こんばんは。
冷えますねぇ、寒いです。
関東あたり、明日は観測史上最も寒くなるともいわれておるようですね。
首都高も通行出来ない箇所あるいは、出来ないのかかなり交通もマヒしているようですし早く平常に戻れればと思います。
とはいえこのあたりも明日も引き続き寒くなりそうです。
朝は久しぶりで道路も白くなっておりましたが、日が出るとその懸念もなく消えていきました。
六時台に写しましたので、まだかなり暗いですね。
今朝はまた車を借りるため、竹やぶの中の道を通り始発のバスに乗りました。
乗り込んだ後に見えてきた景色がとても綺麗で、雲越しに見える昇る太陽、照らされた雲の端が虹色になり輝いておりました。
その雲間から黄色とも金色とも見える太陽の姿が見えてなんとも言えぬ光景でした。
隣に人がおられないなら、こっそり写真を撮りたいくらいでしたけれど、さすがにそれは止めておきました;。
日常のごく何気ない光景ですけれど、その中にもこんなに感動することがあるんだなと思える瞬間でもありました。
本当はそんな日常の中にいくらでも心が洗われるような光景を目にすることはたくさんあるのでしょうけれど、すぐに別のことに気持ちがとら
われてしまい、そんな思いもすぐに引っ込んでしまうのかもしれませんね。
それともそんなことに気を取られる自分の方がやはりどこかずれているだけなのかもしれません;。
新年のお祓いは午後から出向かせて頂くこととなっておりましたので午前中は車を取りに行った後はしばらく自宅でのんびりしておりました。
そんな中でよくご紹介するこちらでブックマークさせて頂いております『虹色の空に金色の風』のTomokatsuさんが今朝はタケミナカタ、建御名
方神(たけみなかたのかみ)かと思われますけれど、その存在をチャネリングされ言葉を下ろしておられましたので、自分もそこへ繋がってみ
ました。
この建御名方神は諏訪湖近くにあります諏訪大社の御祭神とされております。
古事記では大国主大神の御子神でまた事代主神(ことしろぬしのかみ)の弟神ともされておるようですね。
また国譲りの神話とされる場面でもこの神様が出てこられ建御雷神(たけみかづちのかみ)と勝負したところ、最初は大きな態度で挑んでおり
ましたが、最後にはこの建御雷神に追われるようにして逃げ科野国(信濃国)の州和海(すわのうみ、諏訪湖)まで追い詰められます。
その際、建御名方神は此の地から決して出ない事と国を譲るという約束をしたとされております。
神話の中ではそのような神様とされておられますけれど、Tomokatsuさんご自身が繋がったのはそのスピリットとでもいう存在であるのかもと
感じます。
繋がって下ろされた言葉はご自身の今日のブログへ書かれておられますので、そちらをご覧いただければと思います。
自分自身は、この建御名方神あるいはタケミナカタを感じてみたところでは次のようでした。
建御名方神
〝 湖面を渡る風に揺らぐように身を委ねよ
そのままであれ
抗うのではなく その場に応じた 姿であれ
自然体で 居ろ 〟
諏訪湖岸?が浮かぶ
言葉を聴いただけで涙ぐみそうになる
懐かしいような 温かいような そんな感じ
以前にも何かの喩えとして水の変化を申したように思います。
ある時には水蒸気のように目に見えない小さな粒子として存在し、それが雲となり雨を降らせ地上に降りてきて川の流れとなりやがて海へと
流れ出す。
その折々で最初のように見えない存在であったものが雨粒としてある程度の大きさを持つまでになり、それが地上に達すれば流れになったり
する。
その流れもはじめは岩肌をつたう程の細いものであったのが次第にその勢いを増し、やがて大きな流れへと繋がり、その間にも途中の田畑を潤す
ような役割を果たしながら広い河口へと辿り着き、大海原へと注ぎ込む。
そのどこの過程を切り取ってみても、その中身は全て同じ水ですけれど、その置かれた場所により様々な水の顔とでも言えるような変化を見せて
くれております。
此処ではこのようにしようという意図は水そのものには存在するのかどうかはわかりませんけれど、その時々の気温や周りの環境により如何様にも
姿を変えております。
ある種たおやかとも言えそうな位の変化をこともなげにこなしてしまう?とも思える水。
その水のようにその場その場で抗うことなく、流れに委ねなさいということなのでしょうか。
諏訪湖には恥ずかしいかな、当然;参ったことなどございません。
ですけれど想念の中には湖岸の葦でしょうか、そこの岸にたゆたうように波が打ち寄せる様が浮かんで来ておりました。
果たして湖岸にそのような光景があるものなのかどうか、それすら存じませんけれど、波穏やかな湖の光景が見て取れました。
これが寒風吹きすさぶ冬の日には、その湖面が御神渡り(おみわたり)と称し、凍った湖の表面の氷がさながらそこが神様がお通りになったかの
ように盛り上がる様が見られるのだと聞いております。
