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コジキジゲン

コロナ蔓延・・・暴力衝突・・・世界的食糧不足・・・ムカンシン・・・

2020-08-27 22:33:01 | 古事記字源
 不足・・・食糧・・・兵糧米はどうする?・・韓信の末路
 ・・・「沛公(劉邦)」の怒り、「韓信」の背信・・・?
 ・・・「斎王」の怒り・・・「韓信」の条約無視、廃棄・・・?
 「斉」は
 「秦」によって最後に滅ぼされた国・・・
 ↓↑
 あした喰えればイイ・・・って?
 あした喰う時間があるんだか・・・
 目を醒ませば喰えるさ・・・
 あした目を醒ます時間があるのかな?
 時間が無いって、だったら最高だな・・・
 ・・・オシャカ・・・「カンシン」の末路・・・?
 ↓↑
 世界的食糧不足・・・コロナ蔓延・・・暴力衝突・・・

 食=𠆢+白+丄+人
   𠆢+白+㇙+ト
   𠆢+白+㇙+乀+ノ(ノ・㇀)
   𠆢+百+匕
   ショク・ジキ・イ・シ・・・初句・自記・意・詞?
   くう
   たべる
   くらう・・・倉得・藏得?
   はむ・・・・ハム
   食事
   ふち・・・扶持=ぶち=斑・縁・渕?
   くいぶち
   俸禄
   かける(欠ける)
   日や月が欠ける
   くらう・うける・こうむる(被る)
   くらわす・やしなう(養う)・たべさせる
   食べ物を与える
   めし(飯)・たべもの・食糧
  「酈食其(レキイキ)」は人名
   酈 食其
   (紀元前268年~紀元前204年)
   秦帝国滅亡後の
  「楚漢戦争期」の儒者
   説客・・・「高陽酒徒」・・・単なる酒飲み
   陳留郡雍丘県高陽郷(河南省開封市杞県)の人
   大の儒者嫌いの
   劉邦に拝謁、部下となった
   ↓↑
   通称 酈生(酈先生)・・・「狂生(気狂い先生)」
   子  酈庎
   孫  酈勃(酈遂)
   弟  酈商
   甥  酈寄
   「酈=麗+阝」名に用いられる漢字
ーー↓↑ーー
 韓信・・・???・・・ナゼ、「韓の信」なのか・・・?
 ↓↑
 韓=龺+韋・・・𠦝(乾かした)革を韋(なめす)
              乾=𠦝+乞・・・乾燥
              簡体字「干」
              異体字「乹・𠃵・亁・𠄃・𠄊・𣦖・漧」
            朝・朝夕・潮汐(チョウセキ)
            斡・斡旋(アッセン)
    ↓↑
   十+日+十+𫝀+口+㐄
  「口」形のモノにぐるぐる回る様?
  「𫝀」と「㐄」は「足」?・・・ゲートル(Gaiters)
   𠦝=十+日+十・・・乾 ・干・旱
            乾燥・幹・旱魃
   𠦝=十+早
     十+日+十
     十+早=𠦝
     漢字構成部分
    「乾・幹・朝・韓」
 ↓↑
 早=日+十
   ソウ
   はやい・さ・わ
   𣅼=日+甲=早
   いよいよ陽が昇り始めようとしていて
   まだ薄暗い頃
   何かを為そうとする時間には
   まだなっていない
   本来の時間よりも
   先に、前以って、既に
   若い・小さい・幼い
 ↓↑
 草=艸+早
   ソウ
   くさ
   𦷣𦳕𦯨=++・艹艹艹・日
       䒤+十
       艹+早=草
   野生の一年以内に
   枯死し茎が
   木質化しない植物(草本植物)の総称
   粗い・大まかな
   大まかな下書き=草稿
   荒れた土地、人が足を踏み入れないところ
  「草深いところ」
   主要な官職・地位に就いていないさま
  「中央から遠く離れ
   草深いところに住んでいる」の意
  「草書(ソウショ)」
   漢代に成った書体の名
   どんぐり状の堅い実
 ↓↑
 卓=ト+早
   ト+日+十
   タク・シツ
   つくえ・すぐれる
   円卓(エンタク)・教卓(キョウタク)
   座卓(ザタク)・食卓(ショクタク)
   超卓(チョウタク)・電卓(デンタク)
   卓上・卓越
   ↓↑ 
  「圍(囲)」の原字・・・モノの周囲・範囲を回る、巡る
              囲=囗+井=井(戸)をかこむ(囗)
  「韋=革衣=かわごろも=皮衣」
       「革=廿+口∔十」+「亠+𧘇」
      身に巻きつけ
      纏(まと)う皮
      脚絆(きゃはん・脚半)
      脛の部分に巻く布
      革でできた被服
       ゲートル(Gaiters)
   カン
   いげた(井桁)
   から(韓・唐・漢)・・・空洞・空っぽ?
