戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

「ちくと刀が長すぎはせんか」 板垣退助こぼれ話

2005年03月21日 | 板垣退助こぼれ話
勝沼の戦いのあと、迅衝隊は会津藩士の大崎壮助という者を捕らえて尋問するが、なかなか傲然として口割らない。それを聞いた板垣退助は
「おもしろい男だ。」といって直接尋問しようとするが、大崎は「猶予せず首をはねてもらいたい」と訴える。

板垣退助は拷問するのに情に忍びず、武士らしく死罪を宣告した。いよいよ斬首される段になり大崎は板垣退助に一礼をして刑を待つが進んで斬ろうとするものがいない。
そのうちに中屋修治という者がいて身長六尺という大柄な男で日頃から好んで三尺の長刀を差していた。「自分はかつて京都四条で会津のものと立ち会って二人を倒したことがある。

これを斬らせてもらえばちょうど三人になる。」と言って壇上に出て来た。中屋は抜刀したものも周囲の藩士たちの注視に緊張したのか、なかなか斬ろうとせず、
板垣退助は「中屋、ちくと刀が長すぎはせんか。」と軽くひやかすと取り巻きたちはどっと笑う。これに気がほぐれたのか、中屋の刀は紫電一閃大崎壮助の首を皮一枚を残して前にたれた。

中屋修治はその髷をつかんで皮を断ち、しずかに壇の上におくと、大崎の首は馬手ばちばちとまばたいて生きもののようにぐるりを回ったという。
その壮烈さに一軍の藩兵たちは声をのみ、驚嘆せざるえなかったという。