染織工房きはだや 「店主の独り言」

きはだや店主が今日の出来事を語る。喚く。話す。切る。
でも日記は苦手。
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謎の浪人、宮本茂十郎

2015年05月09日 | 店主の一日
今年の東京大学教養学部の卒業式で「一次情報」に戻ることの大切さを説いていました。
なるほどその通りで、ネットで調べたりすると随分と虚飾の多い文章に触れたり、誤認されたまま通説になってしまったものを見ることがあります。
時々、新たな手紙や文書や書付が新たに発見されると「歴史的発見」等と評されますが、従来の資料の積み重ねで作られていた史実が、新たな資料の発見によって解釈の変更を迫られることも少なくないのでしょう。

前回のブログでは「宮本茂十郎招魂祭」の時のことを書いたのですが、この「宮本茂十郎」あまり詳細がわかりません。
まあ、一次情報がないというあたりでご勘弁ください。
もう十年以上も前になりますが、早坂伊織さんの「男の着物大全会」を十日町で開催したことがあります。
市内で機屋さんを回った後に、宮本公園で十日町の歴史研究家、佐野良吉先生に明石ちぢみの祖「宮本茂十郎」について話してもらったことがあります。
宮本茂十郎で知られていますが、「宮本茂十郎」は後々に付いた呼び名で、どうも当初は「もじゅう」なる名前の浪人であったらしく、諏訪神社の入り口近くに居を構えたそうです。透綾織と高機を十日町に広め今日、顕彰されるに至ったわけです。
元々は「もじゅう」だったのが、姓をつけるに当たりお宮の下に住んでいたので「宮本」になり「宮本茂十」では少し、収まりが悪いのでいつしか「宮本茂十郎」になったのだそうです。明石藩の浪人であったことから「明石茂十郎」の記述も見ることができます。
謎の浪人、宮本茂十郎です。

小千谷にちぢみ織を広めた堀次郎将俊なる人物がいますが、こちらも播州明石藩の出身。
京都西陣から、織物の技術をこの越後の地にもたらしました。



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