山谷君の哀悼の辞の後「県立西宮高等学校校歌」を歌いました。
県西音楽科卒で岡村先生の次女さん(右端)も参加してくれました。 喪主の長女さんも県西出身です。
県西音楽科卒で岡村先生の次女さん(右端)も参加してくれました。 喪主の長女さんも県西出身です。
校歌に先立ち山谷君が緊張し汗だくになって「哀悼の辞」を述べてくれました。
岡村先生を見事に表現し私たちやお遺族の方に感銘を与えてくれました。
「説教するの上手やな~!説教されていた君が。」「僕たちも頼むで、どっちが先かわからんけど」など冗談を言っていたのですが彼はキリスト教会でも説教をしているそうです。・・・・なるほど。
岡村先生とお別れして(出棺後)最後に黒川先生が「岡村先生も喜んでいるよ。」と言っていただき感激しました。
*****山谷君の哀悼の辞を全文掲載します。*****
岡村良次先生ご葬儀における哀悼の辞
平成25年1月23日 於 垂水平安祭典会館
岡村先生に学恩を蒙った者の一人として、ご遺族の方々のお慰めの一端ともなるかと存じ、先生の思い出を少しの時間をお借りしてお話申し上げたいと思います。
私は、今日のこの場に参式しております数名の同期生とともに、今から50年前、昭和37年春県立西宮高校に入学いたしました。
岡村先生は私たちが3年に進級するとき東高校へ転任されましたので、2年間の短い期間ではありましたが、その間ご指導いただいたのであります。
恐れ多いことではありますが、先生は河童という綽名(あだな)で生徒たちに慕われておられました。
ご遺族の方々はもう少しいい綽名が無かったかと思われるでしょうが、これは多分先輩方が付けられたのを私たちが踏襲した次第ですのでお許し願いたいのですが、河童とは云い得て妙なる綽名であると思います。
どこか世俗を超越したような飄々たる雰囲気、優しくて少し茶目っ気のあるお顔、バサッとした御髪など、そして永年、水泳部の顧問として生徒を指導してこられたことなどがその綽名の由来かと思いますが、振り返ってみますと他の先生方で綽名のついている先生は思い浮かびません。
岡村先生が生徒たちから愛され信頼されていた証しではないかと思います。
さて、私は岡村先生から受けたある一時間の授業を忘れることができません。
当時、先生は現代国語を担当されておられましたが、ある授業で萩原朔太郎の「郷愁の詩人与謝蕪村」という箇所を取り上げられ、蕪村の「春風馬堤ノ曲」という詩を教えてくださったのであります。
高校時代というのは、人生でもっとも多感な時期であります。
芸術に憧れ、恋愛を夢見て、またスポーツに打ち込んで青春を謳歌したい時期でありますが、当時の高校生活は勉強に追い立てられ、特に私のような劣等生は日々の勉強についていくだけでアップアップしていた者であります。
先生の此の時の授業は、小難しい文法や解釈などを脇において、この詩歌の美しさを存分に鑑賞する時としてくださったのです。
私は、この一時間の授業によって詩歌の美しさ、楽しさに魅せられて今でも蕪村句集は私の愛読書であります。
この授業は、高校生活の授業の中で私の最も記憶深いものでありました。
また、今この場に参式しております水泳部の悪童たちの中には、勉強もせずにプールに入り浸っていた者もおりますが、彼らが顧問の岡村先生と過ごしたクラブ活動は、直接先生と触れ合ったところの深き良き思い出として今も残っているということを聞いております。
岡村先生は長い教員生活において、何百人、何千人の私たちのような教え子に、深い感謝と思い出を残されているのであります。
先生はご自身の半生を教育に捧げ、ご自身の此の世に於ける業を完璧に成し遂げられ、堂々天国に凱旋されたのであります。
昨夜、ご遺族に承ったところによれば、ご家族全員が見守られる中、静かに穏やかに息をひきとられたとのことでございます。
こんにち、このような祝福された一生を送ることが、どれほどの人に許されているでしょうか。
まさに、今日の式は慶祝の日であります。
しかし、そうではありましても愛する夫、愛する父、愛する祖父を喪うという喪失の思いは言葉に表せないほどの悲しみであり、思慕と少しの悔恨の混ざった苦しい思いでございます。
それでも私は信じます。
いつの日か天国で愛する人と再会する喜びは、決してこの世では味わうことの出来ない程の歓喜に満ちた再会の喜びであることを。
どうぞ、神様がご遺族の御一人お一人の上にその悲しみを癒し、豊かな慰めを与えてくださることを、また特に奥様に於かれましては此の世にある間、一日一日を穏やかで平安のうちに過ごされることを切にお祈りいたします。
山谷隆男 謹みて辞す
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通夜 1月22日(火)19:00~ 垂水平安祭典会館
通夜の後、高田事務局長、山谷君、江口君、三木君、池田君、齋藤君とご親族の方たちと食事をしながら岡村先生を偲びいろんなエピソードを話しました。
家の引っ越しに水泳部員が手伝に行って家の自慢話を・・・江口君いわく、引っ越しを口実に本当は家の自慢をしたかったのとちがうかな~!
池田君いわく・・・会計を誤魔化して水泳部旗を作ったのを見逃してもらった話。 等々
個性豊かな水泳部員、故橋本君(主将)、池田君、江口君、清内君、齋藤君は3年生の9月まで(国体予選)水泳漬の楽しい高校生活を送れました。
岡村先生に感謝します。
「岡村先生ありがとう」そして「さようなら」いつまでも僕たちの心に刻んでいます。
記:齋藤
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