不足・・・食糧・・・兵糧米はどうする?・・韓信の末路
・・・「沛公(劉邦)」の怒り、「韓信」の背信・・・?
・・・「斎王」の怒り・・・「韓信」の条約無視、廃棄・・・?
「斉」は
「秦」によって最後に滅ぼされた国・・・
↓↑
あした喰えればイイ・・・って?
あした喰う時間があるんだか・・・
目を醒ませば喰えるさ・・・
あした目を醒ます時間があるのかな?
時間が無いって、だったら最高だな・・・
・・・オシャカ・・・「カンシン」の末路・・・?
↓↑
世界的食糧不足・・・コロナ蔓延・・・暴力衝突・・・
食=𠆢+白+丄+人
𠆢+白+㇙+ト
𠆢+白+㇙+乀+ノ(ノ・㇀)
𠆢+百+匕
ショク・ジキ・イ・シ・・・初句・自記・意・詞?
くう
たべる
くらう・・・倉得・藏得?
はむ・・・・ハム
食事
ふち・・・扶持=ぶち=斑・縁・渕?
くいぶち
俸禄
かける(欠ける)
日や月が欠ける
くらう・うける・こうむる(被る)
くらわす・やしなう(養う)・たべさせる
食べ物を与える
めし(飯)・たべもの・食糧
「酈食其(レキイキ)」は人名
酈 食其
(紀元前268年~紀元前204年)
秦帝国滅亡後の
「楚漢戦争期」の儒者
説客・・・「高陽酒徒」・・・単なる酒飲み
陳留郡雍丘県高陽郷(河南省開封市杞県)の人
大の儒者嫌いの
劉邦に拝謁、部下となった
↓↑
通称 酈生(酈先生)・・・「狂生(気狂い先生)」
子 酈庎
孫 酈勃(酈遂)
弟 酈商
甥 酈寄
「酈=麗+阝」名に用いられる漢字
ーー↓↑ーー
韓信・・・???・・・ナゼ、「韓の信」なのか・・・?
↓↑
韓=龺+韋・・・𠦝(乾かした)革を韋(なめす)
乾=𠦝+乞・・・乾燥
簡体字「干」
異体字「乹・𠃵・亁・𠄃・𠄊・𣦖・漧」
朝・朝夕・潮汐(チョウセキ)
斡・斡旋(アッセン)
↓↑
十+日+十+𫝀+口+㐄
「口」形のモノにぐるぐる回る様?
「𫝀」と「㐄」は「足」?・・・ゲートル(Gaiters)
𠦝=十+日+十・・・乾 ・干・旱
乾燥・幹・旱魃
𠦝=十+早
十+日+十
十+早=𠦝
漢字構成部分
「乾・幹・朝・韓」
↓↑
早=日+十
ソウ
はやい・さ・わ
𣅼=日+甲=早
いよいよ陽が昇り始めようとしていて
まだ薄暗い頃
何かを為そうとする時間には
まだなっていない
本来の時間よりも
先に、前以って、既に
若い・小さい・幼い
↓↑
草=艸+早
ソウ
くさ
𦷣𦳕𦯨=++・艹艹艹・日
䒤+十
艹+早=草
野生の一年以内に
枯死し茎が
木質化しない植物(草本植物)の総称
粗い・大まかな
大まかな下書き=草稿
荒れた土地、人が足を踏み入れないところ
「草深いところ」
主要な官職・地位に就いていないさま
「中央から遠く離れ
草深いところに住んでいる」の意
「草書(ソウショ)」
漢代に成った書体の名
どんぐり状の堅い実
↓↑
卓=ト+早
ト+日+十
タク・シツ
つくえ・すぐれる
円卓(エンタク)・教卓(キョウタク)
座卓(ザタク)・食卓(ショクタク)
超卓(チョウタク)・電卓(デンタク)
卓上・卓越
↓↑
「圍(囲)」の原字・・・モノの周囲・範囲を回る、巡る
囲=囗+井=井(戸)をかこむ(囗)
「韋=革衣=かわごろも=皮衣」
「革=廿+口∔十」+「亠+𧘇」
身に巻きつけ
纏(まと)う皮
脚絆(きゃはん・脚半)
脛の部分に巻く布
革でできた被服
ゲートル(Gaiters)
カン
いげた(井桁)
から(韓・唐・漢)・・・空洞・空っぽ?
韋=韦(なめしがわ)・・・
韦=ǂ(⺘)+𠃌
二+ㄧ+𠃌
韋=𣍄・𡙝・𡚈・𥐄・𥐅
↓↑
韓=龺+韋
十+日+十+𫝀+口+㐄
「口」形のものをぐるぐる回る様
上下の「𫝀」「㐄」は足
「圍(囲)」の原字
「革衣=かわごろも=生皮をなめした衣」
身に巻きつけ纏(まと)うや皮
カン
いげた
から
韋=韦(なめしがわ)
「葦編三絶」
韦=ǂ(⺘)+𠃌
二+ㄧ+𠃌
韋𣍄𡙝𡚈𥐄𥐅
↓↑
韋=韦𣍄𡙝𡚈𥐄𥐅
𫝀+口+ヰ(㐄)=韋
鞣(なめ)した動物の革
生皮は「皮」
動物の皮を剥(は)いで
平らに延ばし
乾かしたりしたものは「革」
周(まわ)り・周りを囲(かこ)む
同「圍」
違(ちが)う・違(たが)える
同「違」
なめしがわ
ーー↓↑ーー
韓(カン・から・han(ハン))
中国
韓 (西周)
西周時代に存在した都市国家
韓 (戦国)
戦国時代に存在した国
戦国七雄の一国
戦国春秋時代初期
晋の
「韓武子」が
「韓原」
に封じられたのに始り
晋の六卿の一つとして強力になり
前 453年
趙・魏・晋を3分し
前 403年
周の
威烈王から
諸侯として公認
都は平陽
のち
宜陽、陽翟 (ヨウテキ) と移り
前 375年
哀公が
鄭を滅ぼしたのちに
鄭 (河南省新鄭) となった
前4世紀中頃
昭公が
「申不害 (シンフガイ)」
を用いて国内を治め
外敵の侵入を防いだ
秦に隣接していたので
絶えずその侵入を受け
襄王 14 (前 298) 年から
数回、
斉、魏などと協力して
大反撃をした
王安9 (前 230) 年・・・王は安の玖念?
秦の始皇帝に滅ぼされた
法家の代表者の
「韓非子」は
「韓の公族」・・・韓は子に非(あらず)?
↓↑
歴史的地方名
戦国の韓の故地
河南省北部、山西省南部、陝西省東部
のそれぞれ一部
古代朝鮮半島南部に存在した
種族、地域、三韓
↓↑
「韓は帯方郡の南にあって
馬韓
辰韓
弁辰 (弁韓) ・・・辰を弁=ム+廾=弁別
・・・韓と弁=ム+廾=弁別
弁=辨・辯・辮・卞
刂 言 糸 上下
の3種に分れ
南は
倭
と接する」
ーー↓↑ーー
中国
韓 (西周)
西周時代に存在した都市国家
韓 (戦国)
戦国時代に存在した国
戦国七雄の一国
戦国春秋時代初期
晋の
「韓武子」が・・・韓は武の子?
「韓原」
に封じられたのに始り
晋の六卿の一つとして強力になり
前 453年
趙・魏と
晋を3分し
前 403年
周の
威烈王から諸侯として公認
都は平陽
のち
宜陽、陽翟 (ヨウテキ) と移り
前 375年
哀公が
鄭を滅ぼしたのちに
鄭 (河南省新鄭) となった
前4世紀中頃
昭公が
「申不害 (シンフガイ)」・・・猿は害ならず?
を用いて国内を治め
外敵の侵入を防いだ
秦に隣接していたので
絶えずその侵入を受け
襄王 14 (前 298) 年から
数回、
斉、魏などと協力して
大反撃をした
王安9 (前 230) 年
秦の始皇帝に滅ぼされた
法家の代表者の
「韓非子」は
「韓の公族」・・・韓は子に非(あらず)?
