戊辰戦争の驍将 板垣退助

板垣退助が慶応四年一月の土佐から出陣したときから幕末の戊辰戦争の活躍を日記形式にその日付と連動しておどとけします。

江戸城「無血開城」前後 板垣退助こぼれ話

2005年03月22日 | 板垣退助日誌
甲府を占領し、近藤勇ら甲陽鎮撫隊を破った板垣退助ら迅衝隊は、甲州で席を温めるまでもなく、三月十五日の予定されている江戸城総攻撃の前に、甲州街道より一路江戸を目指した。

他の総督府の部隊には後れを取ったがどうにか、総攻撃の前日に間に合い内藤新宿に入るが、
西郷隆盛と勝海舟によるトップ会談により江戸城の無血開城が決めらる。

これには、土佐藩兵は拍子抜けしたことであろう。
のちに谷干城は明け渡しになった江戸城内を見学して、城内に大砲が百門余りも並んでいたことに驚く。谷干城は江戸で大砲をかき集めようとしたが、軽砲や臼砲が八、九門くらいしかなかったというから、江戸城にある火力の前では迅衝隊の火力まさに子供の花火同然。行軍や戦闘に疲れ果てた土佐藩が
迅衝隊が江戸城に総攻撃に加わらないほうが賢明であったかもしれない。