最近は以前ほどには気温が下がらず、この神秘的で害術的とも言えるような冬の風物詩も見られなくなっているとも言われておるようですね。
いずれにしましても、水が織り成すその時々の表情、どれひとつ取っても似ているようで全て違うものなのだろうなと感じております。
似ているようで違う表情、そう考えるとその中のひとつに雪の結晶がありました。
雪の一片、普段は舞い降りてくる雪そのものに注目することはあまりありませんけれど、ふうわりと落ちてきた雪に近づいてみるとそのどれもが
綺麗な結晶の一つひとつであるというのがよくわかります。
まだ小学生だった頃でしたか、塀の上にそのようにして降り積もった雪に顔を近づけてみると、そこにはただ雪が乗っかっているのではなく、一つ
ひとつ全く異なる雪の結晶が積み重なっていたのでした。
誰かに教わってそのように形作ってきたわけではないでしょうに、そのどれもが六角形であったり少しいびつであったとしてもそれぞれに違う模様
の結晶をしており、それらが空の上から音も無く舞い降りてきていたというわけでした。
これもまた神秘といわざるを得ないような水の変容の一部分と言えるかと思います。
自分たち人間にそれらを喩えてみるならば、否たとえようなどないのかもしれませんけれど、ある人は流れる水のようにたおやかであったり、ある
人は氷のように固い意志を持った人なのかもしれません。
あるいは雪や水の結晶があるように、何かに特化しそこの部分でさながら結晶化出来るような成果を出す人もおられるのかもしれません。
それら全てが水でありながら全く違う様相を呈しております。
ある時は激しく、ある時は穏やかに、またある時は煌びやかに形を変えながら。
それら全てを一人の生の中で経験することは出来ないかもしれませんけれど、そのどれかに姿を変えることは可能なのではと思います。
果たして自分がそのどれに、どこに当たるのか、全く分かりかねることではありますけれど思いを馳せるのも面白いかもしれませんね。
タケミナカタの言葉から思いを巡らせておりますと考えた以上に話が長くなってしまいました;。
仕事先のことなど、また明日にでも書かせて頂こうかと思いますが今日と同様にお祓いへ出向かせて頂きますので、さてどのようになるか自分でも
検討がつきません。
明日には明日の風が吹く;、そう思い今夜はこの辺りとさせて頂きたいと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
冷えますねぇ、寒いです。
関東あたり、明日は観測史上最も寒くなるともいわれておるようですね。
首都高も通行出来ない箇所あるいは、出来ないのかかなり交通もマヒしているようですし早く平常に戻れればと思います。
とはいえこのあたりも明日も引き続き寒くなりそうです。
朝は久しぶりで道路も白くなっておりましたが、日が出るとその懸念もなく消えていきました。
六時台に写しましたので、まだかなり暗いですね。
今朝はまた車を借りるため、竹やぶの中の道を通り始発のバスに乗りました。
乗り込んだ後に見えてきた景色がとても綺麗で、雲越しに見える昇る太陽、照らされた雲の端が虹色になり輝いておりました。
その雲間から黄色とも金色とも見える太陽の姿が見えてなんとも言えぬ光景でした。
隣に人がおられないなら、こっそり写真を撮りたいくらいでしたけれど、さすがにそれは止めておきました;。
日常のごく何気ない光景ですけれど、その中にもこんなに感動することがあるんだなと思える瞬間でもありました。
本当はそんな日常の中にいくらでも心が洗われるような光景を目にすることはたくさんあるのでしょうけれど、すぐに別のことに気持ちがとら
われてしまい、そんな思いもすぐに引っ込んでしまうのかもしれませんね。
それともそんなことに気を取られる自分の方がやはりどこかずれているだけなのかもしれません;。
新年のお祓いは午後から出向かせて頂くこととなっておりましたので午前中は車を取りに行った後はしばらく自宅でのんびりしておりました。
そんな中でよくご紹介するこちらでブックマークさせて頂いております『虹色の空に金色の風』のTomokatsuさんが今朝はタケミナカタ、建御名
方神(たけみなかたのかみ)かと思われますけれど、その存在をチャネリングされ言葉を下ろしておられましたので、自分もそこへ繋がってみ
ました。
この建御名方神は諏訪湖近くにあります諏訪大社の御祭神とされております。
古事記では大国主大神の御子神でまた事代主神(ことしろぬしのかみ)の弟神ともされておるようですね。
また国譲りの神話とされる場面でもこの神様が出てこられ建御雷神(たけみかづちのかみ)と勝負したところ、最初は大きな態度で挑んでおり
ましたが、最後にはこの建御雷神に追われるようにして逃げ科野国(信濃国)の州和海(すわのうみ、諏訪湖)まで追い詰められます。
その際、建御名方神は此の地から決して出ない事と国を譲るという約束をしたとされております。