↓↑
歴史的地方名
戦国の韓の故地
河南省北部、山西省南部、陝西省東部
のそれぞれ一部
古代朝鮮半島南部に存在した
種族、地域、三韓
↓↑
「韓は帯方郡の南にあって
馬韓
辰韓
弁辰 (弁韓) ・・・辰を弁=ム+廾=弁別
・・・韓と弁=ム+廾=弁別
弁=辨・辯・辮・卞
刂 言 糸 上下
の3種に分れ
南は
倭
と接する」
↓↑
いげた(井桁)・井戸のわく(枠)
↓↑
㐄
𠥼=†+十
とと
↓↑
𠦁=己+十
ト・トウ・ツ
ます
斗=𣁬=𣂑=コ+十=𠦁
液体や物を
掬(すく)う柄杓(ひしゃく)
柄杓状のもの
容量を量るための枡(ます)
新莽嘉量
容量の単位
1斗=10升・約2リットル
時代により差がある
小さい
急に・突然に
同「陡」
闘(たたか)う
同「鬥」
「𠦁栱(トキョウ、トウキョウ)」
同「枓栱」
斗形(ますがた)
方形の木材(枓)
U字形の木材(栱)を組み合わせ
建物の柱の上端に置き
それより上部の
梁(はり)や桁(けた)を
支える部材・建材
二十八宿北方玄武の一
二十八宿
とます
↓↑
皂=白+七
ソウ・ゾウ
皁=𣅖=╹+日+十=白ヒ七𠤎匕=皂
ドングリ(団栗)
コナラ(小楢)
クヌギ(櫟、椚、橡、櫪)
などのブナ科の木の実
一部は食用や家畜の餌
同「梍・橡・コナラ・クヌギ」
「皂莢(サイカチ)」
マメ科サイカチ属のサイカチの木
黒い・黒色
早い時間(日の出前の薄暗い頃)
視るもの全て黒く見えるから
下僕・下級の役人
多く黒い服を着ていた
馬小屋・飼葉桶
下僕が厩の番をしていたから
石鹸・洗剤
どんぐりの実などを原料としたから
↓↑
皃=白+儿
ボウ・ミョウ
かお
貌𧳖𧳒䫉𧳓㹸𨉍㒵=皃
顔立ち、顔や姿の外見、またその様子
外に現れ出た姿、また状態、外見、外観
遥か遠いさま、遠くぼんやりしているさま
同「邈」
↓↑
𤼿=白+丄
白+丨+一=𤼿
與皂同「皂or皀」
「皀」
↓↑
𤽁=白+†
シ
╹+日+十=𤽁
白・白い
↓↑
㚖=白+大
帛=白+巾
↓↑
的=白+勺
╹+日+勹+丶
テキ・チャク
まと
╹日白ノ𠃌勹丶一勺=的
弓で矢を射(い)る時の
目標・標的
同「㢩・墑」
額(ひたい)の部分だけが白い馬
その額の白い部分
女性が
額に施(ほどこ)す
赤い点状の装飾
明らか(な)
はっきりと見える・はっきりしている
よく目立つ
同「旳・𤾠」
狙(ねら)ったところに当たる・当てる
~の~
「我的(ウォダ、わたしの~)」
~のような~
「似的(シィダ、~のような~、~らしい~)」
~な~
「別的(ビィェダ、~とは別な~)」
↓↑
𤽂=白+干
カン・ガン
皔=╹日白二十干=𤽂
白いさま
↓↑
𤽃=白+川
バイ・マイ
╹日白川=𤽃
布の縁(へり)
↓↑
𤽄=白+小
╹日白Tノ丿L乚儿ハ八小=𤽄
↓↑
𤽆=白+丨+」
・・・「丩(キュウ・ク)」の反転文字
「まとめる」
収(收)=収納=:ばらばらの物をまとめる
=収穫・収支・収入
叫=声をまとめてさけぶ・絶叫
糾=ひもをまとめ 糾 ( あざな ) う・・・糸車
赳=筋肉がまとまり 引き締まる
舏=舌でまとめ舐めとる
丱=丫=ア・エ
Y・丫
先端が二つに枝分かれし
Y字状をしたもの
丫頭(アトウ)
髪を左右に分け
耳の上辺りで
環状に結(ゆ)わえた髪形
少女の髪形=女の子
若い女性の小間使い
同「丫鬟(アカン)」
クヮン・ケン・クヮウ
あげまき
丱
通仮字「貫」
異体字「礦・卝・鉱」
. 丱の熟語
「丱女・丱童・丱角」
あげまき
つのがみ(總角)
小兒の髮を束ねて
兩角(フタツノツノとする貌)
いとけなし(幼稚)
クワウ
あらがね・古の「礦」字
↓↑
東日本
大型=スコップ・・・州古都府?
小型=シャベル・・・お喋(しゃべ)る?
西日本
大型=シャベル・・・お喋(しゃべ)る?
小型=スコップ・・・州古都府?
↓↑
「園芸用こて(鏝・小手)・移植ごて(鏝・小手)」
「trowel(トゥラウェル)」・・・当等烏得留・痘羅飢(餓え)留?
シ・・・死・詞・市・史・・・
╹+日+丨+」=𤽆・・・丩⇔ 𠁡・𠁢・ユ・「丱」の右の字
筒状のスコップの形状「丩」
左官職人の「͡こて・コテ(鏝)・小手」状の形
「⺊」
町奉行同心の「十手=ㄐ」の形状?
・・・「御用=ごよう=ゴヨウ」である・・・・
「シンミョウにバクにツケぃ、ッ!!」
「神妙に縛(ばく)につけィ、ッ!」
白・白い
白也・・・お白砂であるぞ、神妙にせィ、ッ!
↓↑
𤽇=白+丨+儿
セン・ゼン
╹日白丿丨乚川=𤽇
泉(いずみ)
水が地表に湧(わ)き出るところ
源(みなもと)・源泉(ゲンセン)
同「泉」
↓↑
㿞=白+毛
ボウ・モウ
╹日白毛㿞]
老齢(九十歳、八十歳・七十歳)
高齢で動作や判断が鈍(にぶ)い
同「耄」
↓↑
敀=白+攴
泉=白+水・・・沓(くつ・👠)
ーー↓↑ーー
・・・国名由来だった・・・???・・・
韓=偉大な・君主
古来からの部族名
馬韓
辰韓
弁韓
に由来
↓↑
高句麗
新羅
百済
の三国時代
↓↑
李氏朝鮮
1910年~1948年
日本統治
↓↑
朝鮮半島南側=大韓民国
1950年
朝鮮戦争勃発
1953年
休戦協定調印
北緯38度を境界線として
南北に分断
↓↑
朝鮮民族の別名で
1897年
朝鮮国(朝鮮王朝)が
清から独立
朝鮮国が国号を
「大韓帝国」とした
↓↑
1910年
日韓併合後
地域呼称は
「韓」~「朝鮮」
1919年
朝鮮独立運動の活動家たちが
中華民国で
大韓民国臨時政府
を採用
↓↑
「大韓民国」
「李承晩」
「金九」
などの意向により決まった
↓↑
1945年
日本の降伏
連合国は
「大韓民国臨時政府」
の承認を否定
朝鮮全土を連合国軍の占領下に置いた
↓↑
1948年
米軍統治下の朝鮮のみで
独立決定
米軍は憲法制定(制憲)国会を招集し
独立準備にあたらせた
憲法起草委員会が
憲法起草
新国家の
国号と年号も決めることになり
国号候補として
「大韓民国」
「高麗共和国」
「朝鮮共和国」
「韓国」
が候補として挙げられ
1948年6月23日採決
「大韓民国」が国号に決定
臨時政府側の
「池青天(チ・チョンチョン)」
将軍(光復軍司令官)が
突然委員会に姿を現し
「国号は『大韓民国』
年号は『檀紀』に即決せよ
さもないと割腹自殺する」
というハプニングがあった
↓↑
日本語の伝統的な異称
「高麗(こま)=狛」
「こまひと(高麗人)=朝鮮半島人」
の異称であった[
↓↑
ヨーロッパ諸語
「コリア(Korea)」
マルコ・ポーロの
『東方見聞録』における
「高麗(コリョ)」
に由来
「Republic of Korea」
「North Korea」
「South Korea」
と略称
↓↑
1991年
南北基本合意書
「相手方の体制を認定し尊重する(第1条)」
批准を経たものでないので
法的拘束力を持っていない
↓↑
1950年6月25日
北朝鮮軍は
韓国との境界
北緯38度線を越えて南下
朝鮮戦争が勃発
韓国軍は敗退を重ね
洛東江以東の
釜山周辺にまで追い詰められた
北朝鮮の侵攻に対して
国連安保理は非難決議
米国を中心とする
「国連軍」を結成
「韓国軍」とともに後退戦
「仁川」上陸作戦で
北朝鮮軍の戦線を崩壊させ
反攻に転換
韓国軍・国連軍は
敗走する
北朝鮮軍を追って
鴨緑江近辺にまで侵攻
↓↑
中国が義勇軍を派遣し
北朝鮮の支援
韓国軍・国連軍を南に押し戻し
再び
「ソウル」を占領
北緯38度線付近で
南北両軍は膠着状態
1951年7月10日から
休戦合意を巡る協議を開始
2年間にわたる戦協議の末
1953年7月27日
朝鮮戦争休戦協定締結
戦闘停止
韓国政府は
休戦協定に署名しておらず
戦争自体も協定上は
停戦状態
↓↑
保導連盟事件
済州島四・三事件
一般市民の大量処刑
↓↑
1948年
「李承晩」
↓↑
1875年3月26日
~
1965年7月19日
大運1961年11月(86歳)庚午正財~
乙亥(戊甲壬)偏印・正官 胎⇔乙巳偏印
己卯(甲 乙)食神・偏印 病⇔癸未偏官
丁亥(戊甲壬) ・正官 胎⇔甲戌印綬
丙午(丙 丁)劫財・比肩建禄⇔庚午正財
午未空亡
↓↑
大韓民国の初代大統領
在任
1948年7月20日~1960年4月26日
戊┏子 傷官 庚┏子 正財
己┣未 食神 庚┣辰 正財
丙┣午 劫財 甲┣申 印綬
甲┗午 印綬 庚┗午 正財
初代大統領に就任~
↓↑
日本から
戦争賠償金を獲得するために
「対日戦勝国(連合国の一員)」
として認定するよう国際社会に要求
連合国から
「認定拒否」・・・拒否!!
1951年
日本国と
平和条約を締結することができず
「李承晩」は
「李承晩ライン」の設置(1952年)
「竹島の占拠(1953年)」
によって
武力で
日本の主権を奪う政策に出た
朝鮮戦争後
「李承晩」は
政敵の排除(進歩党事件)
反政府運動弾圧
不正な憲法改正
選挙など
法を捻じ曲げ
権力の維持を図ろうとしたが
1960年4月19日・・・日本では「六〇年安保闘争」の年
学生デモ(四月革命)
政権は崩壊
「李承晩」
はハワイへ(Hawaii・布哇・夏威夷)亡命
哇=wa=擬声擬態語・・・哇⇔蛙
泣き声=ワー・ワーッ・ワーン・オギャー
倭・和・輪・羽・環・話
↓↑
1961年5月16日
「朴正煕」少将
軍の一部がクーデター( coup d'etat・kuːdeɪˈtɑ)
(仏: coup d'Etat)
国家再建最高会議が権力を掌握
第三共和国憲法の承認後
1963年10月
「朴正煕」
第5代大統領に当選
1979年10月26日
中央情報部長により暗殺
↓↑
1917年11月14日
時憲暦9月30日
~
1979年10月26日
↓↑
大運1979年11月(62歳) 甲辰偏財
丁┏巳(戊庚丙)正官・偏印長生⇔┏己未印綬
冲 戊・偏印
辛┣亥(戊甲壬)劫財・偏印 病⇔┗甲戌偏財
害
庚┗申(戊壬庚) ・偏印建禄⇔ 丙寅偏官
壬 午(丙 丁)食神・偏官沐浴⇔ 甲午偏財
子丑空亡
大運
1959年11月(42歳) 壬午食神
1969年11月(52歳) 乙巳正財
1979年11月(62歳) 甲辰偏財
↓↑
1961年
の軍事クーデター
国家再建最高会議議長
↓↑
1959年11月(42歳)~
壬午 食神
1963年12月17日
癸卯 傷官
甲子 偏財
甲午 偏財
↓↑
1963年~1979年
大統領
「退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史」
「姑息、怠惰、安逸、日和見主義
小児病的な封建社会」
ーー↓↑ーー
・・・「韓」だった・・・
「斎(斉)國」に対する「条約無視の背信」・・・斎王=天照大神の巫女
「シンジちゃぁイケないヤツなのさッ!」・・・リンダ・ヤマモト?
