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おはなしきっき堂

引越ししてきました。
お話を中心にのせてます。

茜色のお花畑 7(ハナ)

2020年03月11日 | 茜色のお花畑


いい天気だ。
ただ、外に出るときはマスクを忘れないように。
薬を飲んでいるのに途端に口の中が腫れてくる。
それでも、家の中も風通しを良くしようとある程度の小窓は開けている。
なので、家に居る時もマスク。(手作りのね)

外に出歩かないのであまり食欲がない・・・と言いながら


こんな変な組み合わせで食べた。
食欲がないといいながら両方食べるとは。
おまけにどちらもカレー味だ。
鬱々と考えていても仕方ないなと思う。
本当は外で草抜きでもしたい気持ちだけど、多分ぶっ倒れるのでやめておく。

さて、今日は「おはなし」です。
毎回書いていますが、長いので興味のない方は読み飛ばしてくださいね。



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【茜色のお花畑 7(ハナ)】

9月も終わりごろ、ヤマダさんとサトウさんが子どもたちを連れてうちにやってきた。
10月のフリーマーケットに出品するものを見て値段をつけて包装するために。
ヤマダさんやミエコさんも自分たちの子どもの小さくなった服を持ってきて出品する。

ミエコさんもやってきた。
タクミは、「そんなところに居れるわけないだろう。それにバイトだ」と言ってこなかった。

我が家に子どもがいるなんて初めてで、すごく新鮮。
でも、ずっと暗かった部屋が急に明るくなったようだ。
ヤマダさんの息子のコウキ君は、小学校3年生。
放課後は学童保育に通っている。
ただ、その学童は3年生で終了するらしい。
それが、今のヤマダさんの悩みだ。
一つ習い事をさせてその他は近所に住む旦那さんのご両親に頼む事になるようだ。
それも、どうやら悩みのようで。
私にはわからないけど、いろいろとあるんだとか。
安全のためにスマホも持たせようと思っていると言っていた。。

サトウさんの娘はアリサちゃん。
保育園に通っていてこの前の誕生日で6歳になった。
来年は小学生になる。
学童保育に通わせるつもりのようでヤマダさんにいろいろと情報を聞いている。

「女子会のようね~」とミエコさんが言う。

皆でたわいもない話をして、うちにある私の「作品」たちの品定めをする。
ところが
「やだ、これ素敵!」とかアリサちゃんが「ママ、アリサこれ欲しい!アカネチンに頼んで!」というのでなかなか進まない。
値段もどう付けたらいいのかとみんなで話していたらあっという間に時間が過ぎた。

皆でお昼ご飯を作り、午後からも延長という事に。
最近、いろいろと料理を作るようになった。
ただ、レパートリーは少ない。
この日は簡単に鉄板で「焼きそば」になった。
ミエコさんがサラダを作って持ってきてくれていたので、それと一緒に。

こんなに大勢で賑やかなご飯は初めてで、なんだか舞い上がってしまう自分がいておかしかった。

1人「男の子」のコウキ君は、「女ってうるさいな~」と言いながら焼そばを美味しそうに食べていた。
その時、庭から小さな鳴き声が聞こえた。

「ミィ~~」と。

アリサちゃんとコウキ君が見に行くと小さな子猫がいた。

「あれ?野良猫なのか?」とコウキ君が捕まえようとした。
子猫はすごい勢いで逃げた。

「残念、逃げちゃった」と二人が戻ってきた。

それから、ご飯を食べた後後片付けをして、今度こそみんなで値段を決めて、一つ一つ包装をして、うちの2階の空いている部屋に運んだ。

「申し訳ないけど10月までここにおいてね!」と言ってヤマダさんとサトウさんはそれぞれの子どもを連れて帰って行った。

ミエコさんはタクミが寄るというのでここでしばらく待つことにした。

「アカネちゃん、一人で寂しくない?」

「大丈夫です。以前はまったくの一人だったし。仕事も行っているから」

嘘だ。
最近は、こうやって誰かが来てくれたり、ミエコさんの家でタクミと一緒にご飯を食べたりした後は無性に寂しくなる。
以前は感じなかった事だ。

その時、また庭で猫の鳴き声がした。

「みぃ~~、みぃ~~~」と。

あらあらとミエコさんが言って、二人で見に行くと昼間にいた子猫だった。

「迷子でもなさそうね。親とはぐれたのかな?」

子猫はとても小さくてそして痩せていた。

「おいで」とそっと私が言うと寄ってきた。
抱き上げると、とても暖かい。
でも、小さく震えていた。

「どうしたらいいんでしょう?」
「まず、獣医さんに連れて行きましょう。それからあとは考えてみようか」とミエコさんが言う。

その時、丁度タクミがやってきた。
ミエコさんが
「いいところに来たわ。この子猫を病院に連れて行くから、車出してよ」

「えっ?」

訳がわからず目を白黒させているタクミをよそにバスケットに柔らかい布を敷いて子猫を入れて近くの獣医さんまで行った。

「うちも昔『ミィ』って猫を飼っていたのよ。その時の先生なの」

病院で子猫の様子を見てもらう。
痩せているけど大丈夫だと言っていた。
多分、母親と何かの事情ではぐれたのだろうと。

「この子猫はどうするつもりですか?」と問われる。

「うーん」とミエコさんとタクミが同時に言う。
「うちで飼ってもいいんだけど。もしかすると飼い主がいるかもしれないから、貼り紙出さないとね」

「じゃあ、私が預かります!もし、飼い主がいなかったら私が飼います」と何故か言っていた。
だって、この猫はうちに来て私を選んでくれたような気がしたから。
だけど、少し冷静になると不安になった。

それから、獣医さんでいろいろと飼い方の注意とか聞き、子猫用のミルクとフードの試供品をもらった。
追加で購入できるらしく、市販のでもいいよと言ってくれたけど病院ですべてそろえることにした。
またしばらくして、連れてきてくださいと言われる。
いろいろな検査をしてくれるのと予防接種をするそうだ。
子猫は雌で推定1ヶ月半だった。

帰りにホームセンターにより私が車で待っている間にミエコさんとタクミが猫用トイレと砂とベッドを買ってきてくれた。

ミルクを適温のお湯でとき、お皿に入れて与えてみると上手にペロペロと舐めた。
全部飲んでしまうとお腹が大きくなったのか、ベッドでくるっと丸くなって眠った。
かわいい!
ミエコさんとタクミも見ていてメロメロになる。
私もこんなに子猫がかわいいとは思わなかった。

「なんて、名前つけるんだ?仮になるかもしれなけど」とタクミが言う。

子猫はハチワレという白黒の猫で鼻の横にちょこっと小さい黒い点があった。

「ハナちゃん」

なんとなく答えた。

3人で顔を見合わせて「いいね~~」と言った。



何かあったら連絡してといって、二人は帰って行った。
当分、私が出勤の時はミエコさんが昼間に様子を見に来てくれることになった。
大人の猫だったら、あまり気にしなくていいけど子猫はいろいろと危険な事をするらしい。

二人が帰ってからしばらくすると子猫はいきなり起き上がり、トイレに行った。
結構、大きな音をたてて用を足して砂をかくと私の方にやってきた。
病院では、しばらくはトイレトレーニングが必要かもと言われたけど、どうやらこの子はちゃんと出来るらしい。

飼い主がいるのかな?と思ったけど獣医さんは状態や月例から見て多分野良猫の産んだ子だろうと言っていた。

子猫は小さい鼻をクンクン言わせて私の膝に乗ってきた。
温かいぬくもりを感じ、なんだかちょっとキュンとした。
母がいたら飼うのは無理だっただろう。
こんな小さな子猫だけど、1人じゃないという気持ちになった。

翌日、ミエコさんが預かってますという貼り紙を作って持ってきてくれた。
トイレがちゃんと出来た事を言うと
「あら、でもうちのミィも野良だったけどちゃんと最初から出来たわよ」といった。
警察にも届を出した。
私自身は出来れば、飼い主が現れないようにと思っていた。

1週間たって、子猫を連れて病院に行きうちいろいろと検査をしてもらうとお腹に虫がいる事がわかる。
もう間違いなく野良だったんでしょうと先生が言った。
飼い主も現れていない。
駆虫をしてから、それからしばらくしてワクチンも打ってもらった。

駆虫後はちょっと大変だった。
正直、後からでも思い出したくもないぐらい。
悲鳴の嵐だった。

子猫は1ヶ月経つとかなり大きくなった。
子猫用の離乳食もよく食べた。
足取りもしっかりしてきて、よく走るようになる。
狭いところに入って困った。

ヤマダさんちのコウキ君やサトウさんちのアリサちゃんが、子猫が見たくて、たまにやって来たけど、ハナはどうやら子どもが嫌いで、すぐに2階に逃げて行った。

私の生活は一変する。
朝、出ていくときに鳴かれて出ていきにくくなる。
帰る時は一直線に帰り、「ただいま!」という。
鳴きながらハナが出てくると抱き上げる。

「ただいま」と言える相手がいる事のうれしさを感じた。

ミエコさんやタクミもハナを見によくやってきた。

数か月前、お金がつきそうなのに何も考えずにいた暮らしが一変した。
そして意外と猫を飼うのはお金がかかる事に気がつく。
ペットフードはもちろん病院代も結構な金額だ。
今後、かかる費用についても考えてみるととても以前の私には飼えなかった。
何のために働くのか?それの答えでもあるような気がする。
比べたら駄目かもしれないけど、少しヤマダさんやサトウさんの気持ちがわかったような気がした。
彼女たちは大事な「家族」のために働いているのだと。

