カーマの 日々☆コレどっこいしょっと

おばちゃまカーマは何をするにも時間がかかります。
気が付けばアっ!という間に夜なんですよ?もぉーどうしましょ☆

それでも備えだけは・・

2007年07月21日 | Weblog
左腕の付け根近くでブルブルと震える携帯電話。
木曜日。
この日出勤日だった私はアームの短いショルダーバッグを肩に、
新宿駅の中央線のホームで電車を待っていた。


八王子方面に向かう電車は空いていて、1分と待たずに
ホームに滑り込んできた電車の扉が開く。
シートに端に腰掛け携帯を開く。


メールは同僚パートのMさんからだった。



『 おはようございます。昨日、柏崎に着きました。

 自宅は要注意の紙が貼ってありますが、皆で

 寝泊まりしています。
 』


(良かった・・・
ご両親も、家も無事だったんだ)


続けて

 『 村は大変な被害のようです。可哀相で見に

   いけないんです。
 』と書かれていた。



そうなのかも知れない。
実際に大地震を体験していない私には想像がつかない。



あの地震のあった日、やや大きめの横揺れを感じた私は
直ぐにTVのスイッチを入れてみた。


臨時ニュースが流れ、震源地が柏崎と知る。
Mさんの実家がある場所だった。


すぐに彼女にメールを入れてみたが、両親と電話が繋がらず
不安だという返信が返ってきた。

彼女は老親の残る柏崎の実家には月に1度のペースで
帰省しては世話をしている。


「仕事の方は何とでもなりますから無理しないで
下さいね。気をつけて!」と返した。




子供の頃から大地震の怖さを両親からも嫌というほど聞かされて
いた私は地震には人一倍恐怖心を持っているかもしれない。
祖父母は、関東大震災の時、当時の呼び方でいうところの
「上野の山」に難を逃れ、助かっている。




空を見上げても、私の生活圏のどの場所でも視界にビルが入ってくる。
駅前はどこも再開発が進んでいるけれど、居住地域全体にしてみたら
狭い道路に電線は四方八方に張り巡らされているところが多い。
どこから見上げても空が狭い。


そんな場所では生き残るなんて無理無理。
そんな気分になってしまう。


祖父母が健在だったあの頃の東京とはまるで違う。


生と死を分かつものの一番は「運」だろう。

(もちろん全てではないけれど。)



それでもやはり一応備えだけはしておかねば、と思う。






月並みだけれど、被災地域の方たちが、一日でも早く元の生活に
戻れますように。
そう願うばかりです。