   韋=韦(なめしがわ)・・・
     韦=ǂ(⺘)+𠃌
       二+ㄧ+𠃌
       韋=𣍄・𡙝・𡚈・𥐄・𥐅
 ↓↑
 韓=龺+韋
   十+日+十+𫝀+口+㐄
   「口」形のものをぐるぐる回る様
   上下の「𫝀」「㐄」は足
   「圍(囲)」の原字
   「革衣=かわごろも=生皮をなめした衣」
       身に巻きつけ纏(まと)うや皮
   カン
   いげた
   から
   韋=韦(なめしがわ)
    「葦編三絶」
   韦=ǂ(⺘)+𠃌
     二+ㄧ+𠃌
     韋𣍄𡙝𡚈𥐄𥐅
   ↓↑
   韋=韦𣍄𡙝𡚈𥐄𥐅
     𫝀+口+ヰ(㐄)=韋
     鞣(なめ)した動物の革
     生皮は「皮」
     動物の皮を剥(は)いで
     平らに延ばし
     乾かしたりしたものは「革」
     周(まわ)り・周りを囲(かこ)む
     同「圍」
     違(ちが)う・違(たが)える
     同「違」
     なめしがわ
ーー↓↑ーー
 韓(カン・から・han(ハン))
 中国
 韓 (西周)
 西周時代に存在した都市国家
 韓 (戦国)
 戦国時代に存在した国
 戦国七雄の一国
 戦国春秋時代初期
 晋の
 「韓武子」が
 「韓原」
 に封じられたのに始り
 晋の六卿の一つとして強力になり
 前 453年
 趙・魏・晋を3分し
 前 403年
 周の
 威烈王から
 諸侯として公認
 都は平陽
 のち
 宜陽、陽翟 (ヨウテキ) と移り
 前 375年
 哀公が
 鄭を滅ぼしたのちに
 鄭 (河南省新鄭) となった
 前4世紀中頃
 昭公が
 「申不害 (シンフガイ)」
 を用いて国内を治め
 外敵の侵入を防いだ
 秦に隣接していたので
 絶えずその侵入を受け
 襄王 14 (前 298) 年から
 数回、
 斉、魏などと協力して
 大反撃をした
 王安9 (前 230) 年・・・王は安の玖念?
 秦の始皇帝に滅ぼされた
 法家の代表者の
 「韓非子」は
 「韓の公族」・・・韓は子に非(あらず)?
 ↓↑
 歴史的地方名
 戦国の韓の故地
 河南省北部、山西省南部、陝西省東部
 のそれぞれ一部
 古代朝鮮半島南部に存在した
 種族、地域、三韓
 ↓↑
 「韓は帯方郡の南にあって
  馬韓
  辰韓
  弁辰 (弁韓) ・・・辰を弁=ム+廾=弁別
       ・・・韓と弁=ム+廾=弁別
            弁=辨・辯・辮・卞
              刂 言 糸 上下
  の3種に分れ
  南は
  倭
  と接する」
ーー↓↑ーー
 中国
 韓 (西周)
 西周時代に存在した都市国家
 韓 (戦国)
 戦国時代に存在した国
 戦国七雄の一国
 戦国春秋時代初期
 晋の
 「韓武子」が・・・韓は武の子?
 「韓原」
 に封じられたのに始り
 晋の六卿の一つとして強力になり
 前 453年
 趙・魏と
 晋を3分し
 前 403年
 周の
 威烈王から諸侯として公認
 都は平陽
 のち
 宜陽、陽翟 (ヨウテキ) と移り
 前 375年
 哀公が
 鄭を滅ぼしたのちに
 鄭 (河南省新鄭) となった
 前4世紀中頃
 昭公が
 「申不害 (シンフガイ)」・・・猿は害ならず?
 を用いて国内を治め
 外敵の侵入を防いだ
 秦に隣接していたので
 絶えずその侵入を受け
 襄王 14 (前 298) 年から
 数回、
 斉、魏などと協力して
 大反撃をした
 王安9 (前 230) 年
 秦の始皇帝に滅ぼされた
 法家の代表者の
 「韓非子」は
 「韓の公族」・・・韓は子に非(あらず)?
 ↓↑
 歴史的地方名
 戦国の韓の故地
 河南省北部、山西省南部、陝西省東部
 のそれぞれ一部
 古代朝鮮半島南部に存在した
 種族、地域、三韓
 ↓↑
 「韓は帯方郡の南にあって
  馬韓
  辰韓
  弁辰 (弁韓) ・・・辰を弁=ム+廾=弁別
        ・・・韓と弁=ム+廾=弁別
           弁=辨・辯・辮・卞
             刂 言 糸 上下
  の3種に分れ
  南は
  倭
  と接する」
 ↓↑
 いげた(井桁)・井戸のわく(枠)
 ↓↑
 㐄
 𠥼=†+十
   とと
 ↓↑
 𠦁=己+十
   ト・トウ・ツ
   ます
   斗=𣁬=𣂑=コ+十=𠦁
   液体や物を
   掬(すく)う柄杓(ひしゃく)
   柄杓状のもの
   容量を量るための枡(ます)
   新莽嘉量
   容量の単位
   1斗=10升・約2リットル
     時代により差がある
   小さい
   急に・突然に
   同「陡」
   闘(たたか)う
   同「鬥」