「ハナちゃん」と呼ぶと
「みぃ~~!」と言って嬉しそうに駆け寄ってきた。

10月になった。
いよいよフリーマーケットに出店する週が迫ってきた。
ヤマダさんとサトウさんといろいろと会社で打ち合わせをしていたのだけど、少し困った事が起きた。
ヤマダさんはファミリーカーの大きな車を運転してその車でテントとかを運ぶつもりだった。
でも、ちょうど車検になり代車では全部のものを運べなくなりそうだと。
忘れていてごめんと謝った。

サトウさんの車も小さく、タクミやミエコさんの車も小さく分散するとしてもテントなどをつめない。
そんな時に後ろから声がした。

「会社の車を借りてみたら?」と。

ノグチさんだった。
ただ、会社の車はミッションでサトウさんもノグチさんも運転が・・・と言うと
「僕が運んであげるよ」と言ってくれる。

ありがたく協力してもらうことにした。
お母さんは大丈夫なのかと聞くと、その時は丁度ショートステイに預けているから大丈夫だと言ってくれた。

会社の社長も快く貸し出しを許可してくれて、お願いすることにした。
私はノグチさんに「お願いします。助かります」というと

「僕で良かったらいつでも大丈夫です」と笑顔で言った。

サトウさんがこっそりと
「ノグチさん、アカネチンにやさしいじゃん。気があるのかもよ」といった。

私は、ノグチさんの顔を思い浮かべそして頭を振った。
あり得ないわ。と。
決してノグチさんの事が嫌だという事じゃなく、私を誰かが好きになってくれるなんてありえない。

すぐに仕事になりその事はすぐに忘れて行った。
そして、今日も家で待っているハナの事を思い早く帰ろうと思った。

                          <つづく>

******************************************************************
今回は、「仕事」の話ではなく。
コブちゃんがうちに来たときの事を思い出して。
コブちゃんは、息子が中3の時に
「子猫が道に落ちている」と言って帰ってきて、友達と捕まえようとしたけど駄目で、その後私も見に行ってお水をあげたりしたけどやっぱり捕まえられなくて、あきらめて帰ったら・・・
よく朝、「お母さん、あの猫の声がする!」と言って飛び出したら、前の家につかまってかごに入れられていました。
そして、うちの子になったとさ(めでたし、めでたし)

「僕が責任を持って世話をします」と言っていた息子はさっさとその数年後外に出てしまい、結局家の中にはコブちゃんと私が残る。

コブちゃんは子ども嫌いでわがままでよく噛む猫。
でも、いなかったらきっと寂しかっただろうなと思う。

なので、アカネにも子猫を「家族」として加えることに。
今日のはそんな話です。
ただ、ペットを飼うって言うのは、いろいろとお金がかかるという事。
自分が何のために働くかという事。
それを考えるきっかけに。

次回はちょっと辛口かな。
ノグチさんとの進展は?

うちの家族となったコブちゃん。
今では一番偉いです。


そうそう、「ハナちゃん」というのは、前に私が実家で飼っていた「タマちゃん」につけたかった名前。
ところが両親が、猫は「タマ」って名前だといって「タマ」と呼び続け、結局タマになってしまった。
タマちゃんは「シャムネコ」だった・・・。
(まあ、ハナってのもどうかと思うが)

次回金曜日は、絵日記です。
ただ、来週は水曜日以外少しお休みしようかと思ってます。
絵日記だけ。
更新はするかもしれないけど。

それでは次回に。




茜色のお花畑 6(イノウエさん)

2020年03月04日 | 茜色のお花畑


膝の上で寝るコブちゃん。
このせいで、少しお昼をとるのが遅れる。
そういえば、在宅の仕事をしていた時もよくこうやってコブちゃんを膝にのせていた。
最近は、長時間座っていないので、乗っていなかったのだ。
今日は、水曜日更新の「おはなし」を作っていたので、結構長く座っていた。
だから、来たんだな。

ネットニュースを読んでいると、テレワークになり家での仕事が進まないというのをみた。
私自身もいろいろと模索した事だ。
仕事の内容は違うと思うけど、まず「会社に通勤しているのと同じようにする」というのが大事だった。
朝、いつもの時間に起き(これは私が主婦だから出来た事かもしれないけど)開始時間は、定時から。
何時までするかを予定を組み、そして一番大事なのが立ち上がって、気分転換をする事。
そうしないと、最初の数か月で足がものすごく弱った。
きっと自宅でとなったら会社からの連絡が入るとは思うけど、会社にいる時よりは回数は減ると思う。
同僚と少しの会話をするのもなくなる。
なので洗濯物を干したり、ラジオ体操をしたり、お茶を入れたり。
これをするだけでかなり違う。
会社に出勤している時から「時間割」を組んで仕事をしていた。
それと同じように。
「納期」があまりない仕事だったけど、自分で作ってそれまでにするという事もした。

今、絵日記や「おはなし」も同じように考えている。
これ、私自身の目標だけどちゃんと時間割しないときっとまた以前のように尻切れトンボになるから。
今、時間はたくさんある。
だから、目標達成まで頑張るのだ。

さて、今日はおはなしです。



いつも書いているけど、長いので興味がなかったら読み飛ばしてね。
それと、読み直して修正したりするのでたまに後で少しだけ内容が変わったりします。
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【茜色のお花畑 6(イノウエさん)】

数か月がたち梅雨の季節になった。
困ったことに自転車だったら、大雨の日だったらびしょ濡れになり、替えの服を持って行かないと駄目なる。
そんな日は、朝にヤマダさんが電話をかけてきてくれて、近くだからと車に乗せてくれるようになった。
お礼を何かしようと一度お菓子を買って差しだしたら、そんなの要らないという。
でも、悪いからというとそれなら私が作っているパッチワークの何かをと言うので、車にもおけるようにと猫好きだと聞いていたので猫の形のティッシュケースを作って贈ることにした。
ヤマダさんは大喜びで
「アカネチン、これを職業にしたらいいのに!」とほめてくれた。
うれしくなってこの事を、タクミに言うと
「無理無理、作るのに何時間かかる?材料費は?それに、自分のオリジナルのじゃなくて誰かがデザインしたものを作っているんだろ。採算合わないよ」と。
がっくりした。
確かに母の人形がフリマで売れたのは、アンティークではないけど作家の1点ものだったからだ。
試しに同じようなパッチワークの作品がいくらで売っているのかと検索したら、タクミの言う通りとても採算が合わなかった。



ヤマダさんにもその事を言うと
「そうだね。でも、たくさん作品があるなら誰かに使ってもらいたくない?ネットじゃなくて実際のフリーマーケットで売ってみたら?私も手伝うよ」と言ってくれた。
家の中には、母の人形たちが少なくなったとはいえ、私が作り続けていたパッチワークが、ただ作っただけで押し入れにいれてある。
勤め始めて最初の頃こそ疲れて出来なかったけど、最近はまたちょこちょこと作り始めたので増えている。

いろいろと探して、10月に市の大きな公園で開かれるフリーマーケットに申し込むことにした。
それと、いつまでもヤマダさんに雨の日だけでも送ってもらうのは気が引けて、みんなのすすめもあり車の免許を取ろうと思う。
ただ、今は教習所に通うのも車を買えるお金もないのでもう少したってから。
ヤマダさんにもその事を伝えると、「それはいいわね!」と言ってくれた。

一気に変わり始めた私自身の環境に驚きつつも、働いてお金を得て生活をしていく事の難しさや楽しさを知り始めていた。

組立の仕事は、単純なものから複雑なものまでいろいろとあったし、終業時間になると手が油とかグリスで汚れていたが達成感があり、私にあっていた。
ただ、カミデさんのスピードにはまったく追いつけなかったけど。

ある日、部品を取りに行ったサトウさんが難しい顔をして、戻ってきた。
「どうしたの?」とマエダさんが言うと

「下の曲げのイノウエさん、社員にしてもらえるんだって」

曲げとはプレスブレーキ(ベンダー)でする作業の事だ。
昔は、男性ばかりだったけど女性でも扱えるような機会になり、下の現場ではイノウエさんが働いている。

「同じシングルマザーで、イノウエさんもよく休むのに」
サトウさんは悔しそうだ。

「サトウさんも言ってみたら?」というと

「向こうは専門職だし、私の場合は誰でも出来る仕事だから無理だと思う」と。

深く考えた事はなかったけど、確かに私にも出来た仕事だけど、カミデさんとかのスピードになれば、もう「職人」と言ってもいいほどで、サトウさんやマエダさんもまだまだ私よりずっと早いし、それに不良品を出さない。

