあらためて)

七角錐結晶体

2013-06-22 06:59:06 | 掌編
 きざしたばかりの芽の形に合わせた掌を、おやゆびの側からゆっくりと開く。柱の立ち並ぶ礼拝堂を思わせる指の形の、その間になにかが凝る気配がある。
「……。近いです。」
「ああ。すまない。」
 夢中になって女の掌に息がかかるほど顔を近づけてしまっていた。
 老成した手際に比して幼い口振りだな、わざとそんなふうに思って自分を静め、椅子に深く座り直す。女は再び自分の掌に目を落とす。集中が深まっていくのが傍目にもわかる。
 わたしは、最初の瞬間、を見ようと目をこらした。やはり植物の芽吹きのようなのだろうか。それとも、空気中の水分が析出するように現れるのか。空間が歪むのだろうか。
 それは、ただそこにあった。目を逸らしたわけでも瞬きしたわけでもないのに、ある瞬間からそこにあった。するともうそこになかったときのことが思い出せなかった。透き通る結晶体はすべての光を集め、けれど金剛石のようにそれをはじき返すことはなく透過させている。
「みごとなものだ。」
 溜息まじりに呟くと、女は笑って、でもわたしのつくる結晶体は売りものにはならないんですよ、という。
「しかし、これほど透明度が高いものは稀少なのではないかね。それに……」
 それにあれは、幻といわれるほどめずらしい正七角錘だったのではないか。ほどけかけた結晶を見ながら思う。融点の低い結晶体は硬化措置を施さないとすぐに崩れてしまう。
 やっぱり大きくてきらびやかなものが人気なんですよ、今は蛍光色に輝くものが流行ですし、という説明を聞きながら、ひとの嗜好もずいぶん子どもっぽくなったものだ、と思う。
「この精度の高さが正当に評価されないなんて。もったいない。」
 滅びてゆく仕事なのです。いえ、これで食べていくことはできないので仕事とはいえないかもしれませんが。
 女は他にも仕事を持っているのだろう、荒れた指先にはインクの汚れがある。創造者の手は生産にはむいていないのではないか。
「保存のための硬化措置はしないのかね」
 取り返しがつかない美しさが好きなのです。奇蹟は失われるときが一番美しい。
 お気に召したのならまたおいでください、という声に送られながら扉を出る。古い街路の迷路めいた道を辿りながら、もうこの店を見つけることはできないのだと知る。結晶体を生む手技は伝説となり、降り積もる時間の中に消える。わたしはその美しさを見届ける者になれたのかもしれないことに満足をおぼえる。

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