↓↑
「韓信」の
斉國攻略で
「酈食其」は
斉との和平交渉
弁舌(口先三寸?)で
斉の七十余城を
一旦帰順せしめた
だが
「酈食其」に
功績を独り占めにされることを恐れた
「韓信」
「蒯通」
は独断で
斉國を攻撃
和平を反故にされ
怒った
斉王
「田広」により
「酈食其」は
「煮殺された」・・・
↓↑
「酈食其」は
「大きな事を成すものは
細かいことにこだわらない」
と言って「煮殺」された
↓↑
「韓 信」
「劉邦」
の元で数々の戦いに勝利し
「劉邦」の覇権を決定付け
「張良」
「蕭何」
と共に漢の三傑の一人
↓↑
「韓 信」
出身地 淮陰
軍人
繁体字 「韓信」
簡体字 「韩信」
↓↑
「韓信の股くぐり」
「韓信」は
チンピラに
「股をくぐれ」と挑発され
黙って若者の股をくぐった
「恥は一時、志は一生
ここでこいつを切り殺しても
何の得もなく
それどころか
仇持ちになってしまうだけ」
と判断・・・?
↓↑
同時代
戦国時代の
「韓」の王族出身で
同じ名の
「韓信」という人物がおり
「劉邦」によって
「韓王」に封じられ
「韓王信」
と呼んで区別されている・・・
ー↓↑ーーー
始皇帝の没後
陳勝・呉広の乱
紀元前209年
「韓信」は
「項梁」
次いでその甥の
「項羽」に仕えて「郎中」となった
進言したが
「項羽」は用いなかった
↓↑
紀元前206年
「韓信」は
「項羽」を離れ
漢中に左遷された
漢王
「劉邦」の配下
「連敖」の役職に就く
↓↑
罪を犯し
同僚13名と共に斬刑に処されそうになったが
「夏侯嬰」に
「漢王は天下に
大業を成すことを望まれないのか
どうして壮士を
殺すような真似をするのだ」
と訴え
「夏侯嬰」は
「韓信」を助け
「劉邦」に推薦し
「治粟都尉(兵站官)」
になった
「韓信」は
漢軍の兵站の責任者
「蕭何」に異才と認めれ
「劉邦」に推薦
↓↑
漢軍では
辺境の漢中を嫌って
将軍や兵士の逃亡が相次いでいた
「韓信」も逃亡を図り
「蕭何」は慌てて彼を追って
説得
「劉邦」は
「韓信」を
全軍指揮の
大将軍に任命
↓↑
漢中の北の関中を手に入れる策を上奏
↓↑
「劉邦」は
8月
関中攻略に出兵
章邯を水攻めで撃破
「司馬欣」
「董翳」
をも撃破
関中を本拠地とし
「韓王の鄭昌」
を降して
「項羽」と対決
↓↑
紀元前205年
「劉邦」は
総数56万の諸侯との連合軍を率いて親征
「項羽」の本拠地
「彭城」を陥落させたが
斉から引き返して来た
項羽軍の3万に奇襲され大敗
「劉邦」は
滎陽に逃走(彭城の戦い)
「韓信」も敗戦した
漢の兵をまとめて
滎陽で「劉邦」と合流
追撃してきた楚軍を
京・索の中間周辺で迎撃
楚軍の西進阻んだ
「劉邦」は
「項羽」と対峙し
「韓信」の別働軍が
諸国を平定する作戦を採用
裏切って
楚へ下った「西魏王」
「魏豹」を討つことにし
「劉邦」は
「韓信」に左丞相任命
副将の常山王
「張耳」と
将軍の
「曹参」を討伐に送り出した
↓↑
「韓信」は
魏の首都
安邑(山西省運城市夏県の近郊)を攻撃
「魏豹」を虜にし、魏を滅ぼした
北に進んで
代(山西省北部)を占領
趙(河北省南部)へ進軍
「韓信」は
「背水の陣」で
20万の趙軍を
防衛し
別働隊で
城砦を占拠
別働隊と本隊による挟撃で打ち破り
「陳余」を泜水で
「趙王歇」を襄国で斬った(井陘の戦い)
趙の将軍
「李左車」を捕らえ
上座を用意して
「李左車」を先生と賞し戦略を乞い
「『智者も千慮に一失有り
愚者も千慮に一得有り』」
と愚者の策であるとしながらも
燕を下す策を与え
燕(河北省北部)の
「臧荼」を降伏させた
紀元前204年
鎮撫のために
「張耳」を趙王として建てるように
「劉邦」に申し出て、これを認められた
↓↑
「劉邦」は
「項羽」に苦戦
楚に包囲された成皋から脱出し
黄河を渡り
「夏侯嬰」らとともに
修武(河南省焦作市修武県西北)へ赴いた
その際
幕舎で寝ている「韓信」の所に忍び込み
その指揮権を奪った
「劉邦」は
「張耳」ら諸将を集めて
「韓信」を趙の相国に任じ
「曹参」とともに
斉を平定するように命じた
↓↑
「劉邦」は
「韓信」を派遣した後で気が変わり
「酈食其」を派遣し
斉と和議を結んだ
紀元前203年
韓信は斉に攻め込む直前で
斉が降ったと聞いて軍を止めようとした
「韓信」の軍中にいた弁士
「蒯通」は
「劉邦から
進軍停止命令は未だ出ておらず
このまま斉に攻め込むべきである
酈食其は舌だけで
斉を降しており
このままでは
韓信の功績は
一介の儒者に過ぎない
酈食其より劣る
(斉は70余城を有し
韓信の落とした50余城より多い)
と見られるだろう」
と進言
「韓信」はこの進言に従って斉に侵攻
怒った斉王の
「田広」は
「酈食其」を
釜茹でに処し
高密に逃亡した
↓↑
斉は楚に救援を求め
「項羽」は将軍
「龍且」と亜将
「周蘭」に命じて20万の軍勢を派遣
「龍且」は
「周蘭」から持久戦を進言されたが
「股夫」の印象に影響され
「韓信」を侮って決戦を挑んだ
「韓信」は決戦の前夜に
濰水の上流に土嚢を落とし込んで
臨時の堰を作らせ
流れを塞き止めさせ
「韓信」は敗走を装って
「龍且」軍をおびき出し
楚軍が半ば渡河した所で堰を切らせ
押し寄せた奔流に
「龍且」の20万の軍勢は押し流され
「灌嬰」の軍勢に討ち取られ
「周蘭」も
「曹参」の捕虜となった
↓↑
「韓信」は
「劉邦」に対して
斉の鎮撫のため
斉の仮の王となりたいと申し出たが
「劉邦」は「韓信」が身勝手であると反発
「張良」と「陳平」は
認めなければ
「韓信」は離反し
斉王を自ら名乗って独立勢力となると指摘され
一転
「仮の王などとは言わずに、真の王となれ」
と
「斉王韓信」を認めた
「韓信」は
「戦国の七雄の大国の斉」を領有
河北の趙・燕を支配する大王となり
西楚、漢、斉の三国が鼎立
「韓信」に
「項羽」も恐れ
「武渉」を派遣し
「漢と別れ
楚と共に
漢に対するべき」と説いたが
「韓信」はこれを即座に断った
「蒯通」から
天下三分の計を献策されたが
「劉邦」への恩義を選び、これを退けた
「蒯通」は後難を恐れ
狂人の振りをして出奔
↓↑
「劉邦」は
「張良」の進言により
「韓信」に
「三斉(斉、済北、膠東)王」
として改めて戦後の斉王の位を約束
援軍を要請
「韓信」は30万の軍勢を率いて漢軍に参戦
漢軍は
垓下に楚軍を追い詰め
垓下を脱出した
「項羽」は冬12月に
烏江(安徽省馬鞍山市和県烏江鎮)で自決
楚漢戦争終結(垓下の戦い)
↓↑
紀元前202年
「劉邦」は
「本来楚王となるべき義帝には御子が居ない
韓信は楚出身であり
楚の風土・風習にも馴染んでいる」
として
「韓信」を
斉王から楚王へと移封
楚は
「韓信」の故郷
名誉であり栄転であったが
城の数では
七十余城~五十余城に減った
↓↑
淮陰に凱旋
「韓信」は
飯を恵んでくれた老女
自分を侮辱した若者
居候させていた亭長
を探して呼び出し
老女に大金を与え
股くぐりをさせた若者に
中尉(治安維持の役)に任命
亭長には
「世話をするなら
最後まで
面倒を見よ」
と戒め、百銭を与えた
↓↑
「韓信」は
「劉邦」によって捕縛
「多多益善」
「将に将たり」
↓↑
紀元前201年
同郷で旧友であった楚の将軍
「鍾離眜」を匿い
「韓信」は
「劉邦」の不興を買い
嫉妬した者が
「韓信に謀反の疑いあり」と讒言
「鍾離眜」は
「漢王が私を血眼に探すのは
私が恐ろしいからです
次は貴公の番ですぞ」
と言い残し、自ら首を撥ねた
その首を
「韓信」は
持参して謁見したが
謀反の疑いありと捕縛
韓信は
「狡兎死して良狗烹られ
高鳥尽きて良弓蔵され
敵国敗れて謀臣亡ぶ
天下が定まったので
私もまた煮られるのか?」
と
「范蠡」の言葉を引いた