イノウエさんとサトウさんは同じシングルマザー同士で仲良くしていたのだけど、その日からなんだか少し溝が出来たような感じになった。

イノウエさんは、シングルマザーでも結婚しないで子供を産んだいわゆる未婚の母。
お母さんと同居しているけど、そのお母さんも働いているので、やはり子どもの調子が悪くなると早引きしたり、休んだりする。
それでも、一人で子育てをしているサトウさんとは、違いお母さんと交互で休むので回数はちょっとだけ少ない。
とても線の細い人でよくあの仕事をしているなと思っている。
それに本当は、こんなところにいるような感じの人ではないようなきれいな人だ。
サトウさんが、あの容姿の事もあってみんな多めに見ているのよという。
そうなんだろうか・・・・。

タイヨウ金属は、パートタイマーでも社会保険には入れるし、ボーナスも出る。
しかし、パートでは退職金が出ないし、やはり年収で考えるとかなり違ってくる。

と朝、車に乗せてもらった時にヤマダさんが言っていた。
ヤマダさんは事務職で正社員だ。
でも、ヤマダさん自身も最初はパートだったそうだ。
子どもが小学校に入った時に、丁度それまで勤めていた先輩社員が辞めた事で正社員にしてもらった。

「小学校に入るまでは、とにかく病気のオンパレードでいくら主人の両親が預かってくれるとは言っても、朝に元気で送り出しても、会社に着いた途端に『お熱が出てますので、迎えに来てください』って電話が入ったりするのよ。だから、難しかったのよね。サトウさんもだからお嬢ちゃんが小学校に入ったら、一度会社に行ってみたらどうかな。」。

今ヤマダさんの息子さんは、学童保育に通っている小学3年生だ。
「学童が3年生で終わっちゃうのよね。来年から一人で留守番させないと駄目で悩んでいるのよ。うちの場合は主人の両親が近くにいるから、ある程度は預けるとは思うけど」

ヤマダさんは、なんだかとても複雑な表情で笑った。

本当に人それぞれいろんな事情があると思った。

最近、備品などを配達してくれるミツモトという業者さんの営業の人が変わった。
とても明るくて感じのいい人だ。

年は30歳ぐらいだろうか。
名前は、エグチさん。

サトウさんが、毎回来るたびに小声で言う。
「ねえ、彼とてもいい感じじゃない?」と。

確かに。
ハンサムとは言えないまでも、すっきりした顔立ちで爽やかな好青年だ。
彼が来るたびにサトウさんは目がハートになっている。

「こんにちは!何か足りなくなっているものはありませんか?」と声をかけられた。
「あっ、そういえば作業用の手袋が少なくなってきているようです。主任さんにも言っているので聞いてください」と答えた。
実際の注文をするのは、ここの責任者である現場の主任だ。
ただ、毎回エグチさんは私たちも声をかける。

「イトウさん、髪型変えたんですね。すっきりしてとてもいい感じですね!」

私は照れた。
彼は、いつもこんな風に気軽に女性社員をほめる。
ジンデさんにでもだ。
「お若いですね。やっぱりお仕事されているからでしょうね。うちの祖母とは大違いだ」とか。

ジンデさんは、いつも「ホウホウ」と言って笑っている。

確かに私は最近髪型を変えた。
肩まであったんだけど、作業する時に邪魔になりばっさりと切った。
そうかな~と一人でにやけていると、サトウさんに

「ちょっとアカネチン、エグチさん取らないでよ!狙っているんだから」とにらまれた。

エグチさんは確かに爽やかだとは思うけど、社交的過ぎてついていけないというと納得した顔で頷いた。

そうか、サトウさんはエグチさんの事をいいなと思っているのかと改めて思った。
今まで恋愛とかはもちろんした事がなく、今からもなんとかくしないような気がしている。
そういえば、最近サトウさんは100均で揃えているというメイクに気合が入っている。
そのパワーに感心した。

ある日の事だった。
備品を取りに行くと、ひそひそという声が聞こえてきた。

「じゃあ、今度の日曜日の朝9時に迎えに行く」
という男性の声が。

「わかった。子どもも楽しみしているから。」

エグチさんとイノウエさんだった。
なんと二人はお付き合いしていたのか!と驚きつつもそっとその場を離れた。

昼休憩の時にトイレに行くと偶然、イノウエさんに会った。
今まであまり話したことはなく無言で立ち去ろうとしたら

「イトウさん、さっきいたでしょ」。

「はい・・・」

と答えるとイノウエさんが少し困った顔をした。

「当分、内緒にしてほしいの。正社員にしてもらったばっかりだし。本当は付き合う気はなかったのよ。でも、すごく誘われて根負けしたの。それに最近子どもには父親がいるんじゃないかと思って、彼の誘いを受けたの。まだどうなるかわからないから黙っていて欲しいのよ」

「はあ」と答えるしかなかった。

イノウエさんは、先にトイレを出ていた。
ああ、サトウさんに何ていおうと思うとため息が出てきた。



サトウさんはエグチさんが来るたびに、張り切りそしてたまに
「今度こそ、気持ちを言おうかと思うのよ!」と段々エスカレートしてきていたが、娘さんが風邪をひいたとかで休んだり、その後自分も風邪をひいたりしていて、タイミングが合わずそのまま2ヶ月は何もなく過ぎた。
私はヒヤヒヤしながらも、イノウエさんから口止めされていたので黙っていた。

そして、ある雨の朝、迎えに来てくれたヤマダさんが車の中で言った。
「実はね、今日朝礼で言うと思うけど、イノウエさんが辞めるの」

えええっ~~~!って私が言うと

「社長はもう怒り爆発よ。社員にしたばかりだから。彼女、結婚するんだって」
私は目を白黒させて
「もしかして、ミツモトのエグチさんとですか?」と聞くと

「あら、違うわよ。なんでも、半年前ぐらいに幼馴染の人と偶然あってとんとん拍子に進んだって。なんでエグチさんだと思ったの?」

私は、2か月前に見た事を話した。
「うーん、そうすると同時進行だったのかも」
「それよりアカネチン、フリーマーケットの打ち合わせをしないと。うちの息子も手伝うって楽しみにしているよ」と言って、話題はそのままフリーマーケットの打ち合わせとなった。

朝礼の時にイノウエさんから、1か月後に辞めるという挨拶があった。

社長はずっと仏頂面だった。

朝礼が終わり、各部署に散っていくときにイノウエさんとすれ違った。

「黙っていてくれてありがとう。子どものためにどちらがいいか考えていたの。エグチさんは少し軽すぎるわ。」と言ってくすっと笑った。

「エグチさんの為にも黙っていてね。次は彼、サトウさんに行くと思うから」

それだけ言うと、さっさと立ち去って行った。

あっけにとられた私が残った。
その後、自分の持ち場に戻った。
そこには怒りに満ちたサトウさんがいた。

「ちょっとアカネチン!ヤマダさんから聞いたんだけどひどいと思わない!」

ああ、きっとばれた。

「これで、正社員の道がなくなったわ!彼女のせいよ!ねっ!ひどいよね!」

「う、うん。でも、まだチャンスがあると思うよ」と答えると

「そうだよね。その時アカネチンも一緒に正社員にって言おうよ」と言いながら、作業に戻った。

その日の午後、エグチさんが注文を取りにやってきた。

「いやー、曲げのイノウエさん結婚されるんですね。せっかく正社員になったのにね」といい、さっさと去って行った。

いつものようにサトウさんが話しかけないので、気になった。
やっぱりばれていたのか?

「サトウさん、いつものように声かけないね」というと

「前に娘を病院に連れていくときに見ちゃったんだよね」と。

イノウエさんと歩いている所!?

「若い女の子と親し気に歩いている所。それに今度事務所のヤマダさんの下に入った若い女の子にも声かけているだって。一気にさめちゃった」

あきれて声も出なかった。
私は、2か月間のモヤモヤを思い一気に疲れた。
人の気持ちって、複雑だ。
この年齢になって、初めて知る事ばかりとなる。

「そよりさ、ヤマダさんから聞いたよ。フリーマーケットに出品するんだってね。私と娘にも手伝わしてよ!それにあの弟さんも来るんでしょ!紹介して!」と。

私は、その日この話を週末にご飯を一緒に食べたミエコさんとタクミにした。
二人とも私の複雑な気持ちを無視して大笑いしたのだった。

                       
                           <つづく>

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これ、全部書き終わったら自分だけの為の本を自分で作ろうと思っている。
だから、頑張りたいのだ。

イノウエさんにももちろんモデルがいる。
だけど、本当はこの中に出てくる人とは全然違う。
彼女はかなり細くて(ここは一緒か)かなり控えめな人だった。
未婚の母で、赤ちゃんを出産したばかりの時に会社に面接に来た。
確かやっと保育園に預けられる年齢だったと言っていた。
出産までギリギリで飲食店で働いていたそうだ。
どうしても、働かないと駄目なのだと言って、現場できつい仕事に入った。

本来なら正社員の仕事なんだけど、休まないと駄目なのでずっとパートのままだった。
小さい赤ちゃんだった彼女の子どもは、よく熱を出し、休むしかなかった。
お母さんと一緒に暮らしていたのは本当だけど、このお母さんと交互に休んでもそれでもだ。
数年たった時に、ある一人の女性が入ってきた。
これが、もう一人のイノウエさんのモデル。
彼女は、結婚していて2人の子どもがいる人で、とても明るい・・・でも押しの強い人だった。

