戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

迅衝隊の服装 板垣退助こぼれ話

2005年03月12日 | 板垣退助こぼれ話
板垣退助が戊辰戦争のあとに語った談によれば、服装は急こしらえだった部隊であるとことを示す内容である。
「フランス革命時代の義勇兵の状況をきくと全くよく似ている。上下の別もなく、将卒たがいに撹乱し
服装に至ってはまちまちで一定せず、「フロックコート」「セビロ」の如きものをきるのもあれば、伊賀袴をうがちて陣羽織を帰するあり、鳥打帽あり、韮山笠あり、
多くのものは三尺の長刀を腰に横たえていた」
板垣退助が引きつれた迅衝隊は高松城に接収したが、高松藩とは交戦することはなく、また鳥羽伏見の戦いに参戦できないままに京都に入ってから、東征への命令が出ていたころの迅衝隊の様子を語るエピソードである。服装容姿で戦うへきものではないが、板垣退助がその詳細を詳しくかたるほどであったから、
本人には前途多難であったという印象が頭によぎったのではないか。