「劉邦」は謀反の疑いについては保留し
「韓信」を
兵権を持たない「淮陰侯」へと降格
↓↑
「陳豨」が
「鉅鹿」郡守に任命され
出立にあたり長安の
「韓信」の屋敷に挨拶にやってきた
「韓信」は
「陳豨」に
「私が天下を取るまでだ」と言い放ち
一計を授けた
「陳豨」が謀叛すれば
「劉邦」は激怒して自ら討伐に赴き
長安は空になる
その隙に自分が長安を掌握する
反乱の頻発に現れているように
天下には不満が渦巻いているので
諸国も味方に就くだろう」
と
↓↑
紀元前196年の春
「陳豨」は
鉅鹿で反乱
劉邦は鎮圧のために親征し、都を留守にした
「韓信」は
長安で反乱を起こし
囚人を解放し配下とし
「呂后」と皇太子の
「劉盈(恵帝)」
を監禁し政権を奪おうと謀ったが
「韓信」に恨みを持つ下僕が
「呂后」に密告、計画は事前に発覚した
相国の
「蕭何」は
適当な者を「劉邦」からの使者に仕立て
「陳豨が討伐された」
と報告をさせ、長安中に布告
「韓信」は計画が頓挫したと合点
病気と称して自邸に引篭もっていたが
「蕭何」は
「病身であることは知っているが
自身にかけられた疑いを晴らすためにも
親征成功の祝辞を述べに参内した方が良い」
と招いた
「韓信」はおびき出され、捕らえられ
「劉邦」の帰還を待たずに
長安城中の未央宮内で斬られた
間際に
「蒯通の勧めに従わなかったことが心残りだ」
と・・・「韓信」の三族も処刑された
↓↑
「陳豨」の討伐を終えて帰ってきた
「劉邦」
最初は
「韓信」が死んだことに悲しんだが
「韓信」の最期の言葉を聞いて激怒し
「蒯通」を捕らえてこれを誅殺しようとした
「蒯通」が堂々と抗弁し
助命された・・・
ー↓↑ーーー
「食」の漢字に似ている字は・・・
↓↑
倉=亼+日+丿+口
亽+日+丿+口
人+一日+丿+口
仓=𠆢+㔾
㔾=跪いている人(㔾)の形
ソウ
小くら
にわか
くら・納屋・物をしまっておく所
にわか・あわただしい・あわてるさま
青い=蒼・・・青天霹靂
↓↑
良=╹ +艮・・・艮=丑寅(牛虎)
リョウ・ロウ・よい
𡰩・𡆨・𥭣=良=𣌣
=𣌣=白+乚+人
↓↑
ヒ七𠤎匕・・・乇
↓↑
鼡=⺍+𠂡
異体字「𡿳・𩖟・鼠」
鼠=臼+𠄌+冫+𠄌(㇙)+冫+𠄌(乚)
↓↑
𧘮=亠+凶+𧘇
キョウ
↓↑
褎=亠+E+禾+𧘇
そで
シュウ・ジュ・ユ・ユウ
異字体「褏」
↓↑
表=士+亠+𧘇(ノ㇙七)・・・ヒ七𠤎匕
↓↑
衣=上衣
亠=肩幅・・・トウ・ズ・・・音の略字
𧘇=袖・前襟を斜めに合わせた形
裳=下衣
服=衣装全般
果実の皮
鳥の羽毛
器物や食物を包む袋・・・貫頭衣
動詞は
服を着る・着せる
↓↑
亠=肩幅・・・トウ・ズ・・・音の略字
なべぶた・けいさん・けいさんかんむり
易の卦算(けいさん)
の形に似ていることから
↓↑
亡=亠
↓↑
六=亠+八
リク・ロク
む・むい・むっつ・むつ
𠫪=ム+中+亠+八=六
数の名、六番目の数
工尺譜
(コウセキフ・コウシャクフ
楽譜の表記法の一)
「ソ(G)」を表す {音階}
↓↑
卞=亠+卜
ヘン・ベン
方法・決まり
せっかちなさま
冕(ベン)=礼装用の冠
同「冕・弁・冠」
↓↑
𠫓=亠+ム
トツ・ドチ
𡿮=亠+ム+巛
思い掛けずに現れるさま
逆子(さかご)
思い掛けずに逆子が生まれる
「𠫓」は「子」を天地逆にした形
通常は頭から生まれ出る子が
「逆さになって
足の方から生まれるさま」の形象
「𡿮」の「巛」は頭髪
「上にあるべき頭髪が
下にあるさま」を象ったもの
↓↑
市=亠+巾
シ・ジ・いち
人が多く集まり物品などを
売買・交換する場所
人が多く集まる所
「町」よりも大きな行政区画
「亠+巾=市」
「一+巾(冂丨)=巿」とは別字
↓↑
𢌮=亠+廾
ロウ・ル
「𢌮=亠+與=弄」同
↓↑
𣅀=亠+日
シ
むね・うまい
旨㫖𣅌𠤔𤮻𠩊𠮛=𣅀
むね、意図していること、意向
天子や上位者の指示や命令
その考えや意向
うまい・美味・食べ物がおいしい
↓↑
𣅂=日+亠
シャ・ショ・ソ
かつ
且𠀇𠀃=𣅂
~と同時に・その上に・更に
ひとまず・取り敢えず・間に合わせに
将(まさ)に~せんとす
今にも~しようとする
↓↑
𣫭=亠+毋
バイ・マイ
毎每=𣫭
同じように
同じことの繰り返し
常に・その度(たび)に
一つ一つ
↓↑
𣱵=亠+水
エイ・ヨウ
ながい
永𠘷=𣱵
川の水が途切れずに
延々(エンエン)と流れるさま
時が延々と続く
途切れずに長く続く
久(ひさ)しい
↓↑
亢=亠+几
亦=亠+刂+ㇵ
亥=亠+丩+人
交=亠+ハ+乂
亨=亠+口+了
享=亠+口+了+一
京=亠+口+亅+ハ
亭=亠+口+冖+丁
亰=亠+日+亅+ハ
亮=亠+口+冖+儿
亳=亠+口+冖+乇(タク)
亶=亠+回+旦(日一)
タン・セン
あつい・ほしいまま
ーーーーー
・・・???・・・
酈=麗+阝
異体字「郦・𨟫・𨜥・𨼓」
簡体字「郦」
↓↑
酈道元
「水経注」
北魏時代の地理書
水系ごとの地理をまとめた
漢代の『水 経』に
「酈道元」が註をつけた書籍
古代中国を代表する地理書
魏晋南北朝 時代
北朝の北魏の
「酈道元(レキドウゲン)が編纂
↓↑
漢から三国の魏のころまでに編まれた
『水経』書に註を施したもの
全40巻、30万字
註の文は
原書の文字の20倍
中国各地の河川について
長江・黄河を中心に
水路ごとの
地形、産物、鉱物、風俗、歴史
などを記述
↓↑
酈道元(465?~527)
527年に反乱軍に殺された
↓↑
河北省涿郡の人
記録は
文学的で、詩のような、絵画のような描写
長江上流の有名な三峡では
↓↑
空谷の伝響
哀転久しく絶える・・・
巴東三峡
巫峡長し
猿啼三声
涙裳(もすそ)を沾(ぬら)す
↓↑
酈道元
北魏に使える地方官
政治は「厳酷」
東荊州刺史(州知事)になったとき
住民の恨みを買って罷免
10年後に再雇用
河南尹から
安南将軍、御史中丞となった
527年に反乱で殺された・・・
↓↑
原文
水経注/酈道元 - 世界史の窓
https://www.y-history.net/appendix/wh0301-078_2.html
Copyrightc Y-History 教材工房 All Rights Reserved.
ーーーーー
・・・???
↓↑
「ジーザス (Jesus)」
「イエス(救い)」
の英語読み
「(膏をつけられた者)」
↓↑
『ジーザス・クライスト・スーパースター』
(Jesus Christ Super star)
↓↑
日本語表記
「イエス」
「ヨシュア」の
ギリシャ語形
「イエースース(Ίησοῦς)」
ラテン語形
「イエースース(Iesus)」
「イエズス」(カトリック教会の呼び方)
「イイスス」(正教会)・・・エジプトの「イシス女神」?
「イエスス」(共同訳)
「エス」とも
ポルトガル語に由来する
「ゼス・ゼズス」
英語
「Jesus(ジーザス)」
中国語
「耶穌=耶稣 (Yēsū)」
日本語訳版聖書
ヘブライ語
旧約聖書で
「ヨシュア」
ギリシャ語
新約聖書で
旧約に登場する
「ヨシュア」を指す場合を除いて
「イエス」と表記
英語版聖書で
「Joshua(ヨシュア)
Jesus(イエス)」
と書き分けられている
新約聖書ギリシャ語本文で
旧約の
「ヨシュア」を指す場合も
「イエースース」と表記
↓↑
「イシス=石守・石州・石須・医師守・意思主・意志守・・・」
「イシス=Isis=エジプト神話の豊穣の女神
ヘリオポリス九柱神の1
トビの翼を持つ
ハトホル女神と習合され
頭部に牛の角
太陽円盤を戴冠
ギリシャ名
「イシス」=「椅子(イス・王座)」の意
エジプト名
「アセト」
時に
エジプト人は
「アセト=イーシス」を
「アテーナー(Aqhna・Aqhvnh)」とも呼んだ・・・?
