城の名前とホテルのそれとが一致していない一例である。
丘陵地の多いヘッセン州の中部を走っていると、アウトバーンにフリーデヴァルト町の標識が出ている。フリーデヴァルトとは平和の森という意味である。これから行こうとしている水城砦の看板も見所として出ている。
〈フリーデヴァルト〉 の文字は14世紀初めの古文書に見られ、この地方の方伯(公爵と伯爵の間の位)が水城砦を役所及び狩猟用の城として使っていたらしい。1476年に別の方伯がそれを買い取って、その当時一般的であった様式に改築させた。15世紀の末にかけて3棟の、そのコの字型の口が水城砦の方を向いている、いわゆる張出城館も改築された。その後数回にわたり改築と改装が繰り返されたようである。30年戦争の時代には城館は様々な占領者によって落とされ、7年戦争中の1762年にはフランス軍によって水城砦が破壊された。この建造物はその後再建されることはなく、廃墟のままである。この廃墟は普段使われていないが、オープンエアーの結婚式やその他のパーティーが時々あるらしい。水城砦の周りは一部芝生で一部は花壇の公園で、どちらも大変に手入れが良い。
水城砦 1 & 2
水城砦 3 & 4
水城砦と城館ホテルの間は広い石畳の広場で、そこに立つ3層の水盤を持つ噴水は1605年に造られたそうである。
水城砦と噴水
張出城館の方は役所や裁判所や営林署として使われ、こんにち南の棟は博物館になっており、東の棟は現代的な新築で、ここが1997年に開業したホテルである。
博物館 ・ ホテル施設の一部
ホテルの敷地には、城館と似ていたり、少し違っていたり、ガラス張りだったり、色々な数棟の建物がある。スパ(温水プール、600m² のビューティー・スペース)や会議場(10室)や駐車場と地下ガレージはもちろん、レストランが2つにカフェーとバーが付随している堂々の5星ホテルで、スウェーデンの国王夫妻(グスタフとシルヴィア)やサッカーのベッケンバウアーなどの著名人が宿泊したそうである。92の客室のうち14がスイートで、メゾネットの他、内装が全部違うテーマ・スイートがあり、〈バラの騎士〉、〈ウィーンの気質〉、〈魔弾の射手〉、〈ヴァレンシュタイン〉、〈フォン ヘッセン王子〉といった名前が付いている。
建物に入って少し距離があるレセプションに着くまでに廊下で会った従業員は皆愛想が良く、訊いてもいないのにレセプションの位置を教えてくれる。掃除のおばさんを含めて、行きかうスタッフが皆はっきりと挨拶してくれて、非常に感じが良い。
チェックインの時にレストランの予約をしておこうと思った、
「グルメレストランにテーブルをひとつ予約しておきたいんですが、、、。はい、私一人です。」
「予約の必要はありません。好きな時間に行って部屋番号を言ってください。」
「それだけでいいんですか。」
「はい、そうです。」
セミナーか何かをやっているらしく、ベンツ、BMW、オペル、日産などの自動車会社のマークがついたプレートがレセプションの脇に張ってあって、会社人らしい人が沢山居るのに予約をしなくて大丈夫なのか心配だし、なぜレストランで部屋番号を言うのか判らない。
ロビーは超近代的で、エレベーターの横にある甲冑が何だかわざとらしい。
ロビー 1 & 2
私の部屋はロビーと同じ、ガラスを多く使った建物にあり、城館の広場に面していて真正面に水城砦が見える。部屋の一面がほぼ全面ガラス張りで明るい。ジュニア・ダブルルームをシングルとして使うようにしているので、テラスがあり、部屋もバスルームも広い。ベッドはセミ・ダブルで、スパ用のバスタオルが入ったバッグをおいてあり、スリッパもバスローヴも備えている。バスルームは音の静かな換気扇と室内用の香水瓶で空気を清浄に保っている。使いやすい部屋ではあるが、現代風の家具が何だか貧弱で、軽い雰囲気である。
私の部屋 1 & 2
さて、食事のレベルも5星であろうか。期待を胸に玄関ホールの、モダンなカフェーやバーが並ぶ通路にある 〈王子の部屋〉 という名のグルメレストランに行く。
はたして席はあるのか。
給仕のおじさんに、
「あのー、テーブル1つ空いていますか。107号室のOOOです。」
彼は台帳をめくって、
「もちろん席はあります。グルメな食事ですね。」
といって案内してくれたところに私の席が用意してあって、テーブルの上に 〈フォン ヘッセン王子・グルメメニュー〉 が立ててある。これでここのシステムが分かった。すなわち、フロントでグルメ食をする意思を伝えると、日本でいうところの 〈おまかせグルメ・コースメニュー〉 を 準備するのである。私の予想に反してレストランはガラガラで、私以外は初老夫婦が一組だけ同じコースメニューを食べるようだ。会社人達は別のレストランでビュッフェの夕食らしい。
私の席
薄茶からベージュの色調の落ち着きが感じられるレストランで、„New and Old“ をテーマに室内装飾を施している。つまり天井には合金鋼と古いオーク材を使っていて、壁際に並ぶのは甲冑と武器であるが、オリジナルではなくて現代的感覚でアレンジした装飾品だ。同じように、槍をイメージした部分がある左右非対称の変わったデザインの椅子をこのレストランの為にわざわざ作らせたそうである。軽音楽が静かに流れる。良い雰囲気を作り出すのにかなり骨を折っているようだ。料理長は40歳前後のスペイン人で、給仕のおじさんと一緒に料理を運んできて自らその説明をしてくれる。
