日々徒然なるままに

日々感じたことを書いていきます、よろしくお願いします

ある物語 その二

2017-07-28 21:54:45 | ある物語
こんばんは。
このところ、太平洋上に台風が居る?せいか、蒸し暑さが半端なく感じられます。
午後から出掛けて戻ってくると、バスを下りて歩く最中は雨が降ったのか多少の涼しさは感じられましたが、室内は30度をはるかに越えて
おります;。
この家自体がおそらく西日を浴びてか?相当に熱くなっているのもあるんでしょうね。
扇風機を回しても、なんだか暖房をつけているみたいで、このままだと本当に熱中症になってしまいそうです;。
今からでもエアコン設置をこの部屋にも考えないといけませんね。
そんな日の朝は、これまた曇り空。
今夏はこんなお天気が続くのでしょうか。


                                   

昨日、「48色の夢のクレヨン」という物語をご紹介する途中で終わっておりました。
今日はその続きを書かせて頂きます。

やがて花子らが通う学校の校庭にあったごみも少しずつ片付けられてちいさな広場ができていました。
その場所で戦後初めてとなる運動会が行われるからです。
運動靴がほしくても、高価なものをおばにねだることなどできないと感じている彼女の心中は、当然おば自身もよくわかっており、ならばと古い
服の切れ端で編んだ色んな色の混ざったおしゃれな草履を作ってくれ、これで一等をとりんさい、と励ましてくれました。
花子自身も、この草履が好きだよ!と元気に返事をし外へ飛び出して行きます。
そんな声を聞きつつ、普段はぐちや悪口など決していわないおばが
「戦争は絶対に二度としたらいけん。戦争でだれも幸せにはならんのじゃけん」
とつぶやくのでした。
運動会の当日、子供らの中には、新しい運動靴を履いてくる子も当然います。
そんな足元を花子はまぶしい思いで見つめがら、耳では教頭先生の話す話を聞きつつも、来賓のおられるテントの中に用意された鉛筆やノート、
消しゴム、絵本やきれいな鼻緒のついた草履など、一等賞の賞品を目の当たりにし、頑張ろうと気持ちを奮い立たせます。
リレーをするためのバトンも数少なく、ならばと子供らはそのバトン代わりにと朝からコスモスの花を摘んでバケツに入れておりました。
七十年は草木も生えないといわれていた広島の地に白い花を咲かせていたそのコスモスを、おばちゃんは奇跡じゃ、不死身の花じゃと言ってたよと
花子はみなに伝え、その花を見ながら、これは死んだ家族や友達の魂が花になって戻ってきたんだと皆して喜んでいました。
このことをきっかけにして、誰ともなくコスモスの花をバトン代わりにして走ろうと言い出し、リレーをすることにしました。
声援する大人たちも笑顔にあふれ、皆が大声を上げて、楽しくて、嬉しくて、幸せな気持ちで笑っていたのでした。

そのうち花子は風邪をこじらせ気管支炎となり学校を休みます。
当時は高価であったバナナを病気に効くからとおばが無理をして買い求め、それを食べた花子はなんとか元気を取り戻し、学校へ通いだしますが
クラスでは彼女は被爆者だといって、放射能の病気は人に移るとか、子供に遺伝するなどといっていじめを受けます。
広島の人たちは、被爆した人とそうでない人の二つに分かれていた頃でした。
そのような噂をされていることをおばに話すと、おばは教頭先生に相談に行き、先生は原子爆弾や放射能、被爆者のことについて子供らに丁寧に
説明して下さいました。
決して人に移るものなどではなく、被爆者の方たちはこの戦争の中で最も被害を受けたのだから、労わってあげなくてはいけない、と皆に諭した
のでした。
その後は花子は被爆者だといううわさはなくなり、それまでどおりに楽しく通学するようになりました。

                                 


此処まで物語をかい摘みながらご紹介してきております。
最後まで書かせて頂こうとキーを叩いておるのですけれど、どうしてか自分自身がたいそう疲れてしまいます。
何故でしょうね、どうにもそれこそ元気が出てきません;。
こうなったら、最後までを少しづつでも丁寧に綴らせて頂こうかと存じます。
もし、このような形であったとしても心待ちにして下さっておられる方がおられましたらば、本当に申し訳御座いません。
しっかりとお伝えさせて頂きますので、もうしばらくお付き合い下さいませ。
                                 
                                 
                                 

文中にも出てきました、放射能や被爆者に対するいじめ、偏見、これらは後々まで根強く残っておりました。
それでも、やはりそれらとは反対に子供らは分け隔てなく、お互いに楽しく過ごしていたともうかがっております。
そんな時代を生きた子供たちの物語です。
脚色というよりも、様々な方々の話を花子とおばの目を通してみた形で語られております。
自分がその時代にその場に居たわけではありませんが、そうであったのだろうなと感じられます。
そのような時代の空気をご一緒に感じたれたらば、と思います。



いつもながらの拙いブログへのお付き合い、本当に有難うございます。
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