建臣ともいう。土佐藩の高知城下南奉公人町の出身である。板垣退助が甲斐で武田信玄の家臣板垣信形の
子孫を宣伝して、甲斐の領民を集めて断金隊を結成させ、美正貫一朗を隊長となり、板垣退助の別働隊となる。
その後北関東や南奥羽を渡り戦うが、慶応四年七月二十七日の本営にて兵を率いて阿武隈川を渡ろうとしているさいに敵の砲弾に当たり戦死する。二十五歳。
子孫を宣伝して、甲斐の領民を集めて断金隊を結成させ、美正貫一朗を隊長となり、板垣退助の別働隊となる。
その後北関東や南奥羽を渡り戦うが、慶応四年七月二十七日の本営にて兵を率いて阿武隈川を渡ろうとしているさいに敵の砲弾に当たり戦死する。二十五歳。