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コジキジゲン

努々(ゆめゆめ)、民族主義者、確信犯の「空言・妄想」だと思うなョ、ナッ

2013-11-27 17:16:21 | 古事記字源

 「攻め来て恐ろしきモノ」は「大陸 中国の盗人頭目人種」で・・・「寄って為し留まる」つもりであるらしい・・・「大陸 中国の盗人人種が入りたる」・・・近き隣の韓国、 北朝鮮、 モンゴル、そして、比律賓、越南、 ラオス(羅宇・老檛・老・老撾・老・寮國・寮)に「大陸 中国の盗人の入りたる」・・・そして、既に、わが住む所には「善人、悪人の混じりたる70万人の大陸 中国人」が入りたるのに、唯、わが住民は盗まれたモノが何であったのか記憶もナク、ムジカクで何とも知らずであるらしい・・・「大陸中国の盗人頭目」にオオピラに「 朝鮮 両国の手下盗人」も加担するが・・・大枠の盗人はムカシ、ムカシから「某国人の人種」ではなく、 亜米利加、露西亜、 欧羅巴、ニッポンも含め「合法的に掠め盗みとる各国支配階級」と云う「 国籍不明の人種」で、「国境枠内で嘘と 隠蔽」の「盗みの分け前の法律」を作り、「国家、国民の国益」など喚き立てるが、こいつ等には原則、「国家も国境」もない・・・「盗みの分け前」を巡って「戦争」をしてきたのは、この「人種達」である・・・そして、掠め盗まれるコトを前提にした「自由であるヒトビト」には、「強制居住地区」があるのみでアル・・・
  中国国内の搾取に行き詰っている「大陸 中国の盗人頭目人種」達はホンキで「三獄死」を世界規模でヤルつもりらしい・・・
 「プチブル民主主義者」は「盗人の 善意」にキタイしてはナラナイ・・・
 「たのもしきもの心地」は「親どものかたはら」のみ・・・

