戊辰戦争の前年慶応三年五月十九日、板垣退助は京にて、谷干城、毛利恭助、中岡慎太郎を捕まえて料亭「大森」にて会談する。
中岡慎太郎が、土佐藩の挙兵討幕について板垣退助に尋ねると、板垣退助は「容堂公に訴え、容れなければ、諫死するのみだ」と答える。
これには、中岡慎太郎憤然として、畳を叩いて板垣退助を問責する。
「あなたは、国家の安危をかえりみず、一人いさぎよく死ぬだけで満足なのか。豚や犬のような無意
味な死は、断じて僕は許さない。今日必要な大計を早く語りたまえ」と迫る。
板垣退助は中岡慎太郎の気迫にのまれ、自分の非をわび、「藩論が討幕と決まらない場合は、同志たちとはかり挙兵しよう」と断固たる口調で告げると
中岡慎太郎はこれに安堵し、「我が意を得たり」とにこりと笑ったという。
中岡慎太郎が、土佐藩の挙兵討幕について板垣退助に尋ねると、板垣退助は「容堂公に訴え、容れなければ、諫死するのみだ」と答える。
これには、中岡慎太郎憤然として、畳を叩いて板垣退助を問責する。
「あなたは、国家の安危をかえりみず、一人いさぎよく死ぬだけで満足なのか。豚や犬のような無意
味な死は、断じて僕は許さない。今日必要な大計を早く語りたまえ」と迫る。
板垣退助は中岡慎太郎の気迫にのまれ、自分の非をわび、「藩論が討幕と決まらない場合は、同志たちとはかり挙兵しよう」と断固たる口調で告げると
中岡慎太郎はこれに安堵し、「我が意を得たり」とにこりと笑ったという。