彼女も先の人と同様の部署に配置になった。
女性でも出来るというのを多分会社はすすめたかったのだろう。
でも、彼女の押しは強かった。
それならば、正社員にしてと。
そして、何故か会社は彼女の方を正社員にしてしまう。

先の人は、何も言わなかったけど、それまであとから入ってきた人と仲が良かったけど、距離を置くようになり、とうとう辞めてしまった。
なんでも、正社員になれるところが見つかったのだとか。
長く立って重労働の仕事だったので、腰などはいつもサポーターをしていて、限界だったのよとも聞いた。

でも、多分後からの人が正社員になったのが、かなりショックだったよう。
その時に社長が言っていた言葉が忘れられない。

「せっかく育てたのに」と。

それならば、考えて人事をしろよと心の中で思ったものだった。
どうしても、シングルマザーの彼女は子どもが熱を出したりすると休む回数が多くなり、それが正社員に出来ない理由だった。
彼女の子どもは、かなり体が弱かった。

パート間でも、こうやって誰かが正社員になったりすると、いろいろと静かに波が出来た。

今、どうしているのだろうと思う。
あの時の赤ちゃんも、もう20歳ぐらいになっただろう。
元気で頑張っていて欲しいなと思う。

そして、恋愛事情はこの方たちに関してはまったくなかった。
いろいろとあったのは、他のところでだったんだけ・・・。
また、そんなのは他の話で。

いつも通る道で見る「サビちゃん」
ここで飼われているようだ。
コブちゃんも小柄だけどもっと小さい。

それでは、また次回に。
次はいつもの絵日記です。


茜色のお花畑 5(カレー)

2020年02月26日 | 茜色のお花畑


世間は、えらいこっちゃになっている。
正直に言うと私も毎日ニュースにかじりつきだ。
多分、息子が東京にいなかったらそこまで心配していなかっただろう。
自分自身はできる限り、買い物以外は出かけるのはやめようとは思ってはいる。
図書館通いもしばらくは、やめようかと。
今日買い物に行くとマスクをしている人は、3分の1ぐらいだった。
私のように花粉症の人もいるだろう。
ただ、正直そこまで気にしていない人が多いような。
まだ対岸の火事の人が多いんだろう。
今まではそれで済んでいたけど、今回はそれじゃあ済まないというのが今の状態。
とりあえず私は私が出来ることをしないと。
それは出歩かない事だな。

さて、今日は「おはなし」です。(長いので興味のない人は読み飛ばしてね)




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【茜色のお花畑 5(カレー)】

働き始めて、初めての給料が出た。
10日締めで25日払いだという事で、月初めから働き始めたので少ししかなかったが、私は大いに感動した。
何故なら通帳の残高が今まで減るという事はあっても、増えるという事はなかったから。
仕事帰りに銀行により、キャッシュカードでお金をおろした。

花屋により仏壇に供える花を買った。
そして、母が好きだった望月堂のブリュレを買った。
これは、中身はトロトロのプリンでその場でカラメルをパリパリに焼いてくれる。
ミエコさんとタクミの分も買い、家に持って行った。
「誰かに自分で買う」というのも私にとっては初めてだった。



ミエコさんがとても喜んでくれて、先に父の仏壇に供えるわと言っていた。

自宅に帰り、私も花と一緒に仏壇に供えた。
「ママ、私の初めてのお給料で買ったのよ」と一人でつぶやいた。
もし、母が生きていたら喜んで食べてくれただろうか?
少し複雑な気持ちが胸をよぎった。
なんだか、喜ばないような気がした。
「アカネちゃんは、働かなくていいのに」と母の声が聞こえたような気がしたからだ。
心の中で思う。
「じゃあ、ママは私がこのままお金に困ってどうしようもなくなったらどうするつもりだったの?」と。

買って来たお弁当の後にプリンを食べた。
カラメルが、ほろ苦くてそしてプリンが甘くて少し心が和んだ。

翌日、会社に行くとマエダさんが申し訳なさそうに言った。
「今日、義母を病院に連れて行かないと駄目なの。忙しい中申し訳ないけど、お昼までで帰るわね」と。

私やジンデさんやサトウさんもみんな「大丈夫ですよ」と言った。
マエダさんは、お義母さんの介護があるので、たまに途中で帰る時がある。
また今は旦那さんの扶養控除内で働いているので、普段からも時間が短いし、休みも多い。
1年前まではフルタイムで働いていたそうだ。
でも、お義母さんを引き取られたことで時間を短くしてもらったのだとか。
それで、以前から組立の仕事が多くなってきたのともあり、私を雇おうという事になったようだ。

「旦那の収入があるし子供も独立したから短時間に切り替えるのにちょうどよかったよ。イトウさんが来てくれて本当に良かったわ。義母を病院に連れて行くのなんか、平日しか出来ないし」とマエダさんが言う。
「でも、ノグチさんとかは大変よね。お母さんのお世話をしながら営業の仕事なんて」

ノグチさんと言うのは、48歳の男性で独身。
営業に出るついでに自宅の様子を見にいき、間に病院にも連れて行っているのだとか。
会社も黙認しているようなのと、営業職は手当てが一律で決められているので、ある程度は自由にさせてもらっているようだ。



「私、義母と別々に暮らしている時に、休みを取って病院に連れて行くと先生が『もっとお義母さんのお世話が出来ないんですか?』と言われて腹が立ったことがあるのよ。仕事を抜けたり有給とったりしてやっと連れて行っているのに。仕事を私がしないと当時息子を大学に通わせられなかったのよね。じゃあ、私が働かなかったらどこからお金が出るよって思ったものよ」

マエダさんは、ぷりぷり怒りながら言った。

「ノグチさんは、自分でお弁当も作ってきているでしょ。自分は結婚もしていないし兄弟もいないから、出来るだけお金を残さないとと、ずっと言っているみたいよ。今の住んでいる家は昨年お母さんのためにバリアフリーにリフォームしたんだって」

私は、すごく感心して聞いていた。
何故なら私と大違いだから。
もし、母がまだ元気で生きていたら私はここでは働いてはいない。
そして、私がノグチさんと同じ年になった時、もし母に介護が必要になったら・・・。
その時には娘の私がいるから必然的に介護をするだろう。
じゃあ、その後は?
まさにこの前までと同じ状態なのだけど、若さが違う。
それと、母自身働いていたとは言え、かなり祖父母に頼っていたため、将来年金などは少ないだろう。
実際、母が残してくれた通帳を見ると祖父母が亡くなった後は、ほぼ積み立てなどしていなかった。
私が、母が亡くなった後に使ってしまった貯金と母の少しの年金。
母自身、あまり節約という意識はなかった人だ。
欲しい物は欲しいで我慢しない人だ。
破綻が見えるようだ。
介護などで貯金を使い果たし、母が亡くなりその年金も収入として入らなくなった自分の姿を思い浮かべた。
50歳後半ぐらいだろうか。
その年齢から働くのは絶対無理だ。

ぞっとした。
その状況を思い浮かべたのと、その事をまったく考えなかった自分とそして母の事を含めて。

その日の昼、食堂の私が座っている前のブースでノグチさんと他の営業の人がご飯を食べていた。
私のブースには、私とサトウさんとヤマダさん、そしてジンテさんと今日はいないがマエダさんが一緒に座っている。
他にも営業の人が数名いるが、若い人をのぞき家庭を持っている人が多い。
一人の人が、ノグチさんに言った。

「おっ、今日も自分で使った弁当か?お母さんの介護も大変だから今からでも嫁さん貰えよ」
ノグチさんは「そんなの無理ですよ」と苦笑いした。

「そうだ!イトウさんなんかどう?イトウさんも独身だよね」

いきなり私に話が飛んできて、びっくりしてご飯を詰まらせそうになった。

すると横に座っていたヤマダさんがすくっと立ち上がって言った。

「ちょっと、『嫁さん』に全部家事とかお母さんの介護させるつもり!?あなたの奥さんにも言ってごらんなさいよ!明日になったら離婚届きっと置いてあるわよ!ノグチさんは偉いわよ。少しはあなたも見習ったら」

食堂がシーンとなった。
言った人もノグチさんもバツが悪そうな顔になった。

座ったヤマダさんが、私に小声で言った。
「まったくもう本当に勘弁してほしいわ。うちの旦那も同じようなことを言った事があるの。大げんかよ。うちはまだうちの両親も旦那の両親も元気だけど、もし介護が必要になったら私が全部背負うのかと思ったらぞっとするわ」

「女性が全部するというのは違うよね」と私が言うと

「そう、それが違うという事がまだわからない人が多いの。まだうちの旦那は私が働いているから今は家事には少しは協力的なんだけどね。それでも私の負担の方が多いし、たまに将来の事を思うとこのまま実家かえって一人で子育てした方が楽なんじゃないかって」