 ・・・やっと、ボクのオモイが重なっている段に・・・弐百五拾四段・・・勝手な妄想だが・・・
ーーーーー
  枕草子
 (二五一段)・・・「弐百五拾壱・弐五壱」段
           2+5+1=8=八=捌
           2×5×1=10=拾=足
 せめて
 おそろしき
 もの
 夜鳴る神。
 近き隣に
 盗人の入りたる。
 わが住む所に
 入りたるは、
 唯
 物もおぼえねば、
 何とも知らず。
ーーーーー
 (二五二段)・・・「弐百五拾弐・弐五弐」段
           2+5+2=9=九=玖
           2×5×2=20=二十=弐拾=念
 たのもしきもの
 心地
 あしきころ、
 僧
 あまたして
 修法したる、
 思ふ人の
 心地
 あしきころ、
 眞に
 たのもしき人の
 言ひ
 慰め
 たのめたる。
 物
 おそろしき折の
 親どもの
 かたはら。
ーーーーー
 (二五三段)・・・「弐百五拾参・弐五参」段
           2+5+3=10=十=拾=足
           2×5×3=30=三十=参拾=参足
 いみじう
 したてて
 壻
 取りたるに、
 いとほどなく
 すまぬ壻の、
 さるべき所などにて
 舅に逢ひたる、
 いとほし・・・・・・イト欲し
 とや思ふらん。
 ある人の、
 いみじう時に
 逢ひたる人の
 壻になりて、
 一月も
 はかばかしうも
 來で止み
 に
 しかば、
 すべて
 いみじう言ひ騒ぎ、
 乳母など
 やうの者は、
 まがまがしき事ども
 いふもあるに、
 その
 かへる年の
 正月に藏人になりぬ。
 「あさましう
  かかる
  なからひに、
  いかでと
  こそ
  人は
  思ひためれ」
 など言ひ
 あつかふは
 聞く
 らんかし。
 六月に、
 人の
 八講し給ひし所に、
 人々集りて聞くに、
 この藏人になれる壻の、
 綾の
 うへの
 袴、
 蘇芳襲、・・・・すおうカサネ
         蘇方宗・訴報酬
         ↓
         蘇芳・蘇方・蘇枋
         >マメ科の落葉小低木
         葉は厚くツヤがあり
         羽状複葉
         春、黄色い五弁花を円錐状につけ
         さや状の赤い実がなる
         心材は赤色染料とする
         染め色の名
         ハナズオウの通称
         蘇方木
         ↓
      烏里雅蘇台将軍
      清代の官職名・モンゴリア西部の
      ウリヤスタイ(烏里雅蘇台)に駐在し
      外モンゴル諸部、コブド(科布多)、
      ウリヤンハイ(烏梁海)
      全域の軍政を指揮監督
      定辺左副将軍(官名)
         ↓
       淵蓋蘇文=泉蓋金
      (?~665年・宝蔵王二十四年)
       高句麗末期の宰相・将軍
       これは姓の
      「淵(泉)」を高句麗語の訓読みで
      「いり(高句麗語で水源)」
      「蓋蘇文」を音読みで
      「かすみ」と発音した
      「伊梨柯須彌
      (伊梨柯須弥・いりかすみ)・日本書記」
       ↓
      642年(栄留王二十五年)
      千里長城を築造し唐の侵入に備え
      親唐の
      第二十七代王・栄留王、及び
     「伊梨渠世斯(いりこせし)」等、
      180人の親唐の貴族を弑害
      宝蔵王を
      第二十八代王に擁立
      大莫離支
     (だいばくりし=最高官職)に就任
      高句麗内で対立していた
      楊萬春とともに
      淵蓋蘇文は実権を握った
      643年(宝蔵王二年)
      淵蓋蘇文は高句麗に救援要請の
      新羅の
      金春秋(武烈王)を監禁
      新羅と唐との交通路の
      党項城を占領
      唐へ使臣を派遣し、
      道教の道士八名が
     「道徳経」を持ち込む
      644年(宝蔵王三年)
      新羅との和解勧告の唐の太宗の要求を拒否
      645年(宝蔵王四年)
      唐は十七万の大軍で高句麗出兵
      高句麗の
      楊萬春が
      安市城で阻止し、
      六十余日間の防戦後、唐軍を撃退
      その後四回の唐の侵入を
      楊萬春が撃退
      ↓
      蘇定方=唐の百済征討派遣(660)将軍
          「神丘道行軍大総管」
           百済を滅亡させた後に帰国
           高句麗、百済の
           残党が
           国家再興を謀り戦闘を継続したので、
           再度
           高句麗征伐の為
          「遼東道行大総管」として派遣
      蘇定方→蘇我氏
ーー↓
 黒半臂など・・・・半臂(はんぴ)