  「𠦁栱(トキョウ、トウキョウ)」
   同「枓栱」
   斗形(ますがた)
   方形の木材(枓)
   U字形の木材(栱)を組み合わせ
   建物の柱の上端に置き
   それより上部の
   梁(はり)や桁(けた)を
   支える部材・建材
   二十八宿北方玄武の一
   二十八宿
   とます
 ↓↑
 皂=白+七
   ソウ・ゾウ
   皁=𣅖=╹+日+十=白ヒ七𠤎匕=皂
   ドングリ(団栗)
   コナラ(小楢)
   クヌギ(櫟、椚、橡、櫪)
   などのブナ科の木の実
   一部は食用や家畜の餌
   同「梍・橡・コナラ・クヌギ」
  「皂莢(サイカチ)」
   マメ科サイカチ属のサイカチの木
   黒い・黒色
   早い時間(日の出前の薄暗い頃)
   視るもの全て黒く見えるから
   下僕・下級の役人
   多く黒い服を着ていた
   馬小屋・飼葉桶
   下僕が厩の番をしていたから
   石鹸・洗剤
   どんぐりの実などを原料としたから
 ↓↑
 皃=白+儿
   ボウ・ミョウ
   かお
   貌𧳖𧳒䫉𧳓㹸𨉍㒵=皃
   顔立ち、顔や姿の外見、またその様子
   外に現れ出た姿、また状態、外見、外観
   遥か遠いさま、遠くぼんやりしているさま
   同「邈」
 ↓↑
 𤼿=白+丄
   白+丨+一=𤼿
   與皂同「皂or皀」
  「皀」
 ↓↑
 𤽁=白+†
   シ
   ╹+日+十=𤽁
   白・白い
 ↓↑
 㚖=白+大
 帛=白+巾
 ↓↑
 的=白+勺
   ╹+日+勹+丶
   テキ・チャク
   まと
   ╹日白ノ𠃌勹丶一勺=的
   弓で矢を射(い)る時の
   目標・標的
   同「㢩・墑」
   額(ひたい)の部分だけが白い馬
   その額の白い部分
   女性が
   額に施(ほどこ)す
   赤い点状の装飾
   明らか(な)
   はっきりと見える・はっきりしている
   よく目立つ
   同「旳・𤾠」
   狙(ねら)ったところに当たる・当てる
   ~の~
  「我的(ウォダ、わたしの~)」
   ~のような~
  「似的(シィダ、~のような~、~らしい~)」
   ~な~
  「別的(ビィェダ、~とは別な~)」
 ↓↑
 𤽂=白+干
   カン・ガン
   皔=╹日白二十干=𤽂
   白いさま
 ↓↑
 𤽃=白+川
   バイ・マイ
   ╹日白川=𤽃
   布の縁(へり)
 ↓↑
 𤽄=白+小
   ╹日白Tノ丿L乚儿ハ八小=𤽄
 ↓↑
 𤽆=白+丨+」
     ・・・「丩(キュウ・ク)」の反転文字
     「まとめる」
      収(收)=収納=:ばらばらの物をまとめる
          =収穫・収支・収入
      叫=声をまとめてさけぶ・絶叫
      糾=ひもをまとめ 糾 ( あざな ) う・・・糸車
      赳=筋肉がまとまり 引き締まる
      舏=舌でまとめ舐めとる

  丱=丫=ア・エ
   Y・丫
   先端が二つに枝分かれし
   Y字状をしたもの
   丫頭(アトウ)
   髪を左右に分け
   耳の上辺りで
   環状に結(ゆ)わえた髪形
   少女の髪形=女の子
   若い女性の小間使い
   同「丫鬟(アカン)」
   クヮン・ケン・クヮウ
   あげまき
   丱
   通仮字「貫」
   異体字「礦・卝・鉱」
.   丱の熟語
  「丱女・丱童・丱角」
   あげまき
   つのがみ(總角)
   小兒の髮を束ねて
   兩角(フタツノツノとする貌)
   いとけなし(幼稚)
   クワウ
   あらがね・古の「礦」字
 ↓↑
 東日本
 大型=スコップ・・・州古都府?
 小型=シャベル・・・お喋(しゃべ)る?
 西日本
 大型=シャベル・・・お喋(しゃべ)る?
 小型=スコップ・・・州古都府?
 ↓↑ 
 「園芸用こて(鏝・小手)・移植ごて(鏝・小手)」
 「trowel(トゥラウェル)」・・・当等烏得留・痘羅飢(餓え)留?
   シ・・・死・詞・市・史・・・
   ╹+日+丨+」=𤽆・・・丩⇔ 𠁡・𠁢・ユ・「丱」の右の字
              筒状のスコップの形状「丩」
              左官職人の「͡こて・コテ(鏝)・小手」状の形
              「⺊」
              町奉行同心の「十手=ㄐ」の形状?
           ・・・「御用=ごよう=ゴヨウ」である・・・・
              「シンミョウにバクにツケぃ、ッ!!」
              「神妙に縛(ばく)につけィ、ッ!」

   白・白い
   白也・・・お白砂であるぞ、神妙にせィ、ッ!