神話の中ではそのような神様とされておられますけれど、Tomokatsuさんご自身が繋がったのはそのスピリットとでもいう存在であるのかもと
感じます。
繋がって下ろされた言葉はご自身の今日のブログへ書かれておられますので、そちらをご覧いただければと思います。
自分自身は、この建御名方神あるいはタケミナカタを感じてみたところでは次のようでした。
建御名方神
〝 湖面を渡る風に揺らぐように身を委ねよ
そのままであれ
抗うのではなく その場に応じた 姿であれ
自然体で 居ろ 〟
諏訪湖岸?が浮かぶ
言葉を聴いただけで涙ぐみそうになる
懐かしいような 温かいような そんな感じ
以前にも何かの喩えとして水の変化を申したように思います。
ある時には水蒸気のように目に見えない小さな粒子として存在し、それが雲となり雨を降らせ地上に降りてきて川の流れとなりやがて海へと
流れ出す。
その折々で最初のように見えない存在であったものが雨粒としてある程度の大きさを持つまでになり、それが地上に達すれば流れになったり
する。
その流れもはじめは岩肌をつたう程の細いものであったのが次第にその勢いを増し、やがて大きな流れへと繋がり、その間にも途中の田畑を潤す
ような役割を果たしながら広い河口へと辿り着き、大海原へと注ぎ込む。
そのどこの過程を切り取ってみても、その中身は全て同じ水ですけれど、その置かれた場所により様々な水の顔とでも言えるような変化を見せて
くれております。
此処ではこのようにしようという意図は水そのものには存在するのかどうかはわかりませんけれど、その時々の気温や周りの環境により如何様にも
姿を変えております。
ある種たおやかとも言えそうな位の変化をこともなげにこなしてしまう?とも思える水。
その水のようにその場その場で抗うことなく、流れに委ねなさいということなのでしょうか。
諏訪湖には恥ずかしいかな、当然;参ったことなどございません。
ですけれど想念の中には湖岸の葦でしょうか、そこの岸にたゆたうように波が打ち寄せる様が浮かんで来ておりました。
果たして湖岸にそのような光景があるものなのかどうか、それすら存じませんけれど、波穏やかな湖の光景が見て取れました。
これが寒風吹きすさぶ冬の日には、その湖面が御神渡り(おみわたり)と称し、凍った湖の表面の氷がさながらそこが神様がお通りになったかの
ように盛り上がる様が見られるのだと聞いております。
最近は以前ほどには気温が下がらず、この神秘的で害術的とも言えるような冬の風物詩も見られなくなっているとも言われておるようですね。
いずれにしましても、水が織り成すその時々の表情、どれひとつ取っても似ているようで全て違うものなのだろうなと感じております。
似ているようで違う表情、そう考えるとその中のひとつに雪の結晶がありました。
雪の一片、普段は舞い降りてくる雪そのものに注目することはあまりありませんけれど、ふうわりと落ちてきた雪に近づいてみるとそのどれもが
綺麗な結晶の一つひとつであるというのがよくわかります。
まだ小学生だった頃でしたか、塀の上にそのようにして降り積もった雪に顔を近づけてみると、そこにはただ雪が乗っかっているのではなく、一つ
ひとつ全く異なる雪の結晶が積み重なっていたのでした。
誰かに教わってそのように形作ってきたわけではないでしょうに、そのどれもが六角形であったり少しいびつであったとしてもそれぞれに違う模様
の結晶をしており、それらが空の上から音も無く舞い降りてきていたというわけでした。
これもまた神秘といわざるを得ないような水の変容の一部分と言えるかと思います。
自分たち人間にそれらを喩えてみるならば、否たとえようなどないのかもしれませんけれど、ある人は流れる水のようにたおやかであったり、ある
人は氷のように固い意志を持った人なのかもしれません。
あるいは雪や水の結晶があるように、何かに特化しそこの部分でさながら結晶化出来るような成果を出す人もおられるのかもしれません。
それら全てが水でありながら全く違う様相を呈しております。
ある時は激しく、ある時は穏やかに、またある時は煌びやかに形を変えながら。
それら全てを一人の生の中で経験することは出来ないかもしれませんけれど、そのどれかに姿を変えることは可能なのではと思います。
果たして自分がそのどれに、どこに当たるのか、全く分かりかねることではありますけれど思いを馳せるのも面白いかもしれませんね。
タケミナカタの言葉から思いを巡らせておりますと考えた以上に話が長くなってしまいました;。
仕事先のことなど、また明日にでも書かせて頂こうかと思いますが今日と同様にお祓いへ出向かせて頂きますので、さてどのようになるか自分でも
検討がつきません。
明日には明日の風が吹く;、そう思い今夜はこの辺りとさせて頂きたいと思います。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。