昨日人頭税についての議論があると記したが,税体制
として<人頭税>が存在したのかということである。
ともかく宮古島農民の生活難は極めており,税制も含めた
改革の請願は行われ,中村十作,城間(ぐすくま)正安,
平良真牛らとともに西里蒲が上京し政府・議会へ赴いた。
因みに,中村十作は新潟出身で東京事情にも詳しく,
城間正安は那覇出身。
その『西里蒲生誕地之碑』を訪ねてきた。
集落のはずれにあった。昨日の平良真牛生誕地之碑と
ほぼ同じ造り。
実際,政府を相手にどうだったのだろう。
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さて,彼らの活動を顕彰した石碑が旧城辺町役場跡地の
前に建立されている。これはかなり大きい。
顕彰碑 1964年(昭39)11月3日建立 クリックで拡大
城間盛安となっているが,ほとんどの資料は正安
運動の背景には,<明治政府…琉球藩・沖縄県…離島>の
政治・税制度,近代資本主義,貨幣経済などいろいろ
あるようだ。
まだまだ関係者の碑や史跡などがあるので,ぼちぼちと
訪れよう。
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