 ↓↑
 𤽇=白+丨+儿
   セン・ゼン
   ╹日白丿丨乚川=𤽇
   泉(いずみ)
   水が地表に湧(わ)き出るところ
   源(みなもと)・源泉(ゲンセン)
   同「泉」
 ↓↑
 㿞=白+毛
   ボウ・モウ
   ╹日白毛㿞]
   老齢(九十歳、八十歳・七十歳)
   高齢で動作や判断が鈍(にぶ)い
   同「耄」
 ↓↑
 敀=白+攴
 泉=白+水・・・沓(くつ・👠)
ーー↓↑ーー
 ・・・国名由来だった・・・???・・・
 韓=偉大な・君主
   古来からの部族名
   馬韓
   辰韓
   弁韓
   に由来
   ↓↑
   高句麗
   新羅
   百済
   の三国時代
   ↓↑
   李氏朝鮮
   1910年~1948年
   日本統治
 ↓↑
 朝鮮半島南側=大韓民国
 1950年
 朝鮮戦争勃発
 1953年
 休戦協定調印
 北緯38度を境界線として
 南北に分断
 ↓↑
 朝鮮民族の別名で
 1897年
 朝鮮国(朝鮮王朝)が
 清から独立
 朝鮮国が国号を
 「大韓帝国」とした
 ↓↑
 1910年
 日韓併合後
 地域呼称は
 「韓」~「朝鮮」
 1919年
 朝鮮独立運動の活動家たちが
 中華民国で
 大韓民国臨時政府
 を採用
 ↓↑
 「大韓民国」
 「李承晩」
 「金九」
 などの意向により決まった
 ↓↑
 1945年
 日本の降伏
 連合国は
 「大韓民国臨時政府」
 の承認を否定
 朝鮮全土を連合国軍の占領下に置いた
 ↓↑
 1948年
 米軍統治下の朝鮮のみで
 独立決定
 米軍は憲法制定(制憲)国会を招集し
 独立準備にあたらせた
 憲法起草委員会が
 憲法起草
 新国家の
 国号と年号も決めることになり
 国号候補として
 「大韓民国」
 「高麗共和国」
 「朝鮮共和国」
 「韓国」
 が候補として挙げられ
 1948年6月23日採決
 「大韓民国」が国号に決定
 臨時政府側の
 「池青天(チ・チョンチョン)」
 将軍(光復軍司令官)が
 突然委員会に姿を現し
 「国号は『大韓民国』
  年号は『檀紀』に即決せよ
  さもないと割腹自殺する」
 というハプニングがあった
 ↓↑
 日本語の伝統的な異称
 「高麗(こま)=狛」
 「こまひと(高麗人)=朝鮮半島人」
 の異称であった[
 ↓↑
 ヨーロッパ諸語
 「コリア(Korea)」
 マルコ・ポーロの
 『東方見聞録』における
 「高麗(コリョ)」
 に由来
 「Republic of Korea」
 「North Korea」
 「South Korea」
  と略称
 ↓↑
 1991年
 南北基本合意書
 「相手方の体制を認定し尊重する(第1条)」
 批准を経たものでないので
 法的拘束力を持っていない
 ↓↑
 1950年6月25日
 北朝鮮軍は
 韓国との境界
 北緯38度線を越えて南下
 朝鮮戦争が勃発
 韓国軍は敗退を重ね
 洛東江以東の
 釜山周辺にまで追い詰められた
 北朝鮮の侵攻に対して
 国連安保理は非難決議
 米国を中心とする
 「国連軍」を結成
 「韓国軍」とともに後退戦
 「仁川」上陸作戦で
 北朝鮮軍の戦線を崩壊させ
 反攻に転換
 韓国軍・国連軍は
 敗走する
 北朝鮮軍を追って
 鴨緑江近辺にまで侵攻
 ↓↑
 中国が義勇軍を派遣し
 北朝鮮の支援
 韓国軍・国連軍を南に押し戻し
 再び
 「ソウル」を占領
 北緯38度線付近で
 南北両軍は膠着状態
 1951年7月10日から
 休戦合意を巡る協議を開始
 2年間にわたる戦協議の末
 1953年7月27日
 朝鮮戦争休戦協定締結
 戦闘停止
 韓国政府は
 休戦協定に署名しておらず
 戦争自体も協定上は
 停戦状態
 ↓↑
 保導連盟事件
 済州島四・三事件
 一般市民の大量処刑
 ↓↑
 1948年
 「李承晩」
 ↓↑
 1875年3月26日
 ~
 1965年7月19日
     大運1961年11月(86歳)庚午正財~
 乙亥(戊甲壬)偏印・正官 胎⇔乙巳偏印
 己卯(甲 乙)食神・偏印 病⇔癸未偏官
 丁亥(戊甲壬)  ・正官 胎⇔甲戌印綬
 丙午(丙 丁)劫財・比肩建禄⇔庚午正財
  午未空亡
 ↓↑
 大韓民国の初代大統領
 在任
 1948年7月20日~1960年4月26日
 戊┏子 傷官  庚┏子 正財
 己┣未 食神  庚┣辰 正財
 丙┣午 劫財  甲┣申 印綬
 甲┗午 印綬  庚┗午 正財
 初代大統領に就任~
 ↓↑
 日本から
 戦争賠償金を獲得するために
 「対日戦勝国(連合国の一員)」
 として認定するよう国際社会に要求
 連合国から
 「認定拒否」・・・拒否!!
 1951年
 日本国と
 平和条約を締結することができず
 「李承晩」は
 「李承晩ライン」の設置(1952年)
 「竹島の占拠(1953年)」
 によって
 武力で
 日本の主権を奪う政策に出た
 朝鮮戦争後
 「李承晩」は
 政敵の排除(進歩党事件)
 反政府運動弾圧
 不正な憲法改正
 選挙など
 法を捻じ曲げ
 権力の維持を図ろうとしたが
 1960年4月19日・・・日本では「六〇年安保闘争」の年
 学生デモ(四月革命)
 政権は崩壊
 「李承晩」
 はハワイへ(Hawaii・布哇・夏威夷)亡命
          哇=wa=擬声擬態語・・・哇⇔蛙
          泣き声=ワー・ワーッ・ワーン・オギャー
              倭・和・輪・羽・環・話
 ↓↑
 1961年5月16日
 「朴正煕」少将
 軍の一部がクーデター( coup d'etat・kuːdeɪˈtɑ)
    (仏: coup d'Etat)
 国家再建最高会議が権力を掌握
 第三共和国憲法の承認後
 1963年10月
 「朴正煕」
 第5代大統領に当選
 1979年10月26日
 中央情報部長により暗殺
 ↓↑
 1917年11月14日
 時憲暦9月30日
 ~
 1979年10月26日
 ↓↑
    大運1979年11月(62歳)  甲辰偏財
 丁┏巳(戊庚丙)正官・偏印長生⇔┏己未印綬
  冲  戊・偏印
 辛┣亥(戊甲壬)劫財・偏印 病⇔┗甲戌偏財
  害
 庚┗申(戊壬庚)  ・偏印建禄⇔ 丙寅偏官
 壬 午(丙 丁)食神・偏官沐浴⇔ 甲午偏財
   子丑空亡
      大運
      1959年11月(42歳)   壬午食神
      1969年11月(52歳)   乙巳正財
      1979年11月(62歳)   甲辰偏財
 ↓↑
 1961年
 の軍事クーデター
 国家再建最高会議議長
 ↓↑
 1959年11月(42歳)~
 壬午 食神
 1963年12月17日
 癸卯 傷官
 甲子 偏財
 甲午 偏財
 ↓↑
 1963年~1979年
 大統領
 「退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史」
 「姑息、怠惰、安逸、日和見主義
  小児病的な封建社会」
ーー↓↑ーー
 ・・・「韓」だった・・・
 「斎(斉)國」に対する「条約無視の背信」・・・斎王=天照大神の巫女
 「シンジちゃぁイケないヤツなのさッ!」・・・リンダ・ヤマモト?