「アテーナー=私は自分から生まれた」
↓↑
父=大地の神ゲブ
母=天空の女神ヌト
兄=オシリス
弟=セト
妹=ネフテイス
養子=アヌビス(オシリスとネフテイスの子)
子=ホルス・・・イシスと近親婚で四人の子
ーーーーー
・・・???・・・
・・・「沛公(劉邦)」の怒り、「韓信」の背信・・・?
・・・「斎王」の怒り・・・「韓信」の条約無視、廃棄・・・?
「斉」は
「秦」によって最後に滅ぼされた国・・・
↓↑
あした喰えればイイ・・・って?
あした喰う時間があるんだか・・・
目を醒ませば喰えるさ・・・
あした目を醒ます時間があるのかな?
時間が無いって、だったら最高だな・・・
・・・オシャカ・・・「カンシン」の末路・・・?
↓↑
世界的食糧不足・・・コロナ蔓延・・・暴力衝突・・・
食=𠆢+白+丄+人
𠆢+白+㇙+ト
𠆢+白+㇙+乀+ノ(ノ・㇀)
𠆢+百+匕
ショク・ジキ・イ・シ・・・初句・自記・意・詞?
くう
たべる
くらう・・・倉得・藏得?
はむ・・・・ハム
食事
ふち・・・扶持=ぶち=斑・縁・渕?
くいぶち
俸禄
かける(欠ける)
日や月が欠ける
くらう・うける・こうむる(被る)
くらわす・やしなう(養う)・たべさせる
食べ物を与える
めし(飯)・たべもの・食糧
「酈食其(レキイキ)」は人名
酈 食其
(紀元前268年~紀元前204年)
秦帝国滅亡後の
「楚漢戦争期」の儒者
説客・・・「高陽酒徒」・・・単なる酒飲み
陳留郡雍丘県高陽郷(河南省開封市杞県)の人
大の儒者嫌いの
劉邦に拝謁、部下となった
↓↑
通称 酈生(酈先生)・・・「狂生(気狂い先生)」
子 酈庎
孫 酈勃(酈遂)
弟 酈商
甥 酈寄
「酈=麗+阝」名に用いられる漢字
ーー↓↑ーー
韓信・・・???・・・ナゼ、「韓の信」なのか・・・?
↓↑
韓=龺+韋・・・𠦝(乾かした)革を韋(なめす)
乾=𠦝+乞・・・乾燥
簡体字「干」
異体字「乹・𠃵・亁・𠄃・𠄊・𣦖・漧」
朝・朝夕・潮汐(チョウセキ)
斡・斡旋(アッセン)
↓↑
十+日+十+𫝀+口+㐄
「口」形のモノにぐるぐる回る様?
「𫝀」と「㐄」は「足」?・・・ゲートル(Gaiters)
𠦝=十+日+十・・・乾 ・干・旱
乾燥・幹・旱魃
𠦝=十+早
十+日+十
十+早=𠦝
漢字構成部分
「乾・幹・朝・韓」
↓↑
早=日+十
ソウ
はやい・さ・わ
𣅼=日+甲=早
いよいよ陽が昇り始めようとしていて
まだ薄暗い頃
何かを為そうとする時間には
まだなっていない
本来の時間よりも
先に、前以って、既に
若い・小さい・幼い
↓↑
草=艸+早
ソウ
くさ
𦷣𦳕𦯨=++・艹艹艹・日
䒤+十
艹+早=草
野生の一年以内に
枯死し茎が
木質化しない植物(草本植物)の総称
粗い・大まかな
大まかな下書き=草稿
荒れた土地、人が足を踏み入れないところ
「草深いところ」
主要な官職・地位に就いていないさま
「中央から遠く離れ
草深いところに住んでいる」の意
「草書(ソウショ)」
漢代に成った書体の名
どんぐり状の堅い実
↓↑
卓=ト+早
ト+日+十
タク・シツ
つくえ・すぐれる
円卓(エンタク)・教卓(キョウタク)
座卓(ザタク)・食卓(ショクタク)
超卓(チョウタク)・電卓(デンタク)
卓上・卓越
↓↑
「圍(囲)」の原字・・・モノの周囲・範囲を回る、巡る
囲=囗+井=井(戸)をかこむ(囗)
「韋=革衣=かわごろも=皮衣」
「革=廿+口∔十」+「亠+𧘇」
身に巻きつけ
纏(まと)う皮
脚絆(きゃはん・脚半)
脛の部分に巻く布
革でできた被服
ゲートル(Gaiters)
カン
いげた(井桁)
から(韓・唐・漢)・・・空洞・空っぽ?
韋=韦(なめしがわ)・・・
韦=ǂ(⺘)+𠃌
二+ㄧ+𠃌
韋=𣍄・𡙝・𡚈・𥐄・𥐅
↓↑
韓=龺+韋
十+日+十+𫝀+口+㐄
「口」形のものをぐるぐる回る様
上下の「𫝀」「㐄」は足
「圍(囲)」の原字
「革衣=かわごろも=生皮をなめした衣」
身に巻きつけ纏(まと)うや皮
カン
いげた
から
韋=韦(なめしがわ)
「葦編三絶」
韦=ǂ(⺘)+𠃌
二+ㄧ+𠃌
韋𣍄𡙝𡚈𥐄𥐅
↓↑
韋=韦𣍄𡙝𡚈𥐄𥐅
𫝀+口+ヰ(㐄)=韋
鞣(なめ)した動物の革
生皮は「皮」
動物の皮を剥(は)いで
平らに延ばし
乾かしたりしたものは「革」
周(まわ)り・周りを囲(かこ)む
同「圍」
違(ちが)う・違(たが)える
同「違」
なめしがわ
ーー↓↑ーー
韓(カン・から・han(ハン))
中国
韓 (西周)
西周時代に存在した都市国家
韓 (戦国)
戦国時代に存在した国
戦国七雄の一国
戦国春秋時代初期
晋の
「韓武子」が
「韓原」
に封じられたのに始り
晋の六卿の一つとして強力になり
前 453年
趙・魏・晋を3分し
前 403年
周の
威烈王から
諸侯として公認
都は平陽
のち
宜陽、陽翟 (ヨウテキ) と移り
前 375年
哀公が
鄭を滅ぼしたのちに
鄭 (河南省新鄭) となった
前4世紀中頃
昭公が
「申不害 (シンフガイ)」
を用いて国内を治め
外敵の侵入を防いだ
秦に隣接していたので
絶えずその侵入を受け
襄王 14 (前 298) 年から
数回、
斉、魏などと協力して
大反撃をした
王安9 (前 230) 年・・・王は安の玖念?
秦の始皇帝に滅ぼされた
法家の代表者の
「韓非子」は
「韓の公族」・・・韓は子に非(あらず)?
↓↑
歴史的地方名
戦国の韓の故地
河南省北部、山西省南部、陝西省東部
のそれぞれ一部
古代朝鮮半島南部に存在した
種族、地域、三韓
↓↑
「韓は帯方郡の南にあって
馬韓
辰韓
弁辰 (弁韓) ・・・辰を弁=ム+廾=弁別
・・・韓と弁=ム+廾=弁別
弁=辨・辯・辮・卞
刂 言 糸 上下
の3種に分れ
南は
倭
と接する」
ーー↓↑ーー
中国
韓 (西周)
西周時代に存在した都市国家
韓 (戦国)
戦国時代に存在した国
戦国七雄の一国
戦国春秋時代初期
晋の
「韓武子」が・・・韓は武の子?
「韓原」
に封じられたのに始り
晋の六卿の一つとして強力になり
前 453年
趙・魏と
晋を3分し
前 403年
周の
威烈王から諸侯として公認
都は平陽
のち
宜陽、陽翟 (ヨウテキ) と移り
前 375年
哀公が
鄭を滅ぼしたのちに
鄭 (河南省新鄭) となった
前4世紀中頃
昭公が
「申不害 (シンフガイ)」・・・猿は害ならず?
を用いて国内を治め
外敵の侵入を防いだ
秦に隣接していたので
絶えずその侵入を受け
襄王 14 (前 298) 年から
数回、
斉、魏などと協力して
大反撃をした
王安9 (前 230) 年
秦の始皇帝に滅ぼされた
法家の代表者の
「韓非子」は
「韓の公族」・・・韓は子に非(あらず)?