          武官束帯や舞楽の装束
          ハンヒ→判比・版比・叛日
 いみじう・・・・・意味字得
 鮮かにて、・・・・あざやかにて
          朝鮮爾出
 忘れ
 にし・・・・・・・西
 人の
 車の・・・・・・・「くるま→句留真」之
          「シャ→写」埜
 とみのをに、
 半臂の
 緒・・・・・・・・著書
 ひき・・・・・・・牽き
 かけ・・・・・・・掛
 つば・・・・・・・通葉
 かり・・・・・・・仮・借り
 にて・・・・・・・爾出
 居たりしを、
 いかに見るらんと、
 車の人々も、
 知りたる限は
 いと
 ほしがりしを、
 他人
 ど
 もも、・・・・・・百→百済
 「つれなく
  居たり
  しも
  の
  かな」
 など後にも
 いひき。
 なほ
 男は
 物の
 いと
 ほしさ、
 人の
 思はん
 ことは
 知らぬ
 な
 めり。
ーーーーー
 (二五四段)・・・「弐百五拾四・弐五四」段
           2+5+4=11=十一=壱壱=壱足壱
           2×5×4=40=四十=四拾=肆足
 うれ
 しき
 もの
 まだ見ぬ
 物語の
 多かる。
 又
 一つを見て、
 いみじう
 ゆかしう
 覺ゆる
 物語の、
 二つ
 見つけたる。
 心
 おとり
 する
 やうも
 ありかし。
 人の
 やり
 捨てたる
 文を見るに、
 同じ
 つづき
 數多
 見つけたる。
 いかならんと
 夢を見て、
 恐しと
 胸
 つぶるるに、
 ことにも
 あらず
 合せなど
 したる、
 いとうれし。
 よき人の
 御前に、
 人々
 數多
 侍ふ折に、
 昔
 ありける事
 にも
 あれ、
 今
 聞
 しめし、
 世に
 いひける事
 にもあれ、
 かたらせ給ふを、
 われに
 御覽じ
 合せて
 のたまはせ、
 いひきかせ給へる、
 いとうれし。
 遠き所は
 更なり、
 おなじ
 都の
 内ながら、
 身に
 やんごとなく
 思ふ人の
 惱むを
 聞きて、
 いかに
 いかにと
 覺束なく
 歎くに、
 おこたり
 たる
 消息
 得たるも
 うれし。
 思ふ人の、
 人にも
 譽められ、
 やんごと
 なき人
 などの、
 口
 をし
 から
 ぬものに
 思しの
 たまふ
 ものの折、
 もしは
 人と
 言ひかはしたる
 歌の聞えて
 ほめられ、
 うちききなどに
 譽めらるる、
 みづからの
 うへには、
 まだ
 知らぬ事なれど、
 猶
 思ひやらるるよ。
 いたう
 うち解け
 たらぬ人の・・・・足ぬ人之・不足人埜
 いひたる
 古き事の・・・・・古事記之
 知らぬを、
 聞き
 出でたるも
 うれし。
 後に・・・・・・・語爾
 物の中などにて、
 見つけたるは
 をかしう、
 唯
 これに
 こそ
 ありけれと、
 かの
 いひたりし人
 ぞ
 をかしき。
 檀紙、
 白き色紙、
 ただ・・・・・他拿
 の・・・・・・之・埜・廼・乃・能
 も、・・・・・摸・模
 白う・・・・・シロウう・史郎得
 清きは
 得たるも
 うれし。
 恥しき人の、
 歌の
 本末
 問ひたるに、
 ふと
 おぼえたる、
 われながら
 うれし。
 常には
 おぼゆる事も、
 又
 人の
 問ふには、
 清く忘れて
 止みぬる
 折ぞ
 多かる。
 頓に・・・・・・トミに・トンに
 物
 もとむるに、
 見出でたる。
 只
 今
 見るべき
 文などを、
 もとめ失ひて、
 萬の物を・・・・・太安万侶・古事記
 かへす
 がえす
 見たるに、
 捜し
 出でたる、
 いと
 うれし。
 物
 あはせ、
 何くれと
 挑むことに
 勝ちたる、
 いかでか
 嬉しからざらん。
 又
 いみじう・・・・・意味字得
 われはと思ひて、
 したり
 がほなる人
 はかり得たる。
 女どち
 よりも、
 男は
 まさりて
 うれし。
 これが
 たうは・・・・・・「問・答・唐・当・読」葉
 必・・・・・・・・カナラズ
 せんず・・・・・・「選・撰・潜」事(図)
 らんと、・・・・・「蘭・乱・藍」徒(賭)
 常に
 心づかひ
 せらるるも
 をかしきに、
 いと
 つれなく、
 何とも
 思ひ
 たらぬ・・・・・足らぬ
 やうにて、
 たゆめ・・・・・弛め・多夢
 過すも
 をかし。
 にくき者の
 あしきめ
 見るも、
 罪は
 得らんと
 思ひながら
 うれし。
 指櫛・・・・・・ゆびぐし
         シセツの同音異字のスベテ
 むすばせて、
 をかしげなるも
 又
 うれし。
 思ふ人は、
 我身よりも
 勝りて
 うれし。
 御前に
 人々
 所もなく居たるに、
 今のぼりたれば、
 少し
 遠き
 柱のもと
 などに
 居たるを、
 御覽・・・・・音覧
 じつけて、・・字付けて
 「こち來」
 と
 仰せられたれば、
 道あけて、
 近く
 召し入れたる
 こそ
 嬉しけれ。
ーーーーー
 ・・・・ウレシけれ・・・

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