思いのままに!

おけいはんのブログ

知覧特攻平和会館 (鹿児島の旅6)

2006-01-31 03:59:06 | Weblog

1036人の命が空に舞散る

昭和17年 知覧(ちらん)の陸軍飛行学校の若き少年が
沖縄戦争で亡くなられた。
出陣前の親に向けた手紙、遺品 記録等、この会館に展示されていた。
少年が出陣する前の手紙などは、涙をもらうような悲しいものである。
これらは再び戦争をおこさないように、
御霊を供養するとともに世界平和を願う根拠地とした会館である。
知覧特効平和会館の詳細はここをクリックしてください。

                               

どこまでも続く灯篭
                   

とこしえに 平和を祈る  わが涙
 


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7 コメント

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戦争のつめあとですね (ゆきこ1939)
2006-01-31 07:19:03
沖縄戦争のつめあとですね。これこそ日本の平和をいつまでも持ちつづけてほしいですね。特攻隊で散っていった若い兵士にお祈りしたいと思います。日本のためと申せ、今後は、絶対、許してはならないことだと思います。
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許すまじ戦争を (純子)
2006-01-31 14:08:20
 知覧 この地から片道切符で飛び立った幾多の特攻兵士たち、思うだになみだがこぼれます。 記念館入り口に置かれた0戦闘機、1つ1つの遺書を読み、言葉もなく涙して外へ出ました。

 ゴルフで行ったけど同行された方の中に知覧から出撃、散った戦友が居られ遺影を見つけられたときは、声に出し泣いて居られました。

 私も兄2人を戦争で亡くしています。

 2度といやですね。 戦争は。
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純子さんへ (おけいはん)
2006-01-31 16:28:54
純子さんコメントありがとう。

純子さんの文を読ましていただいて胸が熱くなりました。特にお兄様も戦死されたとのこと、涙したことでしょう。

戦争を繰り返さないためには、後世に伝えて

いくことが大切ですね。戦後60年にたっても今もなお、、、永遠の課題ですね。



また、寒くなりますね。

お体をおだいじに。

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姉ちゃんへ (おけいはん)
2006-01-31 16:41:49
いつも、朝はやくからコメントありがとう。

きょうは、母の涙どうでしたか。

わたしの小さい時、こんごうじの田へ母につれられて行った時、飛行機が飛んできた時、山のなかへかくれたことを覚えています。

今でも、覚えているのだからよほどこわっかのでしょうね。母も戦争時代を十分あじわっていると思います。母のお兄さんも戦争に参加されたからいたいほどわかっていたでしょうね。戦争時代をのりきってきた母は大変苦労があったよね。そうなのにさみしい思いをさせてさっていった母にもうしわけなくおもっています。

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金剛寺ね。? (ゆきこ1939)
2006-01-31 18:56:10
私は、家の裏にある芋をいけるところにb29が飛んできたら、荷物をはこんだのをおぼえているね。戦争に負けてもののない時代にそだっているので、痛いほどわかっているね、私らは、子供だからあまり気がついていないけど、父や母は、金剛寺と言う遠い田んぼまで、リヤカーをおっていたことをおぼえているか?なつかしいね。思い出になってしまったわ。
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ごぶさたしてます (AKAME)
2006-01-31 21:16:45
年末にはお母様のご不幸お悔やみも仕上げます。股関節を骨折されたようで、うまく行かなかったのですね。

年始にかけて色々たいへんだった事でしょうが、その後もブログ続けて居られてビックリしたり、感心したりです。

 悲しみを越えてゴルフや旅行スゴイと思います。九州のすばらしい写真色々見せていただきありがとうございます。
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AKAMEさんへ (おけいはん)
2006-01-31 22:44:08
泰運寺以来ですね。

大変ご無沙汰しております。

お悔やみのお言葉ありがとうございました。

母は去っていきましたが、わたしのこの歳まで生きてくれたこと感謝しております。

いつもありのままの書き方でおはずかしいものです。母と娘の別れってほんとうにつらいものでした。旅は早くから決まっていたので

喪中でしたがいってしまいました。

旅はほんとうに、いろいろ勉強できていいものですね。まとめ方は下手ですが読んでいただいてありがとうございます。

教室でリンクの貼り方を教えていただいたので活用しています。 

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