↓↑
歴史的地方名
戦国の韓の故地
河南省北部、山西省南部、陝西省東部
のそれぞれ一部
古代朝鮮半島南部に存在した
種族、地域、三韓
↓↑
「韓は帯方郡の南にあって
馬韓
辰韓
弁辰 (弁韓) ・・・辰を弁=ム+廾=弁別
・・・韓と弁=ム+廾=弁別
弁=辨・辯・辮・卞
刂 言 糸 上下
の3種に分れ
南は
倭
と接する」
↓↑
いげた(井桁)・井戸のわく(枠)
↓↑
㐄
𠥼=†+十
とと
↓↑
𠦁=己+十
ト・トウ・ツ
ます
斗=𣁬=𣂑=コ+十=𠦁
液体や物を
掬(すく)う柄杓(ひしゃく)
柄杓状のもの
容量を量るための枡(ます)
新莽嘉量
容量の単位
1斗=10升・約2リットル
時代により差がある
小さい
急に・突然に
同「陡」
闘(たたか)う
同「鬥」
「𠦁栱(トキョウ、トウキョウ)」
同「枓栱」
斗形(ますがた)
方形の木材(枓)
U字形の木材(栱)を組み合わせ
建物の柱の上端に置き
それより上部の
梁(はり)や桁(けた)を
支える部材・建材
二十八宿北方玄武の一
二十八宿
とます
↓↑
皂=白+七
ソウ・ゾウ
皁=𣅖=╹+日+十=白ヒ七𠤎匕=皂
ドングリ(団栗)
コナラ(小楢)
クヌギ(櫟、椚、橡、櫪)
などのブナ科の木の実
一部は食用や家畜の餌
同「梍・橡・コナラ・クヌギ」
「皂莢(サイカチ)」
マメ科サイカチ属のサイカチの木
黒い・黒色
早い時間(日の出前の薄暗い頃)
視るもの全て黒く見えるから
下僕・下級の役人
多く黒い服を着ていた
馬小屋・飼葉桶
下僕が厩の番をしていたから
石鹸・洗剤
どんぐりの実などを原料としたから
↓↑
皃=白+儿
ボウ・ミョウ
かお
貌𧳖𧳒䫉𧳓㹸𨉍㒵=皃
顔立ち、顔や姿の外見、またその様子
外に現れ出た姿、また状態、外見、外観
遥か遠いさま、遠くぼんやりしているさま
同「邈」
↓↑
𤼿=白+丄
白+丨+一=𤼿
與皂同「皂or皀」
「皀」
↓↑
𤽁=白+†
シ
╹+日+十=𤽁
白・白い
↓↑
㚖=白+大
帛=白+巾
↓↑
的=白+勺
╹+日+勹+丶
テキ・チャク
まと
╹日白ノ𠃌勹丶一勺=的
弓で矢を射(い)る時の
目標・標的
同「㢩・墑」
額(ひたい)の部分だけが白い馬
その額の白い部分
女性が
額に施(ほどこ)す
赤い点状の装飾
明らか(な)
はっきりと見える・はっきりしている
よく目立つ
同「旳・𤾠」
狙(ねら)ったところに当たる・当てる
~の~
「我的(ウォダ、わたしの~)」
~のような~
「似的(シィダ、~のような~、~らしい~)」
~な~
「別的(ビィェダ、~とは別な~)」
↓↑
𤽂=白+干
カン・ガン
皔=╹日白二十干=𤽂
白いさま
↓↑
𤽃=白+川
バイ・マイ
╹日白川=𤽃
布の縁(へり)
↓↑
𤽄=白+小
╹日白Tノ丿L乚儿ハ八小=𤽄
↓↑
𤽆=白+丨+」
・・・「丩(キュウ・ク)」の反転文字
「まとめる」
収(收)=収納=:ばらばらの物をまとめる
=収穫・収支・収入
叫=声をまとめてさけぶ・絶叫
糾=ひもをまとめ 糾 ( あざな ) う・・・糸車
赳=筋肉がまとまり 引き締まる
舏=舌でまとめ舐めとる
丱=丫=ア・エ
Y・丫
先端が二つに枝分かれし
Y字状をしたもの
丫頭(アトウ)
髪を左右に分け
耳の上辺りで
環状に結(ゆ)わえた髪形
少女の髪形=女の子
若い女性の小間使い
同「丫鬟(アカン)」
クヮン・ケン・クヮウ
あげまき
丱
通仮字「貫」
異体字「礦・卝・鉱」
. 丱の熟語
「丱女・丱童・丱角」
あげまき
つのがみ(總角)
小兒の髮を束ねて
兩角(フタツノツノとする貌)
いとけなし(幼稚)
クワウ
あらがね・古の「礦」字
↓↑
東日本
大型=スコップ・・・州古都府?
小型=シャベル・・・お喋(しゃべ)る?
西日本
大型=シャベル・・・お喋(しゃべ)る?
小型=スコップ・・・州古都府?
↓↑
「園芸用こて(鏝・小手)・移植ごて(鏝・小手)」
「trowel(トゥラウェル)」・・・当等烏得留・痘羅飢(餓え)留?
シ・・・死・詞・市・史・・・
╹+日+丨+」=𤽆・・・丩⇔ 𠁡・𠁢・ユ・「丱」の右の字
筒状のスコップの形状「丩」
左官職人の「͡こて・コテ(鏝)・小手」状の形
「⺊」
町奉行同心の「十手=ㄐ」の形状?
・・・「御用=ごよう=ゴヨウ」である・・・・
「シンミョウにバクにツケぃ、ッ!!」
「神妙に縛(ばく)につけィ、ッ!」
白・白い
白也・・・お白砂であるぞ、神妙にせィ、ッ!
↓↑
𤽇=白+丨+儿
セン・ゼン
╹日白丿丨乚川=𤽇
泉(いずみ)
水が地表に湧(わ)き出るところ
源(みなもと)・源泉(ゲンセン)
同「泉」
↓↑
㿞=白+毛
ボウ・モウ
╹日白毛㿞]
老齢(九十歳、八十歳・七十歳)
高齢で動作や判断が鈍(にぶ)い
同「耄」
↓↑
敀=白+攴
泉=白+水・・・沓(くつ・👠)
ーー↓↑ーー
・・・国名由来だった・・・???・・・
韓=偉大な・君主
古来からの部族名
馬韓
辰韓
弁韓
に由来
↓↑
高句麗
新羅
百済
の三国時代
↓↑
李氏朝鮮
1910年~1948年
日本統治
↓↑
朝鮮半島南側=大韓民国
1950年
朝鮮戦争勃発
1953年
休戦協定調印
北緯38度を境界線として
南北に分断
↓↑
朝鮮民族の別名で
1897年
朝鮮国(朝鮮王朝)が
清から独立
朝鮮国が国号を
「大韓帝国」とした
↓↑
1910年
日韓併合後
地域呼称は
「韓」~「朝鮮」
1919年
朝鮮独立運動の活動家たちが
中華民国で
大韓民国臨時政府
を採用
↓↑
「大韓民国」
「李承晩」
「金九」
などの意向により決まった
↓↑
1945年
日本の降伏
連合国は
「大韓民国臨時政府」
の承認を否定
朝鮮全土を連合国軍の占領下に置いた
↓↑
1948年
米軍統治下の朝鮮のみで
独立決定
米軍は憲法制定(制憲)国会を招集し
独立準備にあたらせた
憲法起草委員会が
憲法起草
新国家の
国号と年号も決めることになり
国号候補として
「大韓民国」
「高麗共和国」
「朝鮮共和国」
「韓国」
が候補として挙げられ
1948年6月23日採決
「大韓民国」が国号に決定
臨時政府側の
「池青天(チ・チョンチョン)」
将軍(光復軍司令官)が
突然委員会に姿を現し
「国号は『大韓民国』
年号は『檀紀』に即決せよ
さもないと割腹自殺する」
というハプニングがあった
↓↑
日本語の伝統的な異称
「高麗(こま)=狛」
「こまひと(高麗人)=朝鮮半島人」
の異称であった[
↓↑
ヨーロッパ諸語
「コリア(Korea)」
マルコ・ポーロの
『東方見聞録』における
「高麗(コリョ)」
に由来
「Republic of Korea」
「North Korea」
「South Korea」
と略称
↓↑
1991年
南北基本合意書
「相手方の体制を認定し尊重する(第1条)」
批准を経たものでないので
法的拘束力を持っていない
↓↑
1950年6月25日
北朝鮮軍は
韓国との境界
北緯38度線を越えて南下
朝鮮戦争が勃発
韓国軍は敗退を重ね
洛東江以東の
釜山周辺にまで追い詰められた
北朝鮮の侵攻に対して
国連安保理は非難決議
米国を中心とする
「国連軍」を結成
「韓国軍」とともに後退戦
「仁川」上陸作戦で
北朝鮮軍の戦線を崩壊させ
反攻に転換
韓国軍・国連軍は
敗走する
北朝鮮軍を追って
鴨緑江近辺にまで侵攻
↓↑
中国が義勇軍を派遣し
北朝鮮の支援
韓国軍・国連軍を南に押し戻し
再び
「ソウル」を占領
北緯38度線付近で
南北両軍は膠着状態
1951年7月10日から
休戦合意を巡る協議を開始
2年間にわたる戦協議の末
1953年7月27日
朝鮮戦争休戦協定締結
戦闘停止
韓国政府は
休戦協定に署名しておらず
戦争自体も協定上は
停戦状態
↓↑
保導連盟事件
済州島四・三事件
一般市民の大量処刑
↓↑
1948年
「李承晩」
↓↑
1875年3月26日
~
1965年7月19日
大運1961年11月(86歳)庚午正財~
乙亥(戊甲壬)偏印・正官 胎⇔乙巳偏印
己卯(甲 乙)食神・偏印 病⇔癸未偏官
丁亥(戊甲壬) ・正官 胎⇔甲戌印綬
丙午(丙 丁)劫財・比肩建禄⇔庚午正財
午未空亡
↓↑
大韓民国の初代大統領
在任
1948年7月20日~1960年4月26日
戊┏子 傷官 庚┏子 正財
己┣未 食神 庚┣辰 正財
丙┣午 劫財 甲┣申 印綬
甲┗午 印綬 庚┗午 正財
初代大統領に就任~
↓↑
日本から
戦争賠償金を獲得するために
「対日戦勝国(連合国の一員)」
として認定するよう国際社会に要求
連合国から
「認定拒否」・・・拒否!!
1951年
日本国と
平和条約を締結することができず
「李承晩」は
「李承晩ライン」の設置(1952年)
「竹島の占拠(1953年)」
によって
武力で
日本の主権を奪う政策に出た
朝鮮戦争後
「李承晩」は
政敵の排除(進歩党事件)
反政府運動弾圧
不正な憲法改正
選挙など
法を捻じ曲げ
権力の維持を図ろうとしたが
1960年4月19日・・・日本では「六〇年安保闘争」の年
学生デモ(四月革命)
政権は崩壊
「李承晩」
はハワイへ(Hawaii・布哇・夏威夷)亡命
哇=wa=擬声擬態語・・・哇⇔蛙
泣き声=ワー・ワーッ・ワーン・オギャー
倭・和・輪・羽・環・話
↓↑
1961年5月16日
「朴正煕」少将
軍の一部がクーデター( coup d'etat・kuːdeɪˈtɑ)
(仏: coup d'Etat)
国家再建最高会議が権力を掌握
第三共和国憲法の承認後
1963年10月
「朴正煕」
第5代大統領に当選
1979年10月26日
中央情報部長により暗殺
↓↑
1917年11月14日
時憲暦9月30日
~
1979年10月26日
↓↑
大運1979年11月(62歳) 甲辰偏財
丁┏巳(戊庚丙)正官・偏印長生⇔┏己未印綬
冲 戊・偏印
辛┣亥(戊甲壬)劫財・偏印 病⇔┗甲戌偏財
害
庚┗申(戊壬庚) ・偏印建禄⇔ 丙寅偏官
壬 午(丙 丁)食神・偏官沐浴⇔ 甲午偏財
子丑空亡
大運
1959年11月(42歳) 壬午食神
1969年11月(52歳) 乙巳正財
1979年11月(62歳) 甲辰偏財
↓↑
1961年
の軍事クーデター
国家再建最高会議議長
↓↑
1959年11月(42歳)~
壬午 食神
1963年12月17日
癸卯 傷官
甲子 偏財
甲午 偏財
↓↑
1963年~1979年
大統領
「退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史」
「姑息、怠惰、安逸、日和見主義
小児病的な封建社会」
ーー↓↑ーー
・・・「韓」だった・・・
「斎(斉)國」に対する「条約無視の背信」・・・斎王=天照大神の巫女
「シンジちゃぁイケないヤツなのさッ!」・・・リンダ・ヤマモト?
