戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

「外人部隊」断金隊 板垣退助こぼれ話

2005年03月29日 | 板垣退助こぼれ話
板垣退助が甲斐にて有志にて編成された断金隊は、その隊員には、尾張名古屋の浪人・村井直三郎、相模浪人尾崎彦四郎、影山東伍などでいた。

その所以は、迅衝隊の軍監、元土佐勤王党の党員である大石弥太郎が「二人同心、其利断金」という易の語からとったものという。

板垣退助は断金隊の隊員たちを集めて武田信玄の廟前で誓約させ、また板垣退助はそれど相前後して甲斐の郷士たちによる護国隊という部隊も結成させる。

これら迅衝隊の支隊である断金隊は北関東から会津転戦し、偵察・戦闘とさんざん酷使され、最後に「乞食の如くなりて」といわれて帰国したという。

なんとも、こうも断金隊がここまであわれになれば板垣退助は疫病神に思えてならない。