kirekoの末路

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人間の尊厳とは

2007年05月26日 16時14分37秒 | 末路話
コマンダー氏のニュース論文を読んで@kirekoです。


>コマンダー氏のところから

http://blogs.yahoo.co.jp/commander8202001/49098332.html

■感想
人の手に握られた生きた鳥を、サファリカーのケージから
擦り付けるように肉食動物に与えるのは流石に耐え切れんかった。
私は動物愛護団体とかも好きなほうじゃないが、
この映像で笑っている観客に唖然とし、落胆した。
しかし私がこれも人間の一つの真理と捕えてしまったことや、
常識では考えられない異常な快楽を求める富裕層のためには
その命を生きたまま嬲り殺す事例があるという事、そしてそれを見る輩が
人間としての快楽の美徳と考えているとも思えてしまうという情景は
言葉にするに私の考え含め『凄まじいもの』だと感じた。


動物愛護の精神はそれほど無いが、命を扱う者として非常に憤りを感じる。
これは人間として、人間の尊厳をかけて許されざるべき行為だと痛感する。


しかし、ここで私の悪い癖が出てしまう。
金銭的に見ると非常に方法が悪辣だが
合理的で正しいことのように思えてしまう。
動物園の回転資金が無くなり、餌を与えることも出来ずに殺すことよりは
非常にキツイ言い方かもしれないが、有益だとは思う。
動物が居なければ動物園という見世物小屋も成り立たなくなり、
今度は飼っていたはずの人間がのたれ死ぬ。

事実ただ餌を与える場面を見ても観客は来ない、
それなら餌を追い立てて価格にして売ったほうが合理的で
なおかつ人間の残虐性を刺激するには十分な材料だろう。
餌を与える金が無ければ、動物は死んでしまうし、
経営の成り立たない動物園を復活させるために手段を選ばない
非常の選択をして、こうなったのならば正義常識はどうあれ、
本人達はやっきになってアイデアをひねり出し、金を儲けようとする
例えは極論だが、北海道の旭川動物園とある意味
努力の方向を間違えたカタチではあるが
やっていることは同じだと私は考える。

コマンダー氏は闘牛などの例題は非常に判りやすく
命にかける尊厳がいかに重要であるか、それも理解できる。
が、どんなに尊厳めいた事を言っても、それは人間のエゴだろう。
どこかで読み聞いたが、闘牛が終わった後
その試合で使われた牛はその場で解体され、食肉として売買されるという。

そのことを思うと人間の原罪とは実に罪深いものなのだなと思う
食べるものをただ食べるために飼っているのではなく、刺し殺し、
射殺し、お互いが皮を抉り、血を流し、力出し尽くすまで闘わせ、
そこに興奮を得る。

この行為のどこに尊厳があるというのだろうか?いや、存在しないだろう。

言葉は悪いと思うが、今回のサファリパークも、闘牛も、
競馬やドッグレースなどのギャンブルも
全て動物を使った見世物小屋だと思う。


まあ他に金銭を稼ぐ方法を知らない無知さも、
残忍なショーを見せて金が入ればいいのかと思ってしまう
人間としての自尊心や、良心の呵責に苛まれることがない人間が行う
愚かな行為の一つだとニュースを見て、私はそう認識した。

ただ残念なことに、この報道によって
面白半分の快楽を求めて海外からの客が増えてしまうことが
あるとしたら酷く遺憾だと思う。

対価と自尊心を天秤にかけて、真実はどうかわからないが
そのバランスが対価に寄って、なおかつその快楽のために金を出す輩。
つまり需要があったからこそ、やっているのかもしれない。

たしかに人間の常識と尊厳の範疇から考えると狂っているが、
必死の事態ということになったり、金のためになら悪魔にも魂を売れる。
そこもまた人間の一部なのだと思った。


2007年5月26日 kireko

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