↓↑
「韓信」の
斉國攻略で
「酈食其」は
斉との和平交渉
弁舌(口先三寸?)で
斉の七十余城を
一旦帰順せしめた
だが
「酈食其」に
功績を独り占めにされることを恐れた
「韓信」
「蒯通」
は独断で
斉國を攻撃
和平を反故にされ
怒った
斉王
「田広」により
「酈食其」は
「煮殺された」・・・
↓↑
「酈食其」は
「大きな事を成すものは
細かいことにこだわらない」
と言って「煮殺」された
↓↑
「韓 信」
「劉邦」
の元で数々の戦いに勝利し
「劉邦」の覇権を決定付け
「張良」
「蕭何」
と共に漢の三傑の一人
↓↑
「韓 信」
出身地 淮陰
軍人
繁体字 「韓信」
簡体字 「韩信」
↓↑
「韓信の股くぐり」
「韓信」は
チンピラに
「股をくぐれ」と挑発され
黙って若者の股をくぐった
「恥は一時、志は一生
ここでこいつを切り殺しても
何の得もなく
それどころか
仇持ちになってしまうだけ」
と判断・・・?
↓↑
同時代
戦国時代の
「韓」の王族出身で
同じ名の
「韓信」という人物がおり
「劉邦」によって
「韓王」に封じられ
「韓王信」
と呼んで区別されている・・・
ー↓↑ーーー
始皇帝の没後
陳勝・呉広の乱
紀元前209年
「韓信」は
「項梁」
次いでその甥の
「項羽」に仕えて「郎中」となった
進言したが
「項羽」は用いなかった
↓↑
紀元前206年
「韓信」は
「項羽」を離れ
漢中に左遷された
漢王
「劉邦」の配下
「連敖」の役職に就く
↓↑
罪を犯し
同僚13名と共に斬刑に処されそうになったが
「夏侯嬰」に
「漢王は天下に
大業を成すことを望まれないのか
どうして壮士を
殺すような真似をするのだ」
と訴え
「夏侯嬰」は
「韓信」を助け
「劉邦」に推薦し
「治粟都尉(兵站官)」
になった
「韓信」は
漢軍の兵站の責任者
「蕭何」に異才と認めれ
「劉邦」に推薦
↓↑
漢軍では
辺境の漢中を嫌って
将軍や兵士の逃亡が相次いでいた
「韓信」も逃亡を図り
「蕭何」は慌てて彼を追って
説得
「劉邦」は
「韓信」を
全軍指揮の
大将軍に任命
↓↑
漢中の北の関中を手に入れる策を上奏
↓↑
「劉邦」は
8月
関中攻略に出兵
章邯を水攻めで撃破
「司馬欣」
「董翳」
をも撃破
関中を本拠地とし
「韓王の鄭昌」
を降して
「項羽」と対決
↓↑
紀元前205年
「劉邦」は
総数56万の諸侯との連合軍を率いて親征
「項羽」の本拠地
「彭城」を陥落させたが
斉から引き返して来た
項羽軍の3万に奇襲され大敗
「劉邦」は
滎陽に逃走(彭城の戦い)
「韓信」も敗戦した
漢の兵をまとめて
滎陽で「劉邦」と合流
追撃してきた楚軍を
京・索の中間周辺で迎撃
楚軍の西進阻んだ
「劉邦」は
「項羽」と対峙し
「韓信」の別働軍が
諸国を平定する作戦を採用
裏切って
楚へ下った「西魏王」
「魏豹」を討つことにし
「劉邦」は
「韓信」に左丞相任命
副将の常山王
「張耳」と
将軍の
「曹参」を討伐に送り出した
↓↑
「韓信」は
魏の首都
安邑(山西省運城市夏県の近郊)を攻撃
「魏豹」を虜にし、魏を滅ぼした
北に進んで
代(山西省北部)を占領
趙(河北省南部)へ進軍
「韓信」は
「背水の陣」で
20万の趙軍を
防衛し
別働隊で
城砦を占拠
別働隊と本隊による挟撃で打ち破り
「陳余」を泜水で
「趙王歇」を襄国で斬った(井陘の戦い)
趙の将軍
「李左車」を捕らえ
上座を用意して
「李左車」を先生と賞し戦略を乞い
「『智者も千慮に一失有り
愚者も千慮に一得有り』」
と愚者の策であるとしながらも
燕を下す策を与え
燕(河北省北部)の
「臧荼」を降伏させた
紀元前204年
鎮撫のために
「張耳」を趙王として建てるように
「劉邦」に申し出て、これを認められた
↓↑
「劉邦」は
「項羽」に苦戦
楚に包囲された成皋から脱出し
黄河を渡り
「夏侯嬰」らとともに
修武(河南省焦作市修武県西北)へ赴いた
その際
幕舎で寝ている「韓信」の所に忍び込み
その指揮権を奪った
「劉邦」は
「張耳」ら諸将を集めて
「韓信」を趙の相国に任じ
「曹参」とともに
斉を平定するように命じた
↓↑
「劉邦」は
「韓信」を派遣した後で気が変わり
「酈食其」を派遣し
斉と和議を結んだ
紀元前203年
韓信は斉に攻め込む直前で
斉が降ったと聞いて軍を止めようとした
「韓信」の軍中にいた弁士
「蒯通」は
「劉邦から
進軍停止命令は未だ出ておらず
このまま斉に攻め込むべきである
酈食其は舌だけで
斉を降しており
このままでは
韓信の功績は
一介の儒者に過ぎない
酈食其より劣る
(斉は70余城を有し
韓信の落とした50余城より多い)
と見られるだろう」
と進言
「韓信」はこの進言に従って斉に侵攻
怒った斉王の
「田広」は
「酈食其」を
釜茹でに処し
高密に逃亡した
↓↑
斉は楚に救援を求め
「項羽」は将軍
「龍且」と亜将
「周蘭」に命じて20万の軍勢を派遣
「龍且」は
「周蘭」から持久戦を進言されたが
「股夫」の印象に影響され
「韓信」を侮って決戦を挑んだ
「韓信」は決戦の前夜に
濰水の上流に土嚢を落とし込んで
臨時の堰を作らせ
流れを塞き止めさせ
「韓信」は敗走を装って
「龍且」軍をおびき出し
楚軍が半ば渡河した所で堰を切らせ
押し寄せた奔流に
「龍且」の20万の軍勢は押し流され
「灌嬰」の軍勢に討ち取られ
「周蘭」も
「曹参」の捕虜となった
↓↑
「韓信」は
「劉邦」に対して
斉の鎮撫のため
斉の仮の王となりたいと申し出たが
「劉邦」は「韓信」が身勝手であると反発
「張良」と「陳平」は
認めなければ
「韓信」は離反し
斉王を自ら名乗って独立勢力となると指摘され
一転
「仮の王などとは言わずに、真の王となれ」
と
「斉王韓信」を認めた
「韓信」は
「戦国の七雄の大国の斉」を領有
河北の趙・燕を支配する大王となり
西楚、漢、斉の三国が鼎立
「韓信」に
「項羽」も恐れ
「武渉」を派遣し
「漢と別れ
楚と共に
漢に対するべき」と説いたが
「韓信」はこれを即座に断った
「蒯通」から
天下三分の計を献策されたが
「劉邦」への恩義を選び、これを退けた
「蒯通」は後難を恐れ
狂人の振りをして出奔
↓↑
「劉邦」は
「張良」の進言により
「韓信」に
「三斉(斉、済北、膠東)王」
として改めて戦後の斉王の位を約束
援軍を要請
「韓信」は30万の軍勢を率いて漢軍に参戦
漢軍は
垓下に楚軍を追い詰め
垓下を脱出した
「項羽」は冬12月に
烏江(安徽省馬鞍山市和県烏江鎮)で自決
楚漢戦争終結(垓下の戦い)
↓↑
紀元前202年
「劉邦」は
「本来楚王となるべき義帝には御子が居ない
韓信は楚出身であり
楚の風土・風習にも馴染んでいる」
として
「韓信」を
斉王から楚王へと移封
楚は
「韓信」の故郷
名誉であり栄転であったが
城の数では
七十余城~五十余城に減った
↓↑
淮陰に凱旋
「韓信」は
飯を恵んでくれた老女
自分を侮辱した若者
居候させていた亭長
を探して呼び出し
老女に大金を与え
股くぐりをさせた若者に
中尉(治安維持の役)に任命
亭長には
「世話をするなら
最後まで
面倒を見よ」
と戒め、百銭を与えた
↓↑
「韓信」は
「劉邦」によって捕縛
「多多益善」
「将に将たり」
↓↑
紀元前201年
同郷で旧友であった楚の将軍
「鍾離眜」を匿い
「韓信」は
「劉邦」の不興を買い
嫉妬した者が
「韓信に謀反の疑いあり」と讒言
「鍾離眜」は
「漢王が私を血眼に探すのは
私が恐ろしいからです
次は貴公の番ですぞ」
と言い残し、自ら首を撥ねた
その首を
「韓信」は
持参して謁見したが
謀反の疑いありと捕縛
韓信は
「狡兎死して良狗烹られ
高鳥尽きて良弓蔵され
敵国敗れて謀臣亡ぶ
天下が定まったので
私もまた煮られるのか?」
と
「范蠡」の言葉を引いた
「劉邦」は謀反の疑いについては保留し
「韓信」を
兵権を持たない「淮陰侯」へと降格
↓↑
「陳豨」が
「鉅鹿」郡守に任命され
出立にあたり長安の
「韓信」の屋敷に挨拶にやってきた
「韓信」は
「陳豨」に
「私が天下を取るまでだ」と言い放ち
一計を授けた
「陳豨」が謀叛すれば
「劉邦」は激怒して自ら討伐に赴き
長安は空になる
その隙に自分が長安を掌握する
反乱の頻発に現れているように
天下には不満が渦巻いているので
諸国も味方に就くだろう」
と
↓↑
紀元前196年の春
「陳豨」は
鉅鹿で反乱
劉邦は鎮圧のために親征し、都を留守にした
「韓信」は
長安で反乱を起こし
囚人を解放し配下とし
「呂后」と皇太子の
「劉盈(恵帝)」
を監禁し政権を奪おうと謀ったが
「韓信」に恨みを持つ下僕が
「呂后」に密告、計画は事前に発覚した
相国の
「蕭何」は
適当な者を「劉邦」からの使者に仕立て
「陳豨が討伐された」
と報告をさせ、長安中に布告
「韓信」は計画が頓挫したと合点
病気と称して自邸に引篭もっていたが
「蕭何」は
「病身であることは知っているが
自身にかけられた疑いを晴らすためにも
親征成功の祝辞を述べに参内した方が良い」
と招いた
「韓信」はおびき出され、捕らえられ
「劉邦」の帰還を待たずに
長安城中の未央宮内で斬られた
間際に
「蒯通の勧めに従わなかったことが心残りだ」
と・・・「韓信」の三族も処刑された
↓↑
「陳豨」の討伐を終えて帰ってきた
「劉邦」
最初は
「韓信」が死んだことに悲しんだが
「韓信」の最期の言葉を聞いて激怒し
「蒯通」を捕らえてこれを誅殺しようとした
「蒯通」が堂々と抗弁し
助命された・・・
ー↓↑ーーー
「食」の漢字に似ている字は・・・