レストランの内部
まず3種の突き出しが出た。1.鶉の卵の目玉焼きがほうれん草にのっている(塩気が少ない)、2.焼きホタテのイクラ乗せ(ホタテの内部は生、大変美味しい)、3.乾燥キノコにこげ茶色のソース(あまり旨くない)
アルコールが苦手だと言うとノンアルコール・ワインがあることを示唆するので注文してみる。はっきり言って不味い。水の方がずっといい。
1品目はアンコウのベーコン巻きをフライパンで焼いてあり、それにキャビアが少々のる。ちょっと量が多すぎるが、あまり味がついてないアンコウをベーコンの塩味で食べる感じでなかなかいける。緑のアスパラガスに葉野菜やピーマンやオリーブも少し混ざったサラダが添えてある。サラダはオリーヴ・ドレッシングで食べさせるのだが、ドレッシングの味が控えめで大変美味しい。
次は軽く燻したマグロのカルパッチョで、生パイナップルの極薄切りにのせている。カルパッチョの縁に黒ゴマをくっつけていて生姜の香りがフッとする。パイナップルソースとバルサミコが混ざって深みのある酸味が美味である。マグロの脂肪の少なさが少々物足りないが、良く考えた料理だと思う。
口腔のリフレッシュにはエキゾチックな果物を少しのせたパッションフルーツのシャーベットが出た。その出方が素晴らしい。脚付きのカクテルグラスを使い、グラスの縁にぐるりと砂糖をくっつけている。色鮮やかで高級食事の雰囲気抜群だ。
肉料理はノロジカの背肉。半分はメダイヨン(円形のステーキ)で、半分はパセリと豆で作った厚い衣をつけて揚げてある。野苺を煮た甘酸っぱいソースで食べさせる。付け合せはシュピッツ・コール(柔らかい先の尖ったキャベツ)を炒めたのとそのキャベツのパイだ。肉に臭みが全く無く、絶妙に柔らかい。キャベツ炒めもパイも軽くて美味しい。もうすでに空腹状態ではなかったが、この料理がコースメニューの中の最高傑作だと思うほど満足した。
デザートは小さな薄いパンケーキ2枚で、これを野苺、胡桃アイスクリーム、そして生クリームと層にして上手く積み上げている。上に十字架状に固まった水飴がのる。
これでミシュランの星が付いていないのが不思議なくらいである。今まで私が食べた1星レストランと比べても全く遜色なし。このレストランほど美味しくない星付きも何度か経験した。この雰囲気、料理、シェフのヤル気から見て、ミシュランの星を狙っていると思う。しかしまぁ、星が付くと強気の値段になるだろうから、客としては今のままの方が良いかな、とも思う。
レストランの真ん中に6人掛けのテーブルを簡単にセットしていたが、ちょうどコースメニューの半ば、そこに客がドヤドヤと入ってきた。日産自動車の関係者らしい。ビュッフェ用の席が足りなくて、こちらのレストランでビュッフェの食事をすることになっていたようだ。座ったり立ったり落ち着かないし、スマートフォンをいじりながら喋るし、優雅な食事の雰囲気がぶち壊しである。もしミシュランの調査員が来ている時にこんな状態になったら星はもらえないだろう。
朝食はホテルの正面に位置するガラス張りのレストランで、明るく、前方の水城砦が見える。噴水の水が水盤から落ちる音がいい・・・。眼を閉じると山の中のホテルで小川のせせらぎを聞いているようだ。(そんなことは無いか、、、。)
朝食を食べたレストラン
会社人たちが来る前に、と思って7時に朝食に来たのにもう食べている人がかなりいる。チェックアウトする人もいて朝から慌しい。
食材の種類、量、質、そしてサーヴィススタッフの感じ、すべて最高クラスだと思う。5星ホテルなので、やはりゼクト(ドイツの発砲ワイン)もある。残念ながら雰囲気は会社人のせいでアカン。しかしみんな一生懸命働いているのだから、文句を言うのはアン・フェアであろう。
以外にもこのクラスのホテルに時々あるのだが、子供を歓迎する姿勢が見られる。ホテル内に子供が遊べる部屋があるらしいし、外にも滑り台などの遊び用具がある。次世代の客を確保する、という、将来を見据えた経営方針なのだろう。一つだけネガティブに感じた。というのは、廊下に有名な宿泊客の写真を貼ったパネルをかけているのはイヤラシイ。
ここはまさに会議やセミナー と スパと結婚式などのイヴェントで潤っているホテルのようで、静かにのんびり過ごしたい者にはあまりふさわしくないようだ。でも5星にしては宿泊も飲食も非常に良心的な値段なので、この辺を通りかかったらまた来てみよう。
大変明るく感じの良いスタッフがチェックアウトのフロントにいる。
「当ホテルでの滞在を楽しんで頂けましたか。」
「はい、しっかり楽しみました。ありがとう。ところで、こちらは会社関係のお客さんが多いようですね。車会社の人を沢山見ました。」
「確かに車関係でした。でも来週は違う分野の会社です。平日はここは会議用ホテルですが、週末は少し違ってスパのお客さんや家族客が多いのです。それから結婚式が割りと頻繁にありますね。」
「私は今朝朝食の後で水城砦を見たんですが、保存状態が良くて沢山見るものがありますね。面白かったですよ。」
「はい、あの廃墟にはいろいろなものがまだ残っています。」
「特に興味深かったのは、トイレでした。」
「はははは、そうですか。」
昔のトイレ
〔2012年7月〕〔2022年3月 加筆・修正〕
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