サトウさんが口をはさんだ。
「実際、旦那がいないとその分楽になる部分はあるわよ。ただ、私なんか子どもが小さいから正社員もなれない。すぐに保育園から呼び出しあるし。収入の面がきついわ。それと何より離婚するのにはすごくすごくパワーがいるの。結婚する時よりね」

「そうだよね。でも、今でも休みの日に旦那の実家に行くのがきついの。ただでさえ、平日は長時間働いているのに、休みも気が抜けないなんて。孫の顔が見たくて差し入れがあるから来てって電話があるのよ」

みんなでため息をつく。
私にも最近、収入と支出という事がわかってきた。
今更だけど。
「生活」をしていくという事は、とにかくお金がかかる。
子どもを一人育てるのにもお金がかなりかかるという事も。
そして、結婚するっていう事が楽しいってだけじゃない事も。

想像してみた。
絶対にないけどもし私とノグチさんが結婚したら・・・。
お母さんの介護は私一人でしなければならないのか?と。
そして、そもそも私は料理も作る事も出来ない。
きっとノグチさんの方が上手だ。

無理だ~~と頭を振った。

「何してるのよ。アカネチン。」とサトウさんが私の肩をたたいた。
最近、サトウさんとヤマダさんは私の事をそう呼ぶ。
つられて他の女性社員の人の多くも私の事をそう呼ぶようになっている。
「そういえば、アカネチンは料理できないんだよね。今日もコンビニ弁当だし」とヤマダさん。

「そうなんです。作った事がなくって」

すると横でもくもくと弁当を食べていたジンデさんが言った。
「アカネチン、器用なんだからきっと料理できるよ。した事はないの?」

「えっと、学校の調理実習だけです」と答える。

ヤマダさんもサトウさんも「えっ~~~!」と驚きの声をあげた。

実際は、この学校の調理実習も出来る女子が全部してくれて、私自身は洗い物しかしていない。
友達もいなかったため、ワイワイと楽しそうにする輪の中に入っていけなかった。

「コンビニ弁当だけじゃ、栄養偏るしお金もかかるよ。自分で作った方が安く済むよ」とジンデさんが言うと他のみんなも頷いた。

「何が一番簡単かな」と私が言うと

「カレーじゃない?」とヤマダさん。
「そうだね、箱の説明の通りやれば失敗ないよね。ジャガイモとかの皮をむくのはピーラーでいいし、肉と玉ねぎだけでもいいし」とサトウさん。

みんなに「頑張れ!」「頑張れ!」と言われて、その日作ることになった。

丁度、タクミからLINEが入った。
「母さんが、今日晩御飯一緒に食べないかと言っている」と。

私は、みんなが一度料理をしてみたらといっているカレーがいいんじゃないかと言っていると返事をするとしばらくして、すぐに返信が来た。

「じゃあ、母さんが一緒に作ろうと言っている。材料は買っておくって」

その日、仕事を終えタクミの家に行くと、エプロンを持ったミエコさんが玄関で待っていた
「さあ、調理実習開始よ!」
じゃがいもとにんじんの皮をピーラーで向き、包丁で適当な大きさに切る。
玉ねぎを切って目が痛くなる。

玉ねぎをしんなりするまで炒めて、肉を入れる。
水を入れてその他の野菜を入れる。

灰汁を取り野菜が柔らかくなるまで煮込む。
カレー粉を入れて、とろみがついたら出来上がり。


意外と私には簡単だった。
今まで何故、しなかったのか不思議なぐらい。

カレーを3人で食べた。
美味しかった。
自分で作ったカレーは。
食事中、今日会社であった事を話した。

タクミが言う。
「古いオッサンたちだな。俺なんか、母さんが「男の子も出来なきゃダメ」ってうるさくて、料理とか全部一通りできるぜ」

ミエコさんは主に在宅で仕事をしているが、仕事上出掛ける時もあり、そんな時はタクミが家の事をしていたのだと言った。

「あら、じゃあ今度はタクミの料理をみんなで食べよう」とミエコさんが言って3人で大笑いした。

「そういえば、親父も野菜がやたらでかいカレーだけは作っていたよな」

「そうそう、食べるのに大変だったわよ」

「そうなんですね。」

「アカネちゃんは、お父さんに似ているわ。今日見ていて本当に思ったわ」

「本当だよな。男女の違いがあるのになんかじゃがいも向いている姿がそっくりだった」
ミエコさんとタクミがほほ笑んだ。

私の知らない私に似ているという父。
でも、カレーを通じて少しつながった気がした。
タクミが3杯食べて、カレーは完食となった。

食べながらミエコさんが、簡単なものを教えてくれた。
帰る時に料理の本も持たせてくれた。
かなり年季の入った本だった。
ミエコさんが高校生の頃に使った調理実習の本だそうだ。

「まず、ここから始めてみたら?」と。

最初のページに載っていたのは、豚汁だった。
祖母がよく作ってくれていたのを思い出し、明日でも挑戦してみようと思ってみた。

帰りに自転車を漕ぎながら、父はミエコさんと結婚をして幸せだったのだと思った。
そうじゃないとここまで私に良くはしてくれないだろう。
そして、父に似ているという私を懐かしそうに眺める二人の目。
でも、母とはどうだったんだろう。

今日、サトウさんが離婚するのはかなりのパワーがいると言っていた。
お互いに憎みあって二人は別れたのだろう。
母は父に似ていた私を本当は嫌いだったんじゃないかという思いがまた心にわいてきた。

「違う!」と言って頭を振って自転車を走らせた。
そして、あの暖かい家を出た事で、1人きりになる家に帰ることが悲しくなってきた。


                            <つづく>

****************************************************************
今回もいろんな私の周りにいたりした人の話を元に。
ノグチさんのモデルの人は、おとーさんの会社の人で独身で高齢のお母さんのお世話をしている。
毎日自分でランチジャーにお弁当を詰めてきている。
年齢は私と一緒。
以前も書いた事があるけど、その人に「嫁さん貰えば」と言ったのはうちのおとーさんだ。
ヤマダさんのように私が怒っておいた。
長くお付き合いされた彼女もいたようだけど、多分今はいない。
高齢の母親を抱え、推測だけどいろいろとあったんだろう。
おとーさんも多分、会社の人にいっぱい怒られたり、いろんな事情を抱えた人を見てきて、最近は少し反省している。

病院で「お母さんの世話をもっと」と言われたのは、私の友人。
そのころ、友人は娘が二人いて、義両親と同居だった。
自分の親を病院に連れて行くのは、義両親に遠慮しながらだった。
時間を一生懸命作って連れて行っているのにそういわれたと悔しそうにいっていた。
お兄さんもいるけど、彼女に全部任せたきりだった。
(結局、友人はその後いろいろとあって離婚した。原因の大半はやはりお母さんの世話だった)

1人1人いろんな事情があり、毎日頑張って生活をしている。
「働く」という事が、どういった事なのかをずっとブログを始めた当初(もう10年以上前)から考えてきた。
この「茜色」はそんな思いを込めて。

そうそう、冒頭に出てきたブリュレは近所の和菓子屋さんのなんだな。
店頭で、カラメルを焼いてパリッとしてくれる。
1個230円なのにボリュームがあり、すごく美味しい。
凝った容器じゃなく絵のようなアルミの器に入っている。
いつもお店の人が「パリパリのうちに食べてね」と言ってくれる。
食べたくなった。
また買ってこよう。

そして、最後に実は高校時代の調理実習の本をずっと持っていて使っていたのは私だ。
結婚したときに、料理が一番参考になった。
今は、ボロボロになってめったに開けることがなくなったけど。
ボロボロになりすぎているので、ご苦労様という事で処分しようかと思っている。
で、このおはなしに登場させてみた。

窓辺のコブちゃん。
少し空気を通そうと網戸にしたらのぞいていた。



でも、寒かったのかすぐに元の位置に戻った。
それが、最初の写真。

茜色のお花畑 4 (サトウさん)

2020年02月19日 | 茜色のお花畑


さくらんぼのつぼみが出てきた。
普通の桜より少し早く咲く。

今日は、買い物に行かないことに。
夕方に少し歩きに出るかもしれないけど。
多分、1週間ぐらいうちにこもっていても2人分の食料なら大丈夫なだけある。
借りている本もまだあり、今週後半はあまり外には出ないようにしようかと。
マスクの消費を減らすのも理由の一つ。
今はスギ花粉だけど、実は今よりヒノキ花粉の時の方がひどくなる。
残して置かないと。
幸いなことにダイソーで買ったマスクの他に、自分で忘れていたんだけど昨年のイネ花粉の時期に箱買いしていたが出てきた。
これと、手づくりガーゼマスクでなんとか越せそうだ。