↓↑
倉=亼+日+丿+口
亽+日+丿+口
人+一日+丿+口
仓=𠆢+㔾
㔾=跪いている人(㔾)の形
ソウ
小くら
にわか
くら・納屋・物をしまっておく所
にわか・あわただしい・あわてるさま
青い=蒼・・・青天霹靂
↓↑
良=╹ +艮・・・艮=丑寅(牛虎)
リョウ・ロウ・よい
𡰩・𡆨・𥭣=良=𣌣
=𣌣=白+乚+人
↓↑
ヒ七𠤎匕・・・乇
↓↑
鼡=⺍+𠂡
異体字「𡿳・𩖟・鼠」
鼠=臼+𠄌+冫+𠄌(㇙)+冫+𠄌(乚)
↓↑
𧘮=亠+凶+𧘇
キョウ
↓↑
褎=亠+E+禾+𧘇
そで
シュウ・ジュ・ユ・ユウ
異字体「褏」
↓↑
表=士+亠+𧘇(ノ㇙七)・・・ヒ七𠤎匕
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衣=上衣
亠=肩幅・・・トウ・ズ・・・音の略字
𧘇=袖・前襟を斜めに合わせた形
裳=下衣
服=衣装全般
果実の皮
鳥の羽毛
器物や食物を包む袋・・・貫頭衣
動詞は
服を着る・着せる
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亠=肩幅・・・トウ・ズ・・・音の略字
なべぶた・けいさん・けいさんかんむり
易の卦算(けいさん)
の形に似ていることから
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亡=亠
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六=亠+八
リク・ロク
む・むい・むっつ・むつ
𠫪=ム+中+亠+八=六
数の名、六番目の数
工尺譜
(コウセキフ・コウシャクフ
楽譜の表記法の一)
「ソ(G)」を表す {音階}
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卞=亠+卜
ヘン・ベン
方法・決まり
せっかちなさま
冕(ベン)=礼装用の冠
同「冕・弁・冠」
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𠫓=亠+ム
トツ・ドチ
𡿮=亠+ム+巛
思い掛けずに現れるさま
逆子(さかご)
思い掛けずに逆子が生まれる
「𠫓」は「子」を天地逆にした形
通常は頭から生まれ出る子が
「逆さになって
足の方から生まれるさま」の形象
「𡿮」の「巛」は頭髪
「上にあるべき頭髪が
下にあるさま」を象ったもの
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市=亠+巾
シ・ジ・いち
人が多く集まり物品などを
売買・交換する場所
人が多く集まる所
「町」よりも大きな行政区画
「亠+巾=市」
「一+巾(冂丨)=巿」とは別字
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𢌮=亠+廾
ロウ・ル
「𢌮=亠+與=弄」同
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𣅀=亠+日
シ
むね・うまい
旨㫖𣅌𠤔𤮻𠩊𠮛=𣅀
むね、意図していること、意向
天子や上位者の指示や命令
その考えや意向
うまい・美味・食べ物がおいしい
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𣅂=日+亠
シャ・ショ・ソ
かつ
且𠀇𠀃=𣅂
~と同時に・その上に・更に
ひとまず・取り敢えず・間に合わせに
将(まさ)に~せんとす
今にも~しようとする
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𣫭=亠+毋
バイ・マイ
毎每=𣫭
同じように
同じことの繰り返し
常に・その度(たび)に
一つ一つ
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𣱵=亠+水
エイ・ヨウ
ながい
永𠘷=𣱵
川の水が途切れずに
延々(エンエン)と流れるさま
時が延々と続く
途切れずに長く続く
久(ひさ)しい
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亢=亠+几
亦=亠+刂+ㇵ
亥=亠+丩+人
交=亠+ハ+乂
亨=亠+口+了
享=亠+口+了+一
京=亠+口+亅+ハ
亭=亠+口+冖+丁
亰=亠+日+亅+ハ
亮=亠+口+冖+儿
亳=亠+口+冖+乇(タク)
亶=亠+回+旦(日一)
タン・セン
あつい・ほしいまま
ーーーーー
・・・???・・・
酈=麗+阝
異体字「郦・𨟫・𨜥・𨼓」
簡体字「郦」
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酈道元
「水経注」
北魏時代の地理書
水系ごとの地理をまとめた
漢代の『水 経』に
「酈道元」が註をつけた書籍
古代中国を代表する地理書
魏晋南北朝 時代
北朝の北魏の
「酈道元(レキドウゲン)が編纂
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漢から三国の魏のころまでに編まれた
『水経』書に註を施したもの
全40巻、30万字
註の文は
原書の文字の20倍
中国各地の河川について
長江・黄河を中心に
水路ごとの
地形、産物、鉱物、風俗、歴史
などを記述
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酈道元(465?~527)
527年に反乱軍に殺された
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河北省涿郡の人
記録は
文学的で、詩のような、絵画のような描写
長江上流の有名な三峡では
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空谷の伝響
哀転久しく絶える・・・
巴東三峡
巫峡長し
猿啼三声
涙裳(もすそ)を沾(ぬら)す
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酈道元
北魏に使える地方官
政治は「厳酷」
東荊州刺史(州知事)になったとき
住民の恨みを買って罷免
10年後に再雇用
河南尹から
安南将軍、御史中丞となった
527年に反乱で殺された・・・
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原文
水経注/酈道元 - 世界史の窓
https://www.y-history.net/appendix/wh0301-078_2.html
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ーーーーー
・・・???
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「ジーザス (Jesus)」
「イエス(救い)」
の英語読み
「(膏をつけられた者)」
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『ジーザス・クライスト・スーパースター』
(Jesus Christ Super star)
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日本語表記
「イエス」
「ヨシュア」の
ギリシャ語形
「イエースース(Ίησοῦς)」
ラテン語形
「イエースース(Iesus)」
「イエズス」(カトリック教会の呼び方)
「イイスス」(正教会)・・・エジプトの「イシス女神」?
「イエスス」(共同訳)
「エス」とも
ポルトガル語に由来する
「ゼス・ゼズス」
英語
「Jesus(ジーザス)」
中国語
「耶穌=耶稣 (Yēsū)」
日本語訳版聖書
ヘブライ語
旧約聖書で
「ヨシュア」
ギリシャ語
新約聖書で
旧約に登場する
「ヨシュア」を指す場合を除いて
「イエス」と表記
英語版聖書で
「Joshua(ヨシュア)
Jesus(イエス)」
と書き分けられている
新約聖書ギリシャ語本文で
旧約の
「ヨシュア」を指す場合も
「イエースース」と表記
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「イシス=石守・石州・石須・医師守・意思主・意志守・・・」
「イシス=Isis=エジプト神話の豊穣の女神
ヘリオポリス九柱神の1
トビの翼を持つ
ハトホル女神と習合され
頭部に牛の角
太陽円盤を戴冠
ギリシャ名
「イシス」=「椅子(イス・王座)」の意
エジプト名
「アセト」
時に
エジプト人は
「アセト=イーシス」を
「アテーナー(Aqhna・Aqhvnh)」とも呼んだ・・・?
「アテーナー=私は自分から生まれた」
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父=大地の神ゲブ
母=天空の女神ヌト
兄=オシリス
弟=セト
妹=ネフテイス
養子=アヌビス(オシリスとネフテイスの子)
子=ホルス・・・イシスと近親婚で四人の子
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・・・???・・・
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