鮎の俳句日記

その日の徒然を載せていきます

第三の目

2012-06-02 10:08:28 | 句鑑賞 Ⅰ(土)




          青陽や第三の目の老いにけり





               柴田由乃


               平成16年






「第三の目」とは よく仏像の額に丸いいぼのようなものがつけられているが
あれが 第三の目の象徴で
誰にも 本来備わっている 
高次元世界を見る能力を表す
仏はその能力を完全に開花させたという意味で
仏像にはその印が付けられているのである

私たちは 普段四次元の 時間 空間世界で生きていて
それに なじんでいる
従って高次元 異次元といっても 何のことかわからないし
現代では 頭から否定する人が大半であろう

しかし 真面目に人生を考え
仏陀やイエスなどの 努力に敬意を表すなら
やはり 高次元世界を避けて通る事は出来ないだろう

作者は 不思議なことに 生まれつき
異次元世界を見る 能力が人より強く現れているようである
或いは 神仏に祈って事象を左右することもあるようだ
ある時 こんな話を心理学の先生にすると
余りひどいようなら 精神科にかかるといいですよ
との アドバイスを受けた
科学や 学問が 人の目を曇らせる実例を見た思い出あった



この句はその 能力が このごろ少し衰えたかな
ということを 述べているようである。

誤解を避けるために すぐ付け加えると
この 能力は誰にも備わっているものだという
第六感や直感は誰にも覚えがあるが
「気のせいかな」で済ませしまうため
出番が少なく働きが弱くなってしまうのだ

俳句の霊感やインスピレーションも 第三の目の働きと言ってよいのではないか。

第三の目は魂の目である
これを 磨けばきっと 人生の様々な災難も避けることが出来
逆に 幸せを 招くことも 出来るのだ

風にそよぐ木の葉に
ふりそそぐ 日光の光の中で舞う 蝶のしなやかな動きに
心の隅にふっと浮かぶ思いに
霊感を感ずる繊細な目さえあれば
誰もが魂の目を磨くことが 出来るのではないだろうか。

今津大天
俳句の対話術より





由乃先生は
はっとみて いつも的確な ことを言ってくださっような 気がします。

そして「 あなたは 字ずらで 句をみていようですね」
そんな 言葉がおもいだされます。

自分でも きずかない ことを 言われたとき
あらためて そうだったのだ と おもい起こすことが おおかったように 思います。

そして 歯に衣を着せずにためになることなら
なんでも 言っていただけました。

そして 亡くなるときの最後の言葉は
「ごめんね」

それが 何を意味するものか 多々あることですが
それは 人を思う気持ちから出た 言葉ばかりです。


俳句を詠っていく上では
第三の目も 大事
そんな 心の目 ほしいですね。



最新の画像もっと見る