今日、水曜日は「おはなし」です。
思った以上に長くなりそうで当分続きます。
自己満足の為に書いているので興味のない方は読み飛ばしてくださいね。



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【茜色のお花畑 4 (サトウさん)】 

それからミエコさんも一緒に家まで送ってくれて、売れた人形の発送の為の荷造りと出勤のための服を選んだ。
下はスカートばかりだったけど、なんとかトップスなどは仕事に支障ないのはあったので、ユニクロで買ったパンツやジーンズと合わせてしばらくの間はなんとかなりそうだった。
ミエコさんは、まず仏壇に手を合わせて
「お邪魔してすいません。でも、アカネちゃんの事を少し任せて下さいね」と言っていた。
ふと、母がいたらどんな気持ちになるんだろうと思った。
私自身は、ミエコさんに対してはあまり複雑な感情はない。
顔も覚えていない父のお嫁さんなのだ。
それに今日一日会っただけだが、親戚のお姉さんのような感じがしている。
タクミは・・・やっぱり弟だという気持ちが芽生えている。
母の鏡台から使えそうな化粧品を選び、翌日の出勤のためのメークアップも教えてくれた。
未開封のものとか残っていたので、使えるでしょうとの事。
その他は処分することにして口紅だけは、派手にならないようにと色付きのリップクリームの新品をくれた。

「なぜ、こんなにしてもらえるんですか?」と私が問うと

「あなたのお父さんと結婚して幸せだったからよ」とミエコさんが笑った。

荷造りを終えた人形たちを車に積んでタクミとミエコさんは帰って行った。

翌日、朝早くにタクミが迎えに来てくれた。
「緊張して眠れなかったんじゃない?」と私の顔を見てクスリと笑った。

その通りだ。
いろんな思いが巡って眠れなかった。
もちろん、初めて仕事に行くという緊張もある。
朝は、メイクに30分もかかった。

会社につき、タクミは大学に行くからとすぐに戻って行った。
昨日、社員用の入口を聞いていたのでそこに入る。
いろんな人がバタバタと入っていく、その度に「おはようございます。」と小さい声であいさつをした。
更衣室では、昨日会ったマエダさんがいて、入ってきた女性社員に私の事を紹介してくれた。
事務所も入れて10人ほどの女性がいるそうだが、正社員は総務のヤマダさんと他の事務の人が二人と出荷場の主任だけだそうだ。
後は、パートタイムの人ばかりらしい。
短時間で働いている人もいて、今日出勤じゃない人もいた。

一度に名前を覚えらそうにない。

制服を上に着て荷物をロッカーに入れた時にヤマダさんが入ってきて、一緒に朝礼に行きましょうと言ってくれた。
昼食の申し込みとタイムカードを押すのを教えてくれて、その後に朝礼の場所に行く。

食堂で毎朝するそうだ。
入って並んでみて少し怖くなってきた。
ほとんど男性との交流がなかった私にとって、並んでいる男性社員はみんな怖そうに見えた。
それになんとなく荒っぽそうな人が多いような感じがする。

ベルが鳴り、朝礼が始まった。
社長さんの挨拶があった後に、ヤマダさんが私を紹介してくれた。
「今日から組立で働くことになったイトウさんです。」と。

私はなんとか
「よろしくお願いいたします」とだけ言えた。

朝礼が終わり、次々と食堂から社員の人が出ていった。
その中で「あんた、イトウさんの娘さんなんだってね。頑張ってね」と声をかけてくれる年配の人もいた。
話すとみんな荒っぽそうな印象が和らいだ。

その後に組立の仕事場に行き、マエダさんから仕事を教わる。
図面と指示書を渡された。
この日は、とても小さい部品同士をくっつける仕事だった。
一生懸命にやったが、目が段々チカチカして肩がこわばってくる。
ふと顔をあげてみると、驚いたことにカミデさんが、ものすごいスピードでくっつけていた。

サトウさんが小声で言う。
「すごいでしょ。あの年で眼鏡もなしであのスピード。神の手さんと言われるのわかるわよね」と。
私はそのカミデさんの速さの3分の1ぐらいで必死にくっつける。

マエダさんがそんな私を見て笑いながら。
「最初からそんなに頑張ったらしんどいわよ。イトウさん充分初めてにしては早いわよ。器用なのね」と言ってくれた。

昼までの時間がなんと長かった事か!
昼休憩の時は、食堂でいろんな人が話しかけてくれたのだけど、疲れすぎてあまり覚えていない。
それと、会社で頼めるお弁当は私にとってかなり多すぎた為、食べきるのに大変だった。
自転車で通えるようになったら、通勤時にコンビニででも買ってこようと思った。

昼からの時間も長かったけど、朝よりは慣れた為か朝よりは短く感じた。

終業時間を知らせるベルが鳴り、後片付けをしてタイムカードを押して着替えて会社の外に出ると、タクミが迎えに来てくれていた。
一緒に出てきたサトウさんに「彼氏?」と聞かれ慌てて否定する。

「弟なんです」という。
少し照れ臭かった。

帰りは一旦タクミの家により、自転車の練習や交通ルールを覚えた。
夕飯はミエコさんが用意してくれた。
「疲れたでしょ。今週は私が用意するから食べて行ってね」と。
ミエコさんは、今自宅で仕事をしているそうだ。
タクミが生まれるまでは、タイヨウ金属で事務をしていたそうだけど、タクミを生むときに長期の入院をしないと駄目で辞めて、そのあとタクミが少し大きくなった時に知り合いの紹介で今の在宅の仕事するようになったそうだ。
この日は、鍋だった。
いつぶりだろう。
3人で囲む鍋は、疲れを和らげて心が落ち着いた。
夕飯のあと、タクミがまた家まで送ってくれた。

そこから休みまで、無我夢中だった。
今ではもう何をしていたのか覚えていないけど、指示されたものを組み立てたり、くっつけたり。
毎日、肩や手がごわごわになった。

でも、仕事が終わった後にタクミの家で自転車の練習をしたためか、そのごわごわも少し解消されて翌日まで持ち越す事はほぼなかった。
5日目に注文していた電動自転車が届いた。
そのまま家まで乗って帰ってみた。
心配したミエコさんとタクミが車でついてきてくれた。
タクミの家は、私の家まで自転車で15分だった。
会社がちょうど中間にあるような感じだ。
こんな近い距離に住んでいたんだと改めて思った。

土曜日に自転車で会社まで行ってみた。
帰りに雨の日の用の雨合羽を買い、洋服も少し買い足した。
ほぼ母の人形は売り切れ、自転車を買ってもまだ残っていたので、日々の生活などにまわすことが出来たし、服を買う余裕もあった
一人で洋服を買うのは初めてで、店員の人が出てきてすすめてくれるのを購入。
この前に買ったユニクロよりは少し高かったけど、私によく似合っていたと・・・思う。
久しぶりに自宅で1人きりで過ごす。
寂しいという気持ちもあり、ほっとした気持ちもあった。

日曜日は、タクミとミエコさんが来てくれてスマホの契約についていってくれた。
私の給料から無理なく払える格安の会社があるそうで、そこに契約に行った。
店員の人が言っている事はチンプンカンプンだったので後でタクミが根気よく説明してくれた。
この日は、タクミのうちでまた3人で鍋をした。

翌週になり、自転車で出勤した。
途中のコンビニで昼食を買った。
段々、毎日慣れてきてとてもカミデさんのようにはいかないけど、そこそこ組み立てるスピードもあがってきた。
組立の3人とも仲良くなった。
年齢を越えていろんな話題をする。
マエダさんの家のお姑さんの介護の事。
サトウさんの娘さんの事。
ジンデさんは、いつからいるのかとか。

こんなにたくさん話す事は、今までの人生を通じてなかった。

たまにタクミから「LINE」が入る。(最初にアプリを入れて友達登録してくれた)
「母さんが、晩御飯一緒にどうって」と。
ミエコさんから直接入る事もある。

金曜日の事だった。
その日、サトウさんがなんだか元気がない。
就業のベルが鳴ってからマエダさんが「どうしたの?」と聞く。

実は・・・とサトウさんは話し始めた。

「今日、娘の誕生日なの。でも、娘が欲しがっているクマのぬいぐるみが買ってあげられなくて・・・。毎月ギリギリで生活しているし、今月はとても物入りで余裕がないの。せめてケーキでもと思うんだけどそれでさえ厳しいの。ケーキとかぬいぐるみを買うより、うちはまずお米を買ったりしないと駄目だから」

娘さんは5歳で保育園に通っている。
私は、ある事を思いついた。
「サトウさん、着替えたらここの駐車場で少し待っていてくれる?30分ぐらい」と。

サトウさんは、不思議な顔をして「いいわよ。保育園のお迎えの延長時間まで少しあるから。」と言った。

私は着替えて慌ててタイムカードを押して、猛スピードで自転車を走らせ自宅に帰った。

自分の部屋に行き、押し入れに入れていた「ある物」を取り出した。

自分で作った「クマのぬいぐるみ」だ。
好きで何個か作っていた。
一番大きなものを袋に詰めて、再び猛スピードで会社まで戻った。

頑張ってこいだため、往復で20分ぐらいでついた。
駐車場には、サトウさんが自分の車で待っていた。

息を切らせながら
「こ・・・これを、む・・・娘さんに」と袋を渡した。



サトウさんは中身を取り出すと、たちまちのうちに笑顔になった。
「やだ!すごくかわいい!」

「わ・・・私が作ったものなんだけど。作ってそのままにしておいていたものなの」と、息も息も切れ切れになりながら言うとサトウさんは
「すごい!本当にもらっていいの?ありがとう!」と少し目に涙をためながら言った。

その時、ちょうどヤマダさんが出てきた。
彼女はいつも少し他の社員より遅めに出てくる。

「あら!かわいい!クマちゃん!」

と笑顔になる。
サトウさんが事情を話すと、ヤマダさんがちょっと待っててと言って、事務所に戻って行った。
再び出てきたサトウさんは、手にかわいい包装紙を持っていた。
「今日、差し入れがあったでしょ。その包装紙とリボンがとってもかわいくて取ってあったの」と。
たまに事務所には、取引先からのお土産があり、私たち現場のものももらったりする。
そういえば3時の5分休憩の時に美味しいお菓子を食べたのを思い出した。

サトウさんは、私のクマを器用に包装した。
なんでも、ここで働く前はお菓子の卸問屋で事務員をしていて、たまに包装することがあったのだそうだ。

「四角のものと違ってちょっとやりにくいな~」と言いながらもかわいく包装できた。

サトウさんは「ありがとう!ありがとう!」と言いながら延長にならないようにと慌てて帰って行った。
帰る前にサトウさんとヤマダさんとも一緒にLINEの友達登録をした。

帰り道、今度は自転車をゆっくり漕ぎながら考えた。
サトウさんは、シングルマザーでフルタイムのパートで娘さんと二人暮らしだ。
うちの母もシングルマザーだった。
だけど、母はお金に困ったといった事はないし、あの人形もそうだけど欲しい物はなんでも買っていた。
そして、私にも買ってきてくれた。
ケーキやぬいぐるみより、まずお米・・・まずは食べる事。
そんな事を考えた事もなかった。
母の両親である祖父母がそこそこ裕福で、自宅もあり家賃を払う必要がない。

パートの給料で生活をする。
家賃を払い、生活費を払い・・・。
私のあまり計算が得意でない頭でも容易に「足りない」と判断できる。
サトウさんは、まだご両親はご健在らしいけど、実家にもあまり頼る事は出来ない事情があると話していた。

自分が今まで働かず、出費する事ばかりだったことがとても異常だったのだと初めて気がついた。
そして、あまり何も考えずに押し付けてしまったのだけど、本当に私がぬいぐるみをあげてしまって良かったのだろうかと。
あんな手作り感満載のぬいぐるみ、迷惑だったんじゃないかと。
サトウさんは、よく言っていた。
「若くてシングルマザーだと、やっぱりと思われるのよ。だから、なるべく人には頼りたくないの」と。
サトウさんは赤い髪の色は、世間と闘っている色なのだと言っていた。
おしゃれもあまり出来ないのだけど、髪だけは自分を奮い立たせるために自分で染めているのだと。

家に帰り途中で買った弁当をあけていると、スマホが鳴った。

LINEをあけると、笑顔のサトウさんと娘さんとそして私の「クマ」が写っていた。



「ありがとう!」という文字が添えられていた。

私は、わいてくる感情を抑えられず、涙を流した。

                            「つづく」

****************************************************************

こんなに長くなるとは思っていなかったな・・・。
多分、今なんの仕事もしていないから書けるんだと思う。
在宅の仕事していた時はやっぱり無理だった。

私のいた前の職場もシングルマザーが多かった。
でも、ドラマとかに出てくるようなキャリアウーマンとかではなく、職業の選択肢がなくパートでもいいからと働いている女性が多かった。
正社員ではなくパートで雇う。(その事で悩んでいた人の事も書こうと思う)
ただ、前の会社のいいところはボーナスなどもちゃんと出たところかと。

子どもが小学校に入ったけど、「ピアニカ」が買えないと言っていたお母さんもいた。
買えない家庭の子は、学校のを貸し出してもらい、パイプだけ購入する。
ちょうど小学校を卒業したうちの息子のがあったので、口をつけるものなので他人のお下がりは嫌かなと思ったけど「要る?」と聞くとすごく喜んでもらえた。
公立の学校でも、いろんな備品にお金がいる。
子ども服は全部リサイクルだと言っていた。

「ケーキやぬいぐるみより、まずお米」
このころ、こういった事を職場の誰もが言っていた。

うちも前から書いているがいろいろとあって一生懸命働かないと駄目だったけど、私の実家もそうだけど、おとーさんの実家も近くにあり、孫のためにはいろいろと支援してくれたので、子どもの持ち物で困る事はなかった。
それはとてもありがたい事なのだと今は思う。
仕事もいろいろと我慢することは多々あったけど、給料もこのあたりではよく、何より事務だったので、体は楽だった。
何よりこの職場、息子の学校にすごく近かった。

ただ、こういった職場にいた為か、恵まれた環境にいるのに不満ばかり言っている人が許せない時期があった。
今は、少し考えが変わりその人は幸せなのか?と考えるようになった。
自分が恵まれているとわからない方が、不幸なんじゃないかと。
それで、考え付いたのがこの「茜色」のはなし。
お花畑は、「頭の中が」っていう意味も含んでいる。
最後はちょっと意味が変わってくるのだけど。

ストーブ前のコブちゃん。



最近は良く寝るようになったなと思う。






茜色のお花畑 3(社長さん)

2020年02月12日 | 茜色のお花畑


昨日は、実家の温水洗浄便座の取り付けに立ち会うために、おとーさんと一緒に行った。
その後で母を買い物に連れて行き、一緒に昼ご飯を食べて帰ってきた。

ここのところ、母や義母との買い物が続いているので少々疲れている。
二人とも年を取ったなとつくづく感じる。
そして、私自身も年を取った為か、すごく疲れる。
いや、これは年のせいでもないかもしれない。
二人の買い物の仕方が超疲れる。
母は自分の行きたいところにしかいかず、義母は普段家にこもりすぎているためか、たまに外に出るといろいろと物珍しく、超ゆっくりと見る。
その人たちに付き合って話をするので、自分の買い物はほとんどできず、後でまた再び行くことになる。
そりゃあ、結局2度行くことになっているから疲れるのも当たり前。
でも、疲れがなかなか取れないのは年のせいだろう。

さて、今日は「おはなし」です。



前の回にも書きましたが、自己満足のために書いているお話です。
後で書きなおしたり、また変更したりもします。
読み飛ばしてくださいね。

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【茜色のお花畑 3 (社長さん)】

翌日、タクミが迎えに来てうちから車で3~4分のところにある会社に行く。
車で3~4分と言っても歩いたら多分、30分以上かかるだろう。
うちは郊外にある集合住宅地で、少し車で走ると目の前に田園風景が広がる。
会社は田んぼに囲まれて建っていた。
「株式会社タイヨウ製作所」

駐車場につくとタクミは「じゃあ、頑張って」と言って私を降ろした。
ついてきてくれないんだと思った。
当たり前か・・・。
インターホンを押そうと思ったら、中から私と同じ年齢ぐらいの女性がドアをあけた。

「あっ、面接の『イトウ』さんね。聞いてます。どうぞこちらに」
女性の後ろをついていくと、「社長室」と書いている部屋に案内された。
部屋をノックすると「どうぞ」という声が聞こえてきた。
女性が部屋を開けてくれるとそこには恰幅のいい中年の男性が座っていた。

「失礼します社長、イトウさんをお連れしました」

「ありがとう。じゃあ、イトウさん、そこに座ってくれる。履歴書は持って来たよね」

女性は私を前に出した後、部屋を出て行った。
私は、「よろしくお願いします」と言って頭を下げて履歴書を渡し、恐る恐るソファーに腰をおろした。
この「よろしくお願いします」はミエコさんからちゃんと言いなさいよと念を押されていたのだ。
でも、部屋に入る時「失礼します」と言うのを忘れていた。
先に入った女性が言ったので、タイミングを外してしまった。
私も後から言うべきだったのか。

社長さんは、そんな事は別に気にせずに履歴書を見ながら言った。

「本当は、面接はうちの専務がするんだけどね。君は「モリモト」君の娘さんだから私が直接する事になったんだ。」

父の姓は「モリモト」だった。
昨日、初めてわかったところだ。

「モリモト君とは、高校の同級生で同じ陸上部だったんだ。君が生まれた時にも年賀状をいただいたし、会った事もあるんだよ。君のお母さんにもね。」

若かった頃の父と母の事など考えた事もなかった。
でも、私がいるという事はそういった事なのだ。

「君のお母さんと離婚した後に、彼は大手の証券会社でリストラにあって失業してね。しばらくの間、うちの会社で働いていたんだ。実は、部活は一緒で交流はあったけどそこまで仲が良くなかったので、私を頼ってきた時はびっくりしたよ。
雇用保険が切れてもなかなか仕事が見つからなかったらしい。
しばらくの間でもいいから雇ってほしいと言ってきた。
そのころまだうちの会社は親父が社長で、私は見習の平社員だったからね。なんとか頼み込んで働いてもらったんだけど、彼は高校時代からそうだったんだけど、ちょっと生意気というかプライドが高くてね。うちの社員たちとことごとく衝突した。どうやら仕事を見つけるまでのつなぎで働いているという意識だったし、仕事も手際が悪かった。多分向いていなかったんだろうね。
でもね、なんだか段々柔らかくなってきて、うちにもなじんできた。その頃にうちで君を送ってきたタクミ君のお母さんのミエコさんが働いていたんだ。彼女と付き合った事で彼は変わったんだ。ただ、うちでは十分な給料を出せなかったし彼の能力もうちにはもったいなかった。彼は、再就職先も探していて1年たったころに目出度く見つかってうちを辞めたんだけど。その頃には会社のみんなにも別れを惜しまれていたよ。
きっと彼が変わったから再就職も出来たと思うんだ」

ドアがノックされ、社長さんは一旦言葉を切った。

「失礼します。」と声がして先ほどの女性がお茶を持って入ってきた。

「彼女はヤマダさん。うちの総務を担当している。わからない事は彼女に聞いて。ヤマダさんよろしくね。イトウさんは、今まで働いた事がないんだ。とりあえず部署は「組立」で。」

お茶をテーブルに置きながらヤマダさんは「承知しました」言った。
どうやら私は採用してもらえるらしい。

「後で呼ぶから案内と用意するものを教えてあげて」と社長が言った。

ヤマダさんは私に向かって「じゃあ、後でね」と微笑み出て行った。

「今まで働いた事がないというのには、ちょっと驚いたけどまあなんとかなるでしょう。とりあえず時給は900円で。時間は8時半から5時まで。うちの現場はフルタイムパートの人がほとんどだから。パートだけど社会保険とか入ってもらえるし、有給もあるしボーナスも出るから頑張ってね。」

そういうと社長は電話を取り、内線でヤマダさんを呼んだ。



ヤマダさんが来たので、今度はちゃんと「失礼いたしました。」と言って社長室を出た。

ヤマダさんが、ニコニコ笑いながら話す。
「私はヤマダリエ。イトウさんと同じ年よ。結婚していて保育園に通う息子が1人いるの。よろしくね」

私は、ドギマギして「よろしくお願いいたします。」と小声で言った。

まず、更衣室を案内してもらって、ロッカーを教えてもらった。
「貴重品を入れるのだったら、かぎをかけてね。それとこれは制服。中は動きやすい服装だったら自由だから」

その次に、食堂を案内される。
「ここで食事をとるの。近くに飲食店がないから自分で持ってくるか、それか朝か定期で会社から注文するお弁当を頼んでね。あと、お茶を飲むコップは持参しないと駄目だから、持ってきてね。それと女性社員はお茶当番とトイレ掃除の当番がまわってくるから。また、その時に説明するけど女性だけが当番あるのは不公平よね!」とヤマダさんはちょっと眉間にしわを寄せた。

明るくて元気な女性だ。
私と同じ年なのに結婚して子どもがいるんだと、なんだか思った。
でも、32歳という年齢では普通の事なのだ。
私は、そう思った事に衝撃を受けた。
当たり前のことを今まで考えなかった自分という存在に。

次に「組立」というところに連れて行ってもらった。
そこには3人の女性がいて紹介された。
一人は若い「サトウエリナ」さんという女性。
この人は25歳で3歳の娘さんがいるシングルマザーだそうだ。
ほぼ赤に近い髪の色にびっくりする。

50歳の「マエダヨシエ」さん。
子どもはもう独立していて、ご主人とご主人のお母さんと3人暮らしだそうだ。
お母さんの介護があるので、フルタイムでは働いていないらしい。

そして、一番びっくりしたのが75歳の「カミデテル」さん。
こんなお年寄りが働いているの驚く。
ヤマダさんが「カミデさんは、「神の手」と書いてカミデと読むの。驚くわよ。本当に神の手なのよ」とくすっと笑った。

カミデさんが「あんた誰かに似てるね~」と。

ヤマダさんが「以前、1年だけ働いていたモリモトさんの娘さんだそうです」というとカミデさんはホウホウと言って笑った。



3人に「よろしくお願いします」と頭をさげた。

「後は明日の朝礼でみんなに挨拶します。始業と朝礼は8時半からだけど着替えの時間とかあるのと、朝礼の説明をするから出来たら8時過ぎには明日は来てくださいね」
そういってヤマダさんは、玄関まで送り出してくれた。

「ありがとうございました。」と頭を下げて、こんなに頭をさげた事って初めて?と自分でちょっとだけおかしくなった。

駐車場ではタクミがまっていた。
どうだった?と聞くので採用されたことを告げると
「じゃあ、うちに帰って『自転車の練習』だな」と。

私は、今まで出したことのない声をあげた。

「えっ~~~~~!」

「声出るじゃん。帰ったらお袋が手ぐすね引いて待っているぜ。あの人は鬼教官だから」
タクミの家に行くとミエコさんが庭で待っていた。
前にはちょっとおんぼろな自転車があった。

「採用されたんだってね!よかった!じゃあ、さっそく自転車の練習よ!」

どうやら社長さんから連絡が入っていたようだ。

「私、多分無理です」というと
「大丈夫、大丈夫」と笑う。

20年以上ぶりの自転車。
そういえば、補助輪があった時は祖父がいる時には乗っていた。
補助輪を外して練習をして、こけてから母が激怒してから乗っていない。

おそるおそる乗ってみる。
最初はミエコさんが後ろを支えていた・・・と思う。
でも、気がつくとちゃんと漕いでいた。

「ほら、やっぱり乗れるじゃない」

ミエコさんが後ろの方で大きな声を出した。
思わずよろけてこけそうになったが、両足をついて支えて大丈夫だった。

昔の記憶がよみがえる。
そうだった。
私は乗れていたのだ。
祖父が手を離して、一人で漕いだ。
でも、その時に母の悲鳴が聞こえたのだ。

「アカネに危ない事させないで!」と。

その声で私は倒れてけがをした。

後ろからミエコさんが話す。
「あなたのお祖母さんからの手紙に書いてあったそうよ。アカネちゃんはちゃんと自転車に乗れていたって。運動も苦手だって思っているようだけど、あなたのお父さんに似ているからそうじゃないと」

「でも、私すごく足が遅くていつもママが・・・いえ母が『アカネちゃんは運動音痴ね』と言ってました。」
タクミに『ママ、ママだな』と言われてから、気を付けて言わないようにしようとしている。

「あなたのお父さんはね。長距離のランナーだったのよ。きっとアカネちゃんも似ていると思うわ」

ミエコさんは、すごく優しい表情で笑った。

その時、タクミの声がした。

「すげー!あの人形たちすごくいい値段で売れた!」と。

タクミのスマホをミエコさんと一緒にのぞき込むとどれも1万以上の値段がついていた。

「早速、荷造りを用意しないとな」とタクミ。

「そうね、そのお金で電動自転車を買いましょうね。会社までは行きは坂道でこのおんぼろ自転車でも大丈夫だけど、帰りがとてもしんどいわ。でも、とりあえずは慣れるまで丁度今春休みだから、タクミが1週間は送り迎えするわ。送って行った時に荷造りをしたらいいわね」とミエコさんが言う。

母の好きだった人形たちと別れる。
少し寂しいような気もした。

でも、明日からの「はじめて働く」という不安と期待の方が心の中で大きく、その寂しさはあっという間にどこかに行ってしまった。

                         <つづく>

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このお話、土日とかのあいた時間に書いているんだけど、先週からは一番最初に書いたようにずっと母たちの買い物で出ていたので、今日書いた。
挿絵を描く時間がなくなり、なんか適当な絵になった。
また、時間が出来たら描き直そう。

この話は、私自身が経験したり、見たりしてきたことをベースに。
この会社の中だったら、私は「ヤマダさん」
いろんな面接を受ける人を「案内」して、また入社時にも説明などをしてきた。
ヤマダさん視点からいろいろな事情を見た。
いつかその事も話にしてみたかった。

「運動音痴」と言うのは、いつも私が母に言われていた事。
でも、子育てをして今考えると私は決して運動音痴ではなかった。
鉄棒や縄跳びうんていなどは、得意だった。
棒上りなんて、お猿のようにするすると一番上まで行った。
ただ、体が小さかったのと腕の力が弱かったためか(握力は結構あった)、ボールを投げたりするのは少し不得意だった。
でも、バスケットボールやドッチボールは好きだった。
走るも今考えるとそこまで遅くなかった。
自転車にも幼稚園の頃に1日で乗れた。
本当に今よく考えると、母が運動音痴と言わなかった妹より、運動は出来たんじゃないかと思う。
田舎で半分育ったためか、山に祖母と一緒に入ったりしていためか、足も丈夫だ。
何故、母に運動音痴と言われて育ったのか?
多分、動きがゆっくりだったのと子供の頃は小さくて体が弱かったためだと思う。
その点、妹はよく動く子だった。
でも、子育てをしていてわかったのは、良く動くから運動が得意ではないという事。

親が自分の子に「言葉」で檻をつくる。
可能性を押し込める。
そうあってはならない。

今日は、午前中これを書くのに使ってしまった。
買い物はないけど、いつもように出かけたりできなかった。
でも、昨日の疲れが取れないので、さっき公民館まで行ったけど、それだけで終わろうと思う。
一服したらいろいろと家の事をしないと。

次回金曜日は、普通の絵日記で。
「おはなし」は次週のまた水曜日に。
神手さん、実際にいらっしゃった方がモデル。