 ↓↑
 「韓信」の
 斉國攻略で
 「酈食其」は
 斉との和平交渉
 弁舌(口先三寸?)で
 斉の七十余城を 
 一旦帰順せしめた
 だが
 「酈食其」に
 功績を独り占めにされることを恐れた
 「韓信」
 「蒯通」
 は独断で
 斉國を攻撃
 和平を反故にされ
 怒った
 斉王
 「田広」により
 「酈食其」は
 「煮殺された」・・・
  ↓↑
 「酈食其」は
 「大きな事を成すものは
  細かいことにこだわらない」
 と言って「煮殺」された
  ↓↑
 「韓 信」
 「劉邦」
 の元で数々の戦いに勝利し
 「劉邦」の覇権を決定付け
 「張良」
 「蕭何」
 と共に漢の三傑の一人
 ↓↑
 「韓 信」
 出身地 淮陰
 軍人
 繁体字 「韓信」
 簡体字 「韩信」
 ↓↑
 「韓信の股くぐり」
 「韓信」は
 チンピラに
 「股をくぐれ」と挑発され
 黙って若者の股をくぐった
 「恥は一時、志は一生
  ここでこいつを切り殺しても
  何の得もなく
  それどころか
  仇持ちになってしまうだけ」
 と判断・・・?
 ↓↑
 同時代
 戦国時代の
 「韓」の王族出身で
 同じ名の
 「韓信」という人物がおり
 「劉邦」によって
 「韓王」に封じられ
 「韓王信」
 と呼んで区別されている・・・
ー↓↑ーーー
 始皇帝の没後
 陳勝・呉広の乱
 紀元前209年
 「韓信」は
 「項梁」
 次いでその甥の
 「項羽」に仕えて「郎中」となった
 進言したが
 「項羽」は用いなかった
 ↓↑
 紀元前206年
 「韓信」は
 「項羽」を離れ
 漢中に左遷された
 漢王
 「劉邦」の配下
 「連敖」の役職に就く
 ↓↑
 罪を犯し
 同僚13名と共に斬刑に処されそうになったが
 「夏侯嬰」に
 「漢王は天下に
  大業を成すことを望まれないのか
  どうして壮士を
  殺すような真似をするのだ」
 と訴え
 「夏侯嬰」は
 「韓信」を助け
 「劉邦」に推薦し
 「治粟都尉(兵站官)」
 になった
 「韓信」は
 漢軍の兵站の責任者
 「蕭何」に異才と認めれ
 「劉邦」に推薦
 ↓↑
 漢軍では
 辺境の漢中を嫌って
 将軍や兵士の逃亡が相次いでいた
 「韓信」も逃亡を図り
 「蕭何」は慌てて彼を追って
 説得
 「劉邦」は
 「韓信」を
 全軍指揮の
 大将軍に任命
 ↓↑
 漢中の北の関中を手に入れる策を上奏
 ↓↑
 「劉邦」は
 8月
 関中攻略に出兵
 章邯を水攻めで撃破
 「司馬欣」
 「董翳」
 をも撃破
 関中を本拠地とし
 「韓王の鄭昌」
 を降して
 「項羽」と対決
 ↓↑
 紀元前205年
 「劉邦」は
 総数56万の諸侯との連合軍を率いて親征
 「項羽」の本拠地
 「彭城」を陥落させたが
 斉から引き返して来た
 項羽軍の3万に奇襲され大敗
 「劉邦」は
 滎陽に逃走(彭城の戦い)
 「韓信」も敗戦した
 漢の兵をまとめて
 滎陽で「劉邦」と合流
 追撃してきた楚軍を
 京・索の中間周辺で迎撃
 楚軍の西進阻んだ
 「劉邦」は
 「項羽」と対峙し
 「韓信」の別働軍が
 諸国を平定する作戦を採用
 裏切って
 楚へ下った「西魏王」
 「魏豹」を討つことにし
 「劉邦」は
 「韓信」に左丞相任命
 副将の常山王
 「張耳」と
 将軍の
 「曹参」を討伐に送り出した
 ↓↑
 「韓信」は
 魏の首都
 安邑(山西省運城市夏県の近郊)を攻撃
 「魏豹」を虜にし、魏を滅ぼした
 北に進んで
 代(山西省北部)を占領
 趙(河北省南部)へ進軍
 「韓信」は
 「背水の陣」で
 20万の趙軍を
 防衛し
 別働隊で
 城砦を占拠
 別働隊と本隊による挟撃で打ち破り
 「陳余」を泜水で
 「趙王歇」を襄国で斬った(井陘の戦い)
 趙の将軍
 「李左車」を捕らえ
 上座を用意して
 「李左車」を先生と賞し戦略を乞い
 「『智者も千慮に一失有り
   愚者も千慮に一得有り』」
 と愚者の策であるとしながらも
 燕を下す策を与え
 燕(河北省北部)の
 「臧荼」を降伏させた
 紀元前204年
 鎮撫のために
 「張耳」を趙王として建てるように
 「劉邦」に申し出て、これを認められた
 ↓↑
 「劉邦」は
 「項羽」に苦戦
  楚に包囲された成皋から脱出し
 黄河を渡り
 「夏侯嬰」らとともに
 修武(河南省焦作市修武県西北)へ赴いた
 その際
 幕舎で寝ている「韓信」の所に忍び込み
 その指揮権を奪った
 「劉邦」は
 「張耳」ら諸将を集めて
 「韓信」を趙の相国に任じ
 「曹参」とともに
 斉を平定するように命じた
 ↓↑
 「劉邦」は
 「韓信」を派遣した後で気が変わり
 「酈食其」を派遣し
 斉と和議を結んだ
 紀元前203年
 韓信は斉に攻め込む直前で
 斉が降ったと聞いて軍を止めようとした
 「韓信」の軍中にいた弁士
 「蒯通」は
 「劉邦から
  進軍停止命令は未だ出ておらず
  このまま斉に攻め込むべきである
  酈食其は舌だけで
  斉を降しており
  このままでは
  韓信の功績は
  一介の儒者に過ぎない
  酈食其より劣る
 (斉は70余城を有し
  韓信の落とした50余城より多い)
 と見られるだろう」
 と進言
 「韓信」はこの進言に従って斉に侵攻
 怒った斉王の
 「田広」は
 「酈食其」を
 釜茹でに処し
 高密に逃亡した
 ↓↑
 斉は楚に救援を求め
 「項羽」は将軍
 「龍且」と亜将
 「周蘭」に命じて20万の軍勢を派遣
 「龍且」は
 「周蘭」から持久戦を進言されたが
 「股夫」の印象に影響され
 「韓信」を侮って決戦を挑んだ
 「韓信」は決戦の前夜に
 濰水の上流に土嚢を落とし込んで
 臨時の堰を作らせ
 流れを塞き止めさせ
 「韓信」は敗走を装って
 「龍且」軍をおびき出し
 楚軍が半ば渡河した所で堰を切らせ
 押し寄せた奔流に
 「龍且」の20万の軍勢は押し流され
 「灌嬰」の軍勢に討ち取られ
 「周蘭」も
 「曹参」の捕虜となった
 ↓↑
 「韓信」は
 「劉邦」に対して
 斉の鎮撫のため
 斉の仮の王となりたいと申し出たが
 「劉邦」は「韓信」が身勝手であると反発
 「張良」と「陳平」は
 認めなければ
 「韓信」は離反し
 斉王を自ら名乗って独立勢力となると指摘され
 一転
 「仮の王などとは言わずに、真の王となれ」
 と
 「斉王韓信」を認めた
 「韓信」は
 「戦国の七雄の大国の斉」を領有
 河北の趙・燕を支配する大王となり
 西楚、漢、斉の三国が鼎立
 「韓信」に
 「項羽」も恐れ
 「武渉」を派遣し
 「漢と別れ
  楚と共に
 漢に対するべき」と説いたが
 「韓信」はこれを即座に断った
 「蒯通」から
 天下三分の計を献策されたが
 「劉邦」への恩義を選び、これを退けた
 「蒯通」は後難を恐れ
 狂人の振りをして出奔
 ↓↑
 「劉邦」は
 「張良」の進言により
 「韓信」に
 「三斉(斉、済北、膠東)王」
 として改めて戦後の斉王の位を約束
 援軍を要請
 「韓信」は30万の軍勢を率いて漢軍に参戦
 漢軍は
 垓下に楚軍を追い詰め
 垓下を脱出した
 「項羽」は冬12月に
 烏江(安徽省馬鞍山市和県烏江鎮)で自決
 楚漢戦争終結(垓下の戦い)
 ↓↑
 紀元前202年
 「劉邦」は
 「本来楚王となるべき義帝には御子が居ない
  韓信は楚出身であり
  楚の風土・風習にも馴染んでいる」
 として
 「韓信」を
 斉王から楚王へと移封
 楚は
 「韓信」の故郷
 名誉であり栄転であったが
 城の数では
 七十余城~五十余城に減った
 ↓↑
 淮陰に凱旋
 「韓信」は
 飯を恵んでくれた老女
 自分を侮辱した若者
 居候させていた亭長
 を探して呼び出し
 老女に大金を与え
 股くぐりをさせた若者に
 中尉(治安維持の役)に任命
 亭長には
 「世話をするなら
  最後まで
  面倒を見よ」
 と戒め、百銭を与えた
 ↓↑
 「韓信」は
 「劉邦」によって捕縛
 「多多益善」
 「将に将たり」
 ↓↑
 紀元前201年
 同郷で旧友であった楚の将軍
 「鍾離眜」を匿い
 「韓信」は
 「劉邦」の不興を買い
 嫉妬した者が
 「韓信に謀反の疑いあり」と讒言
 「鍾離眜」は
 「漢王が私を血眼に探すのは
  私が恐ろしいからです
  次は貴公の番ですぞ」
 と言い残し、自ら首を撥ねた
 その首を
 「韓信」は
 持参して謁見したが
 謀反の疑いありと捕縛
 韓信は
 「狡兎死して良狗烹られ
  高鳥尽きて良弓蔵され
  敵国敗れて謀臣亡ぶ
  天下が定まったので
  私もまた煮られるのか?」
 と
 「范蠡」の言葉を引いた
 「劉邦」は謀反の疑いについては保留し
 「韓信」を
 兵権を持たない「淮陰侯」へと降格
 ↓↑
 「陳豨」が
 「鉅鹿」郡守に任命され
 出立にあたり長安の
 「韓信」の屋敷に挨拶にやってきた
 「韓信」は
 「陳豨」に
 「私が天下を取るまでだ」と言い放ち
 一計を授けた
 「陳豨」が謀叛すれば
 「劉邦」は激怒して自ら討伐に赴き
  長安は空になる
  その隙に自分が長安を掌握する
  反乱の頻発に現れているように
  天下には不満が渦巻いているので
  諸国も味方に就くだろう」
 と
 ↓↑
 紀元前196年の春
 「陳豨」は
 鉅鹿で反乱
 劉邦は鎮圧のために親征し、都を留守にした
 「韓信」は
 長安で反乱を起こし
 囚人を解放し配下とし
 「呂后」と皇太子の
 「劉盈(恵帝)」
 を監禁し政権を奪おうと謀ったが
 「韓信」に恨みを持つ下僕が
 「呂后」に密告、計画は事前に発覚した
 相国の
 「蕭何」は
 適当な者を「劉邦」からの使者に仕立て
 「陳豨が討伐された」
 と報告をさせ、長安中に布告
 「韓信」は計画が頓挫したと合点
 病気と称して自邸に引篭もっていたが
 「蕭何」は
 「病身であることは知っているが
  自身にかけられた疑いを晴らすためにも
  親征成功の祝辞を述べに参内した方が良い」
 と招いた
 「韓信」はおびき出され、捕らえられ
 「劉邦」の帰還を待たずに
 長安城中の未央宮内で斬られた
 間際に
 「蒯通の勧めに従わなかったことが心残りだ」
 と・・・「韓信」の三族も処刑された
 ↓↑
 「陳豨」の討伐を終えて帰ってきた
 「劉邦」
 最初は
 「韓信」が死んだことに悲しんだが
 「韓信」の最期の言葉を聞いて激怒し
 「蒯通」を捕らえてこれを誅殺しようとした
 「蒯通」が堂々と抗弁し
 助命された・・・
ー↓↑ーーー
 「食」の漢字に似ている字は・・・
  ↓↑
  倉=亼+日+丿+口
    亽+日+丿+口
    人+一日+丿+口
    仓=𠆢+㔾
      㔾=跪いている人(㔾)の形
    ソウ
    小くら
    にわか
    くら・納屋・物をしまっておく所
    にわか・あわただしい・あわてるさま
    青い=蒼・・・青天霹靂
 ↓↑
 良=╹ +艮・・・艮=丑寅(牛虎)
   リョウ・ロウ・よい
   𡰩・𡆨・𥭣=良=𣌣
  =𣌣=白+乚+人
 ↓↑
 ヒ七𠤎匕・・・乇
 ↓↑
 鼡=⺍+𠂡
   異体字「𡿳・𩖟・鼠」
 鼠=臼+𠄌+冫+𠄌(㇙)+冫+𠄌(乚)
 ↓↑
 𧘮=亠+凶+𧘇
   キョウ
 ↓↑
 褎=亠+E+禾+𧘇
そで
シュウ・ジュ・ユ・ユウ
   異字体「褏」
 ↓↑
 表=士+亠+𧘇(ノ㇙七)・・・ヒ七𠤎匕
 ↓↑
 衣=上衣
   亠=肩幅・・・トウ・ズ・・・音の略字
   𧘇=袖・前襟を斜めに合わせた形
   裳=下衣
   服=衣装全般
     果実の皮
     鳥の羽毛
     器物や食物を包む袋・・・貫頭衣
     動詞は
     服を着る・着せる
 ↓↑
 亠=肩幅・・・トウ・ズ・・・音の略字
   なべぶた・けいさん・けいさんかんむり
   易の卦算(けいさん)
   の形に似ていることから
   ↓↑
   亡=亠
   ↓↑
   六=亠+八
     リク・ロク
     む・むい・むっつ・むつ
     𠫪=ム+中+亠+八=六
       数の名、六番目の数
       工尺譜
      (コウセキフ・コウシャクフ
       楽譜の表記法の一)
       「ソ(G)」を表す {音階}
   ↓↑
   卞=亠+卜
     ヘン・ベン
     方法・決まり
     せっかちなさま
     冕(ベン)=礼装用の冠
           同「冕・弁・冠」
   ↓↑
   𠫓=亠+ム
     トツ・ドチ
     𡿮=亠+ム+巛
       思い掛けずに現れるさま
       逆子(さかご)
       思い掛けずに逆子が生まれる
      「𠫓」は「子」を天地逆にした形
       通常は頭から生まれ出る子が
      「逆さになって
       足の方から生まれるさま」の形象
      「𡿮」の「巛」は頭髪
      「上にあるべき頭髪が
       下にあるさま」を象ったもの
   ↓↑
   市=亠+巾
     シ・ジ・いち
     人が多く集まり物品などを
     売買・交換する場所
     人が多く集まる所
    「町」よりも大きな行政区画
    「亠+巾=市」
    「一+巾(冂丨)=巿」とは別字
   ↓↑
   𢌮=亠+廾
     ロウ・ル
    「𢌮=亠+與=弄」同
   ↓↑
   𣅀=亠+日
     シ
     むね・うまい
     旨㫖𣅌𠤔𤮻𠩊𠮛=𣅀
     むね、意図していること、意向
     天子や上位者の指示や命令
     その考えや意向
     うまい・美味・食べ物がおいしい
   ↓↑
   𣅂=日+亠
     シャ・ショ・ソ
     かつ
     且𠀇𠀃=𣅂
     ~と同時に・その上に・更に
     ひとまず・取り敢えず・間に合わせに
     将(まさ)に~せんとす
     今にも~しようとする
   ↓↑
   𣫭=亠+毋
     バイ・マイ
     毎每=𣫭
     同じように
     同じことの繰り返し
     常に・その度(たび)に
     一つ一つ
   ↓↑
   𣱵=亠+水
     エイ・ヨウ
     ながい
     永𠘷=𣱵
     川の水が途切れずに
     延々(エンエン)と流れるさま
     時が延々と続く
     途切れずに長く続く
     久(ひさ)しい
   ↓↑
   亢=亠+几
   亦=亠+刂+ㇵ
   亥=亠+丩+人
   交=亠+ハ+乂
   亨=亠+口+了
   享=亠+口+了+一
   京=亠+口+亅+ハ
   亭=亠+口+冖+丁
   亰=亠+日+亅+ハ
   亮=亠+口+冖+儿
   亳=亠+口+冖+乇(タク)
   亶=亠+回+旦(日一)
     タン・セン
     あつい・ほしいまま
ーーーーー
 ・・・???・・・
 酈=麗+阝
   異体字「郦・𨟫・𨜥・𨼓」
   簡体字「郦」
 ↓↑
 酈道元
 「水経注」
 北魏時代の地理書
 水系ごとの地理をまとめた
 漢代の『水 経』に
 「酈道元」が註をつけた書籍
 古代中国を代表する地理書
 魏晋南北朝 時代
 北朝の北魏の
 「酈道元(レキドウゲン)が編纂
 ↓↑
 漢から三国の魏のころまでに編まれた
 『水経』書に註を施したもの
 全40巻、30万字
 註の文は
 原書の文字の20倍
 中国各地の河川について
 長江・黄河を中心に
 水路ごとの
 地形、産物、鉱物、風俗、歴史
 などを記述
 ↓↑
 酈道元(465?~527)
 527年に反乱軍に殺された
 ↓↑
 河北省涿郡の人
 記録は
 文学的で、詩のような、絵画のような描写
 長江上流の有名な三峡では
 ↓↑
 空谷の伝響
 哀転久しく絶える・・・
 巴東三峡
 巫峡長し
 猿啼三声
 涙裳(もすそ)を沾(ぬら)す
 ↓↑
 酈道元
 北魏に使える地方官
 政治は「厳酷」
 東荊州刺史(州知事)になったとき
 住民の恨みを買って罷免
 10年後に再雇用
 河南尹から
 安南将軍、御史中丞となった
 527年に反乱で殺された・・・
 ↓↑
 原文
 水経注/酈道元 - 世界史の窓
https://www.y-history.net/appendix/wh0301-078_2.html
Copyrightc Y-History 教材工房 All Rights Reserved.
ーーーーー
 ・・・???
 ↓↑
 「ジーザス (Jesus)」
 「イエス(救い)」
  の英語読み
 「(膏をつけられた者)」
 ↓↑
 『ジーザス・クライスト・スーパースター』
  (Jesus   Christ    Super star)
 ↓↑
 日本語表記
 「イエス」
 「ヨシュア」の
 ギリシャ語形
 「イエースース(Ίησοῦς)」
 ラテン語形
 「イエースース(Iesus)」
 「イエズス」(カトリック教会の呼び方)
 「イイスス」(正教会)・・・エジプトの「イシス女神」?
 「イエスス」(共同訳)
 「エス」とも
 ポルトガル語に由来する
 「ゼス・ゼズス」
 英語
 「Jesus(ジーザス)」
 中国語
 「耶穌=耶稣 (Yēsū)」
 日本語訳版聖書
 ヘブライ語
 旧約聖書で
 「ヨシュア」
 ギリシャ語
 新約聖書で
 旧約に登場する
 「ヨシュア」を指す場合を除いて
 「イエス」と表記
 英語版聖書で
 「Joshua(ヨシュア)
  Jesus(イエス)」
 と書き分けられている
 新約聖書ギリシャ語本文で
 旧約の
 「ヨシュア」を指す場合も
 「イエースース」と表記
  ↓↑
 「イシス=石守・石州・石須・医師守・意思主・意志守・・・」
 「イシス=Isis=エジプト神話の豊穣の女神
         ヘリオポリス九柱神の1
         トビの翼を持つ
         ハトホル女神と習合され
         頭部に牛の角
         太陽円盤を戴冠
         ギリシャ名 
        「イシス」=「椅子(イス・王座)」の意
         エジプト名
        「アセト」
         時に
         エジプト人は
        「アセト=イーシス」を
        「アテーナー(Aqhna・Aqhvnh)」とも呼んだ・・・?
        「アテーナー=私は自分から生まれた」
         ↓↑
         父=大地の神ゲブ
         母=天空の女神ヌト
         兄=オシリス
         弟=セト
         妹=ネフテイス
         養子=アヌビス(オシリスとネフテイスの子)
         子=ホルス・・・イシスと近親婚で四人の子
ーーーーー
